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雑誌などの記事をかくとき、レイアウトが先に上がってきて、その文字数に合せて原稿を書く場合と、テキストも写真などと一緒にデザイナーにわたし、文字も含めてレイアウトを組んでもらう場合とがある。わたしが原稿を書いている某雑誌は、先原が原則。なので、いつもおおよその文字数に合せて原稿を書いてデザイナーにわたしている。んで、なぜかいっつも3~4行はみだしたレイアウトを送ってきて「削ってください」って言ってくる!! いや……このくらいレイアウトで何とか入れてよ!? 見出しとかも1文字だけあふれてて「削ってください」って……ちょっと長体かけて入れてくれればいいじゃ~ん(泣)最初っから文字数が解っているなら収められるけれど、一度書いた文章を数行だけ削るって、実はすごくやりづらい。しかも最近、文字あふれの傾向はどんどん顕著になってきているので「最近、ページあたりの文字数減ってきてません?」と聞いたら、ビジュアル重視の編集部の方針だから……と言われた。だったらもっと早くから言ってっていうの! ま、瑣末なことなんですけれどね。なんかちょっとグチってみたくなりました。
2005年07月20日
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ステイプルスセンターで行われていたWTAツアー選手権を制したのは、今年度のテニス界の話題を総ざらいしたシャラポワ!! 決勝の対戦相手だったセリーナは怪我を負い本調子ではなかったものの、そのために会場がセリーナの応援一色になった中での優勝は、彼女の勝負師としての高い資質を示していたように思います。観戦録を自分のサイトにアップしているので、よろしければそちらもご覧下さい!
2004年11月19日
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野村忠宏の悲壮さは、大西洋を越えアメリカのスポーツファンの目にも留まっている!?アメリカのスポーツ専門誌『Sprots Illustrated』は、先日発売された最新号で「野村は、柔道初の3大会連続、さらには日本通産100個目という記念の金メダルを獲得したにも関わらず、同僚の谷の影に隠れてしまっている」と書かれていた。さらに同誌では、谷が“ヤワラちゃん”と呼ばれる国民的アイドルであること、そして野球選手と結婚したこと(さらにその野球選手は、イチローの元チームメイトであると記されていた)、彼らの結婚式が全国放映されたことにも言及。どうやらこちらの報道陣の目にも、同日に金メダルをとった両者の“報道格差”は一目瞭然のようです……。ps:http://www.writing-sun.comの方で、現地での五輪観戦記を掲載しています。よろしければご覧下さい。
2004年08月21日
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『ロード・オブ・ザ・リング』を観て以来、ヴィゴ・モーデンセン(アラゴルンの俳優さん)が好きです。というか、単にアラゴルンが好きなだけだけれど。アメリカでも、昔から舞台俳優としてはかなり高い評価を受けていたそうですが、『ROL』意向はある種のイコン的な扱いを受けているのか、映画『Stepford wives』の中では、ゲイの男性がヴィゴの顔がプリントされたTシャツを持っていたりと、妙なところで見かけます。このヴィゴさん、死ぬほどNYメッツが好きなそうです。理由は「アンダードッグ(弱いチーム)」だから。『ROL』の撮影中に地下鉄シリーズ(NYダービー)をビデオで観、そのときのメッツがあまりにもお粗末だったために怒り心頭! 次の日の撮影では、そのムシャクシャを発散すべくばっさばっさ敵を斬りまくり、鬼気迫る演技をみせたのだとか(笑)
2004年08月11日
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数字だけを見ると、にわかには信じられない。だが内容を見ると、必然以外の何物でもなく思えてしまう。 バスケットUSAチームの五輪壮行会である対イタリア戦のスコアは、95対78。イタリアが完膚なきまでに“ドリームチーム”を叩きのめした。 アイバーソン、ダンカン、レブロンらNBAのスター選手を擁するナショナルチームで五輪に挑むアメリカは、いわゆる「“本気”と書いて“マジ”」状態だ。先の世界選手権でまさかの6位という成績に終わり、国民の「バスケはアメリカの国技」という矜持が揺らぎ始めている。地に落ちかかった信頼とステータスを取り戻すためには、五輪での金メダル獲得は最低条件。「他との違いを見せ付けた圧倒的勝利」が望まれている。田村亮子じゃないが、まさに「最高で金、最低でも金」が彼らに貸された責務だ。 その景気付けとなるはずの試合で、出鼻をくじかれまくる圧倒的敗北。試合終盤、やけくそのように沸き起こった「USA」コールの哀切なる響きが、観客のヤルセナサを物語っていた。 ダンカンがリバウンドを取れない。アイバーソンがペネトレイトできない。アリュープを狙ったはずのパスがゴール前を水平に横切っていく。チームとしてのケミカルが全く感じられないUSAに対し、イタリアはスクリーンやパス&ロールなどを「練習か?」と思うくらいに面白いように決め、次々と得点を重ねていった。ドリームチームの敗北の背景には、イタリアの徹底したゾーンディフェンスもあるだろう。2シーズン前からNBAでもゾーンディフェンスは認められたとは言え、やはりワン・オン・ワンの醍醐味を重んじるNBAでは、さほどタイトなゾーンは見かけない。とは言え、それを敗北の理由として認めてくれるほどに、アメリカのファンやメディアは寛大ではないはずだ。 敗北が決定的となった第4クウォーター。解説者は、「これはアメリカバスケットボールの"corrupt"だ」と嘆いた。corruptは、日本語で言えば「頽廃」。「頽廃にして大敗か~」などというつまらぬオヤジギャグが、頭の上にプカプカ浮かぶ。 観客たちの、悲壮にしてクラシカルな「USA」コールにあわせ、かの解説者は、悲愴にしてシニカルな「イターリア」コールを、マイク越しに響かせていた。
2004年08月04日
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LAにやってきてから、早4ヶ月。なかなか向上しない英会話力を恨めしく思いながらも、BBQパーティにお呼ばれしたり、初対面の人とも握手する挨拶を体得したり、自然界には絶対に存在し得ない色のお菓子をためらいなく口に放り込めるようになったりと、徐々にアメリカに順応しつつあります。目も最近、だいぶ青みがかってきたし。でもときどき、股下150cmはあろうかという超スレンダー美女とすれ違ったりすると、そのたびに自分は彼らとは決定的に違う人種なんだということを再認識します。正直言って、とても同じ種とは思えない。個体差の範疇を越えている。あんな人と平均的日本人男性を交配しても、たぶん子供は生まれないと思う。
2004年08月03日
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ICHIROが月間51ヒットを放った。年間2度目のヒット数50本越えは68年ぶりとのこと。このニュースは、アメリカでもスポーツニュースの際に必ず触れられている。こちらでBASEBALLのニュースや中継を見ていると、いかにイチローが現在のマリナーズにおいて特別な存在かがよくわかる。カメラは常にイチローを追い続け、解説者も彼について多くを言及する。スポーツニュースの際は、マリナーズの試合結果を示したテロップとともに、イチローの個人成績も必ず併せて表示する。日本にいたときは、どんなにメディアが「イチローはアメリカでも大人気!」「イチロー旋風巻き起こる!」などと書き立てても、どうしてもやや懐疑的な目で見てしまっていたが、ICHIROはこちらですでに、ごくごく自然に、さりげなく“特別な存在”として定着しているようだ。「割り算の打率より、累積の総案打数の方が大切」と公言するイチローだが、ヒットを積み重ねるように、メジャーリーグでも実績と地位を累積させている。
2004年08月01日
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標題のような言葉が、アメリカにはある。『Sports Illustrated』とは、アメリカで最も権威があるとされているスポーツ誌(日本で言う『Number』みたいなものです)。そしてこの雑誌の表紙を飾ったアスリートは、プレッシャーのためか、はたまた増長してしまうのか、いずれにしろ、その後スランプに陥るというのだ。先週のこの「栄誉ながらも魔の表紙」には、ウィンブルドンの新女王、マリア・シャラポワが選ばれた。数年前から「ポスト・アンナ」として衆目を集めてきた彼女ではあるが、ここ1月くらいのスポットの当たり方は尋常じゃない。ESPNやNBCが特番を組み、ファッション誌でもそのスレンダーな肢体を披露している。余計なお世話かもしれないが、やはりバーンアウトやストレス故のスランプが心配されてしまう。と、そんな旬も旬のシャラポワちゃんだが、なんかすっごくチャチイCMに出ていた。バドミントンとテニスの間みたいな簡易スポーツ用品(おもちゃ)のCMで、それをプレイしながら「とっても手軽にできるし、テニスのトレーニングにもなるわ」なんて話しているのだ。しかもナニが痛いって、彼女はあくまでCMに登場する多数のうちのひとりということ。他にもおばさんや子供が登場し、やっぱりプレイしながら「すごく楽しいわ!」なんて言っているのだ。そのあとは「欲しい人は、今すぐこちらまで(電話して)!!」というアナウンスが流れる。さすがに彼女がウィンブルドンで優勝する前に撮られたんだろうが、彼女のシーンになると、画面の上に「ウィンブルドンチャンピオン」と、とってつけたようなテロップが流れるのが、これまた物悲しい。案外大丈夫かもしれないな、スポイラスランプは。
2004年07月16日
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先日、ESPN(全米最大のスポーツチャンネル)にて、「過去25年間の全米ベストスポーツチームTOP25」なる番組が放送されていました。競技や年代、ステータスすら不問で、考慮すべきは「記憶にも記録にも残るチーム」の一点のみ!ちなみに、Top10の大半はカレッジスポーツでした(ジョーダン、ロドマンらがいた'96年のブルズが2位)。それを見ながら「もし日本版をやったら、ナニが入るだろう……?」と漠然と思いを巡らせていたのですが、だんだん自分の中でヒートアップしてきてしまい、眠れなくなるくらい考え込んでしまったのです。そこで、より多くの人の意見を聞いてみようと想い、アンケートを実施することにしました。上記のリンクから投票できます(自分で選択肢を増やすこともできます)ので、是非ともみなさまの清き一票をお願いいたしますm(_ _)m
2004年07月01日
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杉山の愛ちゃんは、惜しかった。第2セットの途中までは、まず勝つだろうと思っていた。彼女の粘りの前に自滅しかかっていた17歳のシャラポワが、まさかあそこまで立て直せるとは思ってなかったので。でも、「これで伊達さんの記録は単独の日本記録として守られたな」なんて、ちょっとホッとしている、せこ~くて非建設的な伊達公子ファンの自分もいたりする。そういえば、NBCの解説者が「杉山選手の妹はプロゴルファーなんです」と言っていた。そんな話を知らなかったわたしは、「オイオイ、いくら日本人が同じような顔に見えるからって、それはないでしょ」なんて思っていたけれど、本当に杉山舞というプロゴルファーだった……。それにしてもシャラポワ(アメリカ人はカッチリ“シャラボワ”と発音する)は、イイ!! 女子スポーツ界が「美人」と枕のつく選手を押し出すことである種のステータスや話題性を付与させようとするのはどの競技も同じだが、かつてのテニス界はマスコミや協会側が美人を“捏造”していたきらいがあった。シュテフィー・グラフはまだ許容範囲としても、モニカ・セレスまでも“美少女”で押し通しちゃうほどに、深刻な美人不足にあえいでいたのである。「少女しか合ってないじゃん」みたいな。 それに比して、最近の美人/美少女の、なんとレベルの上がったことか! もう「金髪じゃん!」とか、そんな表層的なことを拡大解釈しなくてもよくなった。見るこっちとしても「ああ、けっこう可愛いね」と、サラッと言えるくらいの余裕がでてきている。時代は変わったのである。 そんな中でも、マリア・シャラポワは掛け値なしにカワイイ。ま、ロシアの若い子って、大概かわいいものだけれど。その美貌、ロシア出身ということから、どうしても彼女はアンナ・クルニコワと比較されがちだ。幼少期に英才教育を受けるためアメリカにわたったことや、最近はモデル業にも性を出しているあたりなど、歩んだ道程にも相似が見られる。アンナの(テニス選手としての)見事な凋落っぷりをみんな知っているだけに、マリアの行く末を不安視する声も多い。だが、コート上での彼女は、そんな心配は杞憂に過ぎないだろうと確信させてくれるだけの凄みを放っている。観客の奇異の目などまったくお構いナシに発する「キィョーン゛(カタカナでは表現不能です)」という奇声。ポイントをひとつ取るごとに繰る出される雄々しきガッツポーズ。「相手を称える」という、貴族のスポーツ・テニスの不文律を全く意に介さない喜怒哀楽の表出。その清々しいまでの勝利に徹した姿勢は、彼女の天性の勝負師としての資質を示している。 それにしても、カワイイってことはなんて得なんだろうとつくづく思ってしまう。もし仮に彼女がブーちゃんだったとして、わたしが先に挙げたような行為の数々を観客が許すだろうか? 答えは当然、“否”だ(そうですよね、世の男性諸氏??) 彼女はカワイイばかりに、表層と内面のギャップで、本来なら負の要素となりそうな行為を「超アリ!!」に昇華しちゃっている。 うらやましい話である。
2004年06月30日
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Euro2004の準々決勝、オランダ対スウェーデン戦は、PK戦の末、オランダが勝利。Euro公式ページのチャットを見ていたら、「IT'S OVER!!!! THE CURSE IS OVER!!!!!」との歓喜の書き込みがあって、笑っちゃいました。“curse”=呪いは解けた……と言っている訳ですね、彼は。オランダは前回大会の準決勝で、退場者を出して10人になったイタリア相手に攻めまくりながら点を取れず、PK戦の末に敗れるという悔しい負けを経験しています。ま、10人になったイタリアは、少年漫画で言うところの「ハンデを背負っていたからこそ、集中力が高まり普段より高いパフォーマンスを披露できた」という感じだったので、退場者が出たことをどう考えるかは微妙ではありますが。さらに遡れば、98年のW杯でもオランダは“今大会最高のチーム”と賞賛されながらも、やはり準決勝でブラジル相手にPK戦で敗れています。というように、PK戦には辛酸を舐めさせられてきたオランダですが、その「PK戦で勝てない呪い」も、今大会で解かれたようです。果たして次に彼らは「大舞台ではどうしても優勝できない」という、もっと重大で頑強な呪いを解くことができるのでしょうか?
2004年06月27日
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薬物使用疑惑がとりざたされていた100m世界記録保持者のティム・モンゴメリが、審議会で自らの使用を認めたとのこと。さらにモンゴメリは審議会にて、彼に薬物を勧めた人物(Bay Area Laboratory Co-Operativeの研究員)は、ジャイアンツのバリー・ボンズにもステロイドを提供していたとぶちまけた。これでモンゴメリは、オリンピックに出られないのはもちろんのこと、陸上大会から半永久的に追放される可能性も高いという。その場合、世界記録も取り消されるのかな? 彼が薬物を使用していたのは、記録を作る前かららしいから。それにしても、ベン・ジョンソンが'88年のソウル五輪でたたき出した幻の世界記録が9秒79。モンゴメリが今から2年前にその記録を百分の1秒上回ったとき、多くの人たちが「薬ナシの記録が、ついに薬の記録を上回った!」と、人間の可能性を謳歌していただけに、今回の結末はなんとも皮肉だ。9秒79。この数字は、短距離走にかかずらう人間にとって、強迫観念にも似た呪縛なのかもしれない。
2004年06月25日
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今をさかのぼること23年前、後にテニス界の頂点にまで上り詰める一人の女児が誕生した。テニスプレイヤーだった彼女の母親は、自身の夢を娘に託したのだろうか、母国史上最高のテニスプレイヤーの名前をわが子に与えたのだった。その名前のご利益か、はたまた天性の才覚ゆえか……いずれにしろ彼女が14歳でプロデビューを果たし、さらに16歳で史上最年少世界ランキングナンバー1になった頃には、彼女の命名にまつわる物語は万人の知るところとなる。2004年のウィンブルドン。同じファーストネームを持つ二人のテニスプレイヤーが、片や選手、片や解説者として競演を果たした。ウィンブルドンの格調の高さの象徴である純白のウェアを纏いコートに立ったのは、47歳のマルチナ・ナブラチロワ。そして解説席に座っていたのは、23歳のマルチナ・ヒンギス―――。名前の継承、異なる立場での邂逅……それだけでもドラマとして十分成立しえるのに、さらに年代の逆転というエキセントリックな要素を加えることにより、物語の濃度は一層濃いものとなった。だがそのエキセントリックさ故に、そこには悲愴の影も生じる。10年ぶりにシングルスプレイヤーとして大会に出場したナブラチロワ、そして、足首の故障のため1年以上本格的なツアーから遠ざかっているヒンギス。モニター越しに、自分の母親より年上のマルチナのプレイを観るヒンギスの胸には、いかなる想いが去来しているのか……第三者のいらぬ感傷と解っていながらも、やはりそんなことを考えてしまう。
2004年06月24日
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わずか10分足らずの間に、どれだけの歓喜と失望が交錯したことだろう?同時刻にキックオフとなったデンマークvsスウェーデンと、イタリアvsブルガリア戦。イタリアのカッサーノがロスタイムに劇的な決勝点を決めたその直前に、もう一方の試合では、スウェーデンが試合終了間際の同点弾――そして、デンマークとスウェーデンの両チームの決勝T進出を確定させる点――を決めていた。スペインに続く優勝候補の一次リーグ敗退。序盤ではもたつきながらも、なんやかんやではしっこく上まで勝ち残るという“イタリアの型”が、今大会でついに破綻した。先のワールドカップでもそうだったが、ネームバリューで勝ちあがれる時代はもはや終わったようだ。年間試合数の増加やマーケティングの拡大が選手たちの価値観の多様化を促し、国際大会の位置づけが以前より低くなった結果だろうか。いずれにしろこれからは、確かなチーム戦術と高いモチベーションを有したチームが好成績を残すことになるだろう。
2004年06月23日
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心の深層に訴えかけ、見終えた後にあれこれと思索をめぐらせたくなる……という類の作品では、決してない。だが、エンターテイメント作品としては、十二分に楽しめる。少なくとも、わたしは大いに楽しんだ。 先週からこちらで封切られた『The Stepford Wives』 は、同タイトルの小説(邦題は『ステップフォードの妻たち』)を映画化したもの。'72年というウーマンリヴ華々しき頃に上梓されたこのSFノベルは、「独立心の強い女性が、夫、そして子供とともに移り住んだステップフォードなる地には、家事にしか興味がなく旦那に従順な女性しか存在しなかった……」というプロットで、肯定的にしろ否定的にしろ、女性の社会進出を強く意識した作品となっている。 その小説が世に出てから30年。果たしてどのような解釈がなされ、如何なる脚色をほどこされ現在によみがえったのか……? 今作の監督は、マペット使いとして有名なフランク・オズ。そのためかどうかは定かではないが、全体として相当にコメディー色の強い仕上がりとなっている。物語のテンポはまるでダイジェストを見ているかのように早く、役者の演技も舞台作品のように大仰。特に、主演のニコール・キッドマンの“顔面演技”は、インパクト絶大! この人、トム・クルーズと別れて以来、オンナっぷりが格段にアップしたんじゃなかろうか。 「理想の夫婦とは?」とか「仕事と家庭を両立させるには!?」など普遍的なテーマを定めて見ることも可能だ。だが、それよりも、役者さんたちのキレのよい演技(というより芸に近い)と小粋な会話を堪能する方が、この作品の正しい鑑賞法のように思う(と言いつつ英会話力がつたない為、館内が大爆笑だったにも関わらず内容が理解できなかった場面がいくつかあったけれど)。
2004年06月22日
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クロアチアという国には、どうも過剰に感情移入をしてしまいます。人口、わずか450万人。千葉県民より少ない民を有するこの東欧の小国は、これまで、あまたの優秀なアスリートを世界へと排出してきました。テニスのイワニセビッチ、ルチッチ(最近イマイチだけど)、スキーのコステリッチ、NBAでブルズの黄金メンバーの一員だったクーコッチ……そうそう、日本でおなじみの格闘家、ミルコ・クロコップも忘れてはいけませんね。そして彼らは、旧ユーゴから独立し、国家として初参戦となったサッカーの98年ワールドカップでいきなり3位という成績をも収めています。“民族浄化”に代表される、民族紛争の悲劇の影を見る側が勝手に投影してしまうせいもあるでしょうが、彼らクロアチア人選手たちの相貌には、怒りに似た激情とそれを押さえ込む諦念、そして母国を代表することへの矜持が刻まれているように思えてしまいます。今日のクロアチアvsフランス戦も、見ているうちに、いつのまにやらクロアチアに肩入れしている自分に気がつきました。アンリとジダンという、それぞれのポジションで現時点での最優秀選手を兼ね備えたチームが予選リーグで姿を消すことなど、一サッカーファンとして望んでいるはずもないのに……です。試合は、一進一退の攻防の末、2-2で終了。両チームの決勝T進出を望むわたしとしては、最高の結果だったかもしれません。それにしても、これだけお互いのサッカースタイルや持てる力を正面からぶつけ合い、そして見る者の心を打った試合が、勝ち点1にしか相当しない――それは、勝利より負けにしか近いことを意味する――ことに不条理さを感じてしまったのはわたしだけでしょうか? 確かにわたしも、引き分けより白黒はっきり片がつく試合を好みますが、世の中には、真に“星を分ける”に値するドローも存在するのだと、今日の試合を見て学びました。
2004年06月18日
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ヤバいくらいに、良い試合だった。見ていて、鳥肌が立った。日本戦の場合は、やはりナショナリズムや過剰な思い入れが付加されるので、見てて熱狂するのには道理があるのだが、よそ様の試合を見て、これだけゾクゾクするのは一体なんなのだろう?もちろんオランダとドイツは、お互いサッカーに限らず様々な歴史的背景を背負っているので、見る側がそれらの要素を勝手にフェイドバックしながら感情移入している部分もある。ドイツの白いユニフォームと、以前よりやや薄めのオレンジになったオランダのユニフォームが、ベッケンバウアーとクライフという両雄に率いられた70年代後半のチームを彷彿させたことも、確かだ。だがそれを抜きにしても、この試合は素晴らしかった。結局のところ、あれだけダイナミックでスペクタクルに富んだ試合ができるのは、ロングキックの精度と速度、そしてシュートレンジの広さに起因しているように思う。ペナルティーエリアのはるか後方でも、良い形で選手にボールが渡れば、シュート(得点)の期待が高まるし、観客もそれがわかっているので一斉に歓声を上げる。 中盤でボールをキープしている状況下でも、その根底に得点/失点の可能性が常に対流しているため、見ていて弛緩するようなことがない。わたしはBBCのラジオで音声を聞いていたのだが、アナウンサーはしきりに「fantastic game!」を連発していた。試合のグレードがまださほど高くないので、歴史に残る大勝負という訳にはいかないだろうが、純粋なエンターテイメントという意味では近年まれに見る好ゲームだったように思う。
2004年06月16日
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なんとかEUROを見たいと願うアメリカサッカーファンにとっての救世主が、遠い極東の国から現れた!!! と言っても、日本のことではありません。 先のワールドカップで4位という好成績を収めたサッカー急進国、韓国です。 先日も書いたアメリカ最大のサッカーファン掲示板にて、韓国のあるテレビ会社がEUROの試合をストリーミング中継しているという報告が入ったのです。 どうやら、韓国でeuroの放映権を獲得したこのテレビ局は、そのテレビ中継の様子をそのままweb上でも配信している模様。わたしも実際に行ってみたが、確かに見られる!! もうアメリカのサッカーファンは狂喜乱舞! 皆で競って見に行くもんだから、なかなか繋がらないこと繋がらないこと……。おそらくこの韓国テレビ局のwebは、開設市場最大のアクセス数を記録していることと思われます。 ただ、ここで問題になるのが、やはり言葉。韓国の放送なので、当然すべて韓国語。しかも彼らったら、ご丁寧に選手の名前もちゃんとハングルで表記するもんだから(ま、日本でもカタカナにしちゃいますが)、スタメン表を見ても誰が誰だかわからない!! だがこのサイトの存在を見つけた米国サッカーファンは、さらにすばらしきアイディアをも有していたのだ。映像は韓国のそれを流し、そして同時にBBCWEBラジオを流すのだ!! この最強コンボを発明し掲示板上で啓示した人物は、皆から賛辞の嵐を送られている。2○ゃんねる風に言うと、「神降臨」状態。 唯一の難点は、映像が音声より数秒ほどずれることだけど。 昨日のフランスvsイングランド戦なんて、まだジダンがボールをセットしている時点で、「ゴールゴールゴールゴーーール!!!!」って声が聞こえてきたもん………。
2004年06月15日
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「もし日本がサッカー先進国の仲間入りを果たしたいと願うなら、白と黒のボールを足や頭で操り、相手陣地のゴールに入れた回数を競うこの競技のことを“サッカー”と呼ぶのを、金輪際止めるべきである!」 アメリカに住んでいると、つくづくそう思ってしまう。 皆さんもよくご存知の通り、Soccerは米語であり、この競技の発祥の地であるイングランドをはじめとする多くの英語圏では、footballという言語を使う。 だがアメリカでは、footballと言えば、とりも直さず、アメリカン・フットボールのこと。彼らは、この競技が試合中に足を使うことなど数回しかないというパラドキシカルな事実を不問に付し、プロテクターに身を包んだマッチョガイたちによる陣取りゲームのことを、なんのためらいもなく“football”と呼ぶ。そのかわりに、世界の共通語とも言える“footballL”という実に利にかなった名称の代わりに“soccer”というナゾの造語を使うのだ。そしてこの行為は、アメリカに住む多くの欧米人を最もげんなりさせていることの1つである。 現在ポルトガルで開催されている『EURO2004』は、欧州各国によるサッカー(ここでは従来どおりこう呼びます)の国別対抗戦であり、世界中のサッカーファンの関心を集めている。 だが、ここアメリカは、サッカー不毛の地である(特に観戦競技としては)。地上波はおろか、ケーブルTVやサテライトなどありとあらゆる手段を駆使しても、EUROを見るということは、生半可な覚悟じゃままならないのだ。 そしてここアメリカは、世界各国の人々が集まる自由の国である。欧州からの移民や留学生、ビジネスマンは山ほどいる。そして彼らは、如何にアメリカにいながらにしてEUROを見るかということに血道をあげているのだった。 その事実を証明するかのごとく、アメリカ最大のサッカーファン掲示板は、ここ数ヶ月間この話題でもちきりである。掲示板なので、情報の質や信憑性は虚実混交。それでも皆、「見られるらしい」という情報があると、あるものは欣喜雀躍として、またあるものは騙される可能性があるのを覚悟のうえで果敢にトライしていくのだった。そしてこの掲示板には、そんなチャレンジャーたちの亡骸が死屍累々と横たわっているのである。 とりあえず、アメリカ在住のfootball愛好家たちの最低限のよりどころは、BBCのWEBラジオである。もちろんラジオなので音声のみだが、掲示板で最初にこの情報を提供してくれた人いわく、「it's better than nothing.」ということだ。 この表現は、かなり使用頻度の高い日常英会話でもある。「何もないよりは、マシ」。 どうしても見るのが無理だったら、このラジオを聴くことにするか……という諦念を胸に、彼らはより良い手段を模索し続ける。 実を言うと、EUROをアメリカでTV観戦することは不可能ではない。「金に糸目をつけなければ」の話だが。試合はすべてペイパービュー。一試合のみの観戦だと$20で、全試合のセットだと$178だから、約2万円!! 高っ!! だがそれでもよいから見たい、という人はかなりいる。たしかに、母国の一世一代の大勝負ということになれば、これくらいのお金は惜しくないという人もいるだろう。 ところが、あるとき掲示板に「セットはないと言われた」という書き込みが出現したのだった。彼は、地元のケーブル会社に連絡し、最高責任者にまでご登場いただいたが「契約形態の都合でセットは取れない。見たければ一試合ずつ払え」と言われてしまったというのだ。先ほど一試合あたりの観戦料金は$20と書いたが、これは一次リーグの話で、試合のグレードが上がるにつれて料金も吊り上げられていくという寸法。仮に全試合見たら、その総額はなんと約$800にも達してしまう!!! 彼は狂わんばかりに掲示板上で怒りをぶちまけたが、その後、同様の書き込みがいくつか現れた。そして大会を数日後に控えたある日から、EUROの放映権を所持しているケーブル会社のwebサイトから「EURO全試合パッケージ」という項目は消えてしまったのである。契約上の都合か何かだろうか、いずれにしろ、この高いながらもお得な全試合観戦パッケージは雲散霧消してしまったようなのだ!! 高給取りのビジネスマンならまだしも、学業のために来ている苦学生には、これはとても手の出る価格ではない。「It's the only reason i hate living in the US, i can't watch my team (Espana) play!」というスペイン人留学生の魂の叫びも、むべなるかな。 だが、ここでまた、新たな情報が登場した。なんと、アルバニアに世界中のテレビ番組をオンラインで配信している会社があり、そこと契約すれば、$10でEUROの全試合を見ることができるというのだ!!(いったい、どうやって調べたんだか)。ネットというのがかなり難ではあるが、そしてアルバニア語しか流れないというのも物悲しいが、それこそ「it's better than nothing.」である。 昨日より、euroは始まった。 掲示板には、以下のような文章が書き込まれていた。「since when portugal-greece were playing i went to this tele-sport albania and saw nothing. instead they were showing some documentary about refree colina.」 彼は、ポルトガル対ギリシャ戦を見るためパソコンの前に陣取り、期待と不安に胸を膨らませながら、今や遅しと、開始のホイッスルを待ちわびていたのだ。だが彼のパソコンに映し出されたのは、なんと世界最高のレフェリー、ピエール・ルイージ・コッリーナさんのドキュメンタリーだったのだ!! いや、確かにその番組、わたしもかなり興趣を覚えるが……。だが彼は、試合が見たかった訳だし。 自由の国、アメリカに夢を求めて訪れた若者は多い。だが彼らを待ち受けていたのは、晴れ舞台に立つ母国の戦士たちの姿を見ることさえ許されないという、何とも非インターナショナルな悲しき現実。 どこの国かは解らないが、異国の地からやってきたであろう若者は、この事実にいたくショックを受けた旨を述べた後に、こう記した。「I thought they accepted everyone's cultures. HA HA HA, no. If you want to watch Euro 2004, call it football like everyone else (or something similar), not soccer.」↑言わずと知れた、コッリーナさん
2004年06月14日
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こちらに着てから、はや2ヶ月。当初の予定では、そろそろUCLAの学生さんたちと、アメリカの対イラク政策問題や、日本政治家の年金未払い問題などについてdiscussionしているはずだったのですが、現実はなかなか厳しいものです。それでも、治安に関する不安や習俗の違いなどは来る前に予想していたほどではなく、洒落みたいに青いそらの下、それなりに快適な日々を過ごしております。でも、ひとつだけ、こっちに来てドえらくビックリしたことがあった。ある日、近所のスーパーで買い物をしていたときのことです。夕方だったので店内は多くの買い物客でにぎわっており、店員たちもせわしなく働いていました。そしてわたしがさしたる目的もなく店内をぶらぶらしていると……わたしの斜め前方を歩いていた30歳ほどの男性が、ドリンクコーナーからジュースを取り上げると、やおら蓋をとってゴクゴクと飲みだすではないですか!!!こえーこえーこえ~~!!! やっぱアメリカ、こえーよ!!その犯罪の瞬間を全く見なかったかのようにふるまい、いそいそと別のコーナーへと移っていきました。すると、今度は、ほぼ真っ白になった髪を綺麗に整え、洒落た服に身を包んだいかにも上品そうなお婆ちゃんが、冷凍庫からハーゲンダッツを取り出し、これまたいきなり蓋をとってモリモリと食べだすではないですか!!!こえーこえーこえー!!! こえーよ、LA! 訳がわかんないよ!!!とっとと会計を済ませて外に出ようとレジに並んだのですが、さっきのジュースごくごく男が、隣のレジに並んでいます。しかも、蓋の開いた飲みかけのビンをレジの上に置いて……。後でわかったことですが、少なくともLAにおいては、会計の済んでいないものを食しても、ちゃんとレジでお金を払えば問題ないそうです。確かにそう聞いてから注意して見てみると、レジの上に敗れているお菓子の袋、空のアイスカップ、飲みかけのミルクなどがちょくちょく乗っています。これもやはり、個性と自主性を重んじるアメリカ的気風のためか!? アメリカ人が好む合理主義ってヤツか?? ヤツらは、レジで金を払うまでの5分くらいの時間すら、己の欲望を抑制できないのか??? 店内でポップコーンの袋をビリビリ破り、今晩のおかずを買いながらポップコーンを口に放り込めるようになったときが、わたしが完全にLAという都市に順応できた瞬間なのかもしれない。
2004年06月03日
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“大作!!!”ではなく“莫大なお金をかけて撮ったバカ作品”………というのが、わたしのLAにおける『TROY』鑑賞所感。 この手の映画に物語性を求めること事態がナンセンスという気もしなくはないのですが、内容的には“ちょっと電波受信しかかっている人たちが、みんな勝手なこと言ったりおかしな行動に出てテンヤワンヤ”といった感じです。ブラッド・ピットやオーランド・ブルームという、この映画最大の売りであるところのイケてる男たちが、文字通り、かなりイっちゃっている。ま、原作(と言っちゃっていいのかな?)事態が神話と実話の境界線がグダグダになった英雄譚なので、彼ら登場人物たちに感情移入できないのは、当然と言えば当然なのかもしれませんが…。 でも、映画としては決して破綻していません。何が素晴らしかったって、作品全体を通して、バカのレベルが均一だったこと。 説話なんて、しょせんはウソっぱちな訳です。そこで大切なのが、「ウソの次元を均一に保つ」ことでしょう。『スターウォーズ』の中で、大きな岩に潰されたスカイウォーカーが、紙みたいにペラペラになってヒラヒラと漂った後に“ポンッ”と音を立てて元に戻ったりしたら興ざめだし、逆に、高いところから落ちたミッキーが頭から血を流して死んだりすることが許されないように、ウソはウソなりに約束事を守る必要がある訳です。そういう意味では、『TROY』はしっかりした世界観を維持しています。そしてだからこそ、十二分に楽しめたのです。 さて、わたしがこのようなややシニカルと思われそうな感想を抱いてしまった(十二分に楽しんだというのは本当です)のは、結局のところ、見た映画館の環境に起因しているように思えてなりません。映画にかぎったことではないと思いますが、何かを観たり体験したとき、それがどのような状況下であったか(例えば自分の精神状態や健康状態、そして誰と一緒だったかなど)によって、抱く感想や得る感慨が大きく異なるように思います。こと映画鑑賞に関してはそれが顕著で、映画館の環境や風致、そして客層によって著しく左右されてしまうことでしょう。 で、結局のところ何が言いたいかというと、日本の『TROY』上映館がどんな空気に包まれていたかはわたしの知るところではないのですが、少なくともわたしが見た、UCLA大学そばの音響、椅子の座り具合、そして館内のデコレともに申し分のない映画館においては「ブラピ素敵! ブルーム、かっこいい!! うっとり……」という空気とはほど遠かったわけです。 わたしが映画館に行ったのは、3連休初日のレイトショウ。大学のすぐそばという環境もあって、館内の客の大半は20歳前後の男女。封切りから2週間経っていたためか、観客の入りは半分ほど、といった様相です。 そして以下は、作品上映中の観客たちのリアクションの傾向です。【オーランド・ブルームの楽しみ方】 『Load Of The Rings』で金髪痩躯のエルフを演じて以来、若い女の子に大人気(らしい)ブルーム。今作では、これまた絶世の美男だっとされるトロイの若き王子という大役を射止めております。ところが彼、館内では完全に「アホなボンボン」扱い! 彼が「I love you」と甘くささやくだけで、あちらこちらから笑い声(失笑と換言可)が漏れるほどです。その後は、彼が画面に映るたびに笑いが起きるという具合。しかもその笑い声の大半は、若い女の子のものでした。確かに彼の、思慮が足りなさそうなツブラな目や、言ってはいけないことを口走ってしまいそうな薄い唇は、全体的に蒙昧な雰囲気をかもし出すのに一役買っています。しかもそれらパーツがすべて形良く、抜群のバランスで細面の輪郭の中に配置されているのですから、これはもう存在だけで観る者をゾクゾクさせる力があると言えるでしょう。キアヌ・リーブスが内向的なバカの美形なら、彼は外交的で無鉄砲なバカの美形。今後も一層、その魅力に磨きが掛かることと思います。【クライマックスは…?】 大学そばのこの映画館では、観客の大半が学生ということもあってか、映画のクライマックスシーンや見せ場では、大歓声や拍手が起こることが決して珍しくありません。『KILL BILL vol.2』のときには、ヒロインが宿敵と向き会いカタナを構えるだけであちらこちらから声援が飛んだものです。 さて、この『TROY』ではどのシーンが盛り上がったかというと……。観客が少なかったために大歓声が沸きあがるようなことは無かったのですが、それでも拍手がパラパラと聞こえたシーンはありました。そして……それは伝説の英雄たちによる戦いのシーンではありませんでした。これから映画を観る方もいると思いますので詳細は述べませんが、大の男が、か弱い女性に不意を撃たれて殺される場面だったのです。ま、確かにあのシーンが観ていて最も爽快だったかも知れません。 という訳で、この初夏最大の話題作は、映画の本場Hollywoodから10Kmほど離れた地では以上のようなかたちで受け止められておりました。 もし日本でこの映画をごらんになった方がいらっしゃいましたら、ぜひとも館内の雰囲気をお知らせください。
2004年06月01日
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ようやく住処が決まりました。 こっちでは“studio”と呼ばれているタイプで、日本で言うところの1LKアパートメント。とは言え、そこはやっぱAmerican! その1Lがやたら広いし(たぶん12畳くらいある)、キッチンもレジやコンロが非常にゆったりしており、少々ムリすればテーブルを置いて食事ができるくらいのゆとりもあったりする。 建物は2階建て。白塗りで、恐らく木造かウレタン製のため、全体的に温かみが感じられる佇まい。さらに、青々と芝が茂った中庭を囲むようにコの字型に建っているため、緑と白のコントラストがなんとも鮮やか。湿気が少なく透明度の高いLAの空気を通り抜けてきた陽光たちが白い壁で跳ね返り、木々の間でさえずっているよう(なんのこっちゃ!)。 しかしそれ以上に印象的なのが、このアパートメントのマネージャーさん。年の頃は、恐らく20代後半(ガイジンさんの年齢はさっぱ解らんのでもっと若いかもしれんが)。目は大きく、鼻はすこぶる高い。尖った顎に肩甲骨くらいまで伸びたフワフワな金髪と、“いかにも”な西洋人ルックスの持ち主。部屋の中にはルームランナーまで置いてあるなど、我々アジア人が抱くガイジン像を完璧なまでに体現している、ステキなお姉さんである。 でも、なんかちょっとヘンな感じ。“マネージャー”という言葉から連想する人物像からは大きくかけ離れた、ちょっとした“不思議っ娘ちゃん”といった感じだ。 例えば、彼女はいつも電話で誰かと話してる。しかも、日本ではとんとお目にかけない、イヤホンで通話するタイプの携帯を使用しているため、パッと見では、独り言を言っているようにしか見えない(ま、これは別に彼女のせいではないんだけれど)。初めてこのアパートメントを訪れ、たまたま中庭で電話をしていた彼女の姿を見かけたときは、いわゆる“文学な人”かと思ったくらい。「ここのマネージャーは居ますか?」と聞いた際に「It's me!」と答えられたときは、けっこうタチが悪い類の“文学な人”だと思ってしまった。そして、実際に彼女が部屋の鍵を持ってきて空き家を見せてくれたときは、「このアパートメントは、かなりヤバい」と思ったものだ。ま、その電話に関する勘違いは後に解消されたわけだけれど。 でも、それを度外視してもなかなか趣のある人物であることが、徐々に明らかになっていったのだ。 なんやかんやでかなりそのアパートが気に入り、「では契約しようかな?」と言うことになったわたしたち。そんなわれわれを、彼女は温かく部屋(事務所?)に招き入れてくれた。そのアパートメントのルームナンバー4に構えられた彼女の事務所の入り口には、「平」と書かれた玄関マットが敷かれていた。室内は綺麗に片付けられており――というより、事務所なんだか普通の部屋なんだか判別つきかねる感じ――、中には、先にも触れたようにルームランナー、大きなクッション、テレビ(なぜかケーブルには繋がっておらず、ビデオ専用の模様)、そして石庭のミニチュアのようなオブジェが飾ってある。加えて、綺麗なシャムネコ風の猫が2匹。彼女はこの2匹を「ファミリー」なのだと紹介してくれた。「名前は?」と聞くと、「コイツたちには名前がないの。だからわたしは“boy&girl”と呼んでるわ」とのこと。 おー、それはなかなか悪くない! まるで『Breakfast At Tiffany's』のオードリー・ヘップバーンのようではないか!! と、興趣を覚えたのもつかの間。「じゃあ契約書を書いてちょうだい……あらっ、契約書が切れてるわ」………って、オイ!! どういう管理人ですかぁ!? この一件で、彼女に対する興味が一層わいたことは言うまでもない。「では後日、改めて保証人と一緒に来ます」ということになり、その日は契約を結ぶことなくひとまず退散。あっ、ちなみに彼女の名前はThelesaさん。 後日、正式に契約を結ぶために部屋を訪れると彼女のご主人も一緒だった。左腕に大きく“平”の文字のタトゥーを入れ、頭を見事にそりあげている。しかしそんな厳ついオプションとは裏腹に、ソラマメのようなやや下膨れの顔に目じりの下がったつぶらな目が張り付いた、柔和な表情の好青年といった風体だった。 彼はわたしたちを紹介されると、ただでさえ下がった目じりをさらに下げながら、「Hi! I'm ジョン!」と手を差し出した。先に訪れた際に、Thelesa嬢から彼は日本通だと言うことを聞かされていたので、そのスキンヘッドさんに「日本に行ったことはあるのか?」と問うと、「CMの撮影のために1度訪れたことがあるんだ」と言う。………CM!? いったい、なんの!? そもそも彼、いったい何者!? そんなこちらの胸中を察したのか、彼はニコニコと笑いながらビデオテープを手にしてテレビに向かった。そうか……ケーブルの繋がっていないテレビは、来客にこのビデオを見せるためのシロモノだったか!? LAの郊外。有名大学の学生さんたちが多く下宿するアパートメントの一室のテレビから、なんとなくわたしにも見覚えのある日本のCFが流れ始めた。 “自宅のテーブルにつき、珈琲か何かの飲み物を口にする女優(黒木瞳のように見えたけれど、ちがうかも)。すると突然音楽が高らかになり響き、ビートルズそっくりの格好をした外国人4人組が彼女の後ろに現れる”……と、その場面になるとジョンは「It's me.」と、ビートルズのひとりを指差した。茶髪のマッシュルームカットではあるが、確かに顔の造作は彼そのもの……のような気がする。CFは最後、メンバーのうちのひとりがカップに紅茶を注ぎながら、女優に向い「アナタニハ、Liptonがヒツヨウデ~ス」と言って終わるのだが、そのときにもジョンは、紅茶を注ぐ人物の後ろに立っているひとりを指しながら「It's me.It's me!」と言った。 俳優なのかと聞いたら彼はYesと答えたが、彼からもらったbusiness cardには“singer/song writer”と書かれている。結局のところ正体がよく解らないこの人物についてさらにわかったことと言えば、彼はどこかの大学か何かで日本語を勉強中らしいということ、本名はGreorgeであること、そしてわたしたちが出会った前日に31歳になったということだった。 という訳で、かなり味わい深い夫婦が管理するアパートメントに住むことになりました。今後の日々には、どんな予想不可能な出来事が待っているのか……? ケ・セラセラで、楽しみにしております。
2004年04月11日
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Hiya! How are you? I'm very fine, thank you!! ………なんのことやら。という訳で、右も左もわからぬうちにLAまで来てしまったあっしの、記念すべき初日の出来事記続編です。【前回までのあらすじ:無事、LAの空港に降り立ったわたくしども。しかし空港で彼らを待ち受けていたのは、荷物紛失というかつてない災厄だった! 果たして彼らは、鬼畜米英の魔手から荷物を取り返すことができるのか!? できるのかァ?】 空港では荷物に関する有力な情報が得られなかったわたしたちだが、ひとまず、空港を出ることに。何故って、主人の雇い主であるところの先生=メッツナー氏が迎えに来てくれているはずだから。しかも悪いことに、彼は“ドイツ人”なのだ。そう、パンクチュアルなことにかけては我々日本人の上をいく唯一の民族と言われている、あのドイツ人である。待たせるわけにはいかない(徐々に判明しつつあることだけれど、彼はマジで時間に厳格&せっかちさん。時間を無駄にするという行為を何より嫌っているふう)。 空港の出口付近では、やはり既に到着していたメッツナー氏が待ちわびた様子かつ不安そうな面持ちで立っていたが、我々(というか主人)の姿を見定めると、手を大きく広げた、いかにもガイジーンな大仰な態度で迎え入れてくれた。何しろ彼は、あまりに荷物の多い我々のために、vanまで借りてくれたナイス・ガイなのである。 やや細面で、中肉中背。金髪のくせ毛を短く刈っており、年の頃は40半ばくらいだろうか。知的で神経質そうなそのガイジンさんは、大量の荷物をテキパキとヴァンに積み込むと、後部座席のドアを開け、中を手で指し示しながら「Sit down! and relax!!」と、わたしに呼びかけてくれた。 さてさて、LAといって我々が抱くイメージは「大都会&犯罪都市」なわけで、それはもう一歩街中に踏み出せば強面の兄さんたちがガムを噛みHipHopな音楽に体を揺らしながら歩き、道路はサイレンを鳴らしながら犯罪者を追うパトカーでごったがえしているのかと思いきや、車で辿りついたUCLA近辺は緑が多く、さほど大きなビルディングも見当たらないなんとも穏当そうな地域でした。雰囲気としては……そうね、多摩ニュータウンに近いかしらん。坂がやたら多いし。 それにしても、熱い!! 思わず本来「暑い」であるところを「熱い」と書いてしまうほどに、暑い!! こちらは3月末の日本から来たのだから当然それ相応の格好をしているわけだけれど、街を歩いている人々は、一様に短パン、ビーサン、Tシャツといった無防備極まりない出で立ち。う~ん「It's America!!」。 ホテルへのチェックインを済ませ荷物を部屋に運び込み、「後で一緒にランチをとろう」と言ってくれたメッツナー氏とひとまず別れると、ようやく人心地つく。 しかし、ホッとするのはまだ早い。なにしろこれからメインイベント……すなわち「荷物確認のためのお電話」をこなさなければならないのだ。ま、ここは英語が堪能なご主人様が果敢にチャレンジ。渡されたメモに書いてあるダイアルを、慎重な手つきでプッシュしたのちに、おもむろに話し出した。「…ハイ。マイネームイズ・●△×………ロス・アンゼルス………あっ、切れたっ!!」――――。 再度チャレンジしてみるものの、どうやら結果は芳しくなかったらしい。ガックリと肩を落とすMy husband。なんか、かなり「もうダメ」って感じのオーラを、全身から放っている。 なんでも、そのダイヤルは機械音声のガイダンスに従って先に進むシステムなのだが、その機械ったら、彼の渾身の「ロス・アンゼルス」という発音を、なぜか「ワシントン」と認識してしまうらしいのだ。ロスアンゼルスがワシントンだよ。奥が深いね、アメリカ。 そうこうしている間にメッツナー氏と会う時間になってしまったので、非常に後ろ髪を引かれながらもホテルの部屋を後にする。何しろ相手は、ドイツ人だ。 メッツナー氏に連れて行っていただいた場所は、「noodle planet」なる麺専門レストラン。よく解らんメニューを頼んだのだが、塩と鶏がらをベースにした薄味のスープに春雨みたいな麺、それと鶏肉、もやし、ハーブとナゾの辛~いピーマンみたいな野菜が入っていて、かなり美味。とりあえず食文化に関しては、そんなに心配することなさそう。あ~、よかった。本当によかった。 食事を取りながらも、メッツナー氏は荷物のことを気にかけてくれたらしく、どうなったかと尋ねてきたのでどうもなっていないと素直に答えると、「では俺がかけてやろう」と、やおら電話を取り出し、その場でかけ始めてくれた。彼が電話に向かい発するセリフに耳をそばだててみるが、わたしに解ったことと言えば、「ロス・アンゼルス」は「ロス・アンジェレス」と発音するのが正しいということと、どうやら荷物のありかが判明したらしい(!!! That's very good news!!)ということくらい。 聞くところによると、その荷物、あまりにバカでっかすぎるので、空港の方でカーゴと間違われ、あらぬところに運びこまれたのだという。ま、確かにダンボール箱だったしね。あまり乗客の荷物には見えんかっただろうな……。 荷物は空港にあるので、さっそく奪還に行こうとメッツナー氏が車を飛ばしてくれることに。なんて親切なんだ、この人は!! 早くも“LAのお父さん”の様相を呈してきた。 ということで、すべてはLAのお父さんのご尽力のおかげで、我々は無事に荷物をヤンキーの手から取り返すことができたのでした。日独の共同戦線がアメリカに勝利せし瞬間! 先の大戦で先人たちが成し得なかった宿願を、60年後に我々が成就したかたちとなった。 という訳で、現在はすべての荷物を無事に回収し終え、それなりに快適な日々を過ごしております。では、またのご報告にご期待ください。 See you again!!
2004年04月07日
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わたくしakiは、現在LAにおります。主人が仕事でLAに行くことになったんで、会社を辞めてくっついてきちゃった次第。LAでもお仕事探してますんで、なんか有益な情報あったら、どなたか教えてください(笑)。 というわけで、LAついた初日の出来事でやんす。 飛行機が成田を発ったのが15:30のこと。んで、こちらに着いたのが、現地時間の8時。なんとその日一日を頭からやり直すことになった訳です! すっごく得した気分!! もちろんこのつけは、日本に帰る際に払うことになるわけだけれど。 普段、携帯しか時計の役割を果たすものを手にしていないわたしは、まずクリエ(電子手帳)の時計を現地時間にセット。さっそく、意気揚々と記念すべきLAへの第一歩をタラップから踏み出そう……と思ったまさにそのとき、ズボンのお尻あたりにいつもの圧迫感を感じなかったわたし。ポケットを探ってみると、なんと財布がなーーい!!!慌てて飛行機に戻ろうとしたら、出入り口付近に立ってたインド人風のおっさんに引き止められる。「あ~~~、アイ・リーヴ・マイ……財布ってなんて言うんだっけ!?」。 言葉の壁と悪戦苦闘しながらも、高いパッションと確かなモチベーション、そして必殺の手振り身振りで相手に真意を伝え、なんとか取り戻すことができました、財布。 なんやかんやの末に出国手続きまで済ませ、あとは荷物を回収して出るばかり……と思いきや、今度は荷物がひとつな~~い!!(ちなみに、チェックインした荷物は全部で4つ。うち行方不明になったのは、biggestなダンボール箱製のそれ。ま、中身は主に主人のものだったので、わたしにはさほどダメージはないのだが)。何人かの空港スタッフに質問するが、たらい回しにされるばかりで、荷物と再開できる気配はなし。 そのとき、わたしのポケットから「ピピピ」という電子音が聞こえてきた。音量事態は控えめだが人の癇に障るその音は、確かクリエのアラーム音だ。だが、まだアラームが必要なことは何もクリエに入力していないはず。訝しく思いポケットから取り出し覗いてみると、「シャトルバス出発時刻」と、画面に表示されているではないか!? そうです、時間が日本のそれより戻ってしまったために、その日の予定として日本で入力しておいた出発予定時刻が、ここにきてわたしたちをせっついていたのです。こっちは着いていきなりトラブル続きで右往左往しているのに、なんたる間の悪さ……。あまつさえ荷物の一件は拉致があかず、「ここに電話せよ」とのナンバーだけ渡され半ば強制退去させられる始末。 うんうん、出足好調! 早くも珍道中の気配がただよってきたぜ!! ということで、続きはまた時間が空いたときに書きます。ではでは、See you later!!
2004年04月05日
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サッカーの我らが代表は、かつて監督を務めていたフランス人に、以下のように酷評されたことがある。「日本の選手は、信号が赤ければ、例え車が来なくても渡ろうとしない」。 わたしは、日本代表に強くなってほしい。切に、そう願っている。現役を引退して10年近くなってもなお、現役選手たちよりはるかにフリーキックが上手いレッズのドイツ人監督に賛辞の拍手を送っている場合ではない。これはもう、“文化”の問題なのである。欧州には、百年以上に及ぶフットボール選手輩出の土台が存在する。我が日本も、名選手を生み出すだけの環境を、日々の生活の中で築いていかねばならないのだ。 だからわたしは、例え信号が赤だろうが、車が来なければ渡る。そう、全ては日本代表を強化するためなのだ! 試合中、自分の頭で判断し行動できる……そのような選手が生まれる環境を築くために、まずは身近なことから始めねばならないのである!! という自らの確固たる信念に基づき、本日も新宿西口付近の横断歩道を渡っていた。もちろん(ってこともないけど)信号は赤である(もちろん、ちゃんと車が来てないことを確認したうえでのことです)。 そのとき不意に、激しい笛の音が聞こえた。なんと対岸に、制服に身を包み自転車に乗った巡査がいたのである。車はチェックしてたけど、対岸まで確認してなかったよ、こりゃ。 だが、だからといって己の信念を曲げるわけにはいかない。いかに法の網でも、わたしの日本代表への愛を拘束することはできないのだ(たぶん、歩行者が赤信号を無視しても交通法違反にはならないんだと思うんだけれど。ちがうかな?)!! まだわたしが信号を渡りきらないうちに信号は青に変わり、お巡りさんが自転車を漕ぎ出した。「あ~、きっと怒られんだろうな。そうしたら、代表に対する熱意を訴えたら許してくれっかな?」 そんなことを考えているわたしに向かって自転車は近づいてくると、お巡りさんはわたしから50cmくらいのところまで身を乗り出し、怒鳴った。 「赤だろうが! このバカ野郎!!!」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ゛~~~~~ん!!?? バカ野郎だぁ!? おいおいふざけんなよ!! バカって人にいっちゃいけないって、小学校のときに習わなかったのか、え~!! それが国民の安全を守るための公僕が、善良な市民に向かって吐くセリフかぁ!? 追っかけてって、背中に跳び蹴りカマしたろかいっ!!! そういきり立って振り返ると、お巡りさんは横断歩道の途中で警棒を落とし、拾おうとワタワタしていた。「早くしないと、信号、かわっちゃいますよ~」そう後姿に向かって声をかけ、その場を去りました、ハイ。
2004年03月02日
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2月13日、夜12時。わたしは、外苑前にいた。その日、国立競技場で行なわれたサッカー日本代表の、ワールドカップ壮行試合を見たからだ。試合には勝ったものの、その内容にわたしは納得していなかった。それは共に観戦した仕事仲間も同じだったらしく、ミゾオチのあたりで存在感を発揮している不満の沈殿物を払拭すべく、わたしたちは国立競技場近くのレストランで食事をとったのだ。そして外に出たとき、時計の針は12時を刺していた。帰路につくにあたっては、地下鉄の外苑前駅から電車に乗り、銀座線で外苑前から一駅行った表参道まで行き、そこから半蔵門線に乗り換えることにした。12時半近くになりようやく電車がやってきたので、当初の予定通り表参道で降り、半蔵門線を待つことにした。「おやっ!?」ここでちょっとしたトラブルに遭遇する。半蔵門線で新宿まで行こうと思っていたのに、価格表には新宿の文字がないじゃないか!? 「おちつけ、こういうときこそ冷静になって考えるべきだ」と、その答を得るべくしばし思案をめぐらすが、主観や先入観を排除したときに辿りついたのは自明の事実・・・つまり「半蔵門線は新宿に止まらない」ということだった(アホですか、わたしゃ!!)。「いったいわたしは、何年、東京で暮らしているんだ」と自問自答しながらも、とりあえずは現時点で次にとるべき道を探す。 美味しい珈琲と暖かい布団が待つ我が家があるのは、新宿である(新宿駅からはけっこう歩くけど)。銀座線で国立青山一丁目まで行き、そこで大江戸線に乗り換える。そして新宿までいくのが、今となっては最善の策のようである。決意を新たに、今来た銀座線への道を戻・・・ろうとしたら、ホームへ下る階段の手前に柵が置いてあり、そこにはなにやら文字が書かれていた。「本日の電車は終了しました」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あああああああっ、終わってるよ電車! 終わってるよ、電車! I missed last train!!「いったわたしは、何年、東京で暮らしてるんだ! いったいわたしは、今年で幾つだ!!?」しかし、自己嫌悪に陥りかけるそんな己の弱き心にムチを入れる。「帰れらねばならない」。いくら多少なりとも暖かくなってきたとは言え、この2月の寒空の下で夜を明かす訳にはいかない。周囲には、開いている店もまったくと言っていいほどないし。そうだ、今わたしの目の前には、家に帰るという確固たる目標があるのだ! ……トホホ。 まあ、実はそんなに意気込む必要もなかったりする。表参道からなら、深夜税が入ってもタクシーで2~3千円で帰れるのだから。 本来なら必要ない出費だけれど。 不慮の事故で手元を去ることになった、財布内の不憫な夏目漱石との別離を惜しみ………って、お~~~い! 夏目さん、いねーーよー!! もちろん、新渡戸稲造も福沢諭吉も伊藤博文も!!「わたしは今年で幾つだ!! 社会人何年目だ!!?」 さて、ここで問題です。 今年で○才を迎える聡明な社会人は、こんなときにどうするべきでしょう?(1)コンビニに行ってお金を下ろす (2)とりあえずタクシーに乗り、家に着いてからお金を払う (3)交番に行ってお金を借りる どれも不正解です。 こんなとき、社会人なら“歩く”ものです。 考えてもみてください。社会人とは、普段は会社のデスクにかじりつき、様々な問題と直面しながら胃をキリキリとさせるような日々を送っているのです。運動量は不足し、ストレスは肥大するばかり。 そんな人にとって、これら諸問題を解決しえる千載一遇のチャンスを逃す手はありません。そう、まっとうな社会人なら、迷わず“歩く”という選択肢を選ぶものです。 まず、駅のそばの交差点に立っていた地図をじっくり眺め、自分の現在地と目的地、そしてそこまでの道程を確認する。現在いる地点は、表参道。これは間違いない。そして、目的地であるところのわたしの家は、新宿から徒歩15分ほどの地点(図1参照)。 とりあえず、進むべき方向は“北西”である。 まずは、表参道を西に進む。明治通りから北上できるが、それでは少々ロスが生じるので、表参道の適当なところで右のわき道に入る。そうしてショートカットして明治通りに出て北上、さらに明治通りから適当なところで左手に入る。これで、代々木まで行けるはずだ。ならば、あとは「勝手知ったるなんとやら」。新宿までは目と鼻の先だし、新宿まで行ければ問題なく帰れる。 これで無事、帰路は確定(図2参照)。さっそく歩き出すことにする。 それにしても、いざ歩き出すとさっきまでの自己嫌悪間や落胆がウソのように消えてなくなっていることに、我ながら驚いてしまう。ディナーを少々食べすぎ腹ごなしの必要性を感じていたからか、それとも試合観戦のために気分が高揚していたからなのだろうか? はたまた、ヘッドホンから流れてくるフェイバリットミュージックのためか? いずれにしても、わたしの足取りは軽快なリズムを刻み続けていた。適度に寒さを覚える気温も、「歩く」という運動を継続させるのに一役かってくれているのだろう。 冬の夜には、独特の“におい”があるが、わたしは幼いころから、このにおいが嫌いではない。この場合の“におい”は、嗅覚で知覚しているものではないのかもしれない。冷たく乾いた空気は、肌にピリピリとした刺激をあたえ、鼻腔から入り込んでは鼻の付け根辺りをツンとさせる。店などが閉まっているために食べ物などの人為的な臭いが消え、とってかわって、街路樹やコンクリート、空気そのものの“におい”が街を満たす。 30分ほど歩いただろうか、住宅街の細い道から大通り=明治通りに出たので、右折して通り沿いを歩き出した。大通りに出ると今度は、街路樹などの繊細なにおいにかわり、車が吐き出す排気ガスや、工事現場から漂うアスファルトの溶けたにおいが幅を利かしだすが、これはこれで風韻があり、決して悲嘆するようなことではない。。 そうこうしてしばらく歩いていたが、ふと気になることがあった。前方に見える歩道橋に、大きな黒塗りの文字で「外苑西通り」と書いてあったのだ。 「おや、ここは明治通りのはずだが、いったいなんのことだろう?」 不思議に思いながら、道路工事現場で通行者の誘導をしていたお兄さんに声をかけた。「ここは何通りですか?」「え~っと、外苑西通りです」・・・・・・・・・・・・・・・・ナゼっ!? なんでなんで!?? 明治通りじゃないの!!?? 何はともあれ、現在地を確認しなくてはならない。幸いなことに、前方に交番が見えたのであわてて駆けよる。「パトロール巡回中です」(机の上のプレートより) おおおおおおお~~~~いっ!! 日本の公僕はナニをしとるんだ!! わたしが通り魔に追いかけらていたらどうする気だい!! しかたないので、机の上にのっていた地図帳を失敬する。 間違いない。やはりわたしが今居るのは、外苑西通りのようだ(図3参照)。 それにしても、何で!? ありえない、ありえないよっ!! わたしは間違いなく、西に向かって歩いていたのだ(そりゃ、ショートカットのために脇道に入ったけど)。それが何故、スタート地点より東についてるんだ!? 思わず『ドラゴンクエストII』のロンダルキアの洞窟を永遠に徘徊した悪夢が脳裏をよぎった。あるいはこのあたりは、『ドラクエ』のワールドマップみたいに、端まで行くと反対側から出てきちゃう仕組みになっているのかもしれない。 「おちつけ、こういうときこそ冷静になって考えるべきだ」と、その答を得るべくしばし思案をめぐらすが、主観や先入観を排除したときに辿りついたのは自明の事実・・・つまり「下の図のように歩いてきた」ということだ。 あぁもうイヤだイヤだ。これだから歩くのはいやだったんだよ。どうする? もうタクシーに乗っちゃう!? ………あ~そうだった。金ないんだったわ、わたし。こんな風にグダグダしてんのに、未だお巡りさん、帰ってこないし。 しかたないので、地図を見帰り道を再検索してから、交番を後にして歩き始める。時計の針は、1時30分を指していた。 念願の明治通りに出られたのは、それからさらに30分ほどしてからのことである。今度こそ、ちゃんと標識を見たので間違いない。もうショートカットとかはせず、素直に大通り沿いを歩くことにする。寄らば大樹の陰、である。ちがうか。 そうこうしてしばらく歩いていたが、ふと気になることがあった。電車の走る音が右手から聞こえてきたのだ。こんな時間に走っているのは、電車自体は回送車もしくは運送車だろう……? いやっ、そんなことじゃないよ、重要なのは! 右手から聞こえるはずがないんだよ、左から聞こえなきゃ!! 線路(山手線)が走っているのは、左手のはずなんだから!! 疑心暗鬼にかられながら、音のした方…つまり右手に曲がってみる。幸い駅がすぐ側にあったので、現在地を簡単に確認することができた。「原宿駅」・・・・・・・・・おいっ!! な~~~んで原宿なんだよ。わたしが明治通りに出た地点は、すでに原宿より北だったはずだぞ。それがなんで原宿に戻ってるんだよ。 ………あっ、そうだ。わたし、明治通りに出てたとき左に曲がったわ。何でだろ? あまりに不条理なことが続きすぎて、痛みや悲しみや憤りに対する感度が鈍っているのか、わたしは自分の過ちを冷静に振り返ると、線路沿いを新宿に向かい歩き出した。 代々木を超え、新宿の脇をぬけ、ようやく家に着いたのは3時近くのこと。本棚に並んでいた『東京を歩く』なる本で、自分の歩んできた道程を確認すると(図5参照)、歯を磨き、目覚まし時計をセットして眠りについた。
2004年02月29日
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に、行きました。昨晩のことです。*****************************アンコールの初っ端は、わたしが大好きな大好きな楽曲『幸せになろう』。今日は、声のコンディションもほぼ完璧。きっと最高の『幸せに~』が聞けるだろう!と、期待に胸を躍らせていたのもつかの間。出だしの声の伸びの無さに、落胆より先に疑問が沸き起こる。「あれっ、アンコールの“間”が、彼女の集中力をそいじゃったかな?」ステージのほぼ真横の席だったので、表情はわからなかった。歌声が途絶えたときには「また歌詞を忘れたか?」と、やや失笑。彼女が服の袖口で顔をぬぐいはじめたときですら、にわかには何が起きたか理解できなかった。観客の悲鳴にも近い声援と、彼女がぬぐっていたのが正確には目元だと解って、ようやく事態を飲み込めた。まるで子供のように、服の袖口を指でいっぱいいっぱいまで伸ばし涙を拭くその仕草が、彼女の「ただごとじゃなさ」を物語っていた。わたしに涙はなかった。ただただ、呆然としてしまった。正直、そんな姿を見ることになろうとは予想だにしていなかったから。最後の歌を終え、舞台を去る際に観客席に背を向けた、その最後の表情を見たとき、胸に沸き起こった圧倒的な感動、郷愁……そしてそれらに紛れ込んだ夾雑物=かすかな不安――。それが単なる杞憂でしかないことを、今はただ切に願う。*****************************ちょっと自分的にまだ気持ちが整理できていない点も多く、いずれレポートをまとめたいと思っているんですが、とにかく全て・・・そう、あんなこともこんなこともひっくるめ、今はただただ「良かった」とだけ言いたいのです。
2004年02月11日
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この本を読んだ人たちは、この本のことを“ナニ本”として読んだのだろう? 暴露本? 自伝? インタビュー本? ノンフィクション?? 本を読む上で、その本がどのようなジャンルに属するかなどということは、本来たいした意味を持たないはずだ。でも、この作品において「半生を描かれている」高田延彦なる人物が著名な元プロレスラーであり、この本が彼のインタビューを元に構成されている以上、この『泣き虫』が“ナニ本”であるかは、読み手にとって大きな意味を持つように思うのだ。 『泣き虫』とは、元プロレスラーであり現在は格闘技イベント「PRIDE」の総帥(?)である高田延彦が、自身の生い立ちから現在までを赤裸々に語った内容を元に構成されている。著者は、現在、日本で最も(名実ともに)売れているスポーツライター、金子達仁氏。 プロレスラーとして3つの団体(細かく言えば4つ?)に籍を置き、そして最後は“格闘家”としてPRIDEのリングにこだわり続けた高田が、移籍の経緯やプロレスの舞台裏を明かしたため、プロレスという“興行”の有する虚業性を白日の元にさらしてしまった……ということでも話題になっている(そうだ)。 わたしは、プロレスというエンターテインメントに対する思い入れは、ないに等しい。が、興味は大いに抱いていた。 プロレスは、非常に奇妙で好奇心をそそられる物件だ。存在そのものは、かなりメジャーである。さほどスポーツや格闘技に関心のない人でも、著名なプロレスラーの名前くらいは耳にしたことがあるだろう。スポーツ新聞の一面を飾ることも、決して少なくない。にも関わらず、プロレスは“スポーツ”としての市民権を得ているとは、とても言いがたいのだ。いや、「認められていない」と断言してもさしつかえないだろう。 その理由のアルファにしてオメガ、それが「所詮は出来レースなんだろ」とい周囲の視線。つまり、スポーツの定義のひとつである「筋書きのないドラマ」と背反する存在だという認識だ。だが、そのような「色物」としてのケチがついているにも関わらず、会場に足を運び、マット上で繰り広げられるプロレスラーの一挙手一投足に熱い声援を送るファンは山ほどいる。ファンの熱狂と、それ以外の人たちの認識の間には、歩み寄りの議論を展開する余地すらないほどに、絶望的な離隔が存在するのだ。 わたしがこの本を手にした主な理由は、その絶望的離隔を埋める何かが――色物と熱狂の触媒となる何かが、この本には存在するのではないか、と思ったからなのだ。 で、読んで見ての感想。 かなり「がっかり」である。 ひとつには、ここで描かれている“プロレス界”が、なんとも平板というか平面的というか、いまいちリアリティに欠けるから。その最大の理由は、結局のところ本の中で描かれているのが“高田の視点で切り取られた”プロレス界でしかないからだろう。 例えば、こんな叙述がある。 高田は、最初に所属した団体“新日本プロレス(以下新日)”から、藤原という先輩レスラーに誘われるカタチで脱退する。だが、高田を誘った当事者である藤原は、新しい団体の理念に対しても、そして元所属団体である新日に対しても自分の感情やスタンスを明確に打ち出すことがない。杳として胸中の知れぬ藤原と高田の間には、いつしか埋めがたい距離感が生まれていくのだが、この本では、その藤原の真意については「あの人がどういう経緯でユニバーサル(新団体のこと)へ行ったのかは、いまでもわからないままなんですよ」という高田のコメントを記したのを最後に、以降、言及されることはない。 ここに挙げたのは最も顕著な例であるが、とにかくこの本、高田以外の人物の胸中や真意は、ことごとく無視しているのだ。例えそれが、高田の人生を大きく左右したであろう人物や状況の場合でも、である。 確かに高田は、プロレスという世界においてメインストリームに座した人間であろうし、そのような人物の視座で捕らえた世界には、それだけで特別な価値があるはずだ。にしても、この本が“著者初の書き下ろしノンフィクション(帯より)”との惹句を掲げる以上、他の角度からも光を当て、高田の生きた世界に立体感を持たせる必要があるのではないだろうか。アイドルのグラビア写真などが、強烈な光を当てて撮影することにより絵画的な美しさを得るのと引き換えにリアリティを喪失してしまうように、どうも、この本の中で描かれる世界は、手で触れられるような質感や陰影に乏しいと思えてしまうのだ。 その思いは、『泣き虫』というタイトルをつけたのは著者である(あとがきより)という事実を知るにつけ、より一層強くなる。“泣き虫”……この言葉を以って読者に想起させたいのは「弱さと実直さ」「ずるさとピュアさ」「失望と希望」「挫折と成功」……つまりは、「清濁併せ持った人間のリアルな生き様」みたいなもののはずだから。 ちょっとタイトル、上滑りしてます。 もうひとつ、釈然としない理由がある。高田の行動原理や高田をとりまく状況などが、読んでいてまったく理解できないことが多々あるのだ。「理解できない」というのは、わたしの感情レベルの話でなく、理論として、である。 例えば、それはこんな場面で露になる。 高田がプロレスラーを志したのは、一にも二にも、アントニオ猪木に憧れたからだ(そうだ)。この作品の冒頭部分では、高田少年がいかに猪木に心酔していたか、そしてそれ故に、いかに彼がプロレスラーになることを夢見たかが、それはそれは熱い筆致で書かれている。実際に新日に入団してからの高田は、雲の上の猪木よりも直接面倒を見てくれる先輩(前田や藤原)に心惹かれていくが、猪木の付き人になり、さらにその猪木からメインマッチの舞台を与えられたことで、再び“猪木熱”が再燃したことまで丁寧に描かれているのだ。ところがその直後、先にも述べたが、高田は先輩に誘われ「猪木を裏切る後ろめたさを覚えながら」新日を脱退してしまう。 猪木に憧れたために高校に進学することなく新日に入団し、そしてメインマッチを務めさせてくれたことで「この一件でしょ。これでまた、ぼくの中では(憧れや感謝の気持ちが、前田や藤原より)猪木さんがガーッとリードですよ」とまで言わせしめた猪木。だが高田は、その猪木を裏切ってしまったのだ。その胸中や、いかほどか!? そして、それほどまでの決断に至った理由とは!? 読んでいるこちらも、俄然いろめきたつ。だが、その理由として書かれているのは「(先輩である藤原から直接誘われた以上)選択の余地はなかった」のひと言。はっきり言って、こちらは完全に置いてきぼり。肩透かしをくらってしまう。 なんで? なんで選択の余地がないの? 藤原より猪木への想いが俄然リードしてたんじゃなかったの? ぜんぜん、納得できません。これって、単にわたしが女で、このような“体育会系オトコの社会”に属した経験が無いからなの?? 違うと思うんだけれどな~。 他にも理解できない話として、こんなものがある。 高田が藤原や前田とともに立ち上げた団体“UWF”は、旗揚げまもなく経営難で解散。そして高田や前田は、プロレスの中に本格的格闘技志向を取り入れた“新生UWF”という団体を立ち上げる。「ただでさえ経営難だった団体から派生した“子団体”に未来があるのだろうか」と疑問視するのが、普通の感覚だと思う。ところが、これがもう創設直後から、ファンの“熱狂的支持”を受け、彼らはたちまちプロレス新時代の寵児となった――のだそうだ。ところがここでもまた、なぜそのような「HAPPYな矛盾」が生まれえたのか、ほとんど説明がなされていない。またしてもこちらは、置いてけぼり。著者の筆が熱を帯びてくればくるほど、読み手の気持ちは引いてしまう。そして最終的に、わたしはその理解できない理由を“プロレス的なもの”に求めてしまうのだった。「結局のところ、わたしはプロレスがわからないから、高田と、それをとりまくことごとくが理解できないんだろうな」と。 この、2つめの「釈然としない理由」は、この本そのものの存在意義を揺るがしかねない大問題のように思う。冒頭にも述べたとおりこの『泣き虫』は、本来なら高田の自伝であるべきところを、わざわざスポーツライター金子氏の著書というかたちをとっている。 その最大の理由は、第三者の視点を介入することにより、書かれている内容に客観性を持たせ、高田の歩んできた道を“プロレス界の出来事”としてではなく、スポーツ界に存在するひとつの事象として世間にプレゼンしたかったからではないのか? そして、高田がこのような本を出そうと思った理由も(あとがきに書かれているが、この本は高田サイドの意向により上梓されたものだ)、なんやかんや言いながらも自分という存在の原点であるプロレスという世界の真の姿――それは強さへの渇望と“出来レース”との間のジレンマや、「夢を見せる」という理念と、内ゲバ渦巻く実態との乖離だったり――をさらけだすことにより、今の自分を正しく理解してもらいたかったから、ではなかったのか? 自分を正当化するわけではないけれど、結局のところ、金子氏という人選に至ったのは、わたしのような「プロレスという存在はなんとなく気になるけれど、なかなか理解できない」と思っているスポーツファンにこの本を手にとってもらいたかったからのように思う。少なくとも、わたしのような類の人間が、読者の多くを占めているはずだ。にも関わらず、結局は釈然としない点が多々生まれ、わたしに至っては、その答を「プロレス的な要因」に求めてしまっている。「求める」というと聞こえはいいけれど、要は投げちゃったのだ。 何度も言うように、この本が「高田延彦自伝」あるいは「高田延彦半生記」みたいなタイトルだったら、なんら問題はない。 しかし、本の顔とも言える表紙に書かれた文字は『泣き虫 金子達仁』・・・以上である。しかも装丁をちゃんと見たら、カバーには高田の顔とならんで、著者の金子氏の顔写真まで入っているではないか!!?? あっ、カバーを取ったら、そこにもカネコさんの顔が……。 今一度、問う。 この本を“ナニ本”として読めば良いのでしょう?
2004年02月09日
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大相撲の本場所の期間中、我が家では、昼の3時頃からテレビのチャンネルがBS11に合わせられている。 そこに映し出されているのは、おおよそ“相撲取り”と呼べないような、ザンバラ髪にアバラの見えている青年たちだ。 彼らは“力士”ではない。大相撲において力士と呼ばれるのは十両以上。そして、一般的に地上波のNHKで“大相撲”として放送されるのは、相撲界という組織の頂点に相当する幕内の取り組みだ。この幕内の取り組みが始まるのが、だいたい4時40分ころから。3時あたりに放送されているのは、十両未満……つまり「力士の卵」たちの取り組みである。卵=半人前だから、力士の証である大銀杏を結うことも許されない。 立会いのぶつかり合う音も「ペチッ」といった感じだが、そんな若き力士候補生たちの取り組みを、わたしの母は、見るでもなしにいつも見ていた(少なくても、わたしが実家で暮らしていた6年前は。たぶん、今でもそうだと思う)。一緒に幕内の取り組みなどを見ていると、母はときどき「この力士、序二段の頃から絶対に幕内に上がると思ってたのよ。すごく立会いが早くて、前みつを引くのが上手いの。若い頃の○○(たぶん往年の力士)に似た感じなのよね~」などとご高説をのたまいながら、今では力士に相応しい肉体と大銀杏を得たその関取の駆け出し時代に、思いを馳せていたりする。 昨年の大晦日、格闘技の興行“ダイナマイト”にて、元横綱の曙太郎がボブ・サップに敗れたとき、母は怒っていた。 不甲斐ない敗北を喫した曙に対して……だ。 それは「怒り」としか形容しがたかい感情の発露っぷりだった。「こんなの、負けるのあたりまえじゃない! 相撲しかやってなかった人が、いきなりボクシング(正確にはK-1)に参戦して、勝てる訳ないじゃない。まともにパンチなんか打ったことないんだから。それに、必要な動きだって、ボクシングと相撲じゃ全く違うんだから。こんな負け方して、本当にみっともない」。 「“元横綱がプロの格闘家としてデビューする”というトピックスそのものに情報価値があるうちに、注目度の高い相手と試合をする必要があったんだよ」――などというわたしの“冷静な正論”も、効果なし。どうやら母の憤りは、「こんな負け方してみっともない」という、極めて感情的なひと言に集約されるようだ。 母は別段、現役当事の曙を応援していた訳ではない。彼女が曙に対して正にしろ負にしろ、ここまで激しい感情の動きを見せたのは初めてなのではないか。 結局のところ、それは曙が“横綱”だったからなのだろう。大相撲という、どこか非現実的(神聖、と言い換えても可?)な世界……そのヒエラルキーの頂点にまで上り詰めた人物が、極めて通俗的な空間で惨敗を喫した。その事実が、どうも我慢ならなかったようだ。もしかしたら母は、横綱とは人間と神様の間に位置する存在と思っているのかもしれない。 今日、久しぶりにテレビで大相撲を見た。「最近、相撲を見ていない」ということにすら気が付かずにここ数年過ごしてきたことに、自分自身、軽い驚きを覚えてしまった。実家にいた頃は、日々変化する優勝争いの動向をいつだってそらで言え、千秋楽ともなれば夕方5時には必ずテレビの前に陣取っていたわたしが、幕内力士の半分も名前がわからなかったのだ。 社会人になり、平日休日問わずに相撲の放映されている時間にテレビを見ることがなくなったことが、最大の理由だとは思う。だが、世間の相撲に対する関心が、一時期に比べると著しく低下しているのも事実だろう。 貴乃花と武蔵丸という“一時代”を築いた最後の横綱たちが土俵を去り、そして若乃花や曙ら功労者たちが相撲界を離れたという現実は、大相撲から興行としての娯楽性を削ぎ、国技としての地位や格調を地に落とした。さらに、一世を風靡した若貴兄弟たちに奇行が目立ち始めた際は、相撲界の相撲界たる所以である“仕来たりや格式”によって生じる歪や一般社会との乖謬が取り沙汰されもした。大相撲の人気凋落が叫ばれ危惧される昨今だが、これも世の趨勢なのかもしれない……。 久々に見た大相撲は、大関・栃東の綱とりがかかった場所だった。栃東は、父も同じ四股名で活躍した二世力士。そういえば、母は先代の栃東を憎からず思っていたのだろうか、息子である二代目の行状に注目していたふしがあった。彼がもし横綱になったならば、母は恐らく、この2人の同名力士の歴史や因果について、あれやこれやご高説をのたまってくれることだろう。 「歴史があるから、伝統があるから」という理由のみで、その衰退を憂うのも「なんだな~」とは思う。でも歴史が長ければ、それだけ因縁の試合や語るべきうんちくは増えていく。そして因縁やうんちくは、そのまま新たなドラマを生み出すファクターとなる。さらにそれらドラマの積み重ねが、その世界で生きている人々の地位や存在感に厚みをもたらすこととなる。格闘技というものにほとんど関心も造詣もないわたしの母が曙の敗北にあそこまで憤ったのは、大相撲界が有している継承性と係累に起因している。数世紀にまたがる歴史と伝統は、やはり伊達ではないのだ。 今場所は、向こう数年の大相撲界の盛衰を占う上で、ひとつ分岐点となるかもしれない。久々に、大相撲に注目してみようと思ってみたりした。
2004年01月13日
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新年、あけましておめでとうございます。昨年は、公約どおり(?)ほとんど日記を更新しなかったわたくしめですが、年が改まったのを機に心機一転!今年はせっせと更新していこうと、心を入れ替えた次第です。で、「まずは新年を迎えて景気付けに映画でも見よう!」と思いたち、ようやく見ました、『マトリックス レボリューション』。一時期は、映画館で見るのをあきらめかけていたので、なんとか見ることができて一安心です。感想??すっごく面白かったです!!話の展開どうのこうのじゃなく、キアヌ・リーブスの魅力全快!! 「それが堪能できたんだから、別にザイオンの未来がどうとか物語の整合性とか、そんなものどうでもいいじゃん」……と思うくらいに。『マトリックス』という作品は、よくも悪くも“主演=キアヌ・リーブス”が根幹。彼という役者(人間)をどう楽しむかが重要なのではないかと、いっそうのこと思うことにしたわけです、わたしは。で、わたしはキアヌくんのことを、ハリウッド界きっての“巻き込まれ系俳優”ではないかと思っています。予期せぬ事態に巻き込まれて狼狽する――そのことにかけては、他の追随を許さない! 三谷幸喜とか、松尾スズキの舞台とかに主演しても、絶対に映えると思うな、彼。キアヌくんが、なにゆえそんなに“受難”が似合うのか?けっこうこれはわたしにとって長年の課題であったのですが、今回、はっきりわかりました! それは、あの目にある。焦点がやや合ってなくて、目の前の物が見えてるんだか見えてないんだかよくわからない感じ。でも、決してウソをつける人間の目(人を騙すだけの知略のある人の目)じゃない。すごくよく言えば、実直な……身も蓋もない言い方をしちゃうと、蒙昧な……つまり“おバカさん”っぽく見えるのである。おバカさんな美形! う~ん、最高!!今作に限らず、『マトリックス』シリーズ内のキアヌくん扮するネオは、実に“5W1H”のしっかりした子である。初対面の人に会えば「who?」、よく解らない場所に連れてこられては「where?」、オラクルやモーフィアスから救世主としての使命を諭されては「why?」、周囲の人々から無理難題を課されては「how?」。あげくの果てに、周囲から「なんとかしろよ!」と言い寄られ、おろおろしながら「? don’t know」と答えるしまつ。未だかつて、こんなに頼りない救世主がいただろうか!2ちゃ○ねるに書き込んだら「“おしえてくん”は帰れ」「過去ログを読めと激しく言いたい」と、罵倒されること間違いなし。わたしは、これら一連のキアヌくんによるパフォーマンスを「キアヌギャグ」と命名しているが、『レボリューション』はキアヌギャグの集大成だと思っている。なんたって彼、今作ではついに、年端も行かない少女にまで「Where am ??」と、必死の形相で聞いてましたから……。ふと思ったんですが、仮想現実世界“マトリックス”から抜け出た人たちって、今現在の状況に違和感を感じていたり、「この世界が現実じゃなかったらな~」と夢想していた人たちってことですよね? それもかなり高い次元で。これって要は、“ヒキコモリ”とか社会不適応者―――ですよね、ぶっちゃけた話。そんな人たちの中にあって、キアヌくんは救世主に選ばれた。つまり彼は、“キング オブ ひきこもり”ってこと。ちょっとここから先は誤解を恐れずに言っちゃうのですが、ひきこもっちゃう人って、外見だとかベシャリだとか知性だとか……いずれにしても、自分の能力に関してなんらかのコンプレックスを抱いている訳じゃないですか。でも、キアヌくんが演じていた“Mr.アンダーソンくん”は、見た目もよけりゃ頭もいい。普通に考えれば、ひきこもる要因は少ないはず。にも関わらずひきこもったアンダーソンくんとは、真性の“ひきこもり体質”なのではないかと。救世主となりえたのも、然もありなん。この役、キアヌくんにとって恐らく、役者人生最高のハマリ役となるのではないでしょうか。追記そうそう、先ほど書き込んだ件に関して、ひとつ書き忘れたことがありました。キアヌくんは、“ハリウッドいち目隠しが似合う男”だとも、わたしは思っています。『雲の中で散歩』だったかな? 女性(彼女?)に目隠しをされたうえに「いいって言うまでとっちゃダメよ」と言われ、そのまま置いてけぼりにされた姿には、彼の魅力が凝縮されておりました。目隠しを取るでもなく、何かアクションを起こすでもなく、そのまま“ぽつね~ん”と立っている姿を、カメラが引きのカットで捕らえる。監督さんも十二分に承知してましたね、彼の味を引き出す術を。今作でも、目隠しキアヌくんが登場します。やっぱ、オーシャウスキー兄弟も知っていたね、キアヌくんの真骨頂を。
2004年01月05日
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今日、喫茶店のお手洗いに入ったときに、4~5歳くらいの少年が、母親に担ぎ上げられながら洗面台で手を洗っていた。手を洗い終え、母親に下におろされたと同時に、その少年は「ありがとう」と言った。「ありがとう」・・・周囲から救いの手を差し伸べられるが当然とも思える幼少期、そして自分を助けてくれるのが当然の存在とも思える母親にむかい、ごく自然に発せられた感謝の言葉。なにかとても新鮮で、すがすがしくて、思わず顔がほころんでしまった。・・・・お手洗いに入りながら。久々の長期休暇。今日あたり、とりあえず実家に連絡を入れるとしよう。※コンテンツ【心に残った1冊】を更新しました!よかったら見ていってください。
2003年12月27日
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最近、自分のHPはおろか、仕事上で必要な情報を調べる以外ではネットも閲覧できないほどにいそがしっす…。死ぬほど忙しい……とかいいますが、夜中に仕事してると心臓がバクバクいい出して「ヤバっ、本当に死ぬんちゃうか!?」とビクビクしちゃいます。この状態が今後2ヶ月は確実に続くことを考えると、けっこう全てを放り出して高飛びしたくなります。美しい朝焼けを見ても何も心が動かされない朝方、「『忙しい』という字は、心を亡くすと書きまして」とかいうフレーズが頭をよぎります。ま、やるっきゃない。これ、成し遂げたときの達成感とか豪華な打ち上げとかを心の拠り所として進んでいきましょ!!
2003年10月04日
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藤田は、すごく不思議な選手だと思う。間違いなく日本最強のチームであろうジュビロにおいて、中核の選手として確たる地位を築いているにも関わらず、代表に選ばれないんだから。別に不当な扱いを受けていた訳じゃなくて、ちゃんとMVPにも選出されていたしね。使い勝手も良さそうな選手なだけに、腑に落ちなかった。すごく当たり前のことなんだけれど、選手にとってどのチームに所属し何を目的としてプレイしていくのか……ってのは、彼らの人生の一部というか現在進行形の人生そのものであるわけで、何が正解で何が失敗なんて基準は存在しないんですよね。そりゃ、明確な目標を打ち立てていながら達成できなかったときは、それは挫折ではあるだろうけれど、でも不正解ではないし。広山なんかは、正直、代表を狙ううえでは不利とも思える道を歩んでいて、「Jリーグでやっている方が代表に近いんじゃないか?」とも思ったんだけれど、彼は彼で単に、己の身一つで日々道を切り開いていくような根無し草的生き方が好きなのかもしれないし、それはそれで素敵な人生だと思う。藤田にとって、この年齢での海外移籍が、代表入りに近づくことなのか否かはわからない。でも、現状に行き詰まりというか停滞感を覚えた上で「環境を変えたい」と……それも画期的に変えたいと思ったであろうことは、なんとなく想像がつくかな。
2003年08月04日
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少し前のことになるが、誕生日に知人からアトラスオオカブトをもらった。頭部の角は4本。頭頂に、メインの角とも言える長い角が一本あり、それと対になるような短い角が生えている。さらに左右の角が、その上下のつがいの角を挟み込むようにして独特の流線型を描いているのだ。アトラスオオカブトの甲殻は、自然光を浴びると玉虫のように藍とも翠ともいえぬ光を放ち、その輝きは、角の造作ともども、自然界に存在する最も美しい物のひとつではないかとすら思える。要するに、わたしはこのプレゼントを頗る気に入ったのだ!気に入った……なんてものではない。はっきり言って、アトラスが入った虫かごを見せられたとき、狂喜乱舞した!!ひとしきりその造形美に魅せられ、部屋中が嘆息であふれるほどに「かっこい~い」とため息を連発した後に、「そうだ、こいつに、このカッコよさにあい相応しい名前をつけなくちゃ!」と思い立った。すると、その素晴らしいプレゼントをくれた主が「もう名前は決めてある」と言うではないか。確かに、アトラスをくれたことには感謝している。もともとはアナタのものだっただろう。とはいえ、もらった以上は、もうわたしのものだ。いくら送り主の言い分とは言え、アトラスくんの命名権ばっかりは譲れない!が、とりあえず参考までに、聞くだけ聞いてみることにする。「えっとね、猿田彦」…………………………………………………………………………却下却下却下却下却下!!なんでこんなにツヤツヤでピカピカで外国生まれ外国育ちなのに猿田彦なんだよ! ありえないでしょ! 猿田彦って言えばあれでしょ、あの手塚治虫の漫画に出てくる鼻デカなぶ男でしょ??ありえませんっ! そんな名前は、断じてありえませんっっ!!「いや、猿田彦って日本の神様の名前なんだよ。巨漢でならす容貌魁偉な神様で、しかも鼻が長いんだ。ぴったりでしょ?」さるたひこ【猿田彦】記紀神話の国つ神の一。瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)降臨の際、先頭に立って道案内し、のち伊勢国五十鈴(イスズ)川上に鎮座したという。容貌魁偉で鼻長七咫(アタ)、身長七尺余と伝える。日本書紀には、これを俳優または衢(チマタ)の神とした。中世に至り、庚申の日にこの神を祀り、また、道祖神と結びつけた。(広辞苑より)アトラス【Atlas】ギリシア神話で、地球の西端に立って天を支えた巨人。(広辞苑より)う~~~ん、そう言われると、たしかにアトラスと猿田彦は、不思議なほどに共通点が多いかも……。ちょっと気持ちがなびく。とは言え、やっぱり「さる」って響きが、どうもなぁ~。「しかもさ、atlasを反対から読むと、サルタになるでしょ」―――――本当だぁぁぁーーーー!!!すっごいすっごい、すっごい奇跡の符号だ!! 人類っていうのは、時として説明のつかないワンダーを生み出してみせる! わたしは、その猿田とアトラスの相関関係、それに、そのような名前をカブトムシに与えようとした知人の知性とウィットに、深く感服してしまった。命名:猿田彦。愛称サルタくん。我が家の新顔をヨロシクです!!↓この子ね。
2003年08月03日
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中小企業は、会議が好きだ。中小企業は、朝礼が好きだ。中小企業は、社長の話が長い……。よく知らないけれど、なんかそんな気がする。うちの会社は、少なくてもそんな感じ。我が社の朝礼は、毎週月曜日にのみ行なわれる。各部署の部長さんが社員のモチベーションを喚起する訓示をたれたり、業務報告や最近作成した書籍の発表を行ない、つつがなく進行すれば30分ほどで終了する(社長のお話がある回は、2時間に及んだりする。その間、みんな立ちっぱなし)。司会は社員の回り持ちなのだが、司会者にも、ちょっとした“イイ話”を述べる義務が課せられている。そして今週の司会者は、わたしだった。司会者の話は、完全なまでに類型化されている。まずは、最近、自身が見聞したことや感動したことを語り、その後おもむろに「これを私たちの仕事に置き換えますと」という接続語を挟んだ後に、仕事に関する啓蒙的な発言に帰着する。その啓蒙的な発言は、本などを作るという会社の仕事柄、「消費者の立場に考えたモノ作りを」「作る自分たちが楽しまなければ、読んで楽しい雑誌はできない」「見通しをたてることの大切さ」などなど、5つほどのパターンに分類されてしまうのだ。自慢じゃないが、わたしはこの手の話ならいくらでもできる。でも、何度も何度も、マニュアルをなぞるだけの行為を繰り返すのもワビしい。だって、前方から見渡す社内の人々の顔には、一様に「眠い、だりぃ、早く終われ」と書いてあるんだもの。今週の朝、わたしは一応、紋切り型の“司会者話”を用意し朝礼に挑んだ。しかし前に立ち、生気のまったくないみんなの顔を見たとき、つむじのあたりがチリチリするような戦慄を覚えたのだ。そして刹那、わたしの頭に天恵が降りてきたのだった!!わたしは、話し出した。「先日、テレビで美味しい生卵かけご飯の食べ方をやっていたので、ご紹介します。まず、タマゴはかき混ぜてから味をつける方がよいそうです。それから、醤油ではなく麺汁を入れると、ダシが効いてて美味しいそうです。これをわたしたちの仕事に置き換えると、事前の準備を怠らないことが、スムーズで効率のよい作業に繋がるということです。」ちゃんと話を聞いている人なら、「あの人、アホなんちゃうか?」と思うような理論の飛躍っぷり。しかし、その後の部長のお話のときにも、総務の業務連絡の際も、そのことに言及する人はいなかった。つつがなく30分ほどで朝礼が終わり、昼食に出た際に、一緒に食事をしていた同僚に突っ込まれた。「あれ、わざとでしょ」。「えっ、なんのこと?」ととぼけながら、心の内で快哉を叫んだ。
2003年07月17日
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1冊に2~3話が収録されている単行本などを読むのが好きです。今現在読んでいる物語が、一体どこまで続くのかがよくわからないから。話が終盤に差し掛かった気配を感じるとき、あるいは、本を閉じる際に挟んだシオリの場所を確認したときなどに「今読んでる話って、この本のうちのどこら編まで占めているんだろう?」と疑問に思い、最終ページを確かめたい誘惑にかられます。でもそれは、結果を知ってからスポーツの録画中継を見るのと同じくらいに無粋なこと。いつ終わるか解らないことによって得られる浮遊感の中で、手探りで物語を進んでいく感覚を楽しんでます。
2003年07月04日
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ついに、きた! って感じです。森上亜希子選手、ウィンブルドンで3回戦進出。この選手、今現在、わたくし的にイチオシの日本人テニスプレイヤーです。とか言いながら、彼女の存在を知ったのは寡聞ながら今年に入ってからだったのですが、そのテニススタイルを見たとき「彼女だ!」とビビッとくるものがあったんです。ミスをしても「しゃーない、次々!」と思ってそうなサバサバした性格はテニス向きな気がするし(その一方で、プツっと集中力が切れてあっけないほど簡単に負けることもありそうだけど)、軽快なフットワークと“目の良さ”は、伊達公子に通ずるものを感じます。今現在は、まだ複数名いる“準一線級”選手の内のひとりだけれど、その中から頭ひとつ抜け出す可能性は高いんじゃないかと思っております。ちょっとみなさんも、テニスを見ることがあったら注目してみてください。
2003年06月29日
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「にっぽんの杉山、1セット先取しました」「にっぽんの杉山、ピンチです」「にっぽんの杉山、3回戦進出です」……なんのこっちゃ!?テニスのグランドスラム大会の中でも、最も歴史が古く、最も権威があると言われるウィンブルドン大会の模様は、今年もNHKこと日本放送教会が放映している。そしてNHKは、“日本放送教会”の名を体現するべくかなんなのか、とにかくやたらめったら、日本人選手の名を呼ぶ際に、まくらに“にっぽんの”をつけるのだった。なんでしょ、このナンセンスっぷりは?確かに、まちがってはないよ。この試合放送を見ている日本人の大多数が杉山を応援するのは、たしかに彼女が日本人だからだろう。しかし、テニスというのはあくまで個人スポーツであり、プロテニスプレイヤーというのは個人経営者であり、国を代表して闘っている訳ではまったくない。彼女たちは、“個”として自分を最も活かしてくれるコーチやスタッフを世界中から探し、自分を最も高く買ってくれる企業とスポンサー契約を結び、賞金を稼ぐために自腹を切って世界中を飛び回り、大会に参戦しているのだ。わたしは、テニスの美学をそこに感じる。テニスという競技はコートに立ったら恐ろしいほどに孤独で、コーチが選手に接触するのはおろか、スタンドから指示を出すことすら一切禁じられている。どんな逆境に陥っても、気持ちを切り替えるためにタイムを取ったりすることもできない。自分ひとりで、競技の規定に則って進行していく試合内で何とかする以外にないのだ。だからこそテニスという競技では、選手の人間性が痛々しいほどに現れてしまう。そしてだからこそ、見る者のエンパシーを呼ぶのだ。これは、試合を傍観するものが無責任に抱く耽美的な願望かもしれないが、でも真理だとわたしは思う。そしてそのような図式の中において、“にっぽん”が介在する余地などないはずなのだ。もちろん、実際にプレイしている選手たちが「国の為に」「応援してくれる母国の人たちの為に」と思ってプレイしている可能性もあるし、それはそれで美しいことだとも思うが、放送する側が選手に特定の意味を付与させるのとは別問題だ。あの“にっぽんの”は、テニスの本質を濁してしまう。話は変わって、今大会の杉山選手には、なんとなく“予感”を覚える。実は彼女、ここまでの2試合は、ランクが遥か下の選手相手にフルセットまでもつれこむ大苦戦を演じている。一方、浅越という日本人選手は昨日、ランキング9位の選手を大激戦の末に破って3回戦にコマを進めており、現時点では日本のメディアの注目度も、杉山より浅越に対するそれの方が高い。でもこの雰囲気、なんとなく’96年に伊達公子がベスト4に進出したときと似てるんですよ。接戦をモノにすることで徐々に調子とコンセントレーションを上げていき、しかもメディアの視線は自分にはあまり注がれていないために試合に集中しやすい……。今大会の愛ちゃんは、デカいことをやってくれそうな気がする。
2003年06月26日
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現時点のわたしの最大の関心事(スポーツに関するね)は、今週末に行なわれるリーガ・エスパニョーラ最終節!RマドリッドとRソシエダードのダブルRデッドヒートは、ついに最後の一線までもつれこみました!勝ち点2差でリードしているRマドリッドの優位は動きませんが、Rマドリッドの相手のビルバオにとっても、UEFAカップ出場権が掛かった重要な一戦!しかも現在のRマドリッドの周辺は、ベッカムの移籍だなんだと騒がしいですからね……。“大番狂わせ”とは、得てしてこのような状況下で起こりやすいもの、という気もします。なんか、メディアはベッカムの移籍に関してマドリッドの主力選手にコメントを求めているようですが、彼らにしてみれば、来年のベッカムより、まずは目先の優勝でしょう、当然。
2003年06月19日
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みなさんは、奥崎謙三という名をご存知でしょうか?映画『ゆきゆきて神軍』の主演……と言った方が知名度は高いかもしれません。先日、ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて神軍』をDVDで見た。この映画の主演(ドキュメンタリーなのに“主演”というのは不適切かと思われるかもしれないが、あえてこう表現したい)である奥崎謙三なる人物は、ただ一人“神軍平等兵”を名乗り、「天皇の戦争責任追及」に代表される極左的活動を行なってきた(現在も行なっている?)孤高の戦士(?)である。彼の来歴には、ゴムパチンコを天皇に向けて発射した“天皇パチンコ事件”や“天皇ポルノ写真事件”(劇中にも度々登場する名称なのだが、そのあらましが如何なるものかは、寡聞にして存じ上げません)、“田中角栄暗殺布告”などなど極めて過激な字面がずらりとならぶが、それら一連の行動は、どうやら彼の戦中の体験に根差しているらしいことが、作品を見ている内に明らかになっていく。映画『ゆきゆきて神軍』は、すでに一連の事件を起こし、ある意味有名人となった奥崎が、とある信念と目的に基づいて取った行動を追ったものだ。映画の根幹を成す奥崎の行動目的……それは、「先の大戦中に自身が属した部隊で起きた、部下射殺事件の真相を正す」こと。カメラは、真相を探らんと欲する奥崎がかつての同胞を訪ね歩き、実際に引き金を引いた人物、そして射殺命令を下した上官を探り当ててそれらの人物を糾弾していく様を追っていく。だが、このドキュメンタリーの主題は、決して奥崎が追っていく事象の真偽にはない。奥崎謙三という人物そのものが、ひとつの命題なのだ。カメラの中の奥崎は、次第に奇異と思われる行動を取るようになるのだが、それは、彼がカメラに撮られることを十二分に意識し、そこに映し出されるものや、カメラが自分の背後に居るという事実の効能を活用しようとしだす点にある。奥崎は“ドキュメンタリー映画”という名を利用して、真実を創造しようとしだしたのだ。だがこのドキュメンタリー映画は、そうした奥崎が見たもの見せようとしたものを通じて、奥崎謙三の人物像を一層浮き彫りにしていくのだった。映画や本などを鑑賞して人が心を動かされる経緯やカラクリには、大きく分けて二つあるように思う。一つは、作品の主人公や主題に共感すること。「こんなことを考えているのは、自分だけなのだろうか?」という不安や孤独感を掬い上げられたとき、あるいは日常に対して抱いていたかすかな違和感や不快感に明確な輪郭を与えられ、その曖昧模糊としていた感情を客観視できたとき、視聴者は大きな安堵感とカタルシスを得ることができる。もう一つは、あまりに作品で取り上げられる主題や人物が特異すぎてとても共感はできないものの、そこで提示される特異性は、実は社会や自分自身にも潜在しているのではないか……と見る側に思わせるパターン。「作品内で描かれている異常性は、あくまで自分や社会が気付かずにいた、あるいは見て見ぬふりをしてきた問題点や歪が顕在化されただけの姿ではないのか?」と、見終わった後に背中に空寒いものを感じてしまうことがある。この映画は、間違いなく後者のタイプだ。息子夫婦とともに平穏に暮らす元上官の家に押しかけ、孫の見ている前でその人物を面罵する様や、病床で臥せっている初老の男性に向かって「あんたが今病気なのは、天罰だ!」と断言する姿に、共感はできない。だが同時に、かつて天皇は神だと教え込まれ、「神の国を護る事」を使命として死地に赴かされたにも関わらず、わずかその数年の後には「天皇も普通の人間でした。これからは国民主導の政治、国家を築いていくのです」と言われるような状況を経験した人間にとっては、極めて当然の行動なのかも……とも思えてくるのだ。奥崎に対して「どうしてあなたは、そこまで世間に同調せず、そこまで過激な行動を取るのだ?」と問うことは、彼から「なんであんたたちは、全てに迎合し、矛盾点を不問に付しながら生きていけるのだ」と反駁されることでもある。激変する価値観、倫理観、正義感……それらを実体験として体に刻んできた奥崎は、虚と実を明確に分けようとすることのナンセンスさを、身をもって知っているのかもしれない。先に、「このドキュメンタリー映画の特異性は、ドキュメンタリーの形式を利用して奥崎が現実を創造しようとした点にある」というようなことを書いた。だが、奥崎の行動原理や、その源泉ともなる時代背景などを見ていった後では、そのような構造上の矛盾点も、この作品にとって欠かせないファクターだったのだと気付くことになる。
2003年06月18日
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今現在のジーコ・ジャパンからは、何かしら不健全なものを感じる。 そう思える要因の一つは、ジーコに対する批判の声がほとんど聞こえてこないこと。特に、前任者のトルシエの頃と比べると、その傾向は顕著だ。もちろん、トルシエとジーコという2人の人間のキャラクターに拠るところも大きいだろう。わたし自身、別段ジーコを糾弾する気はない。でもだからと言って、マスメディアから否定的な意見が出てこないのは、別の話だ。メディアには、事実を世間に伝える役目、そして世論の代弁者といった役割もあるが、その一方で、個人あるいは組織としての、功名心や虚栄心的野心もある。皆が「良い」と言えば必ず「否」と主張する者が出てくるはずなのだ。 これまで、世論がジーコ擁護論一辺倒だったことに関しては、「まだ今は静観のとき」との見方が大半を占めていたことも大きくきく作用しているだろうが、今回、日本代表は宿敵韓国に“完敗”とも言える敗戦を喫した。今回こそは、ジーコに対する懐疑的主張が多く見られるはずだと思っていたのだ。そのようなメディアのあり方が正しいとか間違っているということではなく、そういう側面もメディアは有しており、良識ある識者が眉をひそめるような俗物的な態度もまた、物事のバランスを保つために不可欠なファクターの一つなはずなのだから。 だが、敗戦から一晩明けても、依然としてジーコに対する手厳しい批判や非難の声は、あまり聞こえてこない。これまでと打って変わってのマスメディアの付和雷同的な好意的態度は、逆に、澱となって日本代表を皮膜のようにして覆い、風通しを悪くしているように思える。 不健全さを覚えるもう一つの要因は、代表に選出されている選手が、果たして現在、純粋にトップパフォーマンスを見せている日本人選手かといったとき、決してそう思えない点にある。 今回の試合でスタメンに名を連ねたFW鈴木は、先のワールドカップで貴重な点を挙げ、日本のベスト16進出の功労者ではある。だが彼は、ベルギーのゲンクに籍を置いたこの1年弱、まともに試合に出てすらいない。また、現在Jリーグでトップをひた走るジュビロの主力選手たちは、代表では出場機会に恵まれない。 確かに“代表”という、チームとしての練習時間は限られていながらも結果は求められる集団において、ある程度固定したメンバーで試合に挑むことは必要だろう。だが、Jリーグという“日本サッカー振興の根幹となるべきリーグ戦”で活躍していながら代表に選ばれることがない……というような事態が長く続いてしまえば、それは全ての日本人選手たちのモチベーションに関わるし、Jリーグの位置づけも曖昧なものになってしまう。やはりそれは、健全な状態とは言いがたい。 “リベラルな風潮”“選手の自主性を重んじる”……そのようなパブリック・イメージがハナから定着していたジーコ指揮下の日本代表なだけに、この不健全さは、尚のことタチが悪い。
2003年06月01日
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国立霞ヶ丘競技場、通称国立競技場に、日韓戦を見に行ってきます。透明ビニール傘に雨合羽、濡れていもいい服装に歩きやすい履きなれた履、持ちやすいカバン。おやつは500円まで、バナナはおやつに入りません。持ち物は、こんなもんで大丈夫でしょうか。………あっ、そうそう、チケット。
2003年05月31日
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一昨日の話になってしまったけれど、イタリア勢対決となったサッカーのチャンピオンズリーグ決勝戦は、ACミランがユベントスを下して勝利を収めた。ミランは、今シーズン頭から応援していたチームだったので、嬉しくないことはないんだけれど……0-0の末のPK戦という結末は、やはりちょっといただけない。“カルチョ復権”。今大会、ベスト4に3チームを送り込んだイタリア勢の快進撃を受け、この言葉が大会を語る上での最重要語句となった。この“カルチョ復権”という言葉には、2つの情感が込められているように思う。ひとつは、長き歴史と、数々の輝かしい実績を残してきたイタリアサッカーに対する畏敬の念。イタリアの、あるいはイタリアサッカーを支持する人にとっては、雌伏の時をへて雄飛の時を迎えたことへの喜びと誇りが凝縮されている。もうひとつは、「内容よりも結果を重んじ」るイタリアサッカーに対する、侮蔑の情。「あ~あ、結果至上主義のイタリア勢が勝ちあがっちゃうなんて、またイヤな時代に逆戻りかよ」といった、揶揄に近い否定的な見方だ。んでもって、わたし的にどうだったのかというと、年に2回は確実に見られる同国対決よりも、千載一遇の好カードを見たかったという思いは、まちがいなくあった。でもだからといって、それが“カルチョ”に対する否定だったのかというと、決してそうではない。ミランもユーベも、個人的に非常に好きなチームだし、欧州チャンピオンにふさわしいクラブだと思っている。でもな~。試合は立ち上がり、「これはプレミアの試合か!?」と思うほどに攻守の切り替えの早い展開となり、助走ナシで見る者を一気に勝負の渦へと取り込んでいった。シェフチェンコは全盛期の爆発力を取り戻していたし、せードルフやダービッツは、「こいつら、ピッチ上に3人はいるんじゃないか!?」と思わせるほどの運動量で、攻守両面において重要な局面に顔を出した。モンテーロやフェラーラの、腰の据わったしたたかな守備からは、“守りの哲学”を見る思いだった。でも、結果は0-0。この結果のみを見たフットボールファンは、まちがいなく「だから、イタリア勢対決なんて、イヤだったんだよ。やっぱダメだよ、イタリアのサッカーは!」と思うことだろう。0-0というスコアから連想される試合内容は、「点を取る歓喜より、失点の失望を回避することを選んだ、臆病者どうしの球の蹴りあい」なのだから。「カルチョにおける、唯一にして絶対の正義は“結果”だ」とは、イタリアにおけるサッカー観を端的に表した言葉だ。だが、そのカルチョに対する世間の評価は、内容ではなく、他ならぬ結果によって、低いものとなってしまいそうな気がしてならない。
2003年05月30日
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“関口博のよくばりカレンダー”って、まだやってるんでしょうか……?先日、サンシャインビルの“ナンジャタウン”に行った際に、「自分の誕生日の新聞」なるものを購入した。タバコの自販機みたいなもので、お金を入れて自分の誕生日を入力すると、その日の新聞(Y新聞)の1面と終面をプリントした用紙が出てくるというシロモノだった。500円だったので、友だちと一緒に「これは楽しい!」といって後先考えずにコインを挿入口に入れたのだが、今になって考えると、図書館に行ってコピーすれば20円で手に入ったのでは……? ま、こういうのは雰囲気モノですから!1面には、これと言って大事件の報道は載っていなかったのだが、とても興味深かったのが、終面のテレビ欄! テレビって、やっぱりここ30年くらいの日本の風俗を知るうえで欠かせないアイテムなのだと、あらためて実感。「新婚さん、いらっしゃい」って、2○年前からやってたのね。そのころの三枝のパートナー(女性)って、誰だったんだろう?それから、フジテレビの6時半からは「ガッチャマン」「マジンガーZ」「アルプスの少女 ハイジ」と、立て続けにアニメが放送されていたことも判明。ゴールデンタイムをアニメが独占していた事実からは、この当時、家長制は崩壊しつつあり、家庭内における子供中心の価値観が浸透し始めていたことが伺える(とか、勝手なこと言うなよ!)個人的には、「プロ野球 オールスター」と、「テニス ウィンブルドン男子決勝戦」、それに「大相撲夏場所 千秋楽」などなど、スポーツ界のビッグイベントが行なわれていたことに因縁めいたものを感じてしまった。「そうかぁ~、わたしのスポーツ好きは、誕生の瞬間から運命付けられていたのね!」……なんてね。(↑バカ)さて、千秋楽が行なわれていたことからも解るように、わたしの誕生日は日曜日だった(これも初めて知ったこと)。わたしが生まれたのは朝だったと昔から聞かされていたので、ということは、母親の陣痛が始まったのが土曜の深夜だったのだろう。これなら、父親も仕事を休む必要がなく、親戚なども集まりやすい!「わたしってば、生まれたときから、誰にも迷惑をかけることのない良い子だったのね!」と、自分で自分を褒めつつ(↑大バカ)、しかしそのとき、ふと脳裏をよぎる一つの記憶があった。あれはわたしが、4~5歳の頃のこと……。日曜の夕方に、友だちと遊んでいて頭を切るという大怪我を負ったわたしは、親に付き添われて近所の病院に行き、数針縫うことになった。一通り治療を終え、「ま、たいしたことなくてよかったね」「その頭にかぶってるネット、マスクメロンみたいだな!」などと両親の暖かい言葉を頂戴しながら、岐路につく。家に帰り、ほっと一息ついてテレビをつける父。しかし刹那、彼は烈火のごとく怒り出したのだ。 「オイッ! お前につきそって病院に行ってる間に、千秋楽、終わっちゃったじゃないか!!!」 ………。その時、幼いわたしは知った。厳しい東京砂漠で日々戦う男たちには、我が子以上に大切なものが、いくらでもあるのだということを……。ちなみにわたしの父は、大のテニス好きでもある。わけても、四大大会の中でも最も長い歴史を持ち、最も格調高いウィンブルドンを見るのを、1年の内の最大ランクの楽しみにしている。その決勝戦の日に、わたしは生まれてしまったのだ……。「もしかしたら、誕生の瞬間に父はたちあっていなかったもしれないな……」。タブロイド版サイズの、自身の誕生日の新聞紙を見ながら、しみじみ思う、今日この頃。
2003年05月28日
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世間の110日に相当するらしいことが判明……。「続きは明日」って、できないことは書くもんじゃないな。別に、誰かに約束している訳でも誰かが困る訳でもないけれど、後で見て、自分で落ち込む。そういえば、わたしの愛するHikkiこと宇多田ヒカル嬢も、自身のHPのメッセージにおいて、次回予告をしておきながら数ヶ月ご無沙汰……なんてことをちょくちょくやるな。でも、待たせている人がベラボウに多い分、彼女の方が遥かに罪深い。さて、続きを書こうかと思ったんだけれど、はっきり言って前回の日記を読んでも、自分が続きに何を書くつもりだったのか、まったく思い出せない。思い出せないんじゃなくて、もしかしたら書く事なんてハナからなかったのかもしれない。続きが思いつかなかったから、後回しにしただけなのかも。仕事でも、よくそういうことやるし、自分。なんかもう、自分の“熱”もすっかり冷め切ってしまったし、今さら大仰に相撲論をぶつのも非常にナンな状況。先に書いたことから自分が言いたかったであろうことを“類推”するからに、おそらく「貴乃花は、千代の富士を倒して“小さな大横綱”時代に終止符を打ち、さらには、押し寄せる“力士大型化”の波に迎合するようにして、自身の体を肥大させていった。しかし、晩年(力士としてのね)の彼に土をつけた力士の多くが、朝青竜に代表される小兵力士たちであり、結果、小兵力士時代の呼び水となった。相撲界も世の理の例にもれず、相反する特性を有した勢力が、入れ代わり立ち代わり台頭するもんなんですね。これってば、時代の必然なんでしょうね」という、要約しちゃうと何とも陳腐で、「へ~」としかリアクションを返せないような内容だったんだと思う。しかも、“2へ~”くらいですな、こんな内容じゃ。「(ひとつの勢力やら作品やらが)あるカテゴリーの№1になったとして、それを同じ手法で越えるのはまず不可能であることは、歴史が証明している。まったく新しい切り口や哲学が必要なんです」というのは、最近お話を伺ったあるクリエイターの方の言葉なのだが、恐らくそれは、全ての世界に当てはまることなのだろう。
2003年05月27日
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最初に三日坊主を明言してはいたけれど、ここまで持久力のない人間だったとは、自分でも改めてビックリ!!ここ最近仕事が忙しく、午後2~3時ごろに出社して、翌朝の8時くらいに退社する日々が続いています。日記を書かねばとの思いも(ほんのちょっぴり)あったし、書きたいネタもなかったわけでもないのだが、「とりあえず後回し」としているうちに、今日までいたった次第。その間、仕事で大変お世話になっていた方の急逝があった。偉い方だったので、個人的に話をするようなことはあまりなかったのだけれど、自分が中心になって行なったある仕事の打ち上げのときに出席していただき、その成果を大変ほめていただいたことがあった。しかも、二次会のカラオケにまで顔を出してくれて…。そのとき頂戴した言葉は、自分にとって少々プレッシャーでもあったが、同時に大きな自信にもなっていた。ありきたりなことでナンだけれど、ある人が自身に与えてくれたものというのは、その人を失ったとき、ようやく後追いで気がつくものなのかもしれない。ちょっと切ない。このことと並列して挙げるのもかなりへんなのだけれど、先日、貴乃花が引退した。貴乃花という力士に対する個人的感情やら好き嫌いはともかくとして、彼がここ10年ほどの角界において、その本流を築いていたことは、疑いのない事実だと思う。ちなみに個人的には彼、好きです。わたしは、ニューカマーの台頭を好まない傾向にある。何って、スポーツを見るにあたって。傍若無人と紙一重の「怖いもの知らず」を売り文句に、生きのよい新人が、その世界での先住人や重鎮たちをバッタバッタとなぎ倒す…。それはそれで、確かにある種のカタルシスや爽快感を見る者に与えるが、どうもわたしは、我が物顔の新参者の、そんな敬意を逸したかに見える行為が面白くない。新たな血の流入がないことには、世界そのものが停滞してしまい退廃の一途を辿ることはわかっていながら……である。かつて貴乃花は、“我が物顔の新参者”の筆頭だった。大鵬が持つ最多優勝記録にあとひとつとせまり、記録更新に手が届きかけた千代の富士のその大望を打ち砕いたのは、他ならぬ貴乃花(当時貴花田)だったのだ(まあ実際に、千代の富士に最後に土をつけたのは貴闘力だったのだけれど)。しかし、放縦にふるまった期間に倒してきた相手が多ければ多いほど、そしてその相手が偉大であれば偉大であるほど、頂点に立ったときに背負うものは大きい。そうして新参者は偉大なる王者としての風格を身にまとい、同時に、第一人者としての十字架を背負うことになる。貴乃花はまさしくその道を歩み、「角界の命運を双肩に背負う」存在にまでなってしまったのだ。あ~、もう眠い。続きは明日、書くことにしようっと。
2003年02月05日
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え~、今まだ会社です。今日の夕方、クライアントからこんな電話がかかってきました。「今日、入稿予定の原稿さ、オレ今日もう帰るから、明日の朝までに入れておいてくれればいいから」ってことはなんだい? わたしには朝までやっていけってことかいッ!?ま、いいんだけれどさ。今日は、いろんな仕事先に電話しても、ことごとく「本日○○は退社させて頂いております」との返事が。あまりにそれが続くので、な~んでだろうと思って周囲の人間に聞いてみたら、後輩(27才男子・元ホスト)に「クリスマス・イブを忘れるなんてダメ人間っすよ」と言われました。あほらしい。
2002年12月24日
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……三日坊主でした。まさか自分でも、本当に日記三日でとぎれさせてしまうとは!?気をとり直して。仕事でよくお世話になる人に、弟さんが某スポーツ誌の松井秀喜番記者という方がいる。その人はよく「弟が言うには、松井はピンストライプのユニフォームを着たいって言ってるらしいんだよ」と、嬉しそうに語っていたものだった。昨日、松井がその夢を叶えたと知って嬉しく思い、その人とも喜びを共有しようと思ったら、彼は何故かちっとも関心を示さない。というより、どちらかというと憮然としてる。理由を問うと「ピンストライプってさ、俺は阪神だと思ってたんだよ」………ありえないでしょ、それは。さらに彼曰く「オレの弟なんてさ、生まれたばかりの愛娘を置いてNYに単身赴任だよ。我が家の身内は、誰一人喜んでいやしない!!」だそうです。いろんな人の夢と希望と期待と逆恨みと……そんなものを背負って、松井はNYヤンキースのユニフォームに袖を通す。
2002年12月20日
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プロフィール欄にも書いてますが、一応出版姦計……ってオイ!(それにしても“かんけい”一発変換で“姦計”って出るわたしのパソコンって…)出版関係の仕事に従事しているもので、現在は音に聞く“年末進行”ってヤツのまっただなか。で、本日の昼締め切りの仕事があったのだが、昨晩の段階でまだ終っていなかったので、会社に泊まることにした。ま、ギョウカイで言うところの詰めるってヤツだ。……使ったことないけど、こんな言葉。え~、ここでわたしの仕事の段取りを簡単に説明しますと、雑誌や本の入稿をする際には“レイアウトデータ”と“テキストデータ”の両者が必要になります。で、こちとらは原稿書きだから後者を作成する立場なんだけれど、デザイナーがレイアウトをあげてこないことには原稿の書きようがなく、即ち入稿もできないのですわ。そのレイアウトのあがりをまって泊まっていたようなものなのだが、朝の9時になってもレイアウトはあがってこず……。デザイナーに連絡を入れると「11時には」との返事が…。「なんだよ! 昨晩の段階では『3時頃には』とか言ってたのに! 最初からそう言ってくれれば泊まらずに朝来たよ!!」と毒づいてみたところで後の祭り。しかたないので、外にちょいと野暮用があったので、それを済ますために9時半ごろ一度会社を出る。その野暮用を済ませて帰ってくれば、ちょうど11時ごろに帰ってこられる計算だから、これはもう時間のロスなし! このやりくり上手!! って感じなのだ。野暮用を済ますために電車に乗ったのだが、徹夜がたたって、椅子に座った瞬間記憶が途切れる。目的地は、ほんの5~6先の駅なので、目が覚めた瞬間「ヤバッ!!」と思ったけれど、運良く目的地の1つ手前の駅をまさに出たところだった。いや、体内時計ってたいしたもんだね~~~~…………ってオイ!!逆方向に向かって走ってるよ、この電車!!どういうことだ? いや、考えられることはひとつ。つまり、終点まで行って折り返し帰ってきたところなのだ。「ウキャー! やばい!!」と思って時計を見ると……「ウキャウキャ~!! もう12時まわってるーーー!!!」つまりなんだ…。わたしはこの鉄道を2往復もしちゃったってことかい…。結局、会社に(無駄に)泊まりながらも〆切に遅れたわたしって、いったい……。おまけに、今日は眠くてほとんど仕事が手につかないし。
2002年12月18日
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今日、自分のHPを見て思ったこと。「感じの悪いトップだな!」なんか自衛隊の勧誘みたいだ、この夕日と赤い文字の組み合わせ。近いうちに変えよう。ちなみに“近いうち”の概念は千差万別、個人のフィーリングに依存します。
2002年12月17日
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