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いつものように、20連休最後の1日は、あっという間に来た。過ぎてみれば、短すぎる長期休暇、というのは、子どものころの冬休みと何も変わらない。最後の一日、といっても特にやることは変わらない。午前と午後、2回のピアノ。その間に弓36射。散歩など。休み中、やったいろいろなことをまとめてみたい。【弓】狙えるという点で、かなり改善。この射ちかたなら、トリガーレスでもいけそうな気がして、ここ数日HBCに戻している。【ピアノ】『シューベルト即興曲NO2』は、少し遅い速度なら、そう躓かずに通せるようになった。発表会では『夕焼け小焼け・赤とんぼJAZZ』を弾くので、6月の地方予選までには完全に仕上げておく余裕はある。その『夕焼け小焼け・赤とんぼJAZZ』はまだ音を外すところ、スウィングのキレが悪いところがあり、そこを直している。【麻雀】天鳳は、四段昇格以来絶不調。これから朝の半荘をするが、どうだろうか。ラスを引くことが多い。など、三大趣味の話でした。
2025.01.14
今朝は4時に目が覚めた。それから5時近くまで、寝床でごろごろ。それから、さっきの記事を書き、朝ご飯。天鳳で半荘、1位でようやく620点になる。などと書くと、あいつはお気楽な生活してていいね、などと思われるだろうが、否定はしない。朝、考えていたのは、今日の予定。最近、歩いてないし、ちょっと生協くらいまでは歩こうか、とか、今日はシューベルト即興曲NO2をまずがっちり午前中に弾いて、午後からは都道府県駅伝、大相撲初日もあるけど、その間に「夕焼け小焼け・赤とんぼJAZZ」もちょっとは弾いて、弓も30本くらいは三階で、などと考えながら、体は動かしている。まず、昨日の洗い物の残りを洗って、食洗機の中の食器を片付ける。それから、洗濯物を一番乾く居間に干してあるので、それを取り込む。それから、朝食を準備した。サラダとウィンナー、ポテト、パンにバターとガーリックパウダーを置いて焼いた。昨日の残った珈琲。サラダは妻の分も作った。大体、朝食は各自、昼食は麺類で自分、夕食は妻という感じになっている。昼食は、昨日の焼き餃子が残っているから、ラーメンでも作ろうか。それから、珈琲を新たに淹れてやっと着替え。珈琲を淹れる間、居間の掃除、まあ、簡単にやった。本格掃除は週1と決めている。家事は、生活そのものであるが、それでお金が入ってくるわけではない。だからついつい軽視されがちだが、仕事もセミリタイアしたし、自分もそれなりにやっている。別に嫌いではない。生活を維持するためには、サボってはいけない営みの一つだ。ひと月も家事を怠けると、たちまちゴミ屋敷になる。
2025.01.12
前回、1月4日の打ち初めは、1位、2位、3位、3位とあまり揮わなかったのだが、昨日、第二戦目。来月は2回の旅行があり、いずれも土曜日にかかるので、せいぜい2回しか行けないので、今月は大会を含めて5回参戦予定だ。さて、昨日の戦績は1位、1位、2位、4位だった。3時間半、半荘4回だった。1位2回は、最初の半荘と最後の半荘。最初は、東2局の親番で、トイトイ・ホンイツ・三暗刻に役・役、ドラ3という三倍満を上がり、後は降り気味に打っての楽勝。7万点を越える大勝ちだった。最後は、オーラスの親まで最下位。そこからしぶとく上がり続け、確か4回目に、中、ホンイツ、ドラ3のハネ満をトップ目の冷えピタから上がり、大逆転のトップ。こういう勝ち方が一番気持ちいい。2戦目に、冷えピタにはトップをまくられたので、一矢報いた快勝だった。3戦目はとうとう4位、ラスを引いてしまった。自摸れば四暗刻で親番のN君にリーチ負けしたのが最後まで響いた。それ以降、配牌、自摸とも低調で、ラス目なのに降りるほかない状況だった。天鳳で、三段から四段に昇格するには、600点から始めて、1200点に到達しなければならないのだが、トップでも確か+30、2位+10、3位-10だが、4位は-70と大きい。つまり、ラスを引かないことが最重要になるので、リアル麻雀でもそれを心がけていたのだが、先週と昨日8半荘で4位が1回、3位2回でー90。1位3回、2位2回+110、つまり+20しか前進していないことになる。その天鳳は今580。三段になってから、ラスが1回、それを何とか回復して原点まで戻ったが、3位が2度続き、この点数。今のところ、自分の打ち方自体は変わっていないのだが、少し考え方の変更が必要になってきている。
2025.01.12
この前も書いたことだが、日銀はついこの間まで「2%の安定的物価上昇には至っていない」と言っていたのに、このところは「物価と賃金の好循環が生まれつつあるが、その動向を見極めたい」と言ってなかなか利上げに踏み切れない。2%という所謂インフレターゲット路線は、もうそれを越えて現実化してしまったということになるだろう。賃金上昇も確かに続いていて、大卒新入社員初任給が30万を超すところも出てきた。「景気」は「気」である、というのはよく言われる言葉だが、それは高度経済成長期の「隣の車が小さく見えます」などというCMにつられて、ついつい軽自動車から大衆車に、大衆車から小型車に、そして「いつかはクラウン」という具合に、人生のステップアップとともに、消費のレベルをあげていくことが幸福である、と皆が信じていた時代の「気分」のようなものだ。ところが、今の日本の状況は、まったくそれに当たらない。何よりも、団塊の世代がすべて後期高齢者に、ポスト団塊世代の多くが高齢者になっていて、依然として人口のボリュームゾーンを形成している「超高齢社会」は、「隣の車は免許返納でなくなってしまった」という時代なのだ。この世代の主たる収入である年金は、マクロ経済スライドという仕組みで、決して物価上昇にも賃金上昇にも追いつかないことになっている。ほどほどの年金とアルバイト程度の収入があっても、自分の人生がステップアップなどしないことはよく分かっているのだから、この世代の消費は年を追う毎に、尻すぼみになっている。そして、団塊ジュニアと呼ばれるロストジェネレーションの世代は、非正規率が多く、最低賃金が上がったから、それなりに懐は潤ったが、老後に関しては希望がまったく持てない。それどころか、この世代の非正規で老後を迎えた人は、新たな社会保障の対象となるだろう。運良く正規雇用となっていても、役職定年制など50歳を過ぎれば賃金上昇もなく、老後のために新型NISAなどの投資を行うのが精一杯で、モノやコトを消費する余裕はあまりない。何より、子育てにお金がかかるので、「豊かさ」を実感している人は少ないだろう。そしてその下の世代となると、これは完全に人口的にはマイノリティである。この世代の一部の人間が「大卒初任給30万」なのだが、それを打ち出した企業は、ごく一部の正社員と多くの非正規雇用で成り立っているのだ。だからこそ、昨年の6,7月、つまり賞与の月を除けば実質賃金は低下を続けている。中小零細企業は賃上げなどできないし、最低賃金が上がっただけで、赤字転落する中小企業はごまんとあるのだ。日銀が利上げできないもう一つの理由は国の借金、つまり国債の償還である。歳出の30%を占める国債償還は、1%利上げすると数千億円増える。だから足元の物価は体感で10%以上上がっているのに、インフレ抑制のための利上げはできないのだ。日本がそういう出口の見えない危うい状況にいるのだということは、あまり言われない。このまま、物価高が続けば低年金高齢者の貧困が加速し、そこから餓死などの問題が深刻化するだろう。
2025.01.11
「It Don’t Mean a Thing, if It Ain’t Got That Swing(スウィングしなけりゃ意味ないね)」というのは、デューク・エリントンの口癖だったそうで、同名のジャズの名盤もある。一昨日のレッスン。先生に、『夕焼け小焼け』の冒頭部分が、どうもリズムが違うと指摘された。それ以来、悩んでいて、何度もゆっくり弾いたり、メトロノームで確かめたり、居間にいるときもテーブルを叩いてみたりいろいろやっていたら、気づいた。自分の弾き方が、もう一つスウィング感が出ないのは、理論的には説明できる。例えば、「四分音符+八分休符+八分音符」という譜面の時、普通の演奏なら「タン・ア・タ」というリズムで弾くが、「♪+♪=3連符」という指定、つまり「スウィング」の指定がある時は、「タン・(タ・タ=3連符の2つ分の休止)・タ(3連符の最後の1つ分)」というリズムになる。つまり、休符部分が1/2ではなく2/3になり、最後の音符も1/2ではなく1/3になるということだ。1/2で弾くと、演奏にキレがなくなる。つまりスウィングしなくなるのだ。そんなことは、分かっているのだが、どうしても休符の後の入りや、速く弾く部分では、キレがわるくなってしまう。曲全体を「タ・タ・タ」の3連符で捉えていないから、ちょっと早く入ってしまい、結果、1/6だけ長く弾くことになってしまう。『夕焼け小焼け』は、小学校唱歌で、原曲のリズムは4拍子、典型的な日本歌謡のリズムだ。そもそも、これをスウィングで演奏するのは日本人の感性には抵抗があるのかもしれない。実際、YouTubeでは、しっとりとしたリズムのままのアレンジが多いし、スウィングのアレンジもあるにはあるが、決して上手とはいえない。だから、あえてスウィングしないアレンジで弾くのもあり、なのだ。実際、もう一曲『赤とんぼ』は、同じジャズアレンジでも、あえてスウィングの指定を無視して、しっとりと弾くことにしたのだ。だが、『夕焼け小焼け』の方はキレッキレのスウィングで弾きたい。同じジャズのアレンジでも、まったく対照的な奏法で弾くと、面白いな、と考えたのである。まあ、これから、テーブルをたたきながら、swing感を体におぼえさせようか。
2025.01.10
FBにも載せたのだが、昨日朝、あと10ポイント(2位以上)で三段というところまできて、1位。やっとのことで、また三段になった。以前は四段までいったのだが、突然IDとPWを要求され、メモも見つからず、というか本当は見つかったのだが、まさかIDが「ID:」から始まるとは思わず、いくらやっても入れなかったので、諦め「新人→9級・・・」と一つずつ昇給、昇段して三段まで復帰したと言うことである。対戦相手から感じる自分の印象では、二段までは結構いるが、三段は滅多にいない。「一般卓」では、四段はほぼいない。四段以上は、「上級卓」で打てるから、みなそちらに行く。有料会員になれば、一級でも打てるのだが、そこまでは、と思っている。1位+30、2位+10、3位+-0、4位-35のポイント制で、昇段するにはとにかくラスを引かないことが大事だ。3位以上なら、マイナスはない。いや、三段では3位-10だったかもしれない。1月の自分の1位率は25%ほど、全体順位は300位台だから、強い人はまだごろごろいるのだ。「天鳳」で基礎練習をして、健康麻雀の最強卓で勝つ、というのが自分の麻雀での目標である。ハコ割れで半荘が終了するから、半荘1回にさほど時間を要さない。打牌時間の制限があり、長く考えることもない。長くなると自摸切りされてしまい、「あ、それダメ!」と思っても後の祭り、ということもたまにある。まあ、ピアノや弓では、技量以上のパフォーマンスはできないが、麻雀は覚え立ての素人でも、運が良ければ勝てる。それが面白いところだ。「天鳳」でも新人が、有段者を食うことは普通にある。そういう中でも、長く打てばやはり技量の差が出てくるのも、それ以上に面白い。四段にはなるべく早く、できれば年度内に上がっておきたい。
2025.01.09
亡くなった母はいつもこう言っていた。「遊ぶためには、健康じゃなくてはいけない。自分だけでなく、家族も元気でなくてはいけない。そして、遊ぶためのお金がなくてはいけない。健康で、家族に問題もなく、お金があっても、時間がなければ遊べない」本当にその通りだと、この歳になると実感する。まず、健康と家族。昨日、年に一度の胃カメラだったが、幸いもう7年前のモルト型リンパ腫は寛解していて、胃カメラでもまったく異常はない。ついでにPSA値も測ったが、前回より数値は微減。生検はやらなくていいことになった。一度MRIを撮るが、前立腺に関しては、大丈夫だろうと思う。首と肩の左前部分の痺れは続いているが、痛みに変わるようなら、もう一度脳外科に行くことになっている。妻も、自分もいろいろな薬を飲みながらの生活だが、一応健康だと言えるだろう。子どもたちは、それぞれ頑張っている。娘も息子も、働き盛りといっていい年齢だ。が、健康は老化とともに少しずつ失われていく。もう、体が悲鳴を上げるような運動はできない。やったとしても、それは遊びではなく、ただの苦役だ。老眼鏡無しでは、活字が読めなくなっている。しかし、これは不健康ではなく、正常な老化だと思う。お金については、これまでたびたび書いてきたように、決して金持ちではないが、そう貧しくもない。倹約するところは倹約して、火水木の仕事もちょっとは足しになって、うまく立ち回るところはそうして、要はやりくりがついている。500万もする新車に買い換えたり、家を建て替えたりはできないが、今乗っているCX5を乗れるところまで乗って、いよいよダメなら軽自動車に乗り換え、二人の生活には広すぎる家は大体の修理は完了しているので、必要な補修だけにとどめる。広いことは悪くない。いろいろな用途に部屋を使えるし、妻とも距離を保って生活できる。ほしい家具はもうない。家電は壊れたら買えばいい。最後に、「時間」。これは、そんなことを言うと、現役の方から見れば叱られそうだが、結構忙しい。例えば、今日は1階の掃除をそろそろしないといけない。昨日は病院だった。午後はJTBに二人で行った。まあ、これは遊ぶための準備だからしょうがない。1月15日から半月は授業がびったり入っている。あと13時間で、今年度の授業は終了する。整形には2回。長年、主治医をしていただいたドクターが病気で閉院となりそうなので、紹介してもらったクリニックに1回は行かないと・・・など、自分の場合、家事、仕事、通院や妻の送迎等の時間は、生活に必要なものだ。しかも、一日は短い。朝、どうしても早起きしてしまうから、夜9時には寝ないと、体がもたない。が、正直に言えば、遊ぶための準備時間、つまりピアノの練習、弓の練習が一番長く、それだって「遊び」の一部であるには違いない。とにかく、こういう生活ができるだけ長く続くように、必要な努力はしなければならないし、するだろうと思う。
2025.01.08
自宅3階で、一日おきくらいに30本ずつ射っている。アウトドアまでは、基礎練習のみ、と思っている。アウトドアになったら、50mで300点は射てるようにしておきたい。目標は、道内どこかの試合で一勝すること。そのためには、エイミングがすべてだと思う。どうやって、精度の高いエイミングを、少し長く保てるか。リリースはその後、自然についてくると思う。仕事もあるし、他の趣味もあるので、なかなか遠征には行けないのだが、幸いなことに、朝は早く目が覚める。火水木以外の朝は、極力、射場に出るようにしたい。理事会の仕事などからは完全に手を引いたので、後は純粋に射つことを楽しみたい。
2025.01.07
エリーゼの道予選が6/2。全国本選が、自分の場合は12/23・24。今年の場合は、全国でジャズポピュラーC部門、クラシックE部門で金賞を獲ることだ。エリーゼ大賞は、クラスを上げたからちょっと難しいかもしれないが、獲れたら嬉しい。そこで弾く曲の練習をこのところ一日2回、1時間半くらいはかけてしている。『即興曲NO2』は二度繰り返される音階的旋律の部分は、ほぼ暗譜しているが、躓くと楽譜を見ないとやり直せなくなる。つまり、完全な暗譜には程遠い。『夕焼け小焼け』はなかなかswing感が出ない。いろいろやっているが、今ひとつ乗れない。『赤とんぼ』はswingをやめて、しっとりと弾くことにしたが、去年の『人生のメリーゴーランド』に比べると、どうしても劣っている気がする。それが原曲のもつ力なのか、こちらの奏法の問題なのかははっきりしない。昨日の植物園のピアノでも、3曲とも弾いたが、『人生のメリーゴーランド』の拍手が、断トツにすごかった。ピアノは、しかし、始めたころと比べると、明らかに腕が上がってきた。今が一番面白いところかもしれない。まあ、エリーゼのコンセプトは「音学ではなく音楽を」なのだから、そう悩まず、楽しむことを第一に考えたい。明日が今年の初レッスンである。ついでにもう一つ、弾き語りはフォーク酒場でやっているのだが、吉田拓郎に加え、浅川マキのレパートリーを増やしたい。ハスキーな低音なので、原キーで十分歌える。何より、ジャズトリオのバックがいいので、そこを何とかしたい。今『今夜はおしまい』というのを練習している。代表曲『夜が明けたら』『かもめ』『寂しさには名前がない』などはこれから。浅川マキの名を知る人は少なくなったし、その歌を知る人はさらに少ない。もう一つは、マイク、カメラなどを探して、YouTubeを開くこと。ピアノでも弾き語りでも。まあ、一人でやる趣味が、そういう場での発表を目指すというのは、年に1回のエリーゼやストリートピアノと同じで、一つの目標にはなる。
2025.01.07
(1)仕事2025年度で46年目の教員生活に入る。最近、教職は評判が悪い。「ブラック」だそうだ。私立の場合、特にそうで、酷いところは本当に酷い。自分の出身校は、当時は道内屈指の進学校で、200人ほどの在籍があったが、三桁の順位でも北大には入った。トップレベルは、東大、京大。今ほど何が何でも「国公立医学部」という雰囲気はなかった。自分は東北大だが、本当は早稲田に行きたかった。が、当時早稲田、慶応でも東北大を蹴って入る人間は稀だっただろう。その母校は、これ以上ないくらい酷い凋落ぶりで、北大ですら現役で数人、医学部も現浪合わせても5人ほど、しかもその中に私立も含まれる。それが、そうなってしまったのは、学歴コンプレックスの塊のような人間が上に立って以来である。中学校を作ってから、急速な凋落が始まったのだが、職場の雰囲気がとにかくよくない。何人も教師が辞めていく、と聞いている。幸い、自分の勤務先はそんなことはない、と思う。自分が校長の時に、残業代がちゃんと出るようなシステムを作った。だが、肝心のベースアップはする余裕もないし、おそらく定期昇給も止まっている。ボーナスは、それこそ中小企業のレベルでしか出ていない。あと1期校長を続けていれば、それは正しただろうが、授業も出来ない校長の仕事は、最低だった。一方、進学等では不振を極めている。元々そんな学校ではなかったのだが、特進を立ち上げて15年くらいの間は、破竹の勢いがあった。その真ん中に自分はいた。3年の担任を何回やったか覚えていないが、おそらく10回ではきかない。酷い退潮が始まったのは、やはり中学を作ってからである。力のある教員が定年などを機に、教壇から去っていった。退潮がどうしようもなくなったころ、副校長になり、校長を務めた、というかやらされた。定年規定のない校長を62歳で辞めてからは、5年間、週20時間のハーフの常勤。その後3年間は非常勤で、25年度は、非常勤4年目ということになる。就業規則では、非常勤の年齢規定も70歳の年度までで、次年度は特例採用となる。まさか、こんなに長く勤めることになろうとは、思っていなかったが、そろそろ教員生活が終わりに近づいているのは、十分自覚している。そういう中で、今年の仕事の目標を掲げておきたい。1.いつでも「最高の授業」をするべく努力する。文章、特に現代文を読む力をつける授業は、ずっと目指してきたことだ。が、すべての「教養」が「ノウハウ」へと変質していく時代にあって、「現代文」の意義は教師にとっても、生徒にとっても分からなくなってきつつある。そういう状況の中で「現代文」という科目はなくなり、「論理国語」と「文学国語」という訳の分からない科目が登場した。小難しい文章どころか、文章そのものを読まなくなってきているのだ。共通テストでは「実用文」という大問まで現れた。嘆かわしいことである。そういう状況でも、自分は今まで通りの授業をさらにリファインして、「読解」ということの面白さを伝えたい。自分自身の読解力は、主として大学院の演習授業で培った。ドイツ語の文献を、じっくりと読むことを通じてである。新年度の授業はまだ決まっていないが、おそらく今年と同じことになるだろう。2.仕事は、火水木の3日間しかしない。この歳で、仕事しかないというのは何か心が病んでいるか、経済的にやむを得ないかのどちらかだろう。自分にとって、仕事はとても大事だし、非常に楽しいのだが、それはこれまで通り火水木に限定することにした。だから、月7、金7の「公民探究(倫理)」もやらない。長年、引き受けてきた「講習」も引き受けない。それは、基本的に専任の仕事だからだ。はっきり言って、後進を育てるなどということは考えたことがない。どう教えても、自分の水準で授業ができるとは思えないし、教えるだけ無駄だと思うからだ。とにかく火水木は、準備を含めて仕事である授業に集中する。どちらにしても、今は、これまで何度も書いてきたように「職業的余生」である。その余生において、自分の幸福を実現していきたい。
2025.01.05
2025年、7月には71歳になる。そんな年齢で、「今年の目標」などという子どもじみたことを考えようとするのは、なぜだろう。「目標を立て、それを実現すべく計画を立て、日々その計画を実行する努力を続け、目標を達成する」という近代の人間中心主義並びに工業主義、個人主義の残滓が自分の精神の内奥に染みついているからだろうか。そして、それを日々老いていく状況に抗うための術としようとしているのだろうか。目標を立てようが、日々努力をしようが、自らの生は突然終わることもある。若いときは、それは「理論上の真理」だったが、今は「実感」である。このところずっと左の首、肩が軽く痺れるが、それは脳梗塞の前兆かもしれない。高校の時から、すでに喫煙歴は50数年。このところ本数は半減したが、やがて肺癌になるかもしれない。首の痺れは、脳外科の診断では、頸椎ヘルニアの再発が原因と言うし、自分たちの世代に「受験は要領」などというベストセラーを現役東大生として書き、今は「60代・・・」「70代・・・」「80代・・・」などという蔦屋で15分もあれば立ち読みできてしまう本を出して相変わらず稼いでいる和田秀樹は、「70代になったら、煙草はやめる必要がない。そこまでいって発癌しないのは、そもそも肺癌を発生する遺伝子がない可能性が高い」などと言っている。そういうことで、安心しているわけではないのだが、とりあえず毎年の健康診断では特に異常はない。そういう自らの状況の中で、実現しないかもしれないが、それに向かって努力する目標を掲げることで、自分はハイデガーの言う「非本来的自己」を生きようとしている。ハイデガーの「本来的自己」とは、「死へと向かう存在であることを理解し、そのようなものとして生きる」自己である。それは「日々刻々、死の意識を持って生きる」ということだろうが、「そんなことはできないね」と思う。できないからこそ、ハイデガーは大学人としてフライブルグ大学の総長という立身出世を遂げたのだろうし、その就任演説で、時局に阿るかのように、ナチス擁護の論陣を張ったのではなかったのか。ここまで書いて、いい加減に疲れたので、具体的目標は明日書くことにする。
2025.01.04
1月2日(木)。3日ぶりくらいに3階に上がって、36射。弓は相変わらずのPSE PHENOMENA。レフティ転向の直後は、弱い弓を譲ってもらって使っていたが、あいにくの迷彩柄。それで、購入したのだが、初心者用。競技モデルとしては最低限のスペックしかない。まあ、自分の腕にちょうどいい。リリーサージプシーは相変わらずで、SPOTHOGGから一番手前のCARTER EMBERに最近替えた。フェザータッチよりはちょっと固めの設定。ついでに、今の射についてちょっと覚え書きを。1.セットアップから弓を水平に持ち上げ、下げながらドローイング。こうすると非力でも40ポンドはまだ引ける。最近その前に背中を反らしてから、頭の位置を固定して引き始めるようにしている。2.フルドローの後、アンカリングの前に、レンズを通して的を見て、予備的エイミングをすることにしている。これだと、ズレが最小になる。3.アンカリングと同時に、最終的エイミング。以前は、そこからズレていたが、今は5mだと少なくともズレない。18mのままのサイトなので、矢は7点のラインに中れば、ピッタリという感じだ。矢は6本揃っている20-12。4.アンカリングと同時に、親指をトリガーに「載せる」感じに置く。指の圧を感じながら、背中の真ん中あたり、肩甲骨を意識していると、「切れる」。絶対に「切らない」。大体、こんなふうに、せめて一日おきくらいには、三階近射を続けたい。
2025.01.03
朝から雑煮、昼は大晦日の蟹鍋に、手をつけていなかったエリーゼ副賞の花咲ガニ(根室花咲港で揚がるたらば蟹)をまるまる一匹分入れたうどんすき、夜はお節の残りをせっせと消化・・・代謝機能は歳とともに衰えるばかりなのだから、体重が大晦日の夜より1kg増えるのは当然の結果である。しかも、「弾き初め」、「打ち初め(麻雀・天鳳)」はしたが、射ち初めはしていない。妻と年賀状を出しに郵便局まで歩いたが、それとて2400歩。たいしてカロリー消費にはなっていないだろう。たとえ30射でも、引いて、狙って、射るという一連の動作は、結構な運動になるのだと思った。
2025.01.02
昨日は、何だか疲れがたまり、昼の間にかなり寝ていた。いつもどおり、夕方からお節パーティ。今朝は、さすがに4時ころ起きて、体調も戻った。それで、駄句を思いついたついでに、ここで今年の抱負(などというほどのこともないのだが)でも書いておこうかと。元旦は、妻とお雑煮をというのが慣わしなので、それは妻が起きるのを待ってのことにした。当ブログも346,000ほどの総アクセス数となり、昨日も相変わらず 「(Ora Orade Shitoriegumo)」の解釈についてが4アクセスで、5,400台。長く読まれ続けている。驚いたのは、つい一週間ほど前のクリスマスの日に書いた、面接練習。が110アクセスもあり、350の総アクセス数。読者の少ない日記なので、一つの記事が一日100を超えるなどということは滅多にない。多分、これから「面接試験」がある高校生が読んだのだと思う。別に、アクセスを稼ごうとか、そんな気はさらさらないし、また、ここで匿名の誰かと交流したいなどとも、まったく思っていない。ただ、朝の暇潰しとして書いているだけで、今年からは、例えば、朝練、仕事の準備など、暇潰しよりも優先順位が高いことがあれば、毎日は書かないことにしようかと思っている。SNS上の交流なら、今まで出会ったアーチャーの方々、高校の同級生などと、FACEBOOK上でしている。去年の1月から始めて(というより、いろいろいじっていたら始まってしまって)「ともだち」は120人を越えた。意外だったのは、卒業生の方々との交流が、当初思った以上に復活したことで、なにしろ「名前を忘れる」ことで有名な教師だから、こちらが覚えているのはちょっと意外なのだろう。が、印象深い生徒、クラスというのはあるもので、そういう人たちとの交流が復活するのは嬉しい。さて、今年は、ここで何を書こうかと、考えていたのだが、一応、列挙してみよう。1.国語教師としての授業についての考え方、指導の方法、教材解釈などを、小論文などを含めて、ある程度、体系的に書き残しておきたい。今回、意外なほど読まれた面接練習。だが、その半分は教員かもしれないと思っている。高校で「国語」を教えることについて、自分の考えを書いておきたい。2.凡百のアーチャーの一人として、その練習の方法や課題について、昔のことを含めて、書き残したい。このスポーツが、なぜ自分を惹きつけるのか、ということも。3.日本社会がこれからどうなるのか、その中で、自分が一高齢者として、妻とともにどう生きているのか、ということを時評、あるいはエッセイとして書き残したい。もちろん、現在の趣味であるピアノの練習についても。と、書いてくると、ああ、そうか、今まではどうでもいいことも書いていたな、と思う。今年は、当たり障り日常の日常のトピックについては、FBに写真付きで載せていこうと考えている。ここでは、少し長い文章を、できるだけ読みやすく書いていくことにしたい。今年もよろしくお願いいたします。
2025.01.01
『人獣裁判』。自分が生まれる1年前、1953年の初版訳本。「トロピ」と呼ばれる類人猿が生きたまま群れで生活しているのが見つかる。その一人に人工授精して生まれた子どもを殺すのは「殺人罪」になるのかという裁判の物語。カトリック的、あるいはヨーロッパ的な、差別的世界観、人間観が当然の前提になっているのがよく分かる。妻は心理学専攻だったが、その時の助教授が、「今まで読んだ本で一番面白い」と言っていたそうだ。それをたまたまメルカリで見つけ、購入した。2300円。結構な値段だが、何冊か出ていた中では一番安かったとか。妻が読み終わるのを待って、一昨日あたりから読み始めた。「旧字体」(これも本では「𦾔字體」と表記されるはず)。ぎりぎり、自分たちの世代までだろうか、これが読めるのは。高校生の時買った岩波の鴎外、漱石の本などはまだ旧字体だったのを覚えている。300ページほど、新刊なら2時間で読み終える。が、これはそうはいかない。「あれ?、この字は・・・」などと考えながら読む。しかも活字が小さい。括弧の中の注釈は虫眼鏡がほしいくらいだ。2日間、大体、合計1時間半くらいかけて80ページほど。ストーリー展開もゆったりとしたものだ。ベッドで寝転がって読むと、3行で眠ってしまう。しかし、たまには、こんな本もいいものだ、と思う。
2024.12.31
1.妻はオシ活、ポイ活など今年ではなかったと思うが、メルカリを始めて、本をずいぶんと処分してくれた。「~PAY」の中に、「メルペイ」というのもあって、それを使って、夏のひと月分くらい、生協で使ったように思う。全集などひとまとめで売れたものも一点と数えて、もう300点くらい売買をしている。また、NISAも自分より早く始めていて、アメリカ株も持っていて、我が家の資産を増やさないまでも、目減りを極小化してくれている・。エリーゼ全国は体調を崩してしまい、行けなかったが、来年は自分と同じく二部門出ると言って張り切っている。藤田真央など、たまに一人で東京とか札幌のコンサートに出かけている。総じて、元気に暮らせた一年だった。2.子どもたちはもうアラフォーの働き盛り。娘は、仲の良かった先輩と、北大前の一等地に矯正歯科クリニックを開業した。どうなることか、と思っているが、こちらはまったく分からない世界のことなので、あまり口を出すようなことはない。孫二人は、元気。息子は、相変わらず忙しいようで、月に1,2回の講演などをしているようだ。目の付け所がよかったのか、今は「保育者の職場環境」という視点からの研究をしているようだ。何だか園長研修などに引っ張りだこみたいで、まあ、よかったね、と思う。こちらの孫娘は、来年入学予定。3.その他FACEBOOKを始めた。それで、消息がよく分からなかった旧友や、卒業生たちとのつながりができた。また、滅多に会わない弓友などとも。まだ、どうやるか分からないのだが、今後、YouTubeなども何とかやってみたい。ピアノの方は、曲を仕上げてから、アップできそうだ。当ブログも、アクセス数は35万に近づいているのだが、ここでは来年からは、身辺雑記的なことだけではなく、自分の「思想」と呼べるかどうか分からないが、とにかく、考えてきたことを、ある程度体系的に書こうと思っている。まず、今まで書いてきた教師論や文学論を、もう一度書き直して載せる予定だ。そういうわけで、こんな感じの「日記」はこれが最後かもね。良いお年を。
2024.12.30
昨日は、今年最後の健康麻雀。出遅れて、いつもの卓には座れず、Nさん、N君、後は多分初めての男性の4人。どうも、配牌、自摸とも不調。また、終盤、これは放銃だなと思った牌を放銃し、妙に納得するような麻雀だった。3位、1位、2位で終了。「天鳳」の方は、まだもう少し頑張って、3段復帰を目指すが、1位を後10回は取らなくてはならず、ちょっと無理かもしれない。昨日は、出かけたので、弓はお休み。一昨日、30射したが、最後に試したEMBERがいい感じだった。今は、とにかく狙いを絞る(できるだけ小さな点にする)ことを考えている。必ず、アンカリングの前に予備的エイミングをするようにしている。とにかく、それが一度出来ればいいと思い、後の揺れは気にしないでリリースする。ピアノは毎日二回。昨日は出かける前と、帰ってから。即興曲NO2は、かなり速い速度でも、弾けるようになりつつある。暗譜も結構いい線で。まだ、展開部とフィナーレのところができていないが、どうやら、休み中にはいいところまでいけそうだ。昨夜、浅川マキ『今夜はおしまい』の歌詞・コードを写し、Caugとかいうコードの意味がやっと分かった。まだ、もうちょっとマスターするまで時間がかかる。基本はswingなので、『赤とんぼ・夕焼け小焼けJAZZ』と同じ。なかなかキレがあるswingにならないので、相乗効果を狙っている。今日は、年末の買い出し。弓も麻雀もピアノもと欲張っている。
2024.12.29
昨夜のディナー。2回目だが、久しぶりにいい店に出会えた。事ある毎に通っていたロシヤ料理の店がやめてしまい、観光客でごった返す西部地区の有名フレンチ店にも行ってはみたが、正直、口に合わなかった。ここは、高速を使えば、20分で行ける。HPは持っていないようだが、とにかく美味しい。→https://hitosara.com/0005011336/ お近くの方はよかったらどうぞ。一番高いコースでも、グラスワインを二つ(自分はノンアル)頼んで、15,000円でお釣りが来る。このフルリタイア演習で、自分に課したことがいくつかある。それを書いておこう。1.弓は、まったくしないと引けなくなってしまうので、一日30本は3階近射を。昨日も久々にやった。30本、20分くらい。とにかくインナー10を5mできっちり狙え、安定的にリリースできることだけを考えている。試合は来年のアウトドアから復帰する予定。ついでに、もう不要なものは片付けてしまおうと考えている。2.ピアノは、毎日2回程度は練習。昨日も2回、1時間半くらい。『シューベルト即興曲NO2』は通しは出来るが、まだまだ。『夕焼け小焼け・赤とんぼJAZZ』の方は、まだ弾き方を迷っている。が、とにかく楽譜を暗譜で弾けるようにしないと、自分のアドリブが加えられない。3.麻雀は、『天鳳』でもう一度3段昇格。一時期4段で上級卓で打てたのだが、IDを忘れてしまい、元の木阿弥に。すぐに復帰できると思っていたら、これがなかなか。今は、じっと我慢しながら、自分の麻雀を忘れずに打っている。健康麻雀は、今日が打ち納めの予定。大会で2回優勝、2位2回だったのでまあまあ。役満も二つ上がれた。4.読書など。なかなか、まとまった時間というのはありそうでない。最近は、終活を兼ねたメルカリで、もう読みそうもない本はどんどん処分してもらっている。が、逆に買うこともある。妻が買った『人獣裁判』を読み始めようと思っている。旧字体。海外ドラマは、もう見るものがないくらい見尽くした感じだが、今は途中から見るのをやめた『クリミナルマインド』をファイナルシーズンから1シーズンずつ遡って見ている。半分は誘眠効果のためなので、見ながら眠りに就き、朝にそのエピソードをもう一度。また、それで眠ったり、と何のためなのか、よく分からない使い方だ。今日もこれから、珈琲を淹れ、朝のピザを食べてから、シーズン13の最終話を。5.浅川マキ、吉田拓郎など。これはフォーク酒場に行った時のレパートリーを増やそうと思うだけ。今、一番モノにしたいのは、浅川マキ『今夜はオシマイ』。JAZZピアノに合う名曲だが、一部しか覚えていない。コードは調べられるので、そこからスタートだ。拓郎の『マーク2』はどうやら、自分のアドリブがつけられるようになった。まあ、後は、あまりに知らない曲よりは、スタンダードなものも、と考えているが、まあ、ボチボチと。そんなわけで、相変わらずのキリギリス生活だが、家事もしっかりとやってます。
2024.12.28
もう日付が変わったから、一昨日が仕事納めだった。冬期講習最終日。講習がなければ、25連休だった。高3しか担当していないし、講習に合わせて、小論文などいろいろな個人指導を頼まれるから、仮に講習がなくても、何日かは出たかもしれない。そういうのは完全にボランティアだが、講習は今日の妻とのディナー代くらいにはなる。後は、1月の授業。実質2週間とちょっと。2月、3月は完全に休みだが、何日かは「ボランティア」で行くことになるだろう。ボランティアの第一定義は「自発性」である。困っている生徒がいて、自分に過去問の解説を頼み、1,2時間は準備時間をかけ、1時間くらい1対1で教える。2月は、例年そんな具合に過ぎていく。困っている人がいて、その要請に応じて、本来は休んでいい日に出かけて、助ける。ボランティアの定義の二つ目は「無償」。以前は、自分のそういう無償の労働に、生徒は生徒なりに、親は親なりに感謝の気持ちを形で返してくれたが、今は生徒も親も、自分を教育サービスの消費者と考えているから、そういうことはなくなった。ちょうどリーマンショックのころからである。ただ、生徒の方は、「先生、お世話になりました」とお小遣いで買える範囲の受験土産を買ってくることもある。もちろん、快く受け取る。そんな風にして、今年も仕事納めは終わった。ここから20連休。いい仕事だな、と思うのはこういう時だ。今は、専任は正月休みの他は原則出勤だが、非常勤にその義務はない。授業だけが業務なのだから、自分の場合、冬休みは前哨戦のようなもので、3年生が家庭学習期間に入る2月からは、本当に何の義務もないのだ。だから、その気になれば2月、3月で50連休以上にはなり、しかも僅かとはいえ、月に慣らした形で給与はいただく。昨日はその20連休の初日。自分は、この期間を「毎日が日曜日」であるフルリタイア生活の演習期間と思うことにした。初日は、ダブルの病院通い。6時ころ整形に診察券を出しに行き、今年最後の腰膝の注射。午前中に妻と行ってきた。午後からは脳神経外科、ほんのちょっとだが、首、肩に痺れがあるので、予約して行った。自分の頸に、チタンを入れてくれた先生である。こちらも、MRIを撮って、特段、心配はないということである。ごく軽い痺れで、日常生活には何の支障もない。ただ、「転ばぬ先の杖」として予約を入れておいた。ドクターの方もこちらの考えが分かっているで、3ヶ月後、もう一度行くことになった。それで初日はオシマイ。2日目の今日は、妻とのクリスマスディナーが、予約が取れず、今日になってしまい、まあ「忘年会」のようなものを、この前行ったフレンチの店で、ここ最近では一番の店だ。この歳になって、妻も自分も何も食事制限なく、衣食住の「食」だけは何の心配もないのは嬉しいことだ。フルリアイア後の、生活の柱は「衣食住+旅」だと思っている。50連休以上の2月、3月は久々の海外、と息子のいる鹿児島。まあ、お気楽な生活はまだまだ続けたい。20連休はフルリタイアの演習。つまり毎日が日曜日なのだから、いつ起きようが寝ようが勝手である。それで、今日は朝寝を決め込み、こんな時間に駄文を綴った次第。
2024.12.27
以前から考えていたのだが、今年から、つまり来年正月の年賀状から、「選択的」賀卒をしようと思う。これまでは、職場の関係など、形式的な賀状のやりとりは、少しあったのだが、それも自分の世代がいいところで、さすがにもういいだろう、と考えていた。「選択的」というその選択基準の一つは、1月1日に来た賀状については、丁寧に遅れたお詫びとともに賀状を。遅れた賀状、来ない賀状については、放っておく、というのを原則にして、賀状のやりとりは、再来年以降も1月1日に届いた人とだけ続ける。そもそも、年賀状という長く続いた習慣は年々廃れてきた。それでも、1年に1回くらいは、互いの消息が分かるという程度のつきあいは続けたい、という間柄の人たちもいる。どちらかというと、自分より上の世代が多い。今の現役世代は、ほぼそういうことはない。こちらから賀状が来たので、慌てて返すのである。それなら、葉書が85円に値上がりしたのを機会に、面倒なことは避けた方がよかろう、と考えた。また、今年facebookを始めて、高校の同級生など、さまざまな人たちの消息も知れた。いまさら、住所を交換してということは必要がない。その一人とは、東京でエリーゼの合間に会った。ライングループでエリーゼの人たちとは繋がっている。そういう中で、賀状でしか消息がお互い分からないし、またちょっとはお互い気にはなる、というごく少数の方々とのやりとりで十分だろう。まあ、これも終活の一環かもしれない。
2024.12.26
「どうして、本学を志望したのですか?」「私が貴学を志望したのは、私の父が小学生の時に、大病を患って入院したのですが、その時に、看護師さんたちの笑顔に救われた思いがして、それ以来看護師になりたいと考えていたからです」面接練習の一コマ。上の生徒の答えを読んで、即座にそのおかしい所を三点くらい指摘できない教師は、面接練習などしないでもらいたい。「オマエね。普通、『キガク』なんて言う?日常会話で。言わないでしょ?『貴学』なんて、例えばそこに文科省から通達がいくとして、その時に『貴学においては』とかは使うよ。だから、例えば、志望理由書なんかでは使っていいけど、面接はダメ。まあ、『こちらの大学』とか『○○大学を』とかかな。会話ならね」「それからさ、『どうして本学を志望したのですか?』って聞かれてるんだから、『私がこちらの大学を志望したのは』って言う必要ある?例えば、『オープンキャンパスの印象はどうでしたか?』ってさっき聞いた時も、『オープンキャンパスの印象は・・・』ってやったでしょ?普通、『今日のお昼、どこで食べる?』って聞かれたら、『今日のお昼を食べるのは・・・』なんてやらないよね。だから、相手の問いをオウム返しに繰り返すのは、まあ、ちょっとはやってもいいけど、全部やったら完全にオカシイ」「後は、中身だよね。『私の父が小学生の時に、大病を患って入院したのですが、その時に、看護師さんたちの笑顔に救われた思いがして、それ以来看護師になりたいと考えていたからです』っていうのは、志望理由書の冒頭のところ使ったんだよね。だけど、それ、『こちらの大学』を志望した理由なの?おかしくない?看護師になりたいと思った『きっかけ』だよね、それは。その後、志望理由書では『高校の職場体験で看護師の方の話を聞き、看護師が患者に一番近い医療従事者であり、時にはその生活習慣、環境などを患者から聞いたことが、治療に役立つこともあり、今、目の前にいる人のために役立つ仕事だと思いました』ってあるよね。まあ、最低、そこから始めないと」「それにしてもさ、それは『どうして看護師を志望したのか』ってことでしょ?看護師を養成する学校はたくさんあるんだから、その中でこの大学を選んだのはなぜなのかに答えてないでしょ?まず、それ答えないと」まあ、長々と書いて、もうイヤになったのでやめるが、上で指摘した3点はすべて、別の教師がそう言え、と指導していたのだ。まず「『○○大学』じゃなく、面接の時は『貴学』と言った方がいいよ」などと平気で言う。「御社」なら、大学生の就職試験面接ではよく使うが、「貴学」は日本語としてあまり使わないだろう。それから「相手の質問をまず復唱してから、答えるのがいいよ」とやる。その方が落ち着いて答えられるから、とも。面接試験をあらかじめ用意した解答を正確に暗唱する場だと思っている。まったく・・・最後の志望の理由については、「うーん。ちょっと具体的でないかな?」などといい加減なことを言う。「小学生の時、父が大病で入院した」という話は「具体的」この上ないではないか。ただ、「どうして本学を志望したのか」という問いの答えになっていないだけだ。講習が終わった後、駆け込み寺のように生徒が来るから、つきあってはいるのだが、生徒は、いろいろな先生の「ご指導」を受け、何が何だか分からなくなってしまい、結局自分のところに来るのだ。大体、担任が「先生、お願いします」と言う場合には引き受ける。確かに面接官はいろいろな人がいるから、いろいろな教師を相手に面接練習をしてもらうのは悪いことではない。悪いのは、「面接」の本質を知らずに、「貴学」と言うのだ、とか、「相手の質問をまず復唱して」とかいうウソを指導し、しかも肝心の中身については何も指導できない教師がゴロゴロいることだ。何の勉強もせずに、面接の試験官ができると思っているところからして、不遜だし、怠け者である。面接の本質とは何か。それは「会話」だ。面接官は、志望者について知りたいから、面接をする。まあ、「貴学」とか「復唱」なら、そういう生徒ばかりだから、「ああ、高校でそんなバカな指導を受けたんだね」と察して、許容してくれるかもしれない。しかし、質問の答えになっていないとなると、もうアウトだろう。それを「う~ん、ちょっと具体的でないなぁ」などと訳知り顔に「指導」するのだ。自分が担任を持っていたころは、面接を受ける生徒には、まず50問くらいの問いを考えさせて、答えを書かせる。その過程で、面接は会話なのだから、質問されたことにまず端的に答え、それから補足する、ということを教える。書き直しをかなりさせ、さらに、先の例で言えば「お父さんが入院していた時と、今のあなたでは、看護師という仕事についてのイメージは変わりましたか?」という追加の質問を書いてやる。職業に直結する学校なのだから、受験生なりのしっかりした「職業理解」があるかどうかは、自分ならぜひ確かめたい。そういうふうに、1つの問いに対して2つか3つ追加質問を書き、答えを書かせ、直す。つまり、この時点で生徒は最低、100の質問に対する対応はできるようになっている。相当に忍耐が必要な仕事だ。そういうことも知らないで、「面接練習」に気軽に応じるバカな教師が多すぎるのだ。「オレの仕事は『授業』だからね。まあ、志望理由書とか小論文があれば、見てあげるけどさ。面接の練習まではしないからね。業務外だから」と4月早々に宣言するのは、それが途方もなく時間がかかることを知っているからだ。それでも、今年も4,5人の生徒にどうしてもと頼まれたので、指導はした。来年こそ、面接の指導はもうしないぞ、と思っているのだが。
2024.12.25
などと「初代モーニング娘。」が歌っていたのは、もう15年も前だろうか。この歌詞の何か将来の不安を前にした捨て鉢な気分のようなところが、わりと気に入っていたのだが、その不安は日々現実化しつつある。GDPはすでにドイツにも抜かれ世界4位だが、昨日のニュースでは、一人あたりGDPが韓国に抜かれたそうだ。日本は、資本主義経済圏でのアジアのトップリーダーの地位を早晩失うことになるだろう。韓国の後にインド、ベトナム、タイなどが控えていて、日本は貧しい国へと逆戻りしかねない。ただ、よくも悪しくも、日本人はガラカパスの島であり、相変わらず、多くの日本人は「世間」の中で生きている。その限りにおいて、餓死者があちこちに出るほどの貧しさにはならないから、案外、それでもいいのかもしれない。1ドルが200円になろうが、世間の外の海外など行かなければいいのだし、グローバリズムの中で、日本は安い賃金の生産拠点として生き残っていける。なにしろ、日本人は勤勉なのだし、相互監視社会の中で、「働かざる者食うべからず」と誰かが言い出せば、同調圧力が強く働くのだ。幸い、人口減少社会だから、仕事はなくならない。中流ではいられなくなるが、どうせテレビかユーチューブしか見ないのだから、金のかかる教養などなくてもいい。高齢化の問題はしばらく残り続けるが、団塊の世代がバタバタと死に始めれば、その問題もサクサク片付いていく。などと、クリスマスイブにこんな「ディストピア(「ユートピア」の反対語)日本」を描かなくてもよさそうなものだが、今朝はそんな気分だった。
2024.12.24
今朝は、3時半ころ目が覚めたが、夕寝をたっぷり1時間半、就寝10時なので、5時間は寝通したことになるから、そんなに睡眠不足という感じはない。起きてから、明後日分の講習の予習をした。明日分ではなく、最低翌々日分まではしておかないと、何かあったときに困るというのが、長年の職業的習性になっている。「何か」といっても、昔なら緊急の業務が発生し、それに時間を取られるというようなことだが、今なら転んで骨折したというくらいのことであり、それなら、講習自体ができなくなるのだから、そう先々を準備しておくこともないのだが、とにかく「備えあれば憂えなし」だ。それから、朝食。今朝は、久々にピザ。どうということもないが、誰でも作れるから、レシピ風に。【材料】1.冷凍ピザ(伊藤ハムのピザガーデン「濃厚チーズ」1/6枚)・・・昨日、スーパーで208円だったので買った。日本ハムのマルゲリータより100円安い。2.ミニトマト1個・・・最近はトマトやキャベツが凄く高い!4枚にスライス。3.サラミソーセージ4枚・・・安いもの。4.ピザ用ミックスチーズ・・・大きめにカットしているが、お好みで何でもいい。5.ピーマン1/6個・・・3,4枚にスライス。【調理法】などという大袈裟な、大袈裟なものではないのだが、1.アルミホイルを敷いたピザの上に、サラミを置く。2.その上にミニトマトを重ねる。(これが大事です。そうしないと、サラミが焦げてしまう)3.周囲にピーマンのスライスを置く。4.全体に、特にチーズがあまり載ってないところは必ず、ミックスチーズを載せ、こぼれないように。5.オーブントースターに入れて、4,5分加熱。途中で焼け具合を見て、(載せたチーズが溶けて、ピザ生地の端が焦げ始めたところがベストタイミング)皿に移す。まあ、こんな具合。これでも調理の一つなので、結構気を遣うものだ。冷凍ピザでも、このくらいの工夫で、美味しくなる。後は、珈琲を淹れ終わるタイミングで、焼き上がるとか。とにかく、熱いうちに食べる。タバスコは常備していて、自分は結構かける方だ。後は、デザート。ヨーグルトにプルーン一つ、バナナ半分を入れ、小浜養蜂場の蜂蜜をかけるだけ。みかん2個。食べながら、生徒に頼まれた過去問を1題解いた。センター試験に似たマーク式で、非常に簡単。これからもう1題あるから、解くか、それとも二度寝か。朝の3,4時間は、こんな具合に過ぎていく。今日は冬期講習3日目。ということは、今年の仕事納めは明後日25日だ。数えてみると、そこから20連休だ。
2024.12.23
なにやら、売れない地方紙の凡庸な見出しのようなタイトルだが、このところの物価高騰(といってもいいくらいの値上がりと思う)は、やはり我が家の家計を圧迫し始めている。詳細な金額を書く気はないが、自分と妻の年金合計額は、平均よりはかなり高い。42年間、といっても最後の5年間は、いわゆるハーフという常勤週20時間で働いたのだが、多分、地方自治体の部長、一部上場企業の次長くらいの生涯賃金があり、55歳で昇給はストップしたが、37年間終身雇用制の中で務め続けた。賃金も年功序列で上がっていき、最後は副校長、校長をやったので、給与額自体が等級が変わり、かなり上がった。また、公務員と同じく平成27年度までの総収入部分に所謂三階建て部分がある。そして、今は、非常勤3年目。それこそ「年収100万の小さな仕事」が日本をではなく、我が家の家計を救っている。といっても、フローの部分は、毎年100万くらいは赤字だ。現役の時と生活スタイルが変わっていないのだから、当然である。いや、二人でピアノを習ったり、コンクールに出たりしているから、遊ぶ暇がなかった時よりも、むしろ支出は多くなっているかもしれない。ただ、歳を取るとそう無茶な食べ方、遊び方はできないし、いろいろな意味でパワーも落ちるから、そんなにお金を使わなくもなっている。例えば、昼食の外食は滅多にしなくなった。家で簡単にうどんとかラーメンを作った方がいい。下手な店よりよほど美味しいし、何より、普通の店で出る一人分は多すぎるのだ。最近は麺類でも一人分を具だくさんで作って二人で分けて食べる。クリスマスの予約が取れず、27日に夫婦の忘年会としてフレンチの予定だが、それだって数ヶ月ぶりの外食である。それでも月に10万くらいは赤字。預貯金の取り崩しで赤字を埋めている。また、もういったん停止にしたが、NISAも始めて、夫婦で10万ずつ10ヶ月ほど積み立てて、10%くらいの利益があった。外貨建て生保の方は、年間4%ちょっとの利率が外貨建てで保証されるのだが、去年も今年も円安のおかげで、実際は4.5%以上の利率。二人で年50万くらいのフローがある。10年続ければ、元本は100%返ってくるから、80歳で解約すると、まあ10年で利子を含めて1.5倍くらいになるはずだ。自分の予想では、円はさらに力を落としていき、1ドル200円くらいになっていると思う。そうなると2倍。こうやって、二人で健康に暮らす分には、今のところ「モノが高くなった!」とブツブツ言いながらも、生活の方は何とかやっていける。幸い、次年度も特例的に非常勤講師を続けられることになった。いや、「特例的」というよりは、そうするのは当然でしょ?というふうに校長も同僚も思ってくれている。それはとても有り難いことだ。職場も少子化で経営は大変なのだが、自分が勤めようと思っているあと数年は大丈夫だろう。それにしても、車の軽油は150円。米は2kgのゆめぴりかが2500円。年金は決して物価上昇にも賃金上昇にも追いつかない仕組みになっているのだから、少しでも賢く立ち回らないといけない。
2024.12.22
久々に、フォーク酒場に。ところが、着いてみると客は自分だけ。これなら、自宅で弾き語りをするのと同じだ。『マーク2』の伴奏をマスターがえらく気に入ってくれて、一緒に。だが、客がいないと、ピアノの電子音、スタジオとは言えない音響、という欠点がよく分かり、ちょっと興ざめした。1時間ほどして、クリスマスファンタジー帰りの常連の女性が二人。二人ともお孫さんのいる年齢である。少し、話をして、『ある雨の日の情景』をラストにして、帰宅。まだ10時前だった。今年はもうこれで最後だろう。エリーゼで大賞を取って以来、音楽の軸足は完全にそちら側に移っていて、以前の倍くらいは練習している。反面、フォーク酒場に歌いに出かけるのは、億劫だし、熱が湧いてこない。エリーゼの方は、ジャズポピュラー部門CとクラシックEで、大賞を本気で狙っている。シューベルト即興曲NO2も譜読みは終わったし、ミスタッチも減り、昨日のレッスンでは、先生がこれでもかというくらい細かなところを教えてくれた。昨夜は、それでも遅くなりベッドに入ったのが11時。それでも3時半に起きてしまい、途中で眠った『クリミナルマインド』の続きを見て、そこでもまた寝入ったのだが、妙な夢を見た。【夢の内容】場所は職場。講習の前に頼まれてしょうがないから引き受けた生徒の面接が入っていた。というのは、まったく今日の予定の通り。ところが、講習のプリントを家に忘れたことに気づく。家に帰ってとって来ないといけないのだが、なぜか山手線に妻と乗っていて、この駅、と思ったところで降りると、妻はまだ車内にいて、手を振っている。「降りるの、違うよ」というふうに笑っている。「え、そうなのか!」と思い、それもなぜか分からないのだが、車で追いかけることにする。車は、職員用の裏手の駐車場(非常勤になって以来、自分は玄関前の駐車場を使うので、そこには駐めない)にある。それで、とにかく家に帰らないといけないので、Uターンを切って、裏門から出ようと思った。裏門も、いつもは閉めっぱなしなのだが、この時は開いていると分かっていた。Uターンを切り損なって、用務員のNさんの新車アルトにぶつけてしまう。青と白のツートーンで、自分も最後はこういうのでいいな、と思った車の一つだ。アルトは、擦るというよりは、思いのほか大きく当ててしまい、車の向きが斜めになってしまった。が、時間がないので、とにかく後で謝って保険の相談などしようと思い、家に向かった。が、いつまで経っても、ちゃんとした道路に出てくれないのだ。何だか、台地のようなところを走るばかりで、家は遠くに見える。時計を見ると、12時35分。これじゃ、面接練習はもうダメだし、講習にも間に合わない・・・と思ったところで目が覚めた。【夢の分析】今日から、講習でその前に面接。12時には職場に行くように、とは思っていたのだが、夢の中でもそう思っていた。12万kmを超えたCX5は冬タイヤを新しくしたこともあり、30万以上かかった。これなら、軽の中古でも買えばよかったかな、と思ってもいた。夢の中では、その軽自動車にぶつけてしまう。アルトは、今、マツダではキャロル名でOEMしているが、父が最初に買ったの車がマツダキャロル360で、もし今の車を乗り換えるにしても、自分もスズキでアルトを買わず、もう30年来のつき合いのあるマツダでキャロルを買うだろうと思う。フォーク酒場に行く途中、「まあ、だけどこのCX5で、少なくともあと2回くらい車検を取って、後期高齢者になったら、さすがに長距離はもう乗らないからキャロルにしようかな」と思っていた。その時は、父がその当時ほしかったが、ちょっと値段が高くて買えなかったツートーンにしよう。そういうことが、夢の中で現れたのかもしれない。ぶつけたアルトは多分凄い壊れ方だったが、愛車の方は、特に何でもなかった。夢の中でも、ああ、軽にしなくてよかったなと考えたような気がする。山手線で降り損ねたことは、何度かあるが、なぜそれが夢に入ってきたのかは分からない。【閑話休題】そんな夢を見て、まあ、とにかく一度起きて、朝ご飯にしようと考えた。ところが、台所の蛍光灯が点かない。まあ、居間のLEDで暗くはないので、サラダを作り、珈琲を温め、今日はオーブントースターで皮付きの冷凍きたあかりとウィンナーをと思ったら、レンジもトースターも作動していない。冷蔵庫、と思ったら、そこもやはりダウンしている。これは、台所のブレーカーが落ちたな、と思い、二階玄関に。スノーダンプをよけて、ピアノの椅子を一番高くして、見てみるとやはり台所が落ちている。それを、引き上げて無事解決した。何だか、朝から不思議な感じだった。
2024.12.21
どうも、人並みに風邪を引いてしまったようで、先週あたりから鼻水、くしゃみに悩まされ、一昨日、昨日は、喉にも軽い痛み、カラ咳。これは、ダメだと思い、昨日はこちらをお休みに。facebookの方には、昨日、同じ写真を載せている。掲載が決まった時点で、「いずみ」という記事も書いたのだが、改めて。母が原爆のことを語らなかった理由は、いろいろ推測できるのだが、多分、その体験に縛られたくなかったからだと思う。広島に疎開したときに、村に船を一艘作ってやるほどの裕福な家に育った母(誕生日には村中の船が大漁旗を飾っていたそうだ)は、生まれついてのエピキュリアンだったのだろう。人生を楽しむことを、自分は母から教わったように思っている。核抑止力で続いた「戦後」の平和は、西谷脩が言うように、「冷戦」という名の「それしか選択肢がない」平和とも呼べる「戦争の継続」だったのだが、それがベルリンの壁が壊れた後も続いている。その中で、恐らく核兵器禁止は実現しないのだが、それを目指して自らの体験を語り続ける人もいれば、母のように記憶に封印をして、何ごともなかったかのように笑い暮らす人もいる。被爆二世である自分は、封印しなければならない記憶もないのだが、人生を楽しむ生き方だけは、母からしっかりと受け継いで、「風邪もどうやら治ったし、今日あたり、行ってこようかな、フォーク酒場」などと考えているのだ。
2024.12.20
昨日「終活」のことなどを書いたので、今日は自分の「朝活」を。年齢というよりも、アーチャーとして朝練に行く習性が身についてしまい、インドアシーズンになっても朝は早い。今年は、夏でも朝練にはほとんど行っていないのだが、3~5時には起きている。で、何をするのか。例えば、今朝は4時に起床。目覚めは3時半くらいだった。まず、居間の23℃設定のFFストーブを27℃に上げる。最近、朝、くしゃみ、鼻水が酷いので暑いくらいにしておく。それから、玄関のファンヒーターを点けようと思ったら、灯油切れだった。面倒だが、ここを点けないと背中がすぐ居間のドアなので寒い。それで、灯油をカートリッジに入れた。我が家には、FFストーブが6台あるが、すべてホームタンクから灯油がくるので、ポリタンクから給油するのは、ここだけ。昼は点けないから、大体1週間くらいは保つ。それから、夕べの洗い物の片付け。大体は、妻がやっていてくれるから、今朝はフライパンをボイラー室の棚(台所は狭くて置けない)に戻し、浸けてあった魚を焼くコンロの網を洗う。さらに、自分のウィスキーグラスも。それから、食洗機の食器を片付ける。ここまで、ほぼ20分くらい。さて、何をしようかと思い、今日教える問題を軽く解いておく。これは、看護学校レベルなので、問題文も短いし、5分程度。それから、明日教える予定の共通テスト小説問題。こちらは菊池寛の小説『身投げ救助業』で、面白かった。が、20分はたっぷりとかかる。ここで、何度も書いているが、国語の教師はプロのくせに、こういう準備をしない。ただ、解答を写すだけ。マークだから、正解にチェックするだけ。それで、解説もろくに読まず授業に臨む。そんなんで教えられるわけがない。これが、例えば数学とかなら分かる。教師にとっては、以前、解いた問題ばかりだからだ。まあ、中にはそうでもないのもいて、娘の高校3年の時の数学教師は、指導書片手にそれでも板書で計算を間違えて、という酷い授業で、皆、内職にいそしんでいたそうだ。が、国語の場合、問題文は教師にとっても初読であり、これをちゃんと読み、解かないと、絶対に教えられない。そのためには、20分であっても、絶対に邪魔の入らない時間が必要である。だから、自分は授業準備は、朝と決めている。仕事を辞めたら、ここで、もっとまとまった、自分の思想と呼べるような内容のものを書きたい、と考えている。それで5時。そろそろ朝ご飯を。今朝は、昨日、弓友から下仁田葱、里芋などをいただいて、ベーコンと葱の青いところを炒めたのが美味しかったので、そのベーコンでベーコンエッグ。フランスパンにバターを塗ってガーリックをふりかけたのを焼き、後は珈琲。簡単なものだが、食べ終わると5時半にはなっている。それからfacebookを少し見て、卒業生からのともだち申請に応じ、ここで駄文を綴ると6時。まだまだ早いので、もう一度ベッドに潜り込み、昨夜途中になっていたDVDを観ながら、上手くいけば、もう一眠りする。
2024.12.18
自分は今年「古稀」という一つの境目を迎えた、同じ学年の妻は早生まれなので来年だが、どちらにしても、そろそろ「終活」適齢期であるには違いない。「就活」はすでにあったが、「ポイ活」、「婚活」、「妊活」など、何でも「活」をつけりゃあいいってもんじゃない、と「一喝」したくなるのだが、しかし、それにしても「終活」は、自らの死に向かっての活動だ。より正確に言えば、相続の時に面倒がないように、いろいろな意味での身辺整理をしておく。まず不要品整理。これは、去年あたりから妻が大活躍してくれている「メルカリ」で。我が家の不要品のNO1は本である。昨日、話したところでは、今までに大体250冊以上は売っている。なにしろ、読まなくなったし、読むことももうないであろうという本がピアノより重い状態であった。三階は、今は近射室だが、昔は書庫だった。そこに本は、今はほとんど残っていない。大体は自分が学生のころの本で、ニーチェ、ハイデガー、ショーペンハウアーなどの哲学書。しかもドイツ語のものまである。10年ほど前、校長をしていた時代は、2ヶ月に1度の東京出張だったから、神田神保町の古書店に少しずつとも思ったが、何しろ重いし、実際そんな暇もなかった。絶版のものには相当高値をつけても売れる時もある。新書や旧字体の文庫、妻は平均で週2回くらい、郵便局で「匿名配達」をしている。これも不思議な仕組みだが、売るのも買うのも匿名、それでも配達はちゃんとされるのだ。もちろん売れない本もあるが、それは月一の資源回収に出している。そうやって、2000冊くらいの本は、整理できつつある。それこそメルカリのポイントが貯まるので「メルペイ」で支払いを済ませることも多い。まあ、総額でもたいしたことはないが、生協での支払いが、まるまるひと月メルペイというのもあった。
2024.12.17
2.アーチェリー「競技者」引退。これは「我が家の」というより、「自分自身の」というべきだろう。校長最後の夏に、射場に久しぶりに行けた。まず、近射と思ったら、まったく引けない。愕然とした。その前から、首や肩に痛みはあったのだが、まさか、引けなくなるとは思わなかった。それで、11月だったと思うが、2週間ほど入院して、首にチタンを埋める手術をした。「頸椎ヘルニア」だった。それで、リハビリもして、さて、大丈夫かと思って引いてみると、今度は引くには引けたのだが、保持できない。左手がきつく、上半身がガタガタ震える。それで、やむなくレフティに転向。最初は慣れない動作で矢を番えるのもやっとだったが、何とか右の強さと同じ程度の弓が引けるようになった。レフティでは50m×2で651が最高点。かろうじて赤バッジも取得した。その試合が全道会長杯で優勝。それ以降は、去年全道マスターズでCP総合優勝。今年は、マスターズ60代最後だったが、年齢区分で優勝。以上オシマイ。全道で勝つのは普通で、全国に何度も行っていた全盛期には及びもつかない。弓をやめるつもりはなかったが、「競技者引退」は自分の中では決まっていた。今は、三階近射だけ。春までそんな感じでいこうかと考えている。問題は、趣味としての弓を来年も続行できるかどうか、である。大会で50m、300が出なければ、もう仕方がないかな、と思っている。CPであっても、気まぐれに練習する趣味というわけではない。やはり、本質はスポーツ競技なのだから、それなりの努力を自分に課さないとならない。一週間も引かないでいると、引けなくなるのだ。普通の人にはまず引けない強さの弓を、軽々と引くのだから、筋肉が違う。今、ピアノという趣味ができ、それもそれなりの高度な指の訓練が毎日必要だという状況になり、仕事もあり、体力が年々衰えてきている中で、弓が続けられるかどうか、正直に言って自信もないし、情熱も消えかけている。
2024.12.16
試合日誌は専ら弓のことだったが、今後は月1のペースで開催される「健康麻雀大会」のことになるだろう。昨日は今年最後の大会で、自分が勝てば3連覇。初戦は、Tさんのリーチに、終盤追いつき、メンタンピンドラ1を一発で自摸り、6000オールの親ハネ。後は、適当に流してトップ。二戦目は何と最強卓メンバー。有段者、TKさん、Iちゃん。いつも自分を待ち構えているメンバーで、一昨日も打ったが、3連続2位だった。ここは、結構きつい。東場が終わって、全員2万点台。南1、親のIちゃんから、ホンイチ、役牌、ドラを上がって、自分が一歩抜けた。決勝卓。ここは結構楽かな、と思っていたらTNさんの聴牌が速い。6巡目までのリーチが多く、ずっと降り続け、しかし、親番では勝負に行かざるを得ず、放銃。この卓は3位で、全体の2位。まあ、3連覇はさすがに無理だったが、思った以上にいい成績だった。1年間、今年も十分楽しませてもらった。大会は5回出場で、優勝2回、2位2回。弓もひところはそんな感じだったけどなぁ。
2024.12.16
もう5年以上になるだろうか、お花の先生が、月1回のペースで我が家で、教えてくれる。もちろん、生徒は妻とその知人。いろいろあって今は二人だけ。月謝は格安だ。その季節にあった花材を先生が準備してくれる。妻も華道の心得は一通りあるから、自由に活けさせてもらって、ちょっとしたアドバイスをいただくようだ。今回、まだ松は値段をつけられないようで、何とかという外来の木が松の代わりだ。それでも、なにかしら、正月の気分はある。我が家では、玄関の絵も、シーズンで替えるようにしているが、今はまだ冬の絵にはなっていない。こちらは、すべて母の描いたものだ。さて、今日は健康麻雀の大会。昨日は2位2位2位。打ち方の確認を十分出来た。一応三連覇がかかるのだが、多分、無理だろう。
2024.12.15
珍しく、鼻水とくしゃみが長引き、喉もちょっと痛くなっている。これは、間違いなく風邪の症状で、とにかく暖かくして、美味しいものを食べ、寝る・・・というのが、風邪への対処法だ。昨日は7限の授業から直帰し、ピアノの先生がやっているHMA(函館ミュージックアカデミー)のクリスマスコンサートに。クリスマスソングメドレーから始まり、ディズニーを2台のピアノで、という子ども向けの構成で、時間も1時間。HMAはピアニスト二人と、マリンバ奏者一人で作った団体で、毎年1回か2回、コンサートを主催している。クリスマスコンサートは4回目だそうで、その初回から行っている。妻は、赤っぽい組紐を描いた着物に、濃い緑の帯、薄黄色の帯上というクリスマスっぽい和装。45年前、母に買ってもらった着物だと言う。いつまでも母の着物を楽しんでくれているのは、自分としても嬉しい。さて、今日は自宅で月1回の「お花」。先生が来てくれて、あと一人知人も来て、二人で習う。昨日、緞通の掃除は細かくやったから、今日はさっと床拭きくらいでいい。自分はその間、11時からの健康麻雀に。朝の調子だと大丈夫そうだ。そうでなければ、2階で寝ていようと思ったが、風邪は治りかけている。ただ、念のため、ちょっと眠くなる風邪薬を飲んだから、これからもうちょっと眠る。「重大ニュース」は、また明日にでも。
2024.12.14
今年の漢字は「金」だったそうだが、オリンピックの金メダル、というより、物価上昇による「金欠」、あるいは「金」の価値が円安と相俟って、最高値を連日更新していたこともあるかもしれない。もはや、日本の高齢率は1/3になろうとしているのだが、『年収100万の小さな仕事が日本を救う』などというバカげたタイトルの本が売れたり、女性も高齢者も大学生も、とにかく働けるだけは働け、というのが国策のようだ。もはや、親の仕送りと、小遣い稼ぎの割のいいバイトで遊び暮らすという大学生像は昔のものになってしまったらしい。さて、2024年。自分と我が家の重大ニュースを「金」にまつわるところで、少しずつ、取り上げてみよう。1.エリーゼ音楽祭ピアノコンクール、念願の「金賞」受賞、どころか「エリーゼ大賞」まで。「弓」以外で、久々の新聞掲載。もう、現在の趣味の中心は間違いなくピアノで、今は自分も妻も、来年のエリーゼを目指して、練習を始めている。二人とも2部門で、と考えていて、妻は今年、せっかく予選を1位で抜けたのに、直前に体調を崩し全国に出られなかったので、再びエリーゼ部門+ジャズポピュラー部門B。自分はクラシック部門Eとジャズポピュラー部門C。ということは、3日間夫婦ですべて出るので、最低東京4泊となる。「金賞」を二人とも目指すが、「金」もかかる。二人合わせて、出場料だけで16万。交通費+宿泊費で30万。年金+αの収入しかないので、これは家計さんの助けが必要だ。予選にしても懇親会費込みで、二人で14,5万は必要。レッスン料、調律代・・・これは弓よりも金食い虫の趣味だ。が、一昨年200万で購入したグランドピアノYAMAHAC3で、こんなに楽しめるとは思わなかったから、ある程度の出費はいいんじゃない、と話している。自分の方の練習は、シューベルト即興曲NO2は譜読みは完全に終わり、難しい部分の反復練習に入っている。速度を落として、完全に強いタッチで弾ければ、後は徐々に速度を上げる。そこができるようになったら、1曲を通して弾き、曲想を作る段階に入る。ジャズポピュラー部門も、クラスを一つ上げてCコースで。『夕焼け小焼け~ジャズバージョン~』はやっと目指す速さで、swing感が出てきたところ。JAZZについては、アドリブでしょ?という誤解があるが、その場のインスピレーションで弾ける人なんてほとんどいない。楽譜がなくても、何度も練習を重ね、いい感じのリフを見つけ、それを固める。まして、自分の場合は楽譜があるのだから、ひとまずそれに忠実に、弾けることが先決で、それが出来たら、少し変えて自分の演奏にしていく。『赤とんぼ~ジャズバージョン~』の方は、もうその段階に入っていいくらい。こちらは、あまりswingさせずに、しっとりと弾こうと思っていて、すでに楽譜とは違う弾き方になっている。両方合わせて5分という時間の中で、まったく違う曲調を取り合わせるのは難しい。
2024.12.13
昨日書いた、かかりつけ医だが、どうやら閉院ということになるようだ。昨日から開くという話だったので、妻と行ってみると、まったく人の気配がない。ドアの貼り紙を確認すると、期日は書かれていず、「休診します」というだけ。割と近い二つのクリニックの名前が書かれていて、「薬は同じものを出すように頼んでいますので、必要な方は行って下さい」とあった。どちらも、割と評判のいいところだし、両方とも娘を教えていたが、代替わりしている。そのうちの一つに行き、事情を話すと、分かっていたようだ。診察は、二人呼ばれて、どちらも今までと同じ薬をひと月以上出してくれるとのこと。そして、「詳しいことまでは、分かりませんがN先生のところは、閉院と聞いてます」と言う。これは困ったと思ったし、ショックだった。N先生は高校の4期先輩。古くからある温泉旅館の息子で、山形の医学部に行き、地元で何ヶ所か勤務医を務め、多分40代で旅館そばに医院を開いた。最初は入院施設もあり、母が何度かお世話になった。その母の肝臓癌を見つけてくれ、当時日本で有数と言われた国立がんセンターの医者を紹介してくれた。それで、母の寿命は5年延びたと思う。自分の胃癌を見つけてくれたのは、当時、地元で一番という評判のドクターだったが、それを必死に探してくれたのもN先生だった。ごく初期の発見だったので、すでに「寛解」していて、その後、年1回胃カメラ診断をしているが、まったく問題ない。今の前立腺癌は観察療法中だが、これも地元のドクターをN先生が紹介してくれた。妻も、N先生を信頼し、通院していた。そういう先生だから、何かあっても、必死に名医を探して紹介してくれるので、安心していた。安易に、診療科のある総合病院を紹介したりはしない。自分の前立腺癌についても、細心のPSA検査があると調べて、それもやってくれた。今の医者はそれを知らなかった。まあ、不勉強である。しかし、前回生検で癌は見つからず、PSAもグレーゾーンの一桁だから、いいかな、と思っていた。もし、数値が上がったら、改めてN先生に、一番いいドクターを紹介してもらう気でいた。それが、「閉院」だと言う。余裕があれば、こちらにも連絡してくれたと思うが、多分、その余裕がない病状なのだろう。おそらく、以前にも緊急入院した心臓だと思う。うまく治癒してくれれば、と願うばかりだが、そうなったとしても74歳、再開はもう無理なのだろう。
2024.12.12
「寝坊」というほどのことではないのだが、今朝は6時半近くまで眠っていた。まだ、ちょっと寝呆けた感じもするのだが、珈琲とバゲットで朝食は済ませた。たいしたことはしていないのだが、疲れる。昨日は、授業を3時間。答案返却とプリントでの演習。麻雀(天鳳と妻との二人麻雀)。ピアノ練習3回、といっても合わせて1時間。弓にはまったく触れていない。そろそろ三階といえども寒い。ストーブはあるのだが、天井が低くなっている所の一番奥なので、面倒だ。いや、本当はもうあまりやる気が出ないのである。ピアノは『夕焼け小焼け』のswing感がイマイチなので、メトロノームを鳴らして、耳で覚えようとしている。技術的には、一番ハジケル部分がまだもうちょっと。これはクラシックと同じで、速度を落として何度も弾くほかない。『夕焼け小焼け』はswingで弾くと速い。2分10~15秒。そうなると『赤とんぼ』は、あえてswingの部分は少なくして、しっとり聴かせられる。今日は昨日まで休診だったかかりつけ医に二人で。多分、心臓だと思うが、大丈夫なんだろうか。自分より4歳上。もう30年来のつきあいだ。ここが閉院ということになると、非常に困る。休診の情報は、ここを紹介した自分より10歳下の同僚に教わった。彼ももう定年である。自分は非常勤の上限70歳だが、来年度も「特例」扱いで、仕事ができる。彼も次年度から再雇用だ。週20時間のハーフということらしい。自分も62歳以降の5年間はそうだったが、これは非常勤と実態も変わらず、楽なわりに給与はちゃんと半分出る。自分も職業生活はあと数年だろう。頭と体がいつまでもつか。
2024.12.11
前回、道南版「みなみ風」に、自分のエリーゼ大賞受賞の記事が出たが、今度は妻が、全道版の右上にある「いずみ」という欄に、掲載されることとなった。昨日は、妻のピアノレッスン。1時からなので、12時ころ昼食の豚まんとうどんを食べていたところ、「体調不良で、レッスンお休みにしてほしい」という旨のメールが入っていた。「ああ、じゃ、今日はゆっくりだね」と言った直後に、道新からの電話。「いずみ」というのは、所謂「生活欄」のページの右上。女性だけの投稿欄である。妻の採用はこれで3回目。なかなかのものだ。一回目はそのピアノについて。レッスンし始めたころで、発表会で弾く「子犬のワルツ」を、「私が弾くと『子豚の盆踊り』になっちゃう」と。二回目は大学生だったころの息子からの電話の話。「あ、オレ!」「え、どちらさまでしょうか?知人に『おれ』というお名前の方はいないんですけど」「オレ!!Your son!」「おお、My sun! 私の太陽!!」「チガウ~~~!!」というやりとりを書いて、「オレオレ詐欺には気をつけましょうね!」と締めた。で、三回目は・・・掲載は19日だというから、こちらはfacebookにも載せようと思っている。今回は、義母について書いてくれた。今回は、じーんときそうなエッセイだ。妻はなかなかの文才である。
2024.12.10
258-268=536もうそろそろ限界だろう。それはうすうすは感じていた。一応、もう一台ある左用の弓に、サイトやロッドを付け替えて、試してみようとは考えているが、それでダメなら、弓を置く日は近い。ピアノの練習は1日3回、弓は3日に1回、3階近射だけで、春まで過ごし、50mが射てるかどうか試してからにしようとは思っている。
2024.12.09
昨夜は、息子の嫁さんのご両親のところにお呼ばれで、趣旨は自分のエリーゼ大賞祝。ちょうど何日か前、エリーゼからステージの動画が届いていたのを、テレビでかけてくれた。お寿司と、鯨ベーコン、9種類のおつまみになる料理が載っているプレート、身欠き鰊の燻製などテーブルいっぱいの料理。「おめでとう」とシャンパンで乾杯。本当にいいお付き合いをさせていただいているお二人で、ありがたいことだ。食べきれず、大量のお土産をいただいて帰ってきた。このところ、2時くらいに目が覚めて、海外ドラマ三昧である。今朝は「クリミナルマインド・ファイナルシーズン」。それを3話分も見てから、ようやく再入眠。6時に起きた。今朝は、9時に市民会館で、来年5月の歌舞伎のチケットの先行発売。いい席で観たい。午後からはインドアの月例会。これで今年は本当にもう最後だろう。昨日、練習に行ったが、あまりいい感じではなかった。それでも今できる射のベストを目指す。
2024.12.08
生徒とは、授業や小論文の指導などでいろいろな話をする。昨日の「公民探究」では、一人が受験のため公欠。もともと二人の授業なので、経済の基礎をやった。前任の非常勤は、専ら政治しかやらないというタイプだったと言う。信じられないことだが、いわゆる「社会」(今は「地歴」「公民」の2教科に高校の免許が分かれる)の教師には極端に教える内容を限定する人がいる。自分の中学の時の教師は、マルクスの唯物史観だけを教え続けたし、務めた時の「世界史」の教師は、自分の宗教的信念に反するという理由で、宗教改革以降の世界史はやらなかったと聞いて驚いた。つまり、彼にとっては近代市民革命、産業革命などは「世界史」ではないということだ。自分は、たまたま「社会」の免許は、必要単位を満たしていただけなので、申請したら取得できた、というだけのことで、教育実習は英語だったし、今は国語である。3教科(現在なら4教科)の免許を持っている教員には、妻以外出会ったことがない。そういうわけでその生徒は「経済」のことはまるで習ったことがないと言う。それで、特別に「概要」を教えた。私有財産(ロック)→自由放任(アダムスミスの「神の見えざる手」)=市場原理主義→貧富の差の拡大と資本家・労働者の対立→私有財産の否定→共産主義(マルクス・エンゲルス)→プロレタリ革命→ソ連邦解体・ベルリンの壁崩壊=社会主義経済の失敗、という一連の流れが一つ。貧富の差の拡大と資本家・労働者の対立→修正資本主義(ケインズ)=政府による有効需要の創出=公共事業=大きな政府=福祉国家→財政の拡大→国家財政の行き詰まり→オイルショック→新自由主義(=規制緩和・再び小さな政府)の台頭という現在に至る流れがもう一つ。とここまでを教科書記述を読みながら説明して、「だから今なるべく国営企業を解体して民営に、という流れになっている。国鉄→JR、郵政民営化もそう。あ、そういえば、もうみんな年賀状なんて書かないよね?」と聞いたら、年賀状はおろか、はがきも封書もだしたことがない、切手を貼ったこともない、と言う。まあ、そうだろうね、と思う。務めた当時は、クラス名簿で全生徒の住所、保護者名、職業まで一覧できた。さすがに教師の住所は、職員住所にしか載せていなかったが、生徒が「先生、年賀状出すから住所教えて」と言うので、大体の授業クラスでは教えていた。「だけど、賀状の返事は出さないよ」と必ず言うことにしていた。それでも、多い時には数十枚生徒からのだけで来ていたし、校長になってからは職場に来る分だけで数百枚。もちろん、世話になっているところにはこちらからリストを作って事務に出すように依頼していた。が、そういうわけで、昔の卒業生からは数枚年賀状も来るのだが、今の生徒からはまったくない。古い同僚などから「賀卒」の挨拶も何枚か来ている。もう民営化された日本郵政がいくら頑張っても、日本から「年賀状文化」はなくなってしまうのだろう。そういうわけで、自分も部分的「賀卒」を考えている。今年は自分からは、ほんの十数枚出して、それ以外は、来たら返事に来年から勝手ながら「賀卒」させていただく旨を添えようと考えている。そう言えば、校長時代の同窓会会長さんから、エリーゼの大賞おめでとうございます、という丁寧な封書をいただいた。そちらの方は、すぐにはがき(今は85円!)でお礼の一筆をしたためた次第である。SNSですぐに何かを発信できる時代だが、自分たちポスト団塊は「郵便文化」の最後を担う世代なのかもしれない。
2024.12.07
今週は、定期試験中の火水木は有休を取り、授業はないはずだったのだが、10月から引き受けた「公民探究」(実質的には倫理)が、月金の飛び出し7時間目があり、結局、家で採点するために、答案を取りに行ったりして、休んだのは火曜日だけだった。まあ、「師走」というくらいだから、非常勤講師も忙しいのである。答案は、大きなものは採点した。あと1時間もあれば、すべて終了する。来週返却なので、そう急ぐこともなかったのだが、今週は土曜日に息子の嫁さんのご両親のところにお呼ばれ。日曜日は、忘れていた弓の月例会。で、今日はフォーク酒場の予定だったが、どうにも気が乗らないのでやめた。冬の夜に出かけるのは、やはり億劫だ。自宅で好きなだけ歌っているので、行かないからといって、ストレスが溜まるわけでもない。そうなると、家から行くのは職場と麻雀だけになる。まあ、後は買い物、病院、たまに射場。70歳から71歳にかけても、こんな生活が続きそうだ。遠征で試合に行く回数はぐんと減るが、旅行には出るだろう。それでも、自分の意識の真ん中にあるのはやはり仕事である。自分は、今の状態を「職業的余生」だと思っている。
2024.12.06
韓国での「非常戒厳」宣言には驚いた。もっとも、それを知ったときには、すでに国会の決議を受け、解除されていたのだが、それにしても、一応民主主義国家だと思っていた韓国で、ああいうことがまだ起こるのか、というのが正直な思いである。そもそも「非常戒厳」は、国会を始めとしたすべての政治活動を禁止するのだから、もし軍と周到に準備してなされたことであれば、国会はすでに完全封鎖され、「解除決議」などできなかったはずだし、韓国は再び軍事政権となり、人びとの生活は厳しく統制されていただろう。ということは、今回の一件は、少数与党になり、身内のスキャンダルに晒され、二進も三進も身動きがとれなくなった大統領が、国防相の思いつきを真に受けて、破れかぶれで出した「非常戒厳」宣言だった、ということだ。しかし、野党もそうだが、多くの市民が国会、国会に集まり、警官隊と衝突し、「解除」を求め、今は大統領の弾劾を求めてシュプレヒコールを上げている。今の状況とは真逆のような気もするが、想起されるのは、4年前トランプが落選した時に、多くの支持者がトランプに煽られてホワイトハウスを襲撃した事件である。その当の人物が再び大統領に返り咲くのだから、トランプを求める土壌は依然として強固だったということである。翻って、日本の状況を見ると、大躍進した国民民主は代表の不倫騒動でコケたが、格差の拡大は、物価上昇によって下の方に伸びている。最下層(アンダーグランド)を構成するのは、必ずしも若年層だけではない。大学生の就職は好調だし、賃金も上がる中、ほぼ国民年金+αだけで生活することを余儀なくされる高齢者も少なくない。国民民主の主張した178万までの非課税は、自分としてはぜひ実現してほしいが、大半の高齢者はそこまで年金をもらっていない。150万程度なら、いわば、生活保護の保障以下で暮らしていることになる。そういう人はおそらく数百万人の単位でいるのだろう。ことによると1000万人を越えるかもしれない。非正規雇用も決してなくなったわけではないし、賃上げをしようにもできない企業のサラリーマンも多い。しかし、だからといって彼らが団結して国会前でデモをし、シュプレヒコールを上げる、というようなことはまったく起こっていない。コロナ下でマスク着用が強く求められたとき、ヨーロッパでもアメリカでも、強い反対があった。民衆は政府の決定にデモという形で抗議した。日本は・・・といえば、ご存じの通りである。もし有事法制が国会で議決され、「非常戒厳」のようなことが起こったら、日本人はどうするのか。自分の予想では、おそらく何もしない。むしろ、お上の命令に違反していないかどうかを監視し合う社会が到来するだろう。
2024.12.05
シューベルト即興曲NO2はとにもかくにも最後のページまで弾いた。実際は右手で流れるように音階を作るところと、強く弾く部分の繰り返しになるから、指が覚えてしまえば、もう少しよくなるだろう。エリーゼから、自分の演奏の動画が来た。背中の丸い老人が、ピアノに向かい、眼鏡をかけ、おもむろに弾き出す。我ながらジジイになったなぁ、と思う。そういう死にかけの貧相なジジイが弾いた『人生のメリーゴーランド』だったから、大賞が取れたのかもしれない。『夕焼け小焼け』のスウィングは、出来るようになってきた。『赤とんぼ』は暗譜に入ろうと思っている。なにしろ一日3回はピアノに向かい、3日に1回しか弓は射っていない。ちょっと体がなまってきている。
2024.12.04
「ん?こんな感じなら、HBCでも狙えるんじゃないか?」と三階近射で思い、前々回あたりから、トリガーレスHBCに回帰している。どうしても、やや下についてしまうのだが、それでもそこから少しだけ持ち上げることもできるようにはなった。また、一度に6本ずつ射つようにした。トライアンフはトップヘビーで重いので、たった5mでも、FATBOYとはずいぶん高さがちがう。今のサイトではトライアンフは真ん真ん中、FATBOYは12時9点のライン近くに刺さる。といっても、毎日やっているわけではなく、大体3日おき。今週は、昨日有休で麻雀に行ったので、土曜は久々に射場に顔を出すかもしれない。。
2024.12.04
健康麻雀に通い出したのは、一昨年の秋くらいだが、当初は役満を3回くらい上がり、すっかりそういうイメージができてしまった。が、昨年は1回だけ。今年も先月までは、ゼロだった。ところが、前回、四暗刻を自摸って、昨日国士無双を自摸る。両方とも、他家のロン牌だったから、ついている。やはり、季節的なものがあるのかどうか。ただ、役満が出るということは、あまり配牌に恵まれず、後半は降りることを前提にゲームを回しているのだから、ついているとも言えない。「おめでとう!○○さん」と久しぶりに会った雀婆が言うので、「あ、どうも」と。てっきりエリーゼの話だと思ったら、「すごいね、国士無双」だって。
2024.12.04
思わぬ大賞受賞となった今年のエリーゼだったが、地方版の記事にまでなってしまい、オヤオヤどうしたことか、と思っている。所詮、アマチュアのしかも大人になってからの再開組がほとんどのコンクールである。ショパンコンクールのアジア予選とかいうなら分かるが(まあ、それなら全国紙に載るが)、たいしたことにはならないだろうと高を括っていたのだったが、昨日、職場では職員室の黒板に新聞の記事が貼られている。同僚が口々に「おめでとうございます」などと祝意を述べる。自分は、再三書いているように、顔の見える人間関係の中で生きることがとても大事だと考えているが、まさにそういう中で、今回の事件(?)だった。最初は、エリーゼをともに参加した北海道エリーゼのライングループだった。まあ、ここは同好の士の集まりだから、そうなるだろう。記事が出てからは、同級生ライングループ、そして健康麻雀のメンバー、昨日が職場である。後は地元の弓爺たちにはまだ会っていないので、そんなものか。生徒は、自分が珍しく有休で授業を自習にしたから、その理由は話しておいたし、1クラスは「聴きたい」というので、音楽室で弾いてあげた。だから、結果も報告している。大きな拍手、嬉しかった。もちろん、職場には有休の理由など話していない。以前、そういうことを無神経に聞く校長に「それ、労働基準法違反ですけど、どうしても答えろということですか?」と言ったこともある。ちょうど試験で、授業はないので、また授業に行けばおめでとう、と声を掛けられるかもしれないが、今週フォーク酒場に行く予定なので、そこでまた、ひとしきりあるだろう。一番、喜んでいるのは妻で、来年はダブル受賞だといって燃えている。まあ、適度に刺激があり、暇な老後でないことだけは確かだ。
2024.12.03
このところ、朝起きて台所に立ったり、食卓の椅子に掛けたりすると、途端にクシャミ、鼻水が止まらなくなる。足元などが、ちょっと足元などが寒いなと感じた途端そうなる。妻が調べてくれたところによると、どうやら「寒暖差アレルギー」というものであるらしい。ただし、アレルギーといっても、「寒暖差」はアレルギー物質ではないので、自律神経の不調による、血管収縮の動きが低下することによるものらしい。今朝は、整形に診察券を出しに行く日なので、5時ちょっと前に起きた。用心して、靴下を履き、ガウンを着て、居間のストーブの温度設定を26℃にしたら、今のところ大丈夫なようだ。築40年を過ぎた我が家は、木造だが、断熱材はリフォームの時にも補強してあり、冬は何とかなっている。が、FFストーブが全部で7台、ファンヒーター1台、電気暖房機2台と暖房は盛大にやらないとダメだ。もちろん、三階や子ども部屋など、滅多に点けないストーブもあるが、冬の灯油代は、大体月4、5万だろうか。今も、二階で寝ている妻は22℃くらいの温度設定でストーブを点けているし、玄関室のファンヒーター、トイレの電気パネルはONになっている。北海道の人間は、実は寒さには弱い。自分は道東の帯広で育ったが、子どものころはー30℃という日はよくあったように記憶している。石炭ストーブを真っ赤になるまで炊いて、半日もたない。2台目のストーブに換え、1台目の炭ガラを捨てるのが自分の役目だった。庭に捨てると、雪がジュッと音を立て、そこだけ少し凹む。石炭小屋から石炭を入れて、それを玄関に置いておく。部屋はストーブの回り2,3mは暑いほどだが、部屋の隅では氷が張るくらい寒い。教室もそんな具合で、1度だけ定期試験の学年順位が4番まで落ちたことがあったが、その時の席はストーブの真ん前だった。ぼーっとして何も考えられなかった。自分の寒暖差アレルギーもそんな育ち方をしたからかもしれない。【追記】着替えて、珈琲を温めようと台所に再び行ったら、もう鼻水が少し。困ったもんだ。
2024.12.02
いよいよ師走。今朝、当ブログのアクセスが34万を超えた。まあ、だからといって、どうということもない。2017年から再開したが、再開時点では10万くらいだったろうか、よく覚えていない。まあ、よく続いているね、と思う。ここでは、一応匿名なので、好きなことを好きなように書いている。その時々の、出来事や雑感、ややまとまった考えなどを朝のひとときに書いているだけだ。最初はアーチェリーの記事ばかりだったが、そのうちに仕事や家庭生活なども書き始めた。あと何年続くか分からないが、書くことは好きなので、健康なうちは続けるのだろう。そのころブログで知り合った人たちとの交流はもうほとんどない。最近facebookを始めて、そちらの方は実名、写真付きで、月1,2回、近況報告などをしている。身辺雑記的なものをダラダラとは書くのは、むしろこちらの方だ。もはや、オールドメディアと呼ばれる新聞だが、やはり一定の読者数はあるようで、まず、昨日の麻雀で「新聞に出てたよね!」と雀婆の一人が向こうの卓から。腱鞘炎で湿布を貼って行ったときに、「どうしたの?」「あ、ピアノの弾きすぎで」「え?ピアノやってるの?」「はい、全国コンクールあるんで」というようなやりとりがあり、その後「例のコンクールどうでした?」「おかげさまで大賞、1位でした」という話もした。だから、土曜の常連さんたちは知っていたと思うが、ほかの雀婆、雀爺たちは知らなかっただろう。「趣味がいっぱいあっていいわね」と言われた。まあ、確かに。次に、同級生のライングループで、幹事役のI君が記事を紹介してくれて、そこでもひとしきり、みんなが「おめでとう」のラインを。もちろん、家族のライン、自分や妻の友人たち、いろいろな反響があった。少し、練習にも熱が入ると思うが、ピアノはとにかく毎日弾かないと、上手くならないのは分かっているし、来年はジャズポピュラーとクラシックの両部門で出場を考えているので、今からやらないと間に合わない。1年に2,3曲仕上げるのが精一杯である。妻も2部門。そうなると、エリーゼだけで全国で16万、予選でも7万の出場料。弓の全国でも1万以下の出場料からみると高いが、老後の楽しみの値段としてはこんなもんかな、と思う。実際は、旅費ももっとかかるし、ピアノにはレッスン料、調律料などランニングコストもかかるので、年間100万くらいはかかっている感じだ。が、それに見合うだけの楽しみは十分に得ている。今朝は早く起きすぎたので、これから二度目の睡眠を。
2024.12.01
玄関前のお花がクリスマス仕様になった。小さなカップは弓の試合で最後に優勝した昨年のマスターズのもの。もちろん、「最後」とは思っていない。三階近射で、土台から作り直し、「来季こそ!」とひそかに考えている。エリーゼ大賞の方は、地方版の記事に三段というわりと大きな扱いで掲載された。取材からもう2週間くらい経ったのでボツかな、と思っていたら土曜、朝の紙面での掲載。ああ、そういえば今日麻雀に行くから、雀婆たちにすっかりバレちゃったね、と思った。職業も職場も明かしていない。記事では、元校長、現非常勤講師とまで書いている。まあ、別にいいのだが。そちらの方は、FACEBOOKに上げている。今年のクリスマスは、この前見つけたフランス料理の店で祝う予定。安くて美味しい。昨夜は、久しぶりにフォーク酒場と思っていたが、1時間の授業をして帰宅したら、何だか疲れてしまい断念。6時半夕食。8時過ぎには風呂に入り、9時台に就寝、というのがすっかりライフスタイルになってしまい、それが乱れると疲れが残る。だが、来週は行きたい。
2024.11.30
昨日、授業の後、昼食を職場で食べて(普通は、4限で終わるので家で食べる。今回はカップラーメン)、それからワクチン注射のため、いつも通っている整形に。今回は、国産のワクチンだそうで、今のところ左肩が痛いくらいで、熱も出ないし、たいした副作用はない。ただ、帰りがけやたら眠気が差し、途中で買い物をする予定をやめにして、家に直行。昼寝をしたら、1時間ほど熟睡した。それもあって、今朝はこんなに早く目が覚めてしまった。今年からは有料で、3,000円くらい。これは65歳以上の「接種対象者」だからだそうで、今年度限りの措置だったのが、来年度も継続になるらしい。去年までのあのバカ騒ぎは一体何だったのかと今さらながら思う。「三密」が流行語になり、県外ナンバーの車などがあると、「自粛警察」が目の敵にする。毎日、感染者数を発表し、医師などがもっともらしいコメントを喋る。その中には芸能事務所と契約し、ちゃっかり、ワイドショーのコメンテーター常連に収まったのまでいる。今年と去年では、感染者数もそう変わらないし、死者数も同様だ。コロナは、次第に弱毒化し、もう恐ろしい病気とは言えなくなったのは、去年ではなく、一昨年からだった。同級生で三代目の病院院長は、発熱外来をいち早く作り、噂では5億、いや10億くらい荒稼ぎをしたのだが、コロナ騒ぎが収束した途端に、急逝してしまった。彼も、コロナの犠牲者の一人かもしれない。コロナが終わると、今度は「賃上げ」と「物価高」のラリーが始まり、年金生活者はそのどちらにも追いつけず、ひっそりと暮らし始めている。なぜ、そうなったのかは、財務省の言うことを聞けば分かる。GDPの1.3倍の国債発行残高は、結局、物価を上げて、その間に新規国債発行を「プライマリーバランス」至上主義で抑え込み、日銀に利上げを速いスピードではさせない、といった手段で金利の実質負担を減らすほかない。文章についていけない人のためにもう少し分かりやすく言おうか。例えば物価が30%上がれば、税収もやはり30%上がる。だから国家予算も30%拡大せざるを得ない。そこで、新規国債発行を抑え込めば、国債発行残高のGDP比率は下がる。早い話が、誰かに1万円貸しても、返してもらうときに500円利子をつけてもらっても、物価が30%も上がっていれば、貸した方が実損になるだろう。その1万円の価値は、貸したときから見れば、7割方にしかないからだ。いや、物価は2%、せいぜい5%くらいで、30%も上がってないという人もいるだろう。だが、スーパーで買い物をする人の実感は、週1回の買いだめで、今までは5,000円でお釣りが来たのに、今は10,000円で千円札2,3枚のお釣りしかこないのではないだろうか。まさに30%の物価高だ。フードバンクへの企業の寄付は極端に減り、子ども食堂などは運営の危機を迎えている。多少資産を持っていても、今までの生活レベルを維持しようとすれば、それを食い潰すしかないし、いや、将来に備えて貯金をと言っても、やっとゼロ金利が終わったくらいの金利しか付かないのだ。それでも給与が上がれば、何とか生活は回る。悲惨なのは非正規労働者だ。あるいは、給与を上げたくても原資のない、中小零細企業の正規社員もそうだ。日本の成長率は、せいぜい2%くらい。それでも成長しているのは、高齢者の消費によるところが大きい、と自分は見ている。「資産を使い切って死ぬ」のがいい、という令和版「児孫のために美田を残さず」の風潮が出始めている。全員が75歳以上の後期高齢者となった団塊の世代は、まだ日本型雇用の逃げ切り組で、退職金も年金も高かった。また、退職時の金利もよかったから、安全に資産を増やせた。「失われた30年」というが、彼らの現役時代はその前に終わっていたのである。この世代が、本気でお金を使い出せば、GDPを2%くらい押し上げることになる。何しろGDPの6割は個人消費なのだ。日本の国力が落ちていることは隠しきれない。今、千歳に次世代半導体の大工場が建っているが、本当に世界初の新しい半導体ができるとは思えない。なぜなら、優秀な研究開発者が報われないから、彼らはどんどん国外に行くからだ。たとえ、開発が出来たとしても、それはもう「世界初」ではないだろう。今は、日米金利差という微細なところに神経質になり、多少円高になっているが、通貨が国力の反映である以上、円の価値はどんどん下がり、つまりは円安になり、それがさらなる物価高を招くことになる。まあ、そんなことはどうでもいいのだが、そのまだしもマシな年齢層である65歳以上の高齢者に「接種対象者」などという誤解を招くような呼称(まるで65歳未満は接種無用と言うのと同じではないか!)をつけて、ケチ臭い割引などしない方がいいのではないか、というのが自分の意見である。もっとも、割引がなければ、1万円も払ってワクチン接種なんかしないのだが。
2024.11.29
昨夜は9時台には入眠。昨日は、何だか疲れてしまって、あっという間に眠った。いつも海外ドラマをかけながら、目をつぶって聴いていると、眠りに落ちる。英語で聞くのがミソで、分かったようで分からないという状態が一番眠れる。旧作なので、一度見ているから、何となく覚えている、というのも眠りやすい理由だ。今は「メンタリスト」シーズン5で、二回目だ。DVDレンタルはもう流行らない業態だが、配信より自分には合っていると思う。50分でテレビのタイマーをセットするので、いつまでもついていることもない。1:40ころ一度目が覚める。これもいつものことで、大体入眠から4,5時間で一度は目覚めるのだ。それから、ウダウダしてから、また眠るというのがパターンだが、昨夜はそのまますぐに眠ったらしい。というのは時刻を確かめるためにつけたテレビが、そのままだったから。音量を極小さくしれいるから、眠りを妨げない。また、妙な夢を見た。ちゃんと目が覚めたのは4時33分。テレビの画面で確認、「国際報道」だった。が、しばらく半睡状態でまどろんでいた。5時前に起きて、昨夜の片付け、といっても食洗機の食器を片付け、グラスを手洗いするだけ。朝食を作る。これも、珈琲を淹れ、昨夜の残りのポテトサラダと焼き肉、フランスパンにバターとガーリックパウダーをかけて焼いたものを一枚。今日、教える予定の共通テストの新分野「実用文」を解きながら、いただく。二杯目の珈琲。デザートのみかん。今年の長崎蜜柑は美味しい。実用文は、またくだらない問題かな、と思ったら、今回のは存外面白かった。AIが仕事の47%に取って代わる、という例のイギリスの学者たちの論文を引き合いに出し、定型仕事は代替率が高く、非定型の仕事は低いという。特に高度な対人スキルが要求され、その都度の判断が求められる仕事は、AIに取って代わられることはない。「教師」もその中に含まれる。まあ、そりゃそうだろう。授業を「定型」に落とし込む教師は小学校から大学まで何人もいたが、まったく面白くなかった。自分は主として「現代文」を担当してきた。が、今はこの科目名称はなくなってしまい、「論理国語」「文学国語」という訳の分からない区分けをしているが、自分の担当は「論理国語」。理由は簡単で、論理国語には毎回の改訂で新しい文章が出てくる。そうすると、毎年同じ授業をするわけにはいかない。要は予習が面倒なのだ。そういう教師の授業は「定型」であり、つまらない。まして、3年の問題演習形式の授業なら、問題が代わる頻度はもっと高い。毎回、自分で解かなければならない。それを、解答を写して授業に臨むようなことをすれば、結局、それは「定型」労働で、そんな授業をするくらいなら、最初から解答、解説を印刷して配布した方がいい。つまり、AIの方がよほどいい授業ができる。などと、いつものように朝から毒づいたが、自分としては、この仕事が非常に好きだ。だから、非常勤の定年70歳を越えて、来年も「特別」という待遇で続けられるのはありがたいことだ。脳トレなんかする必要がない。と、ここまで書いて6時。今日は、退勤後コロナワクチンの接種なので、もう少し眠って体力を温存しておこう。
2024.11.28
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