あま野球日記@大学野球

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2008.12.11
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カテゴリ: 大学野球

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・新作ドラクエ「ドラゴンクエスト(9)星空の守り人」、来年3月28日にやっと発売
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プロ野球・広島の4番打者などとして活躍し「ミスター赤ヘル」と呼ばれた
山本浩二さんの野球殿堂入りを祝う会が11日、東京都内のホテルで
開かれた。

山本さんは69年にドラフト1位で法政大学から広島に入団。ホームラン
バッターとして最優秀選手2回、本塁打王4回などのタイトルを獲得した。
通算536本塁打は大学卒業選手としては歴代最多記録。引退後は広島
の監督として91年にリーグ優勝も果たした。今年の北京五輪では、日本
代表の守備走塁コーチとして星野監督を支えた。   (毎日新聞)

王貞治 氏もお祝いに駆けつけ、山本氏の思い出を次のように振り返った。
「入団当時と、本塁打を量産するようになった75年以降とはまるでスイング
が違ってきた」




中距離打者だった山本氏、長距離打者に転じたキッカケは何だったか?
その答えが広島・ 古葉竹識 監督(当時、現・東京国際大監督)との関係
にあったことをwikipediaで知ることができた。



法政大時代から腰痛持ちだった。年が経つにつれそれがひどくなり、自らは
休養を求めたが、古葉監督が休養を許してくれず、出場を続けた。そうした
中で、山本は、腰にできるだけ負担をかけずに球を遠くに飛ばす打法を習得。
これにより長距離打者として開眼し、右翼への流し打ち本塁打の名手になった
といわれる。 それがちょうど1975年のことだった。
以上、wikipedia)



山本浩二 氏(1974年に登録名を変更、本名は「浩司」)。
高校野球界ではまったく無名だった広島・廿日市高で4番・エースとして活躍、
甲子園出場は叶わなかったが、県予選ベスト4入りに牽引した。




最多勝記録保持者となる 山中正竹 氏(大分・佐伯鶴城高)の入学で、外野手
に転向するハメになる。だが結果的にこれが山本氏を飛躍させた。



才能が大きく開花したのは大学4年になってから。春季リーグで初めてベスト9
に選出され、プロの世界に進むことになる。



※当時(1965~68年)の東京六大学リーグの主な選手たちは次のとおり。

<法政大>
田淵幸一 (元・ホークス監督、法政一高)
富田勝 (元・南海、興国高)
長池徳二 (元・阪急、撫養高)

<明治大>
星野仙一 (現・阪神SD、倉敷商高)
高田繁 (現・ヤクルト監督、浪商高)

<早稲田大>
八木沢荘六 (現・ヤクルト二軍投手コーチ、作新学院高)
三輪田勝利 (故人、中京商高-阪急)
谷沢健一 (現・「谷沢野球コミュニティ千葉」理事長、習志野高)
小田義人 (現・ヤクルトスカウト部長、静岡高)
安田猛 (現・ヤクルト編成部長、小倉高)
荒川尭 (元・ヤクルト、早稲田実)

<立教大>
槌田誠 (故人、倉敷工高-読売)


広野功 (元・南海、徳島商高)
江藤省三 (元・中日、中京商高)                




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Last updated  2008.12.12 02:17:31
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