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私は基本的に子育ての本を読まない
たいていが子どもの立場に立って書かれている気がしないから
でも、最近自分の子育てについて分析をしていて
自分が何を見て子育てをしているのか興味があった
今日子ども達と図書館に行ってふと見つけた本・・・
かなり、しっくりいった
シュタイナーという人は好きだけど
書かれている本の中や唱えている人の中には
どうしても行動にとらわれていて
シュタイナーが本当な何を伝えたいのかが
よくわかりにくい物が多く(私の能力では読み取れなかっただけですが)
自分自身でシュタイナーとチャネリングできたらいいのにな~なんて思っていました
ここに書かれていた
シュタイナーは「じぶんがなにかをしたい、という内側からの気持ち」
をとりわけたいせつなものと考えていました
という言葉に
そこをどう育てるか
おとながどう守るか
ってことのように思います
私はよく親ができることなんてたかがしれてる
って言います
行動でしてあげられることには限界があるってこと
でも、
内側の気持ちを守ることに関してはどこまでも努力していいと思っています
それがなぜできないかは自分の親との関係がまだ解決していないからであり
子どもとの問題が自分の問題だということに気がついていないからだと今は解釈しています
私自身がなぜこんなにも子育てにこだわるのか
ちょっと考えてみて
ずっと、幼初期の傷ついた過去からのものだと思っていました
こんなことすると○○になるよ!
って飛躍の激しい母親と
どうしてみんなと一緒のことができないの?
と、毎日のように私を立たせた幼稚園の先生
そこから逃げ出そうとするかのように子育てを探していると思っていました
でもこの本を読んだ時ふと思い出したのです
父のことを
父は病気で、小さいころはよく入院していましたし
ほとんど遊んでもらった記憶はなかったのですが
叔母が言っていました
父は外食をすると小さな私にお子様ランチを頼ませなかったと
私がおもちゃをほしがらなかったのか疑問の残るところではありますが
父いわく、娘はお子様じゃなくて一人の人間だ
ということだったらしいのです
当然のことながら全部は食べれなかったそうですが
別にお子様ランチかどうかってことは重要ではなかったと思うのですが
父の中にいつも
生まれた瞬間から一人の人間としての尊厳を守りたい
という意識があったんだと
思えてなりません
そんな父のギフトをやっと受け取りつつあります