高橋尚成
の
アマチュア時代のこと。高校時代、大学時代ともに野球の「王道」を歩んできた。
■高校は東京・修徳高。1993年夏、高橋は修徳のエースとして甲子園に出場した。
初戦、岡山南高を2-0で完封した後は、2回戦も甲府工高に2-0とこれも
シャットアウト。3回戦は東海大四高に3点を失ったものの4-3で辛勝し、チーム
のベスト8入りに大いに貢献した。だが準決勝では育英高に被安打9、与死四球7
で9点を失い、スコア1-8で大敗した。
ちなみに、2回戦で対戦した甲府工高の投手は現・楽天の 山村宏樹
(元・近鉄)
だったし、準決勝で戦った育英高の3番打者は現・オリックスの 大村直之
(元・近鉄)
だった。
※また高橋が修徳高に在籍していた当時、同じ東・東京地区の高校球児には、
堀越高の 井端弘和
(現・中日)、関東一高の 武田勝
(現・日本ハム)、帝京高の
三沢興一
(元・近鉄)らがいた。
■大学は駒澤大。4年間の通算成績は17勝11敗、防御率2.58。
当時の東都大学リーグにいた主な選手は、青山学院大の 高須洋介
(現・楽天、元・
近鉄)。また同時期、他リーグには慶応義塾大の 高橋由伸
(現・読売)、大阪体育大
の 上原浩治
、明治大の 川上憲伸
、近畿大の藤井彰人(現・楽天、元・近鉄)らがいた。
高橋にとって恩師である 太田誠
・前駒澤大監督は、著書にこう書いている。
「大学時代、私に怒られ続けたピッチャーがいる。 高橋尚成
である。高橋は、大学
時代から、小技に走った時には必ず打たれるピッチャーだった。言い換えれば、
投球に『邪心』が入った時にやられるタイプである」
「あと少しで勝てる。あと一人でなんとかなる。この球で抑えられたら・・・。そういう
思いが入った時に、必ずと言っていいほど痛打を浴びたり、フォアボールを出したり
するのである。(中略)高橋を飛躍させるためには、心の問題が最も大きいと、私は
思っている」
(『球心、いまだ掴めず』太田誠著、日刊スポーツ出版社刊より)
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