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なんということでしょう!昨日は結婚記念日。なのに なのに・・・・・。このおばかさんはすっかり忘れていた。主人の大きな荷物に「ん? どうしたの?」花束とケーキを見て ハッと気がついた。娘からも花束が・・・。ぼーーーーと日々過ごしているからそういえば去年も忘れていたような。少し緊張感を持って生活しないとぼけちゃうな。そろそろ長い長い眠りから目を覚まさなければ。
2009/04/27
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春の陽気に誘われて 咲いた花一輪 おちびさんのクロッカス
2008/03/12
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何に甘いかって聞かれたら 自分自身と答える。明日出来ることは明日する。今日出来ることも明日する。限りある時間なのに。これは あまりにも『ぐうたら』すぎ。春だし・・・・・ネ。少し自分に≪カツ!!≫。
2008/03/07
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今日は啓蟄。冬の間地中にいた虫が這い出てくる頃。気まぐれなさぼり虫も そろそろ春の日差しを浴びに地上に出るとするか。
2008/03/05
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以前から気になっていたことのひとつに 難聴がある。2年前の手術後より 海に潜っているような 飛行機に乗って耳が塞がっているようなそんな感じがずっと続いていた。もともと少しはあった耳鳴りも徐々に大きくなってきていた。 (左がなんだか聞こえにくいな。) (耳のすぐそばまで動注や放射線・手術で触っているからこんなもんだろう。)ところが去年11月 肺炎のために入院したときベッドの中で 右耳を下にし テレビを観ていて愕然とした。左耳が聞こえない。全く聞こえないというわけではないが ほんの微かにしか聞こえない。簡単に自分で納得していたけど 浜崎あゆみの突発性難聴の話を聞いてだめでもともと 検査をしてもらうことにした。聴力検査に加えて骨伝導・鼓膜の振動検査もしたところ ほとんど鼓膜は振動していなかった。そりゃ聞こえないはずだ。たいていの場合 家族は私の右側にいたから 日常生活にはあまり影響しなかったけど 治るものなら治して欲しい。耳に水が溜まっているとのことで 最終的には鼓膜に穴を開けて水を出した。半ば諦めていた聴力が戻ってきた。周りの音が左頭上より響くように聞こえてくる。しゃべる私の声も 声高で左の頭の中で響いている。おぉ!! 素晴らしい!!!!!。まだ耳鳴りは残っているものの両方の耳から聞こえてくるのは嬉しい。左の耳周辺・舌の左半分・左の唇は しびれたままだから耳の塞がった感じは完全には取れないけど それでもラッキー。聞こえ方に対する違和感は 5分もすればなくなった。待機中の娘に 携帯を左耳にあて 電話した。「終わったよー」
2008/01/10
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昨日、おばあちゃんのお墓参りに行こうと外に出たら家の前に 人間のものと見まがうほどの大きなうん○が。そして今日、娘の車に鳥のうん○が。新年早々お下品だけど ひょっとして今年は運がついてる?
2008/01/06
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寝正月の私。一年の計は元旦ならず2日にあり。その1、しっかり食べる。その2、しっかり水分を取る。その3、しっかり睡眠をとる。摂食障害のある私には意外とこれが難しい。しかし、どんなことにも耐えうる体力を持たなくては。ふくよかな私を目指して。
2008/01/02
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今、こうして新年を迎えることが出来たことに 万歳。家族、医療関係の皆さん、私を取り巻くすべての方に感謝をこめて 万歳。生きるための糧に感謝をこめて 万歳。今年は元気印でいけそうな予感。
2008/01/01
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ミーティングという名の飲み会に出かけた主人。ひたすら趣味を追求するため、東京に出かける娘。「二人とも遊びに行って・・・いいねん・・・鍵を掛けてろう城してやる!!」乗りのいい娘は「えぇ~~~ そんなぁ~~~」二人とも家の鍵を持ち歩いているので まったく意味がないんだけどせめて啖呵のひとつでも。
2007/10/06
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ご近所さんから 北海道のお土産を頂いた。その中のひとつに「わさび昆布茶漬」が入っていた。つややかな昆布。茎わさびのみじん切りが昆布に絡んでいる。食べたくなったがピリ辛と書いてある。主人に辛さ加減を聞いたら、かなり辛いらしい。「私に食べれそう?」「無理だろう」味覚障害が少し改善されだしたら 何でも食べてみたくなる。お箸で小さく切って口の中に入れた。大丈夫。食べれる。と、思ったとたん辛さが押し寄せてきた。足をばたばた。お口ひーひー。涙ぽろぽろ。お鼻ずるずる。最悪!!唾液障害はまだ続いている。唾液のベールがないのでもろに刺激が舌に来る。冷たい牛乳を何度も口に含みようやく収まった。「だから言ったろ。辛いって。けど旨い。」憎たらしきは主人なり。
2007/10/02
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本当はすっかり秋のはずなんだけど、いつまでも最高気温30度前後。朝夕は涼しくなってきたけど 日中はまだまだ夏バージョン。ところが今日の涼しいこと。暑さに慣れた身体には寒さを感じる。前方の田んぼに目をやれば 稲刈りをしている。落ちた稲穂に雀たちが集まってきて のどかな秋の風景。あれ? これってすっかり秋じゃん!。
2007/09/29
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口腔外科と歯科の受診日。前回、ボーとした頭で右から左へ聞き流していたPTの検査結果の再確認をした。まず、癌の再発・転移はしていない。股関節に関すること。これはPTを受ける前から分かっていた。甲状腺は、今 治療中。そのほかの結果は、胆管結石の疑い・肝臓に石(以前勤めていた会社で受けた人間ドックですでに判明)腸にポリープの反対の凹み。なんじゃこりゃ~?まるで病気のデパートだ。PTを受けたからこそ分かった病変。別に腹痛などの自覚症状はない。血液検査をしてもらい その結果で改めて内科を受診することにした。万人がPTを受けたら 日本人総病人になるだろうな。分泌科の先生が「PTは小さなことまで拾い上げるから 病気が増えて忙しいね」といって微笑んでいた。その言い方が可笑しくて 思わず声を出して笑ってしまった。本当にそうだ。でも、知らないより知っていたほうがいい。「石に注意」を、頭の片隅に置き せいぜいお水を飲むことにしよう。今日、一番教授に聞きたかったこと。それは術後2年を経過したら 股関節の手術を受けても良いか。再発のリスクは高くならないかということ。術後一年半の受診日に、教授が「術後2年たったら 再発の確率がぐっと低くなる」と、言ってくれた。ならば2年のハードルを越えて 股関節の手術をしようと思った。仮に動くことに制約がかかっても 痛みから解放されるのであれば嬉しい。教授は、「2年後だったら手術をしたからといってリスクが高くなるということはない。」よし! 一歩前進!来年1月の末あたり 病院に行って手術の話をしてみよう。
2007/09/26
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昨日のお昼から今日にかけてあまり体調が芳しくない。ごろごろしながら新聞に目を通していたら 『3週間続ければ一生が変わる』という本の表紙を目にした。『小さな習慣が人をつくる』とも書いている。そうだよな~幼いころより 母に「あきやすの 好きやす」と、言われていた。要するに「熱しやすく冷めやすい」を母流に言った言葉だろう。一日30分でいいから 何かを継続してみようかな。すぐにその気になる お調子者の私。とりあえず、中途断念しても落ち込まなくてすむ 軽いものをと考えた。そうだ!水彩色鉛筆で何かを描こう。一昨年の秋、入院するさい病室に持ち込んだ水彩色鉛筆。確認したら小さな絵を7枚描いていた。絵心はもともとないので、変で当たり前。自分で描いて自分で笑ってればいい。よしよし、明日から描こう。なんて、またまた 先延ばしのあのねのねでした。
2007/09/25
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20日から姪が遊びに来ていた。東京に帰る姪二人を お墓参りかたがた 最寄の駅まで見送りに行った。車の中で、主人のくすくす笑いが聞こえた。すかさず後部座席の娘が「寝てるの?」。なんということでしょう。私が静かだと、即、寝ていると思う二人の想像力のなさ。いつまでも続く最高気温30度超えの日々。東京の最高気温は24度とか。この6度の差は 薄着の姪たちにはこたえるだろうな。姪たちを案じながら 地球温暖化について想いを巡らせていたのに。まったく ぷんぷん!
2007/09/24
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2週間前、長年愛用していたバイクを処分した。体重が増えたら乗るぞ と、思っていたけど 相変わらず38キロを行ったりきたり。股関節の調子もよくないし これ以上足の調子が良くなるとは思えない。希望としては来年股関節の手術がしたい。その後果たしてバイクに乗れるようになるのか?仮に乗れるようになったとしても数年先だろう。で、思い切って手放した。少しさみしいな。仕事を止めてからはバーゲン狙いの身軽な足だったのに・・・。そのうち自力で 術後のリハビリを兼ねて歩いてお買い物に行こ~っと。
2007/09/22
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お調子者の私は、ちょっと調子がよいからと ごそごそしては調子を崩す。2~3日うだうだと暮らし、「あらっ今日は調子がいいじゃん」と、ごそごそし、またまた うだうだと暮らす。もっとも、橋本病に限らず 股関節の痛みが出るせいもあるんだけどそれにしても なんと学習能力のないことか。でも、確実にパワーが付いてきた。霧が少しずつ晴れていくように 視野が開け頭の中も軽くなってきている。もともと「脳みそ」は少なく軽いし、近視の老眼で視力自体は悪いのだけど何かが違ってきている。医師はますます元気になるよと言ってくれた。この言葉、嬉しすぎて調子に乗らずにおれようか。10日後に受ける血液検査が楽しみだ。私なりのほどほど生活を心がけよう。「お調子者よ 調子に乗るな」とね。
2007/09/21
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我が家のお嬢は、サザエさんに出てくるマスオさんの同僚「穴子さん」唇だという。どうせ言うなら「アンジョリーナ・ジョリー」と言ってくれ。そう思いつつ鏡をのぞいたら たらこ唇だった。まぶたの腫れ・唇の腫れ・首を軽く絞められているような違和感etc。本日は不調なり。ブランコのように良かったり悪かったり ゆらゆらゆれて正常になるのだろう。治療が始まっているので後はゆっくり治るだけ。自分のペースで過ごせる専業主婦でよかったよ。
2007/08/18
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なんだかな~で 悶々としていた日々にさようなら。この無気力さの原因判明。「橋本病」だった。薬を服用して10日。徐々に頭が冴えてきた。と、いってももともとボケ体質。頭が冴えるというよりは目が覚めつつあるというところか。病院の先生によれば一ヶ月もすればかなり楽になるらしい。良くも悪くも薬がよく効く体質のようで 少しずつ楽になる実感が・・・。このブログ 閉鎖しなくてよかった!
2007/08/17
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今日は大好きだったおばあちゃんの二七日(ふたなぬか・・・2週間)。写真のおばあちゃんは今にも話し出しそうに微笑んでいる。数えの93歳。戦争を潜り抜け 女手一つで子供を育て 苦労もしてきただろうに 幸せだったと常に言っていたおばあちゃん。私も人生を終えるそのとき 残される人に「幸せだったよ。ありがとう。」そう言って幕を下ろしたい。なんてね。それにしても 顔が変形する前に写真を撮っておけばよかったとつくづく思う。もっとも長生きをする予定だから どっちにしても若すぎて使えないか。うふふ。
2007/03/17
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12年前の今日は 阪神大震災早いなー。それが実感。娘が避難グッツ用意しといたほうがいいかもと言いだした。少しずつ災害用品としての備蓄が少なくなって 今ではペットボトルの水さえ蓄えていない。思ったときが行動を起こすとき。次回からのお買い物ツアーのとき一品ずつでも揃えていこう。1年前の今日は手術のための再入院年末年始一時帰宅をする前 手術はしたくないと先生に駄々をこねていたけど もうまな板の上の鯉だわと笑顔で入院しったっけ。1年って過ぎてしまえばほんとに早い。いまだに 唾液障害と味覚障害 それにほほの腫れと噛むことの難しさ。ほかもろもろあるけど まっ 生きていることの代償とすれば小さいこと。1月17日は思い出深い日。
2007/01/17
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おばあちゃんが年末にノロウイルスにかかり、その後の食欲不振脱水症状もあり年明けより入院することになった。去年・一昨年と同様24時間付き添いをして欲しいということで、前々日より病院に泊り込んでいて 当日は一切かまってやれなかった。彼氏のいない娘のアッシー君は主人。病院にも顔を出しておばあちゃんにお披露目。覇気のなかったおばあちゃんの顔が輝き 帯をなでながら「綺麗ねー」と声を発しだした。九州から来てくれた姉と交代で家に帰ったが、すでに娘は友人たちと夜の街に。おばあちゃんの状態もよく 娘が楽しく今日の日を過ごせることを嬉しく思う。思えば未熟児で生まれ 一ヶ月ほど娘だけ病院暮らし。元気に育ってくれて 何よりの親孝行。雪が降り窓から見える竹林に一句 竹林に 白き天使が 舞い降りる成人式の娘を見て一句 晴れ着着て 酒が飲めると 二十歳の娘(こ)*すいません 実際はもっと早くからたしなんでいました おばあちゃんの病室で暇に任せて詠んだ句でした。
2007/01/15
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年の始めの1ページはやはりお屠蘇でしょう。元旦のひとこまあのねのね美容院?で娘のヘアーセットと着付けをして神社に初詣自宅に戻りお屠蘇を頂く口の中がぴりぴりやがて胸が熱くなる「お~ぉ お酒だ!」
2007/01/01
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連日の不調。これって更年期かも。今まで更年期障害には縁がないかもと思っていたけど どうも真っ只中のような気がしてきた。なんといっても冷え性。真冬でも素足で平気だったのに 今はスキー用といっても良いくらいの厚手の靴下を履いている。もちろん、持病の股関節から始まる足全体の痛みの緩和のためにはいたタイツもはずせない。もともと目も弱かったんだけど 眼精疲労が出やすく治り難い。パソコン画面を見るのがつらくなるのが難点だ。肩こりもある。今年の手術の際、リンパ腺も3本取ったから仕方がないけど・・・。??これは更年期から来るものとは違うかもしれない??。それに とにかく眠い。一日30分程度の昼寝はボケ防止になるらしい。それ以上は逆効果だとか。じゃあ私は大ボケになるではないか。去年11月に受けた動注が体にこたえ すっかりホルモンのバランスを崩してしまった。楽で良いわと思っていたが・・・。しかし、 この程度で更年期が過ぎればありがたいこと。のんびりのんびりいきましょう。
2006/09/27
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大学病院受診日。教授の診察は急用で診てもらえず、代わりの先生が診てくれるという。なんとその先生は私の大好きな女医のT先生。外来では、退院後、一度もお目にかかれなくて寂しい思いをしていたので本当に嬉しかった。前回の血液検査の結果をカルテを私に見せながら説明してくれた。中でも一番嬉しかったのが腫瘍マーカーの値が徐々に下がっていること。1.5が境界線。1.8から1.5になり1.3 今回は1.1。バンザイ!!「今のところ上手く制御できてるね」と、言ってくださった。ほかにはコレステロール値が高いこと。唾液障害があるためマヨネーズの油分で幾分食べやすくしていたのがあだとなったようだ。白血球は少なめ。食べ物で気をつけると告げたら 先生は笑いながら「くよくよしない・ストレスを貯めない・疲れない・よく食べ・よく眠ること」 だって。な~んだ。 先生には確認しなかったけど これってぐうたらの勧め?。
2006/09/20
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お嬢の20歳の誕生日。ここでようやく秘密のお買い物をプレゼント。それは、ダイヤのネックレスとピアス。我が家の経済状態では大きな石も高級品も無理だけど本物の証として鑑定書つきのものを選んだ。一生のこるもの 年をとっても身につけれるもの。そして何より 自分らしく輝いてほしいという願いをこめて。入院しているおばあちゃんのお見舞いと、介護のため九州から来てくれている姉の激励のために姉の娘たち2人が東京から来てくれた。おばあちゃんの退院をまじかに控え心軽く誕生日が迎えられて良かった。久しぶりに賑やかな誕生日。食べきりサイズのケーキにドンとロウソクを20本立てなかなか豪華?。おなかが空いてたのか 暇だったのか せっかちな主人は早々とロウソクに火をともしだした。テーブルの用意が済んでいないというのに・・・。あわててカメラを取りに走る娘。ロウソクが解けるからとあわただしく歌ったハッピーバースデイの歌。拍手とともに一気にろうそくを消し またまたロウソクの臭いがケーキに移るとあわただしくロウソクや落ちたロウを取り、冷蔵庫へ。どたばたの中かろうじて撮れた写真が一枚。私の体調のことを考え 本日のメイン・ディシュは宅配ピザ。完全なる手抜きだけどシャンパン片手に話が弾み 楽しいひと時。しっとりと20歳を迎えるのも良いけど この賑やかさはまた格別。これからの大人としての人生に 幸多かれと祈ります。
2006/09/17
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主人と買い物に出かけた。数日後に控えた 娘の20歳の誕生日プレゼント。何を買ったかは *秘*密*。
2006/09/09
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雨の日。忙しい日が続いたので、今日はのんびりしようと思っていたら明日午前中に 4人分+アルファーのお弁当を 病院に差し入れすることになった。晴れの予測の明日に 残しておいた洗濯をあわてて始めた。その後、少々昼寝。起きるときの体のだるさに 閉口する。何気なく読んだの副作用の一つに 痛み止め(ロキソニン)は「体がだるくなる」と書いてある。「体重増加」とも書いてある。そうなんだ。ここ数日で、あれよあれよと体重が増え 38kgになりあまり動けなかったので体重が増えたと思っていたが、薬の副作用だったのか?どちらにしても 非常に嬉しい。しかし、副作用が出ていることは 免疫のことを考えたらよくないのではないだろうか。痛みもだいぶ和らいだので 痛み止めの薬は止めることにした。あと2kg。自力で体重を増やすぞー!!
2006/09/07
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今日は大学病院受診日。病院に向かう車の中から大きなリュックを背負った青年が見えた。昔、特に北海道では大きなリュックを背負った多くの学生が旅をしていた。なんて娘に話しつつ 彼とすれ違った。「・・・・・・・・」「ギャハハハハハハ」なんと リュックと思ったのは段ボール箱を2つ重ねて背負っていた。中身は水。Tシャツと半パンではあったが どう見ても青年とは言いがたい。あまりの勘違いに二人で大爆笑。なれないおばあちゃんの介護で 疲れの溜まっていた娘に力が甦ってきた。笑いは最高。体中に酸素が行渡ったのだろう。3週間前から違和感を覚えていたのど。どうも痰が切れにくい。と、言うか 痰を出してもいつものどはゼロゼロ状態。それも右側の一部分。だんだん大きくなっていくような。教授が耳鼻咽喉科の受診を勧める。紹介状を持って耳鼻咽喉科へ。鼻から管を入れての検査を受ける。緊張気味にその時を待っていたら 先生が「あれ? 何か落ちましたよ」拾い上げてくれたのは、あれ恥ずかしや 足の親指の包帯。「あっ すみません。足の包帯です。ゆるめに巻いていたので取れてしまいました。」自分のどじ加減に 下を向いて笑いを噛み締める。以前受けた胃カメラの検査ほど 笑いのつぼにははまらなかったが 嫌になちゃう。「鼻で深呼吸して」「はい ごっくんして」「はい あ~~と言って」手は グーをしていたけど 先生が上手なのか それとも 足の痛み止めを飲んでいたせいか ぜんぜん痛くなかった。もちろん 管を入れる前には軽く麻酔をしていると思うけど 先生によっては痛いと聞いていただけに 嬉しかった。結果は、放射線を浴びているので炎症を起こしやすい。炎症を起こして腫れて皮が延び、その刺激でさらに咳が出てまたまた皮がのびる。教授は、時々私の声がいつまでもかすれていることを気にしていた。紹介状にも、そのことを書いてくれていたのだろう。「声帯ものども心配するような所見は見当たらない。」なんと嬉しいお言葉でしょう。炎症を抑え、たんの切れを良くする薬を処方してくれた。最後に血液検査をして帰った。予定外の耳鼻咽喉科受診と血液採取で 時間が大幅に遅れたのでK病院で交代を待っている 母を介護中の兄に電話をしたら 今日のお昼から常食を試してみることになったそうな。なんだか今日はラッキーデイ。
2006/09/06
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昨日のカイロ作戦 本当に気休めだった。シップ薬を6枚貼って寝たがやはり痛い。市立病院で診てもらった。足の親指を痛めてかばうため筋肉痛が一気に出たのだろうとのこと。そうなんだろうか?股関節・膝・足首・筋・筋肉すべてが痛む。レントゲンの結果、股関節は仕方ないとして ほか膝や足首に異常は見られない。爪をはがしかけてかなりの日数が経っているのに 今頃?納得は出来ないけれど シップ薬と痛み止め・胃薬を処方してもらい様子を見ることにした。
2006/09/05
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一昨日より持病の股関節の痛みが出ていた。股関節・膝・足首。関節だけではなく悪いほうの足全体にわたっての筋肉痛。いすに座っても床に座っても痛みが強い。横になったときだけ痛みが消える。足の親指の爪を傷めて約半月。ずっとシャワーで済ませていた。体が冷えているかもと久しぶりに湯船に浸かった昨日と一昨日。至福のときではないが ジンワリ体がほぐれてくるのが判る。しかしそれもほんの一時期。また痛みで動きずらくなる。娘の手や足を借り家事をこなした。そうだ 今日はタイツをはこう。体を締めてはその刺激でさらに痛みが増しそうなので主人のタイツをはいた。足首は先を切った靴下を履き(包帯を巻いた親指を出すため)おまけに3箇所カイロを張る。夏らしからぬ格好。さすが遠赤外線?じわじわと痛みが軽くなってきた。すっかり痩せて皮下脂肪が少なくなって お蔭で股関節の痛みが出ないと喜んでいたけどその分、冷気には弱いらしい。空気がほんの少し秋めいてきたせいか。からっとした晴天だけど 家事のほとんどをパスして痛みが楽になることに専念しよう。と、言うことは DVD観放題デイ。あ~ やっぱり私ってずぼら主婦。
2006/09/04
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今日は燃えるごみの日。生ごみに関してはこの時期かなり臭うので気をつけているつもりだったが大失敗をしてしまった。爪楊枝の先で穴が開いたのか。それとも袋自体に何かで穴が開いていたのか。水切りが十分ではなかったんだろう。一時的においた玄関はすばらしい臭いで充満。ゴミ袋をのけたら・・・。 ハアー。何度も雑巾で拭いて 消臭剤を振りかけて。玄関前から道路へと水で洗い流し 仕事を自分で増やしてしまったわ。
2006/09/04
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クーポンを利用してハンバーガーのえびフィレオを食べた。パン・サラダ・エビのフライとして。ぷりぷりの食感。ようやく味覚が戻りつつある。大口を開けてかぶりつくのは今後も無理だろうけど「たべたど~~」という感じで嬉しかった。次は完食を目指そう
2006/09/03
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Tさんから手紙が届いた。去年11月病名は違うものの同時に治療を開始したいわば戦友?7月・8月体調を壊していたが、ようやく回復し 今はパソコン教室に通いだしたとのこと。また、秋風が吹くころには好きな釣りにもいけそうだとか。Tさんは目標を持って生き生き生活しているのだろう。友というには失礼に当たる方だけど 元気な言葉を聴くと嬉しくなる。私もその仲間入り。体の不調は時間がかかるが 心は元気にいようと思う。
2006/09/02
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目標・・行動を進める際に、実現・達成をめざす目印夢・・・・希望的観測を持って考える目標自分なりに解釈すれば上記のようになる。私の一番の目標。それはなんといっても5年生存率という呪縛から逃れること。そうだ!。 5年がクリアーできた暁には旅行に行こう!場所はオーストラリア。 2週間ほどの長期ステイ。 どうでしょう。そのときには、簡単な英会話を覚えて英語でしゃべってみよう。シビアな生活をしている今は 現実化は?マークだけど 「夢」ということでリストアップ。娘曰く旅行は良いとして英語でしゃべるのはかなり無理っぽい。そう 人前で歌えない恥ずかしがりやの私。まして「ジス・イズ・ア・ペン」の世界のまま進歩の止まった脳。甘すぎる考え。 だからこそ≪夢≫なのだ。いざとなったら 代わりにしゃべってくれる辞書も売っている。いやいや 聞き取りが出来ないから 日本語の通じるお店を渡り歩くことも出来る。ストレスを感じるほどの目標や夢は 体に悪影響。ケセラセラの夢の英会話。待てよ。ということは、股関節の手術をしなければ今の自分の足では旅行なんてままならない。いつ手術を受けるか。もう少し食べれるようになって体力がついてから。そして、娘が学生のうち と なれば来年か再来年。再度待てよ。7月田舎に帰ったとき、一度も外国に行ったことのない両親が、「韓国に行ってみたい」と言っていた。福岡に住む両親には高速艇で3時間ほどの国。「そのうち行こう」という私に「そのうちじゃ遅いよ」80を過ぎた両親も私もあまり先延ばしにはしないほうが賢明。とすれば来年韓国旅行か。両親相手だと杖をついての行動もちょうど足並みがそろって良いかも。親孝行も出来る時にしておかなければ。鬼が笑うような年月の目標はこのくらいにして 今年の目標を立ててみよう。そろそろ花を植える準備を始めよう。雑草の住処となったプランタが あっちこっちにごろごろしている。春は何もする気がなく チューリップやフリージャーの球根のみ掘りあげていた。秋は何を植えよう。行動範囲の狭い今の私。また、花の写真を撮り始めよう。先月娘と映画に行った。楽しかった。そうだ 毎月一回映画に行き食事をしよう。だだし、映画館に足を運んででも観たい映画があればだけど。順を追って 目標・夢の整理をしよう 今年・・・きれいな花を咲かせる。 写真を撮る 月に一回映画を観に行く 来年・・・両親を連れて韓国旅行 再来年・・股関節の手術 4年先・・スムーズに歩けるようにリハビリに励む 5年先・・夢のオーストラリア旅行なんだかんだで日常の感覚が甦ったみたい。文章にするって良いかも。今まで何をうじうじしてたんだろう。 不・思・議。短期中期の変更可能な目標設定これにて終了。(逃げ道を用意するって凄いでしょ)いずれ長期の目標も考えてみようと思っている。2日間の自分自身による自分のためのセラピーを終わります。
2006/09/01
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なんだか日々空しくて 惰性で生きて居るような。せっかく助けてもらった大切な命なのに。体力保持だの体重増加のためだのと 口実を作ってはだらだらと過ごす自分が腹立たしくさりとて主婦として最小限度のことしかしない矛盾だらけの私。笑ったり、おどけたりはしているけれど 心の底ではもがいている。あ~やだやだ こんなんじゃ人生つまんない。そこで、自分自身でセラピーを試みることにした。自分の気持ちを見つめなおすことが回復への道と信じて。今の自分の嫌なところは? やる気・根気が出ない。興味が持てない。感動することが少なくなった等等。 以前はおばちゃんなりに気持ちの張りがあったような 「そんな日もあるさ」と、数ヶ月。 そんな日ばかりになっちゃった。何時から? 何時から?何時からだろう? 2月の中旬に退院して 飲む抗がん剤の副作用に4月の中旬まで苦しんだ。 少しずつ体調が回復してきた時に 共に病と戦った友がこの世を去った。 心の整理は済んだつもりだったのに その時から空しさが始まったのかもしれない。体調・心理面で思い当たることは? *先に書いた友の死。 年末年始の一時退院を含め約3ヶ月。 時には筆談で語り合い励ましあってきた。 まさかの訃報に愕然とし、どうしようもない悲しみと共に 5年生存率という言葉を身近に感じた *再発・転移の恐怖 去年8月に発症、市内の病院を経由して9月末医大診察時はステージ2。 治療を開始した11月中旬ではすでにステージ3になっていた。 その悪性度から 化学療法+放射線治療さらに外科手術を受けた。 これで終わりかと思ったら退院後に 再発・転移の予防に錠剤の抗がん剤を 飲むことになった。 予定では2年間。とりあえず1年飲んでその後考えようということでスタートした。 副作用は少ないらしいが私にとってはきつすぎた。 2週間飲んで1週間休み さらに2週間飲んで・・・ギブアップ。 飲み続けるリスクと飲まないリスク。 私は後者を選んだ。より自分らしく生きるために。 *顔の変形。 躊躇したが結婚式出席のため田舎に帰った。 老いた母が私の顔を見るなり「かわいそうに そんな顔になってしまって」と、 涙を流した。唇から頤を通って顎のライン、そして傷跡は耳の後ろまで続く。 片側の骨は上あご下あごの一部から顎関節のあたりまで切除。 もちろん片側の顎の筋肉もない。ほほの肉も。 代わりに顎には腹筋を巻いたチタンプレートが入っている。 口腔内のほほからのどの奥にかけておなかの皮を移植。 うふっ まるでサイボーグ。 なので、まだ腹筋の収縮が残っていて ほほがこけているのにこぶとりばあさん。 あともう少し腫れが減ってくれたらいいんだけど。 *口腔内の不都合 ようやく味覚障害が治りつつある。唾液障害はまだまだだな。 痰も一時期ほどではないが出る。 説明はしにくいがもうひとつ小さなのどがあるような違和感。 水を飲みながらもうひとつののど?から同時に空気が漏れる。 溺れるような感覚。 ずいぶん慣れたが飲んだつもりのサプリメントが小さなのどから戻ってきたのか 移植した皮膚の奥に潜んでいて・・・。 そうそう 噛むことも難しいところがあるな。 *なかなか体重が増えない。 少しずつ食べる量が増えてきたが いまだに36キログラム。 抗がん剤の副作用で体重が減った時は33.7キログラムだったから増えることは増えた。 でも、不満足。 目標40キログラムでバイクに乗ると決めている。 *股関節の痛み これは持病。せめて股関節でも良かったらもっとはつらつ動けるだろうに。 のろまな亀さんが行く状態。うっとうしさに拍車がかかる。 ただ、今は体重が軽いので痛みはさほど出ない。 たまには良いこともあるもんだ。 *その他もろもろ元来「まっいいか・ケセラセラ・なんとかなるさ」のお気楽主婦なんだけどこうして書き出してみれば 結構それなりに深刻ではないか。深刻そうだがこれらのことは私の中で消化は出来ているつもり。たとえば 生存率や再発・転移に関しては思い煩わないことにしている。ネットや本によれば ステージ3の場合生存率が40%~60%台が多かったように記憶している。だからってどうなの?。99.9%の生存率でも残りの0.01%に当たるかもしれない。反対に0.01%の生存率でその幸せな0.01%に入れるかもしれない。再発・転移にしても然り。先のことは誰にも分からない。織田信長の時代では人生50年と言われていた。その時代で言えばおまけの人生ではないか。いや、今の私は周りの人たちに支えられておまけの人生を生きているのかもしれない。ならば、もっと心に張りをもって生きたい。なのにどうして気力が?と堂々巡り。そのほかの事柄も 時間経過とともに少しずつ改善されるだろうからと ケセラセラ。どうすればもやもや状態から抜け出れるのか。どうすればもっと積極的な気持ちになれるのか。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。一日遅れの夕刊を読んだ。目が覚めた。それは松井秀樹の「目標と夢を持って、常に自分の足元を見詰ながら頑張ってほしい」。高校球児たちとの対面の際の激励の言葉。この言葉、私の胸にも留めておこう。私に足りなかったもの。それは「目標と夢」。ただひとつの目標だった40キログラムがなかなか達成できなくて より落ち込みがきつかったのかもしれない。次の一歩がどうしても踏み出せなくてもやもやしていた。霧が晴れたように一筋の光が見える気がする。どこに目標を置こう。どんな夢を描こう。久しぶりにわくわくしている単純な私。次回に続く・・・なんちゃって。
2006/08/31
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昨日の来客用お布団の片付け・・・パス。洗濯・・・パス。掃除・・・パス。夕飯の用意・・・残り物にアレンジを加えるのでほとんどパス状態。お風呂の用意・・・今日はシャワーにするのでパス。昨日わりとよく動いたので今日はご褒美とばかりぐうたらを決め込んだ。本日のお仕事・・・食器洗い。なんと幸せなことか。食べては横になりテレビ三昧。映画を観たりとろとろと居眠りをしたり。発見したこと。一日のぐうたら生活で体重が1kg増えた。バンザイ!!これからも時々ぐうたら生活をしようと心に決めた。家族も大賛成。ただし、大きな顔でそれが出来るのも体重が40kgになるまでかな?
2006/07/29
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よくセールスから電話が掛かってくる。しかし今日の電話には参った。電話番号非通知で掛かってくる電話にはこちらの苗字は名乗らないことにしている。「はい」「○○ですが」「はい」「・・・・。若奥さんいらっしゃいます?」せっかくの想像力。乗っかってあげました。「いいえ」「では、また電話します。」「はい」早々に切れた電話。助かったんだけど心中複雑なり。今回の病気になる前は反対に「お母さんいらっしゃいます?」なんて聞かれたこともあったのにな~。どこまでも通る声だったのにすっかり変声期を迎えてしまった。そこでハッと気がついた。せっかくのこの声。「嫁が居ないので私にはわかりません」と相手に言えば問答をしないで楽に電話を終わらせることが出来る。なるほど これぞ私の「アハ体験」悪いことばかりじゃないね。
2006/06/16
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この場所では闘病と無縁の世界で遊ぼうと思った。ところが、思ったとたんに何も書けなくなってしまった。それだけどっぷりと病に漬かっているということか?自分では結構のんきに暮らしているつもりだけど どこかに吹っ切れていないところがあるんだろうな。そこで 「あるがまま・なるがまま・思うがまま」の3まま作戦決行。もともと「まッ いいか」でかたずけてしまうお気楽主婦。すでに「3まま」ではあるのだけど それに磨きをかけることにしよう。今思うこと。ワールドカップオーストラリア戦 残念!!昨夜おつまみ片手にビールを飲みながら応援している主人と娘。お酒の飲めない私は「おいおい まだ19だろうが」。あと数ヶ月で20歳になる娘に小言を言いながら アイスクリームを口に運ぶ。まるでお祭り気分。飛んだり跳ねたり頭を抱えたり・・・。次回のクロアチア戦 ぜひ勝利を。
2006/06/13
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イチゴの実が色づき始めた。 去年植えた苗は 入院中も元気に育っていた。 ほんの6株だけど収穫が楽しみだ。
2006/05/11
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雨の降り出す前にと小さな庭の草抜きをした。雑草のなんと勢いのよいことか。そこにお隣さんが声をかけてくれた。手には昔懐かしい「ぽんぽん菓子」。12~13年前だったろうか近くの公園におじいさんがぽんぽん菓子を焼きに来ていた。好みの穀類とお砂糖を持っていったら数百円で焼いてくれる。お米と玄米を頼んだ。玄米が香ばしくとても美味しかったのを覚えている。2回焼いてもらったきり今ではまったくぽんぽん菓子やさんを見かけることはない。お米で出来た素朴なこのお菓子。お茶でも飲みながらゆっくり味あうことにしよう。
2006/05/09
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そろそろ眠りから覚めて活動開始しようかな。
2006/05/08
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明日からまた入院生活。色々悩むところがあって心が揺れていた。でも、やはり完治を目指すには今手術をすべきでは無いかと思う。どうせ全身麻酔。目が覚めれば全てが終わっている。後は痛みに耐えるだけ。で、済めばいいんだけど・・・・・。ライフ・オブ・クオリティがな~。いやいや 命あればこそ。なんて うじうじ・・・・・・・。はい! 決めました。もう後ろは見ないで入院します。3月中には退院できるのでは。退院したら ぼちぼちと闘病日記をまとめる予定です。行ってきます。
2006/01/14
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夜明けの街はバイオレット黒から灰色そしていつもの街並みが顔を出すと想像していたけれど実際はバイオレットカラー やがて昇ってきた朝日に雲が彩られ マンション群に表情が出て日々の営みが始まる体調のいい日も悪い日も毎日時間が経つのも忘れて眺めていた景色です。
2006/01/10
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元気です2週間何をしていたか。ひたすらごろごろしていた。白血球が通常の1/2~1/3に減少してしまったため白血球の増産?に努めていました。(物の本によれば骨を横にしないと白血球はできないとか)毎年のように寝正月にあこがれていた私。今年はまさしく寝正月。台所に居ようものなら娘に「寝ろ!」と、追い出される始末。ならばと お布団の中でテレビ三昧 DVD三昧。娘よ 悪いわね~。こんなに楽して。病院では12月の半ばまで半そでのTシャツで過していた。常夏のような病院から寒さ厳しき家では体調を壊してはいけないと床暖のある客間にお布団の用意をしてくれていた。補助暖房としてエアコンや電気ヒーター。乾燥しては風邪を引きやすくなると加湿器。なんと至れり尽くせり 女王様気分。ただ難点は ランケーブルが届かない。いまだに有線ランという時代遅れ。それもいいか。今大事なことは再入院に備えて体調を整えること。一時退院して2週間。むずむずと虫が騒ぎだす。体力が付いてきたということか。退院時 体重36kg ウエストサイズ53~54cmスーパーモデル並みじゃございませんか。但し、身長150cmのおちびさん。(骨も細いからそれなりにお肉は付いている)放射線による喉の痛みと味覚障害・唾液障害で食事が取りにくかったから痩せるのも当然のこと。この2週間で 全く声が出なかったのが美声とはいえないけれど何とか理解してもらえるほどに回復。味覚障害も軽くなり 味はさっぱり分からないものの何とか水の力を借りて飲み込むことが出来るようになった。楽をしているのと食事が取れるようになったことで体重も1.5kg増加。フムフム いいんじゃないの。今、目の前で娘が食事の用意をしている。やはり娘はありがたい。パラサイトになると言っていたがなんだか私がパラサイトのよう。
2006/01/09
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今日から昼寝三昧・上げ膳据え膳。リラクゼーション(?)の旅に行ってきます。早く治療を開始して欲しかったので 入院するに当たっての感傷はさほどなし。家族には申し訳ないと思うけれど これで治るという喜びの方が大きい。多分年内には帰れるのではないかと思う。それまで 別荘暮らしを楽しんできます。
2005/11/15
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慌しく過した数日間。いよいよ明日は入院だ。そこで 入院生活を快適に過すために色々なアイテムを用意した。1.水彩色鉛筆旅行会社が8色の携帯用水彩色鉛筆を送ってきた。仕舞ったままにしていたが病院に持っていくことにした。全く絵ごろがない私。下手も味のうち。図書館で「水彩色鉛筆の描き方」の本を借りてきた。ところがそれを見た娘。24色の水彩色鉛筆を持って行けと言う。「実際描くか分からない。ムニャムニャ・・・・・」自信が無いとはこういうこと。言葉まで腑抜けになってしまう。2.世界遺産の本病室にあっても心は自由に旅をする。3.良く分からない変な本手にとって思わず笑ったおかしな本。笑うことは免疫力を増してくれる。4.ミルサー太鼓判を押された口内炎。ならば対策を考えよう。なるべく点滴に頼らず自力で食べようと思う。ミルサーで離乳食。それが無理ならお水で薄めて流動食。この考えいかが? 5.携帯電話パソコン・携帯電話等の電気製品の使用禁止になっているけど場所によっては使用可能なところがあるので やはり持ち込みたい。6.MD、ラジオ、お手紙セットうふ 準備万端。もう一つ大事なものを忘れていた。7つ目は髪の毛が抜けたときのために変装用かつらと帽子。年はとっても少しは乙女心が残っているので・・・えへへ。
2005/11/14
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一日も早く治療を開始して欲しかったので入院日が決まって安心した。最初は口腔外科に行き診察の後入院の予約をする。紹介状を書いてもらい放射線科を受診。治療方法を説明してもらう。やはり足の付け根の動脈よりカテーテルを入れて患部のすぐ近くまで行き抗がん剤を投与。時間は2時間を越えるらしい。当日は絶対安静。翌日は動けるとのこと。口内炎は出来ますと太鼓判。吐き気は個人差があるけれど緩和することが出来るし、様子によっては腕からカテーテルを入れることもある。血液の固まりにくい薬を使い血液の塊が脳に飛ばないように細心の注意を払って治療に当たってくれるという。ありがたい。いい患者になりますと先生に約束をした。《なんのこちゃ》
2005/11/09
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とうとうこの日がやってきた。どちらかといえば楽天家。あまり胃が痛くなることはないんだけど今日ばかりはしくしく痛い。1、衣類を緩める。2、胃の緊張を緩和する筋肉注射をうける。(結構痛い)3、ゼリー状の麻酔薬を口に含み3分待つ。(非常にまずい。口から出すだけで「おえー」となるし舌まで痺れる。)緊張したまま検査室に入る。狭い部屋に 1・2・3・4・・・・・なんと8人もいる。さすが大学病院 全てが研修なのだと妙に納得。検査用のベッドに横になり唾は飲み込まずに出すこと。鼻から大きく息をすること。リラックスすることなど説明を受け 胃カメラを見せてくれた。黒い管の先にキラキラと美しく光り輝くものがある。胃カメラは小さくなったとはいえまだまだ大きい。「今から始めます」の声を合図に目を閉じる。喉の奥 何か当たった気配に「オエー」の連発。「○○さん 目を開けて。目を開けといてくださいよ。」目を開けて驚いた。私の目の前に胃カメラが揺れている。マウスピースをくわえたまま大笑い。「どうしましたか?大丈夫ですか?僕何か変なことしましたか?」さらに私の笑いのツボを押しまくる。自分の滑稽さに笑いすぎて涙まで出てきた。検査中の失敗マウスピースの変わりにカメラの管をしっかり噛んでいた。 胃カメラが奥に入らず先生気が付く。マウスピースを口にしっかりくわえた代わり 舌と上顎で管を挟み込んでいた。 先生の「動きが悪いなー」のつぶやきに気が付き管を開放。検査の結果 食道に異常なし。胃は炎症やポリープがあったものの普通の人にもあるようなもので心配はいらないとのこと。一安心。元論、検査の後、爆笑の理由は先生にお伝えし、非礼をお詫びしました。検査後10時間近くたとうというのに まだ喉が痛くひりひりする。喉に傷でも出来たかな。体のつくりが貧弱に出来ているので 血管だけではなく食道まで細かったのかもしれない。難儀な患者でごめんなさい。
2005/11/08
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体が軽いって素晴らしい。バイクで風を切って走るおばさん暴走族。。。のつもり。風が気持ちよくってね カメラを持ってこなかったのが悔やまれるほどお天気が良い。おまけに紅葉で・・・。青い空 木々は色ずき赤や黄。常緑樹はさらに緑を増して・・・なんて美しいんでしょう。この地球守らなければいけないな。と、思いつつアイドリング。人間が甘くできているので思考と行動が一致しないのだ。
2005/11/07
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今日も寝た。ひたすら横になる。夜は外食。焼肉を食べに行ったがパクパク食べれずユッケを食べた。美味。夜になって力がみなぎる。明日の朝が楽しみなくらい体が軽い。明日に備えてまたまた寝る。
2005/11/06
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