全349件 (349件中 1-50件目)
過去2年間 三ヶ月ごとに 定期検診を続けてきました。ガン関連の4つの指標が 正常値を越えているかどうか毎回 ドキドキの連続です。医療関係のテレビ番組でも話題の(前立腺肥大またはガン関連)PSA指標は 残念ながら 毎回基準値を大幅に上回ったままです。 が 担当の医師(部長)に 「この程度の数値なら しばらく模様を見ましょう」と言われ 利尿剤を処方されただけで それ以外何の処置もしないまま 早いもので2年が過ぎました。
2009年02月27日
コメント(43)
すい臓の切除手術を受けた場合 術後の寿命は半年だそうです。 「現在は 悪性化していないようなので模様をみる・・・」 という医師の判断が 唯一の救いです。自分でできる事は 食事の内容を研究して 脂肪関係の食品を極力 食べ過ぎないようにしていこうと思います。図書館から4~5冊 医学関係の本を借りてきて勉強しております。「肝臓 胆嚢 すい臓の病気を良くする 生活読本」 ~名医の図解 主婦と生活社大変 参考になります。毎日 2時間ほど 歩いて 血液循環をよくするように努力しております。
2007年12月18日
コメント(112)
私自身のガン発見の過程 243月8日 (水) CTとMRによる精密検査の結果が ついに出ました。「今後 半年くらいの間隔で 定期的に CTとMR検査をして 模様をみることにしましょう」とのご託宣を受けました。「IPMT=すい管内乳頭腫瘍の疑い」あり だそうです。私のすい臓の中およびすい管内に のう胞が あちこちに散在しているのです。大きいもので 1・3cmあります。 そして すい臓だけでなく私の腎臓にも のう胞が見つかりました。これが 大きくなって悪性化した時が 私の寿命が尽きる時?という訳です。 すい臓の切除手術を受けた場合 術後の寿命は半年だそうです。
2007年09月22日
コメント(1)
私自身のガン発見の過程 232月19日(月) 病院へ行ってまいりました。 すい臓に のう胞ができている。 さらに詳しく調べるため CT精密検査を受けました。 そのため 昼食は抜きでした。 この一週間は 図書館から借りてきた「すい臓」に関する本を 5冊ほど 読み漁ってきました。 2月26日 (月) すい臓の 精密MR検査を受けてきました。 やはり昼食抜きでした。 すい臓ガンは治療するのに 一番難しい臓器だということが解かりました。 たまたま 私の場合 これでも まだ早期発見だったかもしれない というのが 唯一の救いのような気がします。 ところが CT精密検査の結果 すい臓の中でも 一番 治療が 厄介な 「すい管」の中に腫瘍があるらしいのです。 明日 予約無しですが 更なる精密検査のための予約をいれて 頂くために 病院へ行ってこようと思います。
2007年09月19日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 222007 2月昨日13日(火) 病院へ行ってまいりました。 普通なら CTやMRの予約は 一ヶ月以上待たないと 順番が取れません。 勿論 担当主事医師が 前回ダブって CT予約を一ヶ月先の分まで予約していたのを 私が黙って そのまま予約枠を確保しておいたのが 結果的に 役に立ったのです・・・でも 帰宅してから 一眠りして 夕方暗くなるころに 図書館へ行って 「のう胞」の事をより詳しく調べてまいりました。 夜7時近くなって図書館を出て そこから歩いて5分のところにある まーちゃんの眠る共同墓地・久遠林へ行き 日課のお参りを済ませその隣の池上本門寺の96段の石段を上って 本堂前で拝んで 帰宅しました。 池上本門寺の石段の手前の 明るく照明が照らす広場では まだ 7~8名の少年たちが マメ野球をして遊んでいました。
2007年09月13日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 212007 2月昨日13日(火) 病院へ行ってまいりました。 当日の尿の検査結果は「+・-で問題なし」と泌尿器科で言われました。 「大腸のポリープは 悪性ではありませ」と外科で判明。 ということは 私の体の他のどこかに ガンができているはずなのです。 ソレらしいのが 現れました。 先月末に検査した腹部のCTの 結果を知らされました。 更なる より精密なCT及びMR検査が必要となりました。 病院の外科の診察室で かなり詳しく説明を受けました。 小学校の時 家に遊びに来たことのある方が 立派に医師になられ その医師が とても親切に次の検査の予約を早めに手配して 下さったのです。 (まーちゃんが入院していた時から ずーっと・・・)
2007年09月11日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 202007 2 10 金その2 リンパ節とかは抜けているのですが まだそこまでは必要無いと思います。 尿関係の部位が 問題ありそうですが 泌尿器科の先生は ゆったりペースなので すぐには結果・治療に 進んでくれそうにありません。 これまでわかったことは前立腺肥大が 頻尿の原因ということ。 そのお薬を頂いて 1ヶ月 飲んでいるのですが まったく効果は現れません。 大腸の内視鏡検査で 7mmのポリープが見つかり切除して頂きました。 そのポリープが 悪性かどうかは まだ知らされておりません。 出血防止のため一週間のウォーキング禁止期間が過ぎたので 昨日と今日 まーちゃんが眠っている久遠林から さらに歩いて20分の近さにある 池上梅園へ 一人で行ってきました。 昨日は 平日だったので 人影がまばらで 太陽も顔を見せず淋しい感じでした。 紅白の 満開の梅の花を見ているうちに 涙が溢れ出して しばらくの間 止まりませんでした。 昨年の今頃は まーちゃんと一緒に 自転車でこの池上梅園に来て 手をつないで 梅園内を散策したのを思いだしていたのです・・・
2007年09月10日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 192007 1 31 水今日も朝食抜きで 腹部(すい臓~膀胱)CT検査を受けてきました。一月は ガンの疑わしい部位探しの 検査・検査で あっという間に過ぎました。2007 2 10 土一月は 嵐のようにアッという間に過ぎ去りました。 二月に入ったと思ったら もう10日 過ぎてしまいました。 まーちゃんの ガン再発発見が遅れた本当の理由を知りたくて 思いついた 私自身の血液検査でしたが それがキッカケで 今度は 私自身の体のどこかに ガンができている可能性が非常に 高いという指標が 二つも出ました。 SCCとPSAというガンの腫瘍マーカーです。 それに加えて 尿に血が混じっているという検査結果が出ました。 1月中に三回尿検査を受けたのですが 三回とも同じ結果でした。 人間ドックに予約を入れたのですが 一ヶ月以上も待たなければ なりません。 そこで まーちゃんが2年半お世話になった病院の主治医にお願いして 特別に 次々と私の体の各部位を 検査予約を入れて下さいました。 私のノド・食道・胃は その主治医に内視鏡で覗いて頂きました。 そして 大腸・胸部・腹部(すい臓・腎臓・膀胱)・脳・心臓・肺機能など 自分で思いつく 全ての部位を調べて頂きました。
2007年08月31日
コメント(1)
私自身のガン発見の過程 182007 1 30 火その4「一週間ほど前にも 排便の時に 鮮血がでました」と私。「肛門のところに ジがあります」と言って 先生は内視鏡の先端で 他の部位よりも うっすらと赤く血がに滲んでいるように見える場所を 画面に映し出して下さいました。35分ほどで全作業は終了しました。 2時半を過ぎていました。 私は先生にお礼をして急いで 頭部のMR検査室へ向いました。 予約は 2時45分です。MR検査の控え室に入ると 「検査は うるさい音がしますので」 と言って 看護士さんに耳栓を渡されました。
2007年08月25日
コメント(1)
私自身のガン発見の過程 172007 1 30 火その3「珍しい形の・・・ポリープを見つけました。 今 電気焼却の 用意をします」と 言って 先生は看護士さんを呼び看護士さんは私の腹を 両手で挟みこむように押さえました。ポリープ切除自体は ほんの一瞬で 終りました。「出血が無くて うまくいった」と 先生が 電気焼却後のポリープの跡を もう一度内視鏡の先端を向けて 画面に映し出して下さいました。「先生 もう一つ見つけて下さい」と 私が頼むと「無いに越したことはないけど 見つかれば ね。 今 切除したのは 悪性かどうか検査に回しますからね。もしかしたら ガンになったかもしれない」と 先生。
2007年08月22日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 162007 1 30 火その2大腸内視鏡検査を担当して下さったのは まーちゃんを担当して下さった時と同じ先生です。 その時も 私もまーちゃんの傍についていましたので よく知っています。要領は心得ていましたので 何の緊張感もなくスムーズに お尻から内視鏡の管を ずんずん挿入いていかれました。 私も 横になりながら モニター画面を見上げながら 先生に話しかけました。 「先生 ポリープを見つけて下さいネ」「ええ あったらネ。 あなたの腸は 長い方に属しますね」と 気楽に会話を交わしながら 往きは 15分くらいで 盲腸に辿りつきました。 「その少し手前からが 小腸です」と先生。「先生、小腸ガンっていうのは無いのでしょうか」と 私。「非常に少ないですね・・・全く無いという訳ではありませんが」先生は 行きよりも返りの方がゆっくり時間をかけて 丹念に疑わしい部位が無いか調べていかれ ついに 内視鏡の動きが止まりました。
2007年08月03日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 152007 1 30 火今日の検査のため 昨29日の昼から食事制限をして臨みました。今朝は食事抜きでした。昨晩9時 2種類の下剤を飲みました。 プルゼニド錠 3粒と ラキソベロン液 12mg。明け方3時に お腹が痛くなり トイレへ直行。朝方も30分おきくらいに 4どトイレへ駆け込みました。午前9時すぎから マグコロール50g(内クエン酸マグネシウム34g)を900ミリリットルの水に溶かしてボトルに入れました。CCレモン500mのボトル2本分です。それを 1時間半くらいかけて 10時半頃までに 飲み干しました。大便は殆ど 朝方までに出きってしまっていたようです。正午頃まで 6~7回 15~20分間隔で出るのは黄色い水っぽい便というより ほとんどオシッコと見分けがつかないくらいの液体でした。午後 12時半 車で病院へ向い 1時前に病院の内視鏡科へ着きました。病院のトイレへ駆け込んで 便座に座るのですげ 便意はあるのですが 何もでません。
2007年07月30日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 142007 1 26 金今日 次回の腹部CT検査の際に ついでに膀胱部分のCT検査項目に追加していただけるか病院へ行って 担当医師に 相談してきました。泌尿器科部長の先生は 私の「エコー検査をして下さい」の要望に対して「今の段階では エコーでガンが発見できるほど 病巣が大きくなっていないので 意味がない」と 前回の診察時に言われました。そういう経緯がありますので 外科の主治医に お願いしました。まーちゃんを 2年半 担当主事医を務めて下さった先生で特別に 早めの検査予約をお手配くださいました。検査 ひとつとっても 思うように 実行してもらうのに苦労しております。
2007年07月20日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 132007 1 24 水コバちゃん日記今日も病院へ行ってまいりました。先週19日の金曜日に行った 胸部CTの結果は 異常なしでした。ということで また 次の 検査を予約して頂きました。おそらく 前立腺肥大の関連が 一番 犯人濃厚のような感じがします。とにかく 1月5日 15日と 二度の尿検査で 血が混じっておりさらに 今週月曜の22日 三度目の尿検査中です。PSA(前立腺ガン検査値)の値からも 他の臓器よりも 一番疑わしいと思うのですが・・・
2007年07月18日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 122007 1 22 月これまでの検査の結果で 食道と胃は正常と判明いたしましたので食欲 体力とも 従来と変わりはありません。 病院通いで 体重が 1kG減少したくらいです。昨日 泌尿器科の後 皮膚科で 私の足の裏に出来た ウオノメを切除して頂きました。 昨年の夏 まーちゃんが入院して以来 毎日 歩きどおしなので足の裏にマメができてしまっていたのを そのままにしておいたら固くなって 歩いていると痛いくらになってしまっていたのです。午後からは 血液内科の先生に 血液検査の結果について基準値以下の血小板の件で お話をお聞きしました。1月5日の検査で 13だったのが 1月15日の検査では 14に改善したのですが まだ 一般基準の最低ラインには 達していないのです。
2007年07月06日
コメント(1)
私自身のガン発見の過程 112007 2 22(月) 先週19日の金曜日に 外科に立ち寄ったところ その結果が出ていて決定的な高い数値が確認されましたので 更に 詳しく調べて頂こうと今日22日(月)泌尿器科へ 予約なしですが 行って来ました。「PSA基準値4に対して 私のは6・5ですから エコー検査で ガンが出来ている場所を調べて頂けませんでしょうか}と私。泌尿器科部長の医師が 次のように おっしゃいました。「PSAの数値は ガン以外の別の原因でも上がることがある。 この程度の数値では エコー検査でも ガンを発見できないでしょう。 あなたの尿には血が混じっているので もう一度 今日 尿検査をして その結果を見た上で 次の手立てを考えましょう」
2007年06月20日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 112007 2 22(月) 先週19日の金曜日に 外科に立ち寄ったところ その結果が出ていて決定的な高い数値が確認されましたので 更に 詳しく調べて頂こうと今日22日(月)泌尿器科へ 予約なしですが 行って来ました。「PSA基準値4に対して 私のは6・5ですから エコー検査で ガンが出来ている場所を調べて頂けませんでしょうか}と私。泌尿器科部長の医師が 次のように おっしゃいました。「PSAの数値は ガン以外の別の原因でも上がることがある。 この程度の数値では エコー検査でも ガンを発見できないでしょう。 あなたの尿には血が混じっているので もう一度 今日 尿検査をして その結果を見た上で 次の手立てを考えましょう」
2007年06月20日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 102007 1 15(月)は 胸部CT撮影による検査でした 結果はまだわかりません。私がお願いして 主治医による食道・胃の内視鏡検査の後 その主治医に 泌尿器科へ紹介状を書いて頂きました。その泌尿器科で「おしっこが 一日に15回」という事を話しましたら診療室にあるベットに横になるように言われました。そして医師が 「失礼!」と言って 私の肛門に指をいれて うなずきました。”前立腺肥大”を確認され お薬を頂いております。その際 PSAという追加の腫瘍マーカー・血液検査をしていただきました。
2007年06月09日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 92007 1 15 月私自身の血液検査の結果私の身体は 過去半年の間に 私自身が思っている以上にガタがきていることが判明しました。 その一つに私の身体のどこかにガンが出来ている可能性が非常に高いという指標・腫瘍マーカーが出たのです。これを発見できたのも まーちゃんのおかげだと思います。15日(月)は ノドと食道と胃を内視鏡で覗いて調べて頂きました。ガンは見つかりませんでした。「ノドと胃に軽い炎症が認められただけ」でした。
2007年06月08日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 82007 1 15 月そのため外科だけでなく 耳鼻咽喉科にも受診しました。その結果 まーちゃんの場合 リンパ節への転移があってそれは 内視鏡でもCT画像でも見つけることは 難しいということを 聞かされました。 抗がん剤でも リンパ節に転移したガンを抑えておくことはできなかったようです。残念ですが 誰をも責められない 諦めるしかない事のようです。そして 私自身の血液検査の結果私の身体は 過去半年の間に 私自身が思っている以上にガタがきていることが判明しました。
2007年06月07日
コメント(0)
2007 1 15 月年が改まり 病院通いが始まったきっかけ・本当の理由は以下のとおりです。まーちゃんが 生前 2004年7月1日 8時間に及ぶ 食道及び下咽頭ガンの大手術の後 声と引き換えに命を返して頂きました。その後 3ヶ月ごとに 再発予防のための抗がん剤点滴を一週間入院して検査して・・・を まーちゃんは頑張って繰り返してきたのに ガン再発発見が遅れて・・・という思いを私は捨てきれませんでした。そこで 私自身が血液検査を受けて その際 まーちゃんのガン再発を防げなかった理由は何かを それとなく 担当医師から 聞き出そうと考えたのです。
2007年06月05日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 62007 1 11 木私の家から歩いて5~6分の所にあります(本門寺とは反対方向の)荏原高校 というネームが見えたのです。 全国大会でも 少しは名が知られているようですので・・・思わず 嬉しくなって 「私は 妻がここにお世話になるようになってから 毎日 ここへ来ているんだよ」」と 言いますと「お気をつけて」と 女子生徒が 別れぎわに 声を返してくれました。 私は温かい気持ちになりました。
2007年06月04日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 52007 1 11 木昨日は 自宅の庭の松ノ木の枝を 長さ 6~70cmに切って10本ほど 久遠林の祭壇の 沢山の花のお供えの バックに さしてきました。合祀・共同墓地ですので 誰かと出会います。 いずれは 同じ墳墓に眠ることになる方々ですので気楽に声をかけて お話ができます。 祭壇にお線香をあげて 拝んでから 墓地を出ようと 入り口まで戻りかけた所に20名近くの 高校生の一団が 運動用のトレーニング服姿で男女各自 思い思いの体操をしていました。 その運動服の背中を見て 驚いてしまいました。
2007年06月03日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 42007 1 4 木病院へ行く前の お正月のお話を 少しだけ・・・まーちゃんが眠る久遠林その隣の96段の石段を登って 池上本門寺の境内では 今日4日も お猿さんが頑張って 芸を披露していたり 別の舞台では 獅子舞があって 歓声が響いていました。 数千の人出でした。 昨年は まーちゃんと 3日の日に ここへ きたのです・・・ その時は まーちゃんは 私に両手を広げてみせて お賽銭を 100円もあげたから 「今年は いいことがあるよ」と 私に話していたのです・・・夜は 部屋は別なのですが それぞれの部屋にあるTVに同じ番組を映して見ています。私はいつも心で まーちゃんと会話を交わして過ごしております
2007年06月02日
コメント(1)
2007 1 1 月病院へ行く前の お正月のお話を 少しだけ・・・昨年は まーちゃんと一緒でしたが今日は 「昨年は 一緒に 本門寺に来たよね」 と心でまーちゃんと会話を交わしながら 96段の石段を 登りました。それはそれは 大変な人出でした。お猿さんが 2mほどの竹馬に乗ったり 2mほど離れた跳び箱を飛んでみせる芸当を見て その都度 大歓声が上がりました。また 地元保存回による獅子舞いの舞台の周囲も 幾重もの人垣でした。 昨年 まーちゃんと一緒に歩いた 同じ道を通って帰りました。 お正月とは思えないほどの 大勢の人が 道路をのんびりと 歩いていて とても おだやかな気分の 一日でした。
2007年05月31日
コメント(0)
2007 1 1 月病院へ行く前の お正月のお話を 少しだけ・・・午後1時過ぎ セイチャンの家へ 挨拶に行きました。二組の息子さんご夫婦と その子供の分 総合計 9人分のお年玉をビンゴゲームをして ビンゴになった人から 順々にお一人ずつ 差し上げました。その際 お愛嬌の 面白メガネをかけて バンサーイと掛け声をかけてもらう という趣向で 集まったみなさんに初笑いを していただきました。それから 私一人で 久遠林へ いきました。ご住職の奥様と 明るい会話を交わしていると ロンドンから帰国中のお嬢様が顔をだしてくれたので お互いのHPの話をしました。楽しく立ち話をしていたら 2~30分が あっという間に過ぎました。それからて すぐ隣の池上本門寺へ行きました。
2007年05月29日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 12007 1 5 金「鼻中核湾曲症」ということは ○十年前から分かっておりました。「夜 口を開いて寝るため 朝目がさめると 口の中が からからになってしまう」はずです。と 医師に見抜かれてしまいました。手術すれば直ると言われたものですからこの際 直して頂いておいたほうが良いかなと思い 応じました。入院・手術の前に CT撮影とか 心臓その他の検査を受ける必要があるそうです。
2007年05月26日
コメント(0)
私自身のガン発見の過程 12007 1 5 金今日 病院へ行ってまいりました。まーちゃんの昨年の入院費のお支払いと 念のため 私自身の血液検査のためです。ついでに ひやかしのつもりで 立ち寄った耳鼻咽喉科で鼻を覗いてもらったら 入院する破目になりました。入院の予約も入れました。 もっとも一ヶ月先の話ですが・・・
2007年05月25日
コメント(0)
再びお墓の話 その26ご住職に 感謝の気持ちで一杯になりました。あの巨大墓銘石碑に 私とまーちゃんの名が 二人並んで 刻み込まれました。同時に 家の仏壇に供える お位牌も 二人並んで 記して頂きました。普通一般的には 生きている人の名は 朱色で書くそうですが 私の場合は「亡くなった奥さまと 一緒の色でいいでしょう」と ご住職が話されました。そして この日以降も 私は毎日 久遠林まで 心の中でまーちゃんと会話を交わしながら 歩いて出かけております。
2007年05月18日
コメント(0)
再びお墓の話 その25その 一週間ほど以前に まーちゃんと私の二人に 戒名を授かりました。私の戒名は 善敬 そして まーちゃんの戒名は 喜敬です。実名の 中間に それぞれの戒名が挿入されます。 私は ○○ 善敬(ぜんぎょう) □吉 まーちゃんは ○○ 喜敬( ききょう) 満△△「お互いに 慈しみ・敬い合い 仏を敬い修業に励むように という意味です」と ご住職が 説明して下さいました。よくよく注意して見ないと 両方とも同じ戒名かな? と思うほど よく似ています。そして まーちゃんの戒名には 私の名前の 吉 という字が入っているのです。
2007年05月15日
コメント(0)
再びお墓の話 その24こうして 楽しい和気藹々とした 和やかな雰囲気の中で 心優しいご住職や奥様によって 管理・運営される 照栄院・久遠林で まーちゃんの魂は 末永く 見守って行って頂けることになりました。七七日忌法要は 早めの 12月16日に ご住職とそのご子息の 息の合った読経が 照栄院本堂内に響くなか しめやかに執り行われました。
2007年05月14日
コメント(0)
再びお墓の話 その23 でも まーちゃんが 2年前 ガンを患ってからは 私の髪の毛は伸ばしたままで 一年に一度くらい 私が自分でハサミで切るようにしております」私の話を聞いて下さっていた ご住職の奥様が 「何を聞いてもだめよ。 こちらが あてられる(のろけられる)だけだわ」と言って 笑いながら 席をたたれました。「二人の仲むつまじさに相応しい 戒名を考えましょう」と ご住職もおっしゃって下さいました。
2007年05月12日
コメント(0)
再びお墓の話 その22「それにしても ご主人の髪の毛は 少し長いようですが・・・」と ご住職。「はい。 これには わけがあります。 まーちゃんは 若い時 胸を患い ストマイという特効薬のお陰で 命をとりとめました。 でも その薬の副作用で 髪の毛は 真っ白になってしまいました。 私と一緒になってからは この○十年間 私が 3ヶ月ごとに まーちゃんのその髪の毛を 黒く染めてあげてきました。 その代わり まーちゃんが 私の髪の毛を 短く整髪してくれました。
2007年05月09日
コメント(0)
再びお墓の話 その21 熱海の小さな別荘で 私と一緒に作った 縦 5・5m 横幅 2m 深さ 1mの プールで 一緒に水泳?(水遊び) 熱海の別荘の隣に セイチャンに建ててもらった ピンポン室で まーちゃんと一緒に ピンポン 自宅でも 熱海でも 毎日のように まーちゃんと二人で ピアノ連弾 そして 百人一首と トランプ お散歩私の話を聞いて下さって「こんな仲のよいご夫婦は 聞いたことがない」と ご住職がニコニコ笑いながら おっしゃって下さいました。
2007年05月02日
コメント(0)
再びお墓の話 その20 それから数年後 再び別の高校三年生を。 その後も やはり高校三年生を 一人預かりました。 その子も いろいろありました」と 私が話すと ご住職は 感心してくださいました。それから まーちゃんの趣味の話を聞いていただきました。子供の頃は お琴会社勤めの頃は ウクレレとスチールギターでハワイアン音楽。 国内旅行で日本中くまなく。 そして海外旅行会社を辞めてからは ピアノ 習字 日本画 マジック 海外旅行 トランプ (コントラクトブリッジ)
2007年04月27日
コメント(0)
再びお墓の話 その19「へええ? それじゃあ もしかしたら ホノルル往きの 飛行機の中で お会いしていたかもしれませんね」それからは まるでコンパで 親しい友人と会話しているかのような楽しい雰囲気で お話を聞いて頂きました。「社会活動としては 両親に縁の薄い お子を 小学3年生の時から 高校1年で中退するまで 家で一緒に生活しました。 その間のことは お話ししたら 一日以上かかってしまいます。
2007年04月23日
コメント(0)
再びお墓の話 その18結婚式も挙げずに一緒になってくれたまーちゃんのために(も) 辞表を出す直前で 私は思いどどまりました。それから 一年間 有給休暇も取らずに 頑張りました。 そして まーちゃんと二人で 3週間の世界一周旅行という 思い出を作ることができました。そばで 私の話を聞いて下さっていた ご住職の奥様が 目を輝かせて言いました。「まあ。 私も ちょうど同じ頃 その航空会社のスチュワーデス として勤務していました。 こんな 偶然て あるのかしら」
2007年04月22日
コメント(0)
再びお墓の話 その17早出 日中勤務 夜勤と 一週間に三回 勤務時間が変わる 交代勤務制で体調をくずして 1年もたたないうちに 私は辞表を出そうと決心しました。その時 すでに一緒に暮らしていた まーちゃんが言いました。「仕方がないわね。 でも勿体ないね。 一年 がんばれば 十分の一の飛行機料金で 海外旅行をする特典が もらえるのにね」 当時はまだ 1ドルが360円で 飛行機料金は高値の花でした。
2007年04月20日
コメント(0)
再びお墓の話 その16まーちゃんは その会社の広報担当兼務・副社長の秘書をしていたのです。「まーちゃんは 緑の声をしていました」と 私が言うと一緒に同席していたセイチャン ご住職 そしてその奥さんが 皆「へえー 緑の声って どんな声だったんでしょうねえ」と 笑いだしました。その後まもなく 証券不況で ボーナスも支給されない状況が続くなか 私は退社して 転々と職を変えました。そして 某航空会社に採用されて 羽田勤務となりました。 しかし
2007年04月18日
コメント(0)
再びお墓の話 その15戒名を決めて頂くために 私とまーちゃんの生き方 趣味 社会活動などを詳しくお話し させて頂きました。まず 私とまーちゃんの出会いの話をしました。私は 大学を卒業して 某証券会社に採用され 企業調査部に配属されました。担当した 100社ほどの上場会社の中に 外資系会社がありました。その会社の業績見通しなどを調べる目的で その会社を訪問するため インタビューのアポイントを取りました。 まず その会社に電話をしました。
2007年04月16日
コメント(1)
再びお墓の話 その1412月はじめに セーチャンと一緒に 申し込みをしました。その時は それまでにもまして 打ち解けて 私のお話を聞いて下さいました。戒名を決めて頂くめに 私とまーちゃんの趣味 生き方 などを包み隠しなく ざっくばらんに お話しをさせて頂いているうちにとても 不思議なご縁があるような事が わかったのです。まず驚いたのは ご住職と私が 同い年だということが分かったのです。しかも 一ヶ月しかちがわないなのです。ご住職は まるで世間話をするかのように 気さくに私の話をニコニコ笑いながら 聞いてくださるのです。
2007年04月14日
コメント(0)
再びお墓の話 その13久遠林の右側の 狭い道路を隔てた隣の広い敷地に 照栄院があります。立派な門をくぐり 広い中庭を 20mほど歩いていって その玄関の扉を ガラガラと開くと 誰かしらが応対に出てきてくださるのです。一番最初に 出てきて 久遠林の説明をして下さったのは この久遠林を管理・運営している照栄院のご住職の 奥様です。20分ほど とても 優しく 懇切丁寧に 説明して下さいました。そこへ ご住職がお見えになり 直接 さらに詳しくお話しされとても 親近感が湧きました。
2007年04月13日
コメント(0)
再びお墓の話 その12毎日 午後は まーちゃんと(心で)会話をしながら 久遠林まで散歩に出かけるのが この頃の日課になりました。昨年までは 3月のまだ肌寒さが残る春先には 池上本門寺にほど近い 歩いて10分くらいの池上梅園まで自転車に乗って まーちゃんと二人で出かけたものです。 2年前 ノドの手術で声が出せなくなってからは まーちゃんは匂いも ほとんど分からなくなっていたのです。 「この梅の匂い どおう?」と 私に聞くので「いい匂いがするよ」と 私が答えると まーちゃんは梅の花びらに 自分の鼻を押し付けて 「うん いい匂いだね」と 私に 言ったのを 思いだしながら歩いていると 2~30分が あっという間に過ぎて池上本門寺ふもとの 久遠林に着いてしまいます。
2007年04月12日
コメント(0)
再びお墓の話 その11毎日のように 歩いて 照栄院・久遠林へ 出かけております。ご住職とも 何度もお話をさせて頂き とても癒されております。ご住職がお忙しい時は お優しい奥様からも とても 懇切・丁寧なご説明をして頂いております。お許しを得ましたので 下記にその URLをご紹介致します。とても 歴史の古い 由緒ある寺院です。 にも拘わらず ご住職は とても新しいお考えをお持ちでそれを実践しておられますのには ただただ敬服するばかりです。 照栄院 http://www.shoueiin.jp/shoeiin/ 久遠林 http://www.shoueiin.jp/kuonrin/index.html
2007年04月11日
コメント(0)
再びお墓の話 その10「戒名は どのようにして付けられるのでしょう」戒名は 申し込み時に記載した 「生前 その方がこの世で 過ごした生き様 社会活動 趣味などを 多面的・内面的に 反映するように」ご住職さまが この寺院の由緒ある歴史に由来して「お一人お一人の個性に合った 二文字を」熟考して 授けて下さるのです。他のお寺の場合 一般的には 金額によって 戒名に格差が付くと聞いた事があります。 でも ここでは それは一切ないのです。この寺院の ご住職さまの お人柄がしのばれます。この合祀(共同)墓地の最大の特色で 心に安心感をもたらしてくださる根本理念なのだと 深く共感を覚えます。
2007年04月10日
コメント(0)
再びお墓の話 その9普段見慣れた 墓石とは比べにならないほどの迫力と 安定感があり多くの方々が 平等に 二文字の戒名を頂いて 魂の世界で修行に励む同志となって お互いを励まし合っているかのようです。巨大円墳を 直接 見渡せる第一列目の共同墓石のうち 現在ようやく上段の二列中ごろまで 戒名付きの名が刻み込まれたところです。「戒名は どのようにして付けられるのでしょう」
2007年04月09日
コメント(0)
再びお墓の話 その8おそらく ご夫婦ではないかと思われる 同じ姓の方が二つ寄り添って 刻まれているのが 非常に印象深い感じがして 共感を呼びます。この 共同墓地は 作られてから まだ 4~5年と 日が浅いそうです。 一つの巨大な共同墓石には 2000人ぶんの名が刻み込まれる予定のようです。 それが全部で 五つ 地面から根ずいているかのようにどっしりと 青空に向って そびえているのです。
2007年04月07日
コメント(0)
再びお墓の話 その7その共同墓石には 現在のところ 巨大円墳墓が見える”表側?”に 戒名を得た方々の名前が 刻みこまれています。 もっとも 正門から見れば 裏側が”表側”とも言えます。生前のうちから すでにここを 魂の安住の地と決断した 方々の名前も 全て戒名付きで刻まれています。全体の半数以上が そういった準備の良い方のようです。既に没した方の 名前の下には 生年月日と 没年月日が刻み込まれているので 一目で 区別がつくのです。
2007年04月04日
コメント(0)
再びお墓の話 その6この広い空間の右側には 巨大な共同石碑が 五つ それぞれ一メートル数十センチ以上の間隔で 設置されていて 見る者を圧倒し 感動を呼びます。それぞれ 一つの共同石碑は 厚さ30cm 高さ3m 横幅は”く”の字と ”へ”の字が組合わされた いわば 石で造った3面に折れ曲がった 屏風のような格好をしています。従って 一つの共同石碑は 2m + 4m + 2m 合計8mもの横幅があります。大地震でも倒れないために このような特殊な形が考案されたのではないでしょうか。
2007年04月03日
コメント(0)
再びお墓の話 その5折りしも 百脚以上の 折りたたみ式椅子が 置かれそれを包みこむように 透明なビニールテントが設置されています。おそらく 盛大な葬儀がとり行われる準備のためなのでしょう。参列者が 寒さに震えないように 暖房器具も用意されています。翌々日 ここを訪れた時は すでに法事が済んだのでしょう・・百脚以上の折りたたみ椅子と テントは姿をけして元の広々としたスペースに戻っていました。この広い空間の右側には 巨大な共同石碑が 五つ それぞれ一メートル数十センチ以上の間隔で 設置されていて 見る者を圧倒し 感動を呼びます。
2007年04月02日
コメント(0)
全349件 (349件中 1-50件目)

![]()
