WBC代表候補の楽天・ 田中将大
投手(20)と岩隈久志投手(27)が12日、
沖縄・久米島キャンプで行われた紅白戦に登板した。
ともに2回無失点。しかし1安打、1奪三振と好投したかに見えた田中に対し、
視察したWBCの 山田久志
投手コーチ(60)は厳しい評価。 野村克也
監督は
山田コーチに田中の代表入りを勧めたが、聞き入れられるか微妙な状況だ。
野村監督にしてみれば、自身もWBC監督候補に挙がりながら選ばれず、
まな弟子の田中も代表落選という、ダブルパンチに見舞われかねない状況に
なってきた。
山田コーチは 「野村監督から『ぜひ(田中を代表チームに)連れて行ってほしい』
と言われたけど、返事が難しい。宮崎合宿でどういう結果を出すか。メンバーに
入れるかどうか。田中はその辺にいる」
。これまで山田コーチは代表候補の全
投手を視察。どの投手に関しても、全員選ぶつもりなのかと思うほど褒めちぎって
おり、ここまで厳しい言葉を並べたのは初めてだ。
対照的に岩隈に関しては 「あと実戦を何回か踏めば。私の頭の中にも、原監督
の頭にも、先発として行ってもらうというのはある。WBCは予告先発だから言って
もいいが...。原監督から話すのでは」
と代表の先発入りは確実。
田中の評価とは大きな違いをみせた。(夕刊フジ)
第1ステージの開幕戦(対中国、3月5日)に先発するという報道もある 岩隈久志
、
今は消滅した 近鉄バファローズ
のDNAを受け継ぐ、唯一のWBC候補選手だ。
岩隈久志
(堀越高)。
1999年秋に行われたドラフトの4位指名で近鉄に入団した。
当時注目されていたのは、1位指名だった 宮本大輔
(現・オリックス、延岡学園高)
や、甲子園で活躍した2位指名の 高木康成
(現・オリックス、静岡高)のほう。
岩隈は、実力への評価より「イケメン」であるとか、多かった虫歯をすべて治したとか、
高校時代は女優の 安達祐美
と同学年だったとか、そんなどうでもいい情報のほうが
多い選手だったとボクは記憶している。
ところが近鉄入団4年目の2003年、そして翌04年にいずれも15勝を挙げて
一気にブレーク。近鉄のエースと呼ばれる存在に成長した。だが球団消滅という
不運に見舞われ、新たな道を歩まざるを得ないハメになった。04年オフの分配
ドラフトでは新球団(オリックス)入りを拒否、「金銭トレード」という形で楽天に移
籍した。
その頃は、近鉄の球団消滅、楽天入り後の不運。どれも岩隈が運から見放された
ように思えた。不運とは、肩痛や肉離れなど相次ぐ故障。そしてルール変更による
「二段モーション」の禁止など。
当然成績は下降。05年に9勝(15敗)を挙げたものの、06年は1勝(2敗)、
07年は5勝(5敗)。いったい岩隈はどうなってしまうのか? と思ってい矢先、
昨年(08年)は21勝(4敗)を挙げ、突然に完全復帰を果たし、今やWBC日本
代表のエース候補にまで駆け上った。
<堀越高時代>
2年生の秋までは三塁手だったらしい。ところが投手に転向後、頭角を現した。
189cmの長身から放る145kmの速球が、近鉄スカウトの目を釘付けにし、
ドラフトの指名を受けることになる。
だが3年生だった99年夏、西東京大会のベスト4入りを果たしたものの、準決勝
で日大三高にスコア1-8で大敗。甲子園への夢は叶わなかった。
■チームメイト■
後にプロに進んだ選手はいない。
■東京都内のライバル■
1学年下に帝京高の 上野貴久
(現・読売、東洋大-NTT東日本)。1学年上には
同じく帝京高の 森本稀哲
や、創価高から創価大に進んだ 小谷野栄一
(いずれも
現・日本ハム)らがいた。
■甲子園のライバル■
甲子園に出場していない。
※岩隈が西東京大会のベスト4で敗れた99年夏、甲子園で優勝した桐生一高
には現在楽天のチームメイト・ 一場靖弘
(当時2年、明治大)や 大廣翔治
(当時2年、
東洋大)らがいた。当時、桐生一高のエースだった 正田樹
(元・日本ハム-阪神)は
現在、台湾興農ブルズに在籍している。
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