太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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2014.06.22
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私たちは、健康にどれだけ注意していても、今日よりも明日、明日よりも明後日と、命は減っていき、日々死に近づいていきます。
問題は、うかうかと生きることなく、そのことをいかに自覚して生きていくかです。

明治の俳人・歌人の正岡子規は脊椎カリエスにかかって、30歳にならぬ前から死ぬまでほとんど病床にあった人だが、ある日、忽然と「私は今まで、禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。
悟りということは、いかなる場合にも平気で死ぬことと思っていたのは間違いで、いかなる場合にも平気で生きていくことである」と悟ったと書いています。

吉田松陰も、
「早く死ぬのが不運で、長く生きるのが幸運かというとそうではない。
早く死んでも幸福な者もいれば、長く生きても不幸な者もいる。
だから、人間の死のごときは自然に任せておけばいい。
死にたくないという心から見れば、何百年生きても満足できないはずだ。

生きている間に、なすべきことを精一杯に成し遂げればそれでいい。
“なぜ私は生きているのか”ということを考えて、その生きていることを生きているらしくするには働くほかはない」と言った。

日の昇るにも手を合わさず 
月の沈むにも心ひかれず
あくせくとして一世を終えし人の    道野辺に花咲けど見ず 
いかに多きことぞ           梢に鳥なけども聞こえず     
           せかせかとして過ぎゆく人の 
                   いかに多きことぞ
  二度とないこの人生
  いかに生きいかに死するかに 
  耳を傾けることもなく

  いかに多きことぞ            (時 坂村真民) 





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Last updated  2014.06.22 04:35:01
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