「歩きつなぎの旅」の記録

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タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

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2024.10.03
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2024年10月03日(木)曇


曇り空。明け方まで弱い雨が降っていた。今回歩くのは、文久元年(1861年)板「芝三田二本榎高輪辺絵図」と嘉永7年(1857年)板「目黒白金図」のうち、現在の品川区北品川5~6丁目・東五反田1~5丁目に当たる地区。08:05 御殿山交番前 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第61回 】を歩き始める。

北品川5~6丁目。御殿山交番の向かいに「旧・因幡鳥取藩池田家下屋敷跡」解説板がある。それによると、幕末この辺りは鳥取藩下屋敷だった。それ以前は出雲国松江藩松平家(親藩)の下屋敷だったが、周辺の抱地(4230坪)以外の拝領地(14982坪)を幕府に公取され、嘉永6年(1853年)鳥取藩池田家(外様)に与えられた。



切絵図を見ると、「松平相模守」とあるのが鳥取藩邸、その北隣りの「松平出羽守」が松江藩邸。かつて松江藩邸だった敷地の大部分が、鳥取藩邸になった。嘉永6年(1853年)の黒船来航を機に、安政元年(1854年)から万延元年(1860年)まで、鳥取藩は江戸湾の警備のため、幕府により御殿山下台場に動員配置され、藩邸はこの台場の付属陣屋になった。



東五反田1~5丁目。切絵図に「松平陸奥守」とあるのは、陸奥国仙台藩伊達家(外様)下屋敷。明治維新後、この高台は旧薩摩藩主の島津家が所有し豪邸を構えた。伊達家の屋敷跡地にもかかわらず、この高台が「島津山」と呼ばれるのは、こういう経緯による。現在の島津山は、清泉女子大学と高級住宅街になっている。



「雉子(きじ)神社」を訪れる。文明年間(1469~87年)の創建とされる。当初は大鳥明神と称されていたが、3代将軍徳川家光が鷹狩りで当地を訪れた際、白雉子が社地に飛び入ったのを追って社前に参詣したことから、雉子宮に改めたと伝わる。切絵図には「雉子宮 宝等寺」とある。宝等寺は雉子神社の別当寺宝塔寺のこと。



切絵図に「松平内蔵頭(くらのかみ)」とあるのは、備前国岡山藩池田家(外様)の下屋敷。明治維新後も池田家がここに本邸を置いていたことから、この高台は「池田山」と呼ばれるようになった。池田山北側に、往時の大名庭園の面影を伝える「池田山公園」がある。池田山も高級住宅街として知られる。



切絵図の岡山藩下屋敷の隣地に「三嶋明神」とある。三嶋明神は旧上大崎村の鎮守だったが、1910年 先程訪れた雉子神社に合祀された。09:35 池田山公園 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第61回 】はここで終わり。


御殿山交番前 → 池田山公園 : 7.2 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 209.3 km )






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Last updated  2024.10.04 09:00:00
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