あま野球日記@大学野球

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2007.02.22
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カテゴリ: 近鉄バファローズ


許したものの2回で5三振を奪う力投。

下半身主導で投げる理想のフォームを目指し、このキャンプでは
股関節の運動やランニングなどで下半身を鍛えてきた。その効果
もあって、ブルペンで多くの球数を投げても肩や肘が疲れにくい
と手ごたえを感じているよう。
(ソフトバンク・キャンプ・リポート)

和田毅
浜田高-早稲田大-ホークス。

「球の出どころが打者から見えずらい」 投手。でも、それは意図し
てやったことではない。子供の頃から無意識のうちにヒジから先が
遅れて出てくる投げかたをしていた。まわりの人に指摘され、打者
から見ずらいフォームであることに初めて気づいた。

さらに、大学時代。
背の低さをカバーするために、ポーンと跳ねるようにステップ。

がった。

いまや 『松坂世代』 の代表格となった和田。
だが高校時代、間近かで 松坂大輔 を見て「バケモノだ!」と思った。
それは98年夏の甲子園。

準々決勝の第1試合。松坂のいる横浜高と、 田中一徳 (元・横浜)
がいたPL学園高が延長17回の死闘を繰り広げた同じ日。
第3試合に、和田の浜田高と 古木克明 (現・横浜)のいる豊田大谷高


延長に入り、なかなか終わらない第1試合を、和田は球場通路から観戦
していた。ゲームは延長15回、松坂の投球数は200球を超えていた。
しかし、いざマウンドに立つといきなり143kmの速球を放った松坂。
それを見て和田が呟いたのが先の言葉。「バケモノだ...」。

当時の和田、時を経て『松坂世代』の代表格になるなんて思いもしな

いる投手のひとりに過ぎなかった。でも、ボールの出てくるところが
見えずらいため、なぜか打者を抑えてしまう不思議な投手だった。

そして早稲田大時代。
球威を増すためにフォームを改造。そして走りこみやトレーニングを積む
ことで、大学1年の秋季リーグでは、いきなり141kmを計測するまで
になった。

結果、 江川卓 氏のもつ持つ奪三振記録(東京6大学)443個を更新。
476個の記録を打ちたてた。

        (参考:『松坂世代』矢崎良一著・河出書房新社刊)



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Last updated  2007.02.23 01:15:57
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