9月13日、 イチロー
(愛工大名電高)が9年連続200本安打を達成した。
「日本でいえば、明治時代に活躍したウィリー・キーラーの記録を108年
ぶりに更新」した記録らしい。
朝日新聞に ウィリー・キーラー
のことが紹介されていた。曰く、
「1872年生まれ。左投げ左打ちの外野手。身長165cm前後と小柄ながら
1894年から8年連続で200安打。1902年に現在の「3バント失敗は三振」
のルールができたのは、バントを多用する彼の打撃スタイルが問題視された
からだと言われている」
ウィリー・キーラー
が8年連続200安打を達成した1901年(明治34)、その
当時の「日本野球事情」について調べてみた。
1) ホーレス・ウイルソン
が日本に最初に野球が伝えたのが1872年(明治5年)。
◇ ホーレス・ウィルソン
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「1872年、野球が日本に上陸した時代」
(2009.6.30) →
こちら
へ。
2)以降、一高(現・東京大)の全盛時代が続いた。米国人たちからなる横浜アマ
チュア倶楽部に初勝利したのは1896年(明治29年)のこと。ちょうどこの頃、
キーラーの200安打記録は「3年連続更新中」だった。
◇ 日米野球対決
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「日米野球初戦、一高が横浜アマチュア倶楽部に圧勝す」
(2009.6.29) →
こちら
へ。
3)そしてキーラーが8年連続200安打の記録を作った1901年(明治34年)は、
早稲田大(当時、東京専門学校)に野球部が創部した年と同じ。日本国内に
おいて、「野球」というスポーツが大きく進歩を始めた記念すべき年でもある。
(ただ当時、早稲田野球部の知名度は極めて低かったが・・・)
4)ついでに。初めて早慶戦が行われたのは、その2年後の1903年(明治36年)
のことだった。
※ボクは今年8月29日のブログに、 「早稲田が学習院に試合を申込み勝利を
挙げたのは1904年(明治37年)」
と書いた。ただ別の資料を見ると、それは
1901年(明治34年)と記載されていて、3年もの誤差がある。どちらが本当か、
いまのところボクに正解はわからない。
◇ 早稲田野球部の黎明期
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「早稲田が学習院に勝つ」
(2009.8.29) →
こちら
へ。
◇ 「ボクにとっての日本野球史」
(2009.7.1)、 INDEXは こちら
へ。
【NPB2021】斎藤佑樹が引退~15年前の後ろ… 2021.12.05
【NPB2020春】コロナ対応で12日にオーナー… 2020.05.05
【2017NPB】鵜久森淳志が代打サヨナラ満塁… 2017.04.02
PR
Keyword Search
Calendar
Comments