昨日、慶應義塾大の次期監督に元プロ野球選手で慶應大OBの
江藤省三
氏が就任すると書いた。
「正式に決まればプロ経験者の監督就任は、東京六大学では大阪タイガース
(現・阪神)の初代監督だった故・ 森茂雄
氏が1947年に早大監督になった
例などがある・・・」
森氏がプロ経験者で六大学の監督になった、唯一の前例らしい。
森茂雄
氏(松山商高-早稲田大)のこと。
調べてみると、森氏が早大監督に就任したのは1947年(昭和22年)秋。
以来、57年までの任期21季中に優勝を9回記録するなど、早大の黄金時代
を築いた立役者的な存在だったことがわかった。
また森氏、早大監督就任前の46年(昭和21年)春、東京帝国大学野球部
に請われてコーチをしており、東京帝大 さえも
2位に躍進させる手腕も発揮した。
※六大学では他大学出身者が指導者として要請されること自体が珍しいし、
また帝大にとって「2位」は過去最高の記録でもある。
■当時のことを『東京六大学野球80年史』(ベースボール・マガジン社刊)が
少しだけ触れていた。(以下に引用)
「東大が、このシーズン(昭和21年春)の主役だったかもしれない。シーズンに
備えて初めて他校OBの森茂雄(後の早大監督)が猛ノックで鍛えた。お蔭で、
守備率は早大に次ぐ2位と向上した」
「このバックに守られて山崎諭(旧制山形高)が力投に次ぐ力投。東大は6月
13日の慶大戦 (後楽園)
を前に明早立を撃破。慶大を破れば悲願の初優勝
というところまで来た。慶大戦は6回まで両チーム無得点。7回に慶大がようやく
1点先取。東大は9回に二死三塁まで迫ったが及ばなかった。東大の2位は
史上初の快挙だった」
(
以上、『東京六大学野球80年史』)
※後楽園・・・神宮球場は米軍に接収され、後楽園や上井草球場でリーグ戦が
行われていた(神宮が返還されるのは1952年3月31日)。また当時は現在と
違い、総当たり1回戦制だった。
◇ 戦後、野球の復活
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「東京六大学、復活のノロシはオール早慶戦(1945年10月28日)」
(2009.8.3) →
こちら
へ。
◇ 「ボクにとっての日本野球史」
(2009.7.1)、 INDEXは こちら
へ。
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