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特にレクイエムについては 以前にも何度か述べたことがある
けれど…
大学の時、モーツァルトの研究をされていた楽理の先生が、「モーツァルトの音楽は、天上の音楽を目指そうと苦悩し続けた音楽だ」って話されていたのが印象的で、今も深く記憶に残っています。
だから本当は苦悩の音楽であって、癒しの音楽ではないんだって話だったんだけど...
でもそういう天上に近い音楽だからこそ、地上の人間は憧れ、また癒されるのかもしれないね。
そういう話をこの間、音楽好きのオジサマにしたのですが...
モーツァルトと同時期にはもう一人有名な作曲家ベートーヴェンがいましたが、秀才・努力型と言われた彼の音楽はモーツァルトに比べて本当に人間クサイ音楽だと思う。
なので地上に住む人間には、より共感というか親しみがわきやすいのかもしれない。
好きな作曲家にベートーヴェンを上げる人も私の周りに少なくない。
私も中学くらいの時はベートーヴェンが大好きでした。
そこでもう一度これらを踏まえてレクイエムについて考えてみた。
レクイエムはご存知の通り、モーツァルト最期の作品で、未完だったので、続きは弟子たちが補筆して仕上げられました。
この曲を通して聴いていると、それがどこからかっていうことを知らなくても、何となくここからがモーツァルトじゃないなって判る。
例えば、私とかでもピアノの前に座ってデタラメ弾いている時、ここをこうやって弾いたらモーツァルト風!って言うようにモーツァルトの音楽をそれ風に真似してみることができる。
でもそれはあくまで『風』であって、モーツァルトの音楽では決してありえない。
多分真剣に考えてモーツァルトのような音楽を作ろうとしても無理!
神童と言われた神の音楽を作る使命を与えられたモーツァルトにしか、真のモーツァルトの音楽は作れない…そういうことじゃないかなって思う。
でも私は実際にモーツァルトが8小節しか作れずに後は弟子が書いたと言う『ラクリモサ(涙の日)』の部分は嫌いじゃない。
どちらかと言えば好き。
その部分になると、それまでは神の声を届けていた音楽が、ふわっと地上に降りてきたような感じがするのです。
まるで神の元に戻ってしまったモーツァルトを偲ぶ弟子たち、モーツァルトを愛した地上にいる人間たちの悲しみ、寂しさ、でもその中に見える優しさと言った想いを感じるのです。
多分、神ではない人間の感情...
それが私の心に素直に響いてくるような気がします。
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