前回書いた 「仰木彬と権藤博の対立」 の続き。
その確執ぶりは「10・19」のダブルヘッダーのあるシーンにも見ることができました。
そのシーンとは・・・、ボクの勘ぐり過ぎかもしれませんが・・・
(たしか)第2試合の8回裏のことでした。
すでに1点をリードし、逃げ切りをはかりたい近鉄ベンチには、 仰木彬
監督と、
その隣りでイスに腰掛ける 権藤博
投手コーチの姿がありました。
2人は目を合わさず、どちらもグラウンドに目をやりながら、言葉を交わして
いるようでした。(次のような会話が交わされていたのかもしれません)
(仰木監督) 「
この場面は、阿波野を救援に出そう」
(権藤コーチ) 「
えっ、また、阿波野ですか? 2日前にも完投して、さっき
(第2試合)も投げさせたじゃないですか。ムリをさせると、阿波野がツブれて
しまいます。この場面は阿波野は止めましょう」
その後、救援投手として三塁側のブルペンからマウンドに歩を進めたのは、
阿波野秀幸
(横浜市立高-亜細亜大)でした。
自ら酷使が原因で、短い現役生活だった権藤さん。投手を酷使する起用に
ついては、相手が監督だろうと遠慮なく直言するコーチでしたが、さすがに
このシーンは 「勝利のためには無茶な投手起用を厭わない」
と言われることも
あった仰木監督の主張を受け入れるしかなかったのかもしれません。
※結局この後、阿波野は 高沢秀昭
(現・ロッテ二軍コーチ、苫小牧工高)から
ソロ本塁打を浴びて同点になり、近鉄の優勝は消えてしまいました。
そして1年後の日本シリーズ。
「10・19」から足かけ2年、昭和と平成をまたいでパ・リーグの優勝を飾った
近鉄バファローズはセ・リーグの覇者、読売と対戦しました。近鉄が3連勝した
後に4連敗を喫し、 加藤哲郎
(宮崎日大高)のビッグマウス( 「
巨人はロッテより
弱い」
発言)が話題になったのがこの時でした。
近鉄は昨年と同様、仰木監督と権藤コーチのコンビが続いていました。
幸先よく3連勝を挙げ王手をかけた近鉄。そもそも1・4・7戦はエースの阿波野
を起用することを権藤コーチと確認していた仰木さん、予定どおり一気に優勝を
決めにかかるつもりでした。
ところが、権藤さんはその年の労をねぎらってか、12勝を挙げた 小野和義
(現・西武コーチ、創価高)の先発を主張。仰木さんはそれを受け入れたのですが、
結局その後に4連敗する引き金となってしまいました。
もし、第4戦を阿波野で行っていたら・・・?
『近鉄球団、かく戦えり』(浜田昭八著、日経ビジネス人文庫)には、次のような
ことが書かれていました。
予定どおり阿波野で行くと、監督命令で押せなかったのを、仰木は悔やんだ。
「やがて彼(権藤)も監督をするだろう。そのとき、あのケースでエースを使わない
だろうか」とポツリと言った。
この一件を機に、権藤さんは契約満了を待たず、日本シリーズ終了後に近鉄を
退団しました。
1998年、権藤さんが横浜を率いて日本一になりました。仰木さんとの対立で
ユニフォームを脱いだ時から9年後のことでした。
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