■九州国際大付高(福岡) 8-4 常総学院高(茨城)
常総 211 000 000 =4
九州 002 500 100 =8
(常)小熊-飯野、(九)納富
若生正広
(九州国際大付高)と
木内幸男
(常総学院高)の 「監督どうしの再戦」
という意味でも注目を集めた。
再戦の「再」とは、(言うまでもなく)2003年夏の甲子園決勝戦以来ということ。
この時の結果は、若生さんが率いた東北高が木内さんの常総学院高にスコア
2-4で敗戦。東北人念願の「白河越え」の夢は、 ダルビッシュ有
(現・日本ハム)
を擁してさえも叶わない、ボクにとってもとても残念な試合だった。
■まず、若生さんのこと。
今日の試合後のコメント。
「めちゃくちゃうれしいね。(序盤は)この調子だと何点取られるのかと思ったが、
納富がよく立ち直った。今日は納富に尽きるね」
以前、明治神宮大会(だったかな?)の観客席で若生さんを見かけたことがある。
あちこちから「若生さん、若生さん」と声をかけられ、気さくに応じる人懐こそうな
表情は、テレビで見る笑顔そのまんまだった。
若生さん、常総学院高に敗戦後、2005年に九州国際大付高の監督に就任し、
今回の甲子園大会に見事に出場を果たした。埼玉栄高、東北高の監督を歴任し
次々に強豪校を作り上げた実績もある。チームが関東だろうと東北だろうと九州
だろうと、高校野球への情熱はまるで衰えないように見える。
と、ここまで書いて別のことを思い出した。
それは、先日行われた日米大学野球で活躍した九州国際大の 加藤政義
(4年)
のこと。加藤は東北高の出身なのに、なぜはるか遠方の九州国際大に進学
したのか、ボクには不思議でならなかった。だが、その裏には若生さんの存在が
あったからだろうか。ボクはひとり勝手に想像して、そう納得してしまった。
■そして木内さんのこと。
今日の試合後のコメント。
「力の差が大き過ぎた。 小熊は勝ちたくなったんでしょうね
。四球を出して、リズム
を崩してしまった。経験不足だった」
序盤に4点を先制しながら逆転されたのだから、先発投手・小熊への怒りもある
のかもしれない。でも 「勝ちたくなかった」
という発言は、それを聞く小熊にとっては
結構キツイはず。
木内さん、若生さんと決勝を戦い甲子園優勝を機に勇退(2003年)した。ボクは
木内さんのことをほとんど知らないけれど、仮に「木内語録」なるものを集めたら、
前出のような発言は事欠かない人のように思える。真っ先にボクが思い出すのは、
2007年夏の甲子園大会で初戦敗退した常総学院高の 持丸修一
監督(当時)
に対し、すでに監督を勇退していた木内さん(当時、総監督)が言い放った言葉。
「(いまの常総学院は)甲子園に出ることが精一杯のチーム、甲子園で勝てる
チームになっていない。エース・清原大貴投手を最後まで引っ張る監督の采配は
おかしい、優しすぎる。甲子園で勝ち続けるためには、非常な采配も必要」
その言葉の直後、勇退したはずの木内さんは、持丸さんを追い出す格好で再び
監督に復帰した。だがその後の戦績も芳しくない。翌08年夏、甲子園に出場した
ものの初戦敗退(関東一高にスコア5-13で大敗)。そして、残念ながら今年も
初戦敗退である。
ボクはつい余計なことを心配してしまう。
それは、「名将・木内監督の花道」のこと。前監督に対して上記のように痛烈な
批判を浴びせた以上、甲子園での初戦敗退が続けば、周囲が花道を用意できない
状態に陥ってしまう。たしか今年78歳の高齢でもあり、冷静に考えれば監督業を
今後長く続けることは不可能だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
もちろん「花道」がなければいけないものではない。本人も望んでいないのかも
しれない。ただ 「あの時、復帰していなければ」
という話が後々出るようだと、寂しい
ように思う。
◇ 木内幸男
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「甲子園、初戦敗退で監督交代劇」
(2007.8.15) →
こちら
へ。
「常総学院高・木内幸男監督、意気軒昂」
(2007.9.16) →
こちら
へ。
「常総学院高、甲子園で初戦敗退」
(2008.8.5) →
こちら
へ。
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