太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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2014.07.15
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オグロツルの越冬地であるブータンのポブジカの谷にある村で、電線を引くことになったが、ツルの飛来の邪魔になるという理由で引くことを止め、出力40ワットほどのソーラ発電機を設置した。
輪廻転生の宗教的世界観があり、親や兄弟、妻や夫がツルに生まれ変わるかも知れないと考えたからです。

ブータンには墓がありません。
その理由は、輪廻の思想が徹底しているからだそうです。
亡くなって49日後には何かに生まれ変わっているから、その人自身を供養し続ける必要がないからです。
幸せとは明日への希望とも言えるが、それは死に逝く人にとっても同じです。
自分が死を迎えるとき、死後の世界に希望が持てれば、どんなに辛くて悲しくても、死を恐れることなく幸せな気持ちでいられるのではないでしょうか?

死は絶対的な不幸だと考えるのが私たちだが、死を含む幸福を考えないと最終的な幸福は語れないような気がします。
ブータンの人々のように、自然の大きな循環の中で人間を見つめ、命のつながりの一環としてたまたま今人間として私が預かっていると考えれば、他者の不幸を置き去りにして自分だけの幸福を追求することはないはずです。


沐浴をしているかたわらでは、遺体を焼いた灰を川に流している。
焼いているかたわらには、次の番を待つ白布をかぶった遺体がある。
その隣にも、またその隣にも、次の番を待つ遺体があり、時には最後の遺体の隣では生きている老人が番を待っている。

そんな番を待つ老婆の一人は、
「人間としてのこの世での役割を終えたので、最期を迎えるべく、はるか遠くから歩いてこの聖地までやってきた。
ここまで来れば、後は灰になって聖なる川に戻され、次の生を待つだけである。
次の生が、運良く再び人間になるのか、鳥になるのか獣になのか、それは自分にわからない」と淡々と語る。

つまり、死を迎えることは、同時に生を迎えることであるという輪廻転生の思想です。
死は生まれ変わりでもあるから、家族にも涙はなく、さほど悲しい雰囲気もありません。

仏教では、人はこの世に修行に来たのであって、修行が終わった者からあの世に帰るという教えもあります。
このような考え方を信じるか否かは自分自身の問題だが、そう信じることができた人は、この世にあまり執着することもなく毎日を楽しく生きられるのではないでしょうか?





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Last updated  2014.07.15 05:28:24
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