太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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夢前案内人6323

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2006.09.08
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カテゴリ: アラカルト
高齢化社会になって、第二の人生という言葉をよく聞くようになりました。
だが、大学のOB会などに出て目につくのは、趣味の世界や海外旅行などの楽しさを得々と話しながらも、その心の奥底に無為な時間を過ごす虚しさが見え隠れすることです。
それは、表面的には豊かに楽しく暮らしているように見えて、実は人から必要とされていることが実感できなくて生き甲斐を見失っているからだと思います。

「人間にとって最大の不幸は何かというと、それは飢えている、貧困だ、病気がある、障害を持っているなどさまざまな不幸があるが、本当の不幸はそれらではない。自分が誰からも必要とされていないと感じること。見捨てられた存在、それが最大の不幸なんだ」とマザー・テレサは言い、死の家に連れて来られた人たちに対して、「あなたは見捨てられた人じゃないんだ。あなたは望まれて生まれて来た人だ。だから私たちと同じように大事な人なんだ。死の瞬間まであなたは大事な人なんだ」と言い続けて命を支え続ける奉仕をしてみえました。

比叡山開祖伝教大師も、
「国宝とは何ものぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名付けて国宝となす。経寸十枚これ国宝に非ず。一隅を照らす、これ国宝なり」(金銀財貨が国宝ではない。道を求める気持ちのある人が国宝である。社会の片隅でたった二人か三人でもいいから、人から喜ばれ頼られる人は国宝である)と仰いました。

社会のため、人類のためになどと大げさなことではなく、身近で困っている人にどんな些細なことでも良いから、例えば話し相手になってやるだけでもいいから、自分の時間を捧げる人は現代の地蔵菩薩といえます。
それを通して、自らも生き甲斐や歓びも感じることもできるはずです。

◆明日に続く





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Last updated  2006.09.08 04:51:55
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