あま野球日記@大学野球

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2007.05.14
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カテゴリ: 大学野球
今日付けの朝日新聞、早慶戦のルーツが紹介されていた。




早慶戦の歴史は、1901年(明治34年)の野球部を
作った早稲田大がその2年後、創部では13年先輩の
慶應義塾大に挑戦状を突きつけたのが始まりとされる。

一部を抜粋すると、

選手は稚拙。ついては近日中に試合をしていただき、
大いに学びたい。ご都合いかがでしょう(後略)」


これに対し慶應義塾大は返事を送った。
「貴校と当校はぜひとも対戦すべきである」 と。

ま、時代が時代だけに大仰すぎるキライはあるが、

から15日後。わりと短時間で実施されている。

結果は乱打戦の末に11-9で慶應が競り勝った。




↑この記事を読んでいると、慶應が圧倒的大差で勝つのかな?
と思って読んでいたのだが、結果は僅差であることに驚いた。

Wikipediaによると、
後発で格下と思っていた早稲田が善戦したことで、慶應は早稲田
を対戦相手として評価し、翌年から定期戦が始まったという。

もし、慶應が大差で勝っていたら---。
逆に早稲田が大勝していたら---。
そもそも早慶戦がはじまっていたのかしらん?


慶應・ 水原茂 氏(高松商高)と早稲田・ 三原脩 氏(高松中)。
2人とも大学在籍は1930年頃。

だから、2人が活躍していたのは、早慶戦がはじまってから


当時、水原氏は 「リンゴ事件」 を引き起こし、その事件が契機
となり早稲田が一塁側、慶應が三塁側とそれぞれのベンチ・
応援席が固定されるようになった。

三原氏は水原投手を相手に、 勝ち越しホームスチール を敢行した
ことで有名。そしてこの2人のライバル関係は、プロ入り後も
長きにわたって続くことになる----。



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Last updated  2007.05.14 23:52:42
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コメント  
ネルフ本部  さん
ありがとうございましたm(__)m

叔母が高田馬場で「源べい」という居酒屋を営んでおり
毎年春・秋のリーグ戦になると早大応援部の方から
チケットを頂いていたのですが
今年のリーグ戦は手に入らないほどの盛況ぶりです

私のプログは落書き帳なのですが時折野球の事もアップしてますので...
(2007.05.15 00:48:05)

Re:コメント(05/14)  
ネルフ本部さん
>ありがとうございましたm(__)m

>叔母が高田馬場で「源べい」という居酒屋を営んでおり
>毎年春・秋のリーグ戦になると早大応援部の方から
>チケットを頂いていたのですが
>今年のリーグ戦は手に入らないほどの盛況ぶりです

>私のプログは落書き帳なのですが時折野球の事もアップしてますので...
-----
今季の早慶戦のチケットは入手困難でしょうね。
今後ともよろしくお願いします。 (2007.05.15 02:12:44)

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