1901年(明治34年)に創部された早稲田野球部。当時一高(現・東京大)
と覇権を争っていた学習院に対戦を申込み、そして(だれもが予想しない)
勝利を挙げたのはいつだったか。<A>1901年(明治34年)? それとも
<B>1904年(明治37年)?
◇ 早大野球部の黎明期
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「早稲田が学習院に勝つ」
(2009.8.29) →
こちら
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どちらなのか調べてみたら、早大元監督の 飛田穂洲
氏が著した『野球人・漫筆』
(人文書房、昭和6年刊)の『學習院に善戦す』の章に、答えは <A>1901年
だったと書かれていた。
「 三十四年
の夏休暇も過ぎた。秋季に入りては新選手も見付かり、多少勢力
も増したので、適當の相手を物色した。(中略)一つ手近な學習院というところ
から、天下を二分して其の一を納めていた學習院に向かって挑戦状を発した。
今迄東京専門学校に野球部があらうなど夢にも思っていなかった學習院では、
申し込んできたからどんなものか應諾してやらう位の輕い調子で、應戦の返事
を与えた」
※下線は「あま野球日記」が記した。また、東京専門学校とは早稲田のこと。
早稲田野球部として、これが旧制中等学校以外から挙げた初勝利。世間に
早稲田の名を知らしめる第一歩となった。
勝利後の歓喜ぶりが同著に記されている。
「早稲田方の歓喜は實に非常なもので思はぬ勝利に有頂天であった。翌日の
掲示場には、
我が選手は、學習院と戦ひ、一蹴これを粉砕したり。
というやうな文字を冒頭に、二畳大の掲示紙にスコアを冩して貼出した。(中略)
戦捷晩餐會を寺町の西洋料理明進軒に開催した」という。
◇ 「ボクにとっての日本野球史」
(2009.7.1)、 INDEXは こちら
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