Japaneseness in yourself

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History of granma



ばあちゃんが小学生くらいのとき、いつも友達3人で帰っていたのだけど、そのうちの一人が村長だか村会議員だか何だかの子供で金持ち(ばあちゃんにとっては)だったらしい。学校からの帰り道、日用品や何かを売る小さな雑貨屋のおばちゃんがいつもその子の名前を呼び、その子だけが中に入って、いつも何かお菓子やら何やらをもらっていた。その間2人の貧乏な子供はぼーっと立って待っているのである。お菓子をもらった彼女は、せんべいやらをぼりぼり一人齧りながら、「これは買うたんやないんやけん、貰ろたんやけん」と言い訳をしながら、友達に分けるでもなく、3人でまた一緒に帰るのである。私なら、というか私の周りに居た子ならそんなことは絶対に許されないが、ばあちゃんは「子供のしたことやからな、子供がそんなことに気づきもせんわ」と笑うのであった。「そやけど、金持ちはええなあ思たわ。貧乏人はやっぱりアカンなあと思たもんよ。子供でもそうやって何かくれるんやもんなあ」

結婚とかする年頃になると、他人(ひと)が話を持ってきた。「この娘はええ子やて、よそのひとが思てくれて、ええ話もってきても、親が断るんじゃんけん、どうしようもなかろ。貧乏人がええとこへ嫁ぐことない、言うて嫁かしてくれんのに」

でも私はじいちゃんも大阪の金持ちのボンボンだったと聞いていた。じいちゃんは大阪の大きな商店?だかの子供で、その時代にしてはめずらしいほどお小遣いをもらって毎日映画を見たり喫茶店で甘いものを食べたりして贅沢をして育ったらしい。その後実家が倒産したので貧乏暮らしになったらしいが、甘やかされて育った彼との結婚は親が許したんだろうか?
ちなみに私はじいちゃんが死んだとき相続登記を手伝ったので戸籍は全部見た。(死んだとき、12歳くらいまで遡ってすべての戸籍を集める必要があるのであんまり戸籍は移さないほうがいいよ。12歳より前に隠し子を作ったことはなかろうというお役所の判断。だって相続すべき子供がほかにいたら困るでしょ?)それによると彼自身ができちゃった婚の子供で、しかもじいちゃんの母親は死んだ姉のダンナと結婚したことになっていたような・・・姉の嫁いだ家に一緒に入っていた使用人だったのかもしれない。でもできちゃったからしょうがないから籍を入れたのかな。そこんとこわかんないけど。ま、私はむしろそういう血筋がうれしかったりするんだけど、どうでもいいや。

で、じいちゃんと結婚後の話はまた今度。(でもあんまり聞いてない)

ばあちゃんとこういう話をしてたのは一部は食卓(ダイニングっていうのかな)で一部はじいちゃんの仏壇の前だったんだけど、結婚の話のときにじいちゃんの写真を見て「この写真何か悲しそうな顔してると思わん。もっとええのなかったんかなあ言いながら、これ誰ぞのお墓の前で撮ったんよ。お墓の前で撮った写真なんかと思ったけど他になかったんよなあ。わたしもええのを一枚撮っとかないかんと思いよるんよ。じいちゃん、はよ迎えにきてや。」とか言い出して泣き出すから私も泣き出してしまって、何と言えばよいかわからなかった。
それからじいちゃんが死んだときの話になった、ような気がする。じいちゃんが入院していて、それを聞いたじいちゃんの妹の孫?か誰かが、一度(お見舞いに)行かなあかんなあ言うて来たんよ、と初めて来てくれたときにじいちゃんがちょうど死んだ。そしてそのまま私の家族(母か姉)が黒いスカートを貸して葬式にも出てくれた。確か私の6つ上の姉と同い年だった。じいちゃんの妹の孫だなんて、ものすごく遠いのだけれど、奇遇だった。そのときちょうど死ぬなんて。でもそのときが一番良いときだったと思う。で、肝心のじいちゃんの妹は来てなかったような気がするけど、来てたのか、生きていたのか、今も生きているのかすらわからない。生きていたら87とかそのくらいだと思う。
そう言えば私が中学だか高校の頃「じいちゃんももう80や。もう終いや」と言っていて、そのとき私とじいちゃんしか居なくて確かストーブをつけたりしていたんだけど、「なん言よん」と私は言ったけどその言葉も届くわけがなく、結局じいちゃんは82歳で死んだ。たぶん実際に80歳のときじゃなくて78歳くらいのときにもうすぐ80という意味で言ったんだと思うけどね。
とにかくばあちゃんの兄弟といい、老人会の人といい、80超えたら81とか82とかで皆死んでいるらしく、今80だか81だかのばあちゃんとしては自分ももうすぐだと思っているのだが、死ぬに死ねない理由がいろいろあって、それはまた今度書きます。
で、大晦日の夜に仕事を深夜までしてきた従兄弟がばあちゃんちに来た。来たことは親族の間では内緒なのだけど、内緒の割りにはいつもカメラを持ってきて必ずテーブルとかにカメラをセットし、3人で映ろうとする。彼はかなりカメラに詳しい人のはず。で、ばあちゃんが「一枚撮ってほしいんよ。まじめな顔のええのを」と言ってたんだけど私も一緒に入ってしまった。何の写真か従兄弟はわかっていたかもしれないけど、でもあからさまにばあちゃん一人で撮らせるよりは、私が一緒に(死後も一緒にという意味を含めて)寄り添っていたほうがばあちゃんが撮られるときに心おだやかだと思ったのもある。

ということで、年寄りの家に行くとちょっと辛気臭い話が続くけど、堪忍してや。(続く)

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