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集中治療室のベッドで目覚め気管切開で人工呼吸器につながっていることを知ったとき、高位頸髄損傷であることを知らされたとき、脊髄損傷の悲惨さを思い知ったとき、どん底を味わいました。まさにどん底ですが、ここが終点ではありませんでした。3ヶ月後救急病院を出るとき、人工呼吸器は外れていました。4ヶ月後リハビリ病院を出るとき、電動車いすを操作していました。手関節装具を装着すれば、タイピングもできました。自分の食事を口に運ぶこともできました。ここも終点ではありませんでした。在宅になって、自分なりのリハビリを始めました。人が何かを始めるのは始める理由があるからです。それは義務(しなくてはならない、shall)か欲求(したい、want to)です。可能性(できるかどうか、can)はその後です。現在できなければ将来できるように何かを変えます。リハビリは義務ではありません。回復したいという強い欲求があって、それがリハビリをしたいという欲求に変わりました。装置や道具が使いこなせるように頭を使い、それから離脱できるように身体を鍛えます。現時点の自分の能力を冷静に評価して、3ヶ月後のゴールを決めます。そこにたどり着くために、毎月のターゲットを決めます。そのターゲットに合わせて、毎週のテーマを考えます。日々の訓練での小さな気付きを何よりも大事にします。この工夫と訓練からなるリハビリは続きます。人が何かをやめるのはやめる理由があるからです。やめる理由がなければ、それまでと同様に続けます。"力が働かない限り、物体はその運動状態を持続する:慣性の法則 the law of inertia."昨日まで生きていたのなら、今日も生き続けます。死ぬ理由か自殺する理由がなければ生きることをやめません。回復したいと思う限り、リハビリはやめません。回復の終点はどこでしょう?傷ついた脊髄が生き返ることはありません。それがわかった上で、歩きたい、と猛烈に思います。歩行を意味する英単語には、walk, ambulation (ambulate), gait, step があります。stepには、わずかな距離を歩む、特殊な歩き方をする、という意味があります。馬の足行は、walk, amble, trot, canter, gallop の順に速くなります。ギャロップとは、一歩ごとに四足とも地上から離れる最大速度の駆け足のことです。自分の足で歩ければ、それでいいです。リハビリ病院を退院する際に、妻と二人で、達磨の目を片方だけ入れました。願い事や目標については話していません。どちらも具体的なイメージはなかったのでしょう。どこかわかりませんが、そこまで行けたら、「さあ、ショータイム」と見守ってくれる人に言います。「待たせたね 」と妻に言います。
2007.03.28
脊髄損傷のケアで用心すべきは褥瘡です。知らぬ間にできて、時には命にも関わります。頸髄損傷による四肢麻痺のため寝返りも不自由な身では寝具から制限されてしまいます。 エアマット(ビッグセル・マーズCR250:252+253)を体位交換機能付きベッド(FRANCEBED 4M-SG-39D)に載せています。介助者がケアしやすいように手すり(SR-722D)は可倒式です。リフター(アーチパートナー ACT102CW)で乗り降りします。車椅子用エアクッションはROHOを使っています。付属品のエアポンプを使って、ビデオ(HOW TO空気調節)どおりに空気調整をするのですが、これが面倒です。以前は、空気圧を数字で確認できる Wheelchair Cushion Pressure Monitorが販売されていました($120と$295は高すぎですが)。今はありません。Care Cure Communityにも関連スレッド Pressure gauge for Roho cushions?があります。
2007.03.27
脊髄損傷で車を運転する方は少なくありません。頸髄損傷でも上肢の動きが十分な方は運転されます。運転する前には、運転席への移乗と車いすの格納が必要です。スペインで生産されている QUOVISは車いすのまま乗り込んで運転できる車です。505ccエンジンで一人乗りですが、エアコンとCD/AM/FMが標準装備です。パワーステアリングとジョイスティックが選べます。 Care Cure Communityにも関連スレッド Vehicles for those with lack of mobilityがあります。
2007.03.26
頸髄損傷で膀胱瘻をもつ身なのでウロバッグと繋がっています。本来ベッドサイドで使うタイプで容量は2,500mlです。給水シートで包んで、防臭バッグに入れて、更に黒いバッグに入れて、車いすにぶら下げています。この姿はあまり格好良いものではありません。歩行訓練など動きの大きなリハビリでは邪魔にもなります。そこで、ズボンの下に隠せるレッグバッグが代替案になります。レッグバッグを試すなら; アルケアユーケアーレッグバッグ 500ml 5枚、コネクターチュープ(31cm)2本、レッグバッグベルト1組付き 3,150円 コロプラスト コンビーンレッグバッグ 600ml 10枚、レッグバッグベルト1組付 7,350円コンビーンセキュアーレッグバッグ 350ml/750ml 10枚、レッグバッグベルト1組付 6,300円 ホリスター インケア・レッグバッグ(滅菌) 540ml ・900ml 4枚、インケアチューブ1本、インケアストラップ(58cm)1組 6,300円 メディコン バードディスポーザバッグ M 560ml L 950ml 4枚、固定用ベルト1組付 5,040円 一般のレッグバッグの容量は1リットル未満なので4,5時間に1回、中身を捨てなければなりません。捨て場まで移動し、排尿コックのある足首を排水口上部に移動させ、コックを開くことになります。手指麻痺の身にはコックの開閉が一大事です。 海外には、足首のボタンでコックを電動開閉する装置がいくつかあります;Electric Leg Bag EmptierElectric Leg Bag Emptier 2Electric Leg Bag Emptier 3Electric Leg Bag Emptier 4レッグバッグのコックを手元のケーブルで操作するタイプJB-3 LEG BAG EMPTIERもあります。レッグバッグをすねや太腿でなく腹に保持する方もおられます。Belly Bagは腹専用の蓄尿袋です。
2007.03.24
脳卒中の方の片麻痺と同じく、脊髄損傷の対麻痺では足首を背屈させられません。つまり、つま先を上げられません。これをDrop Footといい、歩行時に二つの問題を引き起こします。ひとつは、着地の際に足裏全体が床に叩きつけられることで、これをSlap Footといいます。通常はかかとから着地し足の骨のアーチが衝撃を吸収してくれるのですがそれができません。もっとも四肢麻痺のケーソンは着地の衝撃を気にしなくてはならないほど歩けませんが。もう一つは、足を上げてもつま先が床から離れず、移動の際につま先を引きずることです。これは、言うなれば、Drag Footです。足首を背屈させ、例えば90度で、固定する装具としてAFOがあります。これを装着すればDrop Footは解決しますが、かなりかさばります。見た目の問題と普通の靴を履けないという問題が新たに発生します。私も左足に装着することをPTに相談したことがありますが、歩行時にアキレス腱を伸ばす刺激も重要だから、という意見を尊重してAFOは使っていません。NESS L300は膝の下に装着し、すねの筋肉に電気刺激を与え、足首を背屈させます。コンパクト、ワイヤレス、片手で装着可能、パラメーターの設定可能と長所はたくさんあります。$5,900というから60万円以上します。 Care Cure Communityにも関連スレッド Ness L300: FES walking aid があります。このタイプの装具は Adaptive Ankle Foot Orthosis (AAFO) にあたるのかもしれません。 Medical Devices for Walkingにはこの手の装具の開発の歴史と現状がまとめてあります。
2007.03.23
脊髄損傷で車いすに乗るようになってから、本屋にも図書館にも数えるほどしか行っていません。見れば読みたくなる本もあるでしょう。しかし、頸髄損傷で手指麻痺の身には読書という行為が一苦労です。姿勢の維持、本の固定、そしてページをめくることで、心身ともに疲れ果てます。電子ファイルの閲覧は楽なものです。インターネット上にはたくさんの名作があります。著作権の制約がなくなるほど古いものばかりですが。 日本語で読む青空文庫プロジェクト杉田玄白:海外の作品を翻訳SOGO e-text library:海外の作品を翻訳日本文学等テキストファイル:古事記からうわづら文庫:画像国会図書館の近代デジタルライブラリー:画像英語で読むProject gutenbergGaslight:怪奇、冒険、神秘アンデルセン:Hans Christian Andersenイソップ:Aesop's Fablesグリム:19th-Century German Stories詩:Poetry Archives
2007.03.22
脊髄を損傷してから旅行をしなくなりました。写真も動画もリハビリ関連のものばかりです。時折、実家の親族に送ることがあります。写真は、100KBに縮小したものを数枚、メールに添付して送ります。ところが、メールの添付ファイルには大きさの制限があり、私の環境では5MBです。ネット上には大きなファイルを送ることができる無料サービスがあります。 YouSendItは最大100MBのファイルを送ることができます。受け手のメールアドレス、送り手のメールアドレス、メッセージ(必要であれば)、ファイル名(参照ボタンあり)を入力して、SEND ITボタンをクリックします。受け手にはダウンロードリンクを知らせる英文のメールがYouSendItから届きます。英文になれてない方は驚きますし、スパムメールと勘違いされ呼んでもらえないおそれもあります。私は、一手間かけることになりますが、自分のメールアドレス宛てに送信し、ダウンロードリンクだけをメールで送ることにしています。sendspaceは最大300MBのファイルを送ることができます。ファイル名(参照ボタンあり)、メッセージ(必要であれば)、受け手のメールアドレス(必要であれば)、送り手のメールアドレス(必要であれば)を入力して、Upload Fileボタンをクリックします。
2007.03.20
Accept:障害を受容する Beginning:途絶えていたもの Community:セキソン情報交換の場 Detour:手間と暇をかけてEquilibrium:心の平静 Feed:自分で食べる Gravity:身体の重さを感じる Hospital:救急病院での救い Injury:セキソンはなおるのかJail:自由を奪われるということ Karma:過去の亡霊 Life:青春と朱夏を過ぎてMedical:脊髄損傷の治療法Nightmare:記憶か願望か予知かOccupational:仕事ができるのか Possible:できるかもしれないQuadriplegia:四肢麻痺であること Rehabilitation:リハビリが成功しても障害は残るSurvival:脊髄損傷では死なない Training:「歩きたい」そのための鍛錬Urinary:膀胱瘻で失敗なしVentilator:せめて眠らせてくれWhoever:どんな人でも・・・、とは限らない X-day:喜と楽が増えるか、怒と哀がなくなるか Yebisu:恵比寿様は歩けるのか Zombi:勝手に動きだす身体
2007.03.17
交通事故、転落、転倒、スポーツ、そして腫瘍など脊髄損傷には理由があります。私の頸髄損傷にも理由はあります。しかし、私がケーソンになってもいい理由はどこにもありません。業とか因果応報とか因縁とか宿命とか、本気で信じてはいません。でも、笑い飛ばせるほどドライでもありません。四肢麻痺+体幹麻痺の罰を受けなければならないほどの悪さをした覚えはありませんが、人様に迷惑をかけずに生きてきたわけでもありません。 油断をすると昔の失敗を思い出します。どの失敗も取り返しが付きません。くよくよと後悔し、心が乱れるだけです。逃れる術は水面に仰向けに浮かんだ自分をイメージすることです。過去はすべて水の中に沈んでいます。泳げない自分は大空を見上げて静かに呼吸することしかできません。過去に触れようとして首をねじ曲げればたちまち溺れてしまいます。3秒前にさえ戻れない人類が5年前や10年前に戻れる道理はありません。すべての失敗は取り返しが付きません。後悔は実りのない行為です。 いつもここから。 前だけを見ます。少し上向きの前だけを。
2007.03.16
基本的に毎日、浴室で、下腹を軽くしてシャワーを浴びます。私は何もできません。妻が一人ですべてをやってくれます。ベッドの横にシャワー・キャリーを持ってきます。キャリーの下部に簡易便器をセットします。吊り上げ用ベルトを私の脇下と膝裏に通します。リフターで私を吊り上げ、臀部をむき出しにします。私をキャリーのきっちり真ん中に下ろします。2本のベルトを外し、パンツを脱がせます。膀胱瘻周りのガーゼを取ります。キャリーをトイレの前に移動させウロバッグを空にしてから、浴室に移動します。おなかをマッサージしてから、グリセリン浣腸をします。しばらく時間をおいて、成果を見ながら、マッサージを追加したり、摘便したりします。グリセリン浣腸を追加することもあります。これ以上の成果が望めないとなると終わりにします。簡易便器の中身をトイレに捨てます。簡易便器の内側のビニル袋、浣腸器、ゴム手袋、ティッシュなどの残骸をゴミ袋にまとめます。私の着衣をすべて取り、全身を洗います。バスタオルで全身を拭いた後、髪と股間をドライヤーで乾かします。シャワー・キャリーでベッドサイドに戻ります。湿疹の薬と天花粉を使います。パンツを膝上まではかせます。吊り上げ用ベルトを装着します。リフターで吊り上げ、座面と接触して拭けなかった部分を拭き、パンツをはかせます。私をベッドに下ろし、ベルトを外します。この後、膀胱瘻の消毒、着衣などが続きます。さらに、シャワー・キャリーの片付け、濡れた床の拭き取りなどがあります。全部で1時間かかります。15分あれば一人でできたことです。急がば回れとは無縁の回り道ですが、何かを成し遂げているだけましです。どれだけ手間暇をかけてもできないこともあります。たくさんあります。
2007.03.15
アメリカのあるケーソンは、リハビリの目標として、歩くこととfeed oneself (人手を借りずに)ひとりで食うことを挙げていました。彼が5年間の進歩の記録の中で書いています;"大きな成果がある - 昨日の晩、初めて、手助けなしでボトルのビールをやっつけた。このためにがんばってきたんだ。" もちろん、フォークを使った食事にも成功しています。 私の場合、リハビリ病院でOTの一環として訓練が始まりました。病室でベッドのオーバーテーブルにスプリング・バランサを取り付けます。手関節装具をつけ、Z型に曲げられた専用フォークを差します。他人に食べさせられないで済むというだけでも楽しい訓練でした。OT室ではスプリング・バランサなしで食べる訓練も始まりました。皿の中の積み木やおはじきを口に運びます。ある日、担当OTが、私の今日のおやつなんだけど、と言いながら個包装のバームクーヘンを取り出しました。優しい方でした。在宅3年目に普通のフォークが使えるようになりました。これで手関節装具も卒業です。手が不自由な人用の箸も使えます。箸蔵くんです。にぎり寿司から始まり、今では焼きそばも大丈夫です。飲む方はあまり進歩がありません。ワイングラスのように脚つきの器であれば、テーブルからとって口に運ぶことができます。しかし、テーブルに確実に戻せる保証はありません。指の間の開きが正確ではないからです。こぼさないためには毎回飲み干さねばなりません。ボトルのビールとは思いつきませんでした。
2007.03.14
脊髄を損傷すると、破壊された神経の先にある筋肉に脳からの指令を伝えることができません。どれだけ集中しても、筋肉は収縮せず関節は動きません。これが麻痺です。一方、反射のメカニズムは健在です。外からの刺激に対し、脳の判断を待つことなく、身体が反応します。腕に注射をされると痛くもないのに腕が動きます。手でお灸を焼き切られると熱くもないのに手が動きます。筋肉には伸展反射があり、伸ばされた筋肉は縮もうとします。本来これは、脱力と組み合わせることで、無駄のない動きをもたらす有用なものですが、筋肉の緊張状態を知覚できない身には唐突な動きになります。動かしたくてたまらないところはぴくりとも動かず、気にもとめていないところが勝手に動き出します。
2007.03.13
はがき通信にはこうあります; "日本パラプレジア医学会の調査によれば、1990年から1992年までの3年間に、日本国内で発生した外傷性脊髄損傷は9,752件、うち75%は頸髄損傷である。 わずか3年の間に外傷性脊髄損傷が9,752件にものぼり、その75%が頸髄損傷だという現実を考えれば、頸髄損傷は、健常者とは無縁の特殊な災害ではなく、スピード社会で生活している人全てが同じリスクを負っている問題だと言えます。"誰もが同じリスクを負っているとは、私には思えません。毎年の人口動態を見れば出生数が110万人、死亡数が100万人。これを考えてもそれほど高い確率とは思いません。それに、バイクに乗らない、激しいスポーツをしない、酒を飲まない、こういう普通の生活を送るだけで脊髄損傷のリスクは激減します。私はこんな普通の生活を送れませんでした。それだけです。脊髄損傷について知ってもらいたい、頸髄損傷で生きることのつらさをわかって欲しい、という当事者の意見を時折目にします。理解が深まれば、再生医療の推進、医療福祉の充実に関してシンパになってもらえると考えてのことです。自分が脊髄を損傷していても、胎児由来の幹細胞の利用に反対の人もいます。頸髄損傷の身内を抱えていても、動物の頸髄を破壊する実験には慎重な立場の人もいます。私と同じ立場の人間でも私と同じ気持ちになるとは限らない、ということを私は知っています。
2007.03.12
脊髄を損傷する前、足が動かなくなる夢をよく見ました。急いでいるのに足が前に出ません。両手を使っていたので、頸髄損傷ではなさそうです。集中治療室ではそれまで見たことのない夢を3つ見ました。一つは赤い画面。粘液にまみれてうごめく裸の男たち。まるで血の池地獄でした。二つめは青い画面。夜の波打ち際で男が首から上だけを出して砂に埋められています。男の頭には金だらいがかぶせられ、それが回されたり殴られたりタイヤで踏まれたりしています。三つ目は白黒のセピア。古民家の縁側と土間です。見たこともない生物がいます。服を着ています。○○○ちゃんと呼んでいました。神仏はともかく、霊を信じていました。お盆の夜には誰かが来ると思っていました。交通事故で一瞬のうちに逝った彼か、首を吊った彼か、長い寝たきり生活の末静かに逝った彼か。誰も来ませんでした。最近、歩く夢を見ます。後遺症があっても、これだけ歩ければ問題ないじゃないか、と安心します。でも、目覚めれば寝返りも打てません。
2007.03.11
頸髄を損傷して救急病院のベッドで目覚めたとき、動けないことよりも何よりも普通に呼吸できないことが最大の苦痛でした。1ヶ月くらいお世話になりましたが、人工呼吸器と気が合うことは最後まで一度もありませんでした。不規則性に我慢がなりませんでした。人工呼吸器をつけていては眠ることもできません。集中治療室では眠剤を服用していました。ネルボンという名前でした。坊やはよい子だねんねしな、ということでしょうか。ある日、眠剤なしで眠る訓練を始める、と婦長に言われました。人工呼吸器から離脱しないと一般病棟には移れない、とその人は言います。よくわかります。在宅では眠剤なしで眠れる方がよい、とも言います。異論はありません。しかし、だから今日から訓練を始めます、と言われても納得できません。まずは人工呼吸器からの離脱を成功させ、一般病棟で眠剤からの離脱に挑戦すればいいのです。眠剤に依存する期間が長くなるほど離脱が困難になると言う理屈もわかります。それでも、人工呼吸器をつけていては眠ることはできない、という本人の言葉に耳を傾けてください。この時期に一晩眠れないことの危険性を想像してみてください。入院を通じて私を悩ませ続けた彼らの非論理性です。妻が婦長の意見に賛同していることを知って、私は抵抗することをやめました。訓練は行われ、予想通りの夜が過ぎ、予想通りの朝がきました。その訓練は二度と行われませんでした。人工呼吸器を使いながら生活せざるを得ない方々のご不便を想えば、離脱できた私は恵まれています。在宅でも眠れないことがあります。暑さと寒さです。慎重に予測し十分な対策をとったつもりでも対応できなくなることがあります。四肢麻痺+体幹麻痺の身では、涼を求めての寝返りが打てません。暖をとるために丸まることができません。やむを得ず家人を起こして助けを求めます。せめて眠らせてくれ、とお互い思います。私の場合、さらに、二度と目覚めなくてもいいから、と思います。
2007.03.10
「記憶」受傷の直前から2,3日の記憶がありません。受傷の瞬間を覚えていないので、何があったのかも説明できません。翌日遠くから駆けつけた兄と握手したそうです。覚えていません。最初に妻と向かい合ったとき、彼女は「(彼女のことを)誰かわかる?」と尋ねたそうです。私は「いぬ」と答えたそうです。もちろん覚えていません。「食事」最初は鼻から経管で栄養剤を胃に入れていました。点滴も続けていました。氷を口に含むことを許された後、栄養剤を口から飲み込むようになりました。緑色の甘いどろっとした液体です。「呼吸」気管切開をし人工呼吸器につながった私でしたが、自発呼吸は、弱々しいながらも、割と早めに取り戻していました。腹式呼吸を熟知していたおかげだと思います。でも、病院スタッフはそんなことは気にしません。なかなか人工呼吸器を外してくれません。危険を冒せないという専門的判断が正しいことはわかっています。「言葉」人工呼吸器を外す前にスピーカブル・カニューレを試しました。第一声は妻の名前と決めていました。妻が病室に来る前に、担当医は処置を終えてしまいました。Dr.:さあしゃべれますよ。あなたのお名前は?私:(ここで妻の名を叫んだら脳の具合を疑われる。)私の名前は○○○、愛する妻の名前は○○○。担当医も看護士も苦笑していました。「親友」脊髄を損傷したことを故郷の親友には教えていませんでした。最近の私からの年賀状に異変を感じ取った彼は、私の母を問い詰めて、すべてを知りました。電話をくれた彼に私は説明しました;「仕事しているし、酒も飲むし、笑うし、○○○ちゃんとも仲良しだし。でも、つらいよ。頸髄損傷のことを知ればわかるけど。誰も何もしてやれないし、かける言葉さえ見つけられない。私を愛してくれる人は私の境遇を知ったことでつらくなる。だから誰にも知らせない。"王様の耳はロバの耳"だから、誰にも言わないでね。○ちゃんにも」彼の苦しみが始まりました。2月18日、親友からの電話の次の日、このブログを始めました。
2007.03.09
喜怒哀楽の喜と楽の区別を説明できません。使い方から考えて、結果を喜び、経過を楽しむということでしょうか。さらに、誰か(自分も含め)のせいであれば怒り、誰か(自分も含め)が不幸であれば哀しむということでしょうか。 喜と楽が増えるのは幸せです。怒と哀がなくなるのも幸せです。いつ来るのでしょう、その日は。でも、脊髄損傷の身にとって、その日とはどんな日でしょう。はがき通信を始められた向坊弘道氏は、頸髄損傷の身で47年暮らされ、癌で亡くなられました。最後のメッセージにこうあります;"これは長い間の私の油断でもありますが、第1回目の手術のときにすでに私は第2回目の手術はやめておこう、そして心静かに故郷の海を見ながら数日間でも暮らせたらそれでよしとしようと決心していましたので全く後手に回った後悔の念はありませんでした。長い人生を考えるに、これで十分だし、また身障者としてつらい人生をもう少し続けろということも酷な話だと思っていました。あるいは、始めからそう考えることによって最初の手術から回避する方法を選択すべきだったかもしれないのです。""私の場合は、あきらめるものはあきらめ、残すものは残し、そのけじめを早くからつけて、その手続きに時間を費やすことを、そのためにはあと1ヶ月の命であっても、突然倒れる高血圧の人の場合よりも、はるかに長い事後処理のための時間が恵まれているということをありがたく思っています。"氏の偉大さに直接触れる機会はありませんでしたが、この文章で氏の正直さに触れることができました。 手術を受けたのも正直。受けてしまったことを反省するのも正直。
2007.03.08
脊髄損傷で生きることは終身刑で服役しているみたいなものです。終身刑で服役する理由は様々ですが、本人の受け止め方で分けると、自業自得と納得している者と自分に落ち度はないのにと得心がいかない者の二通りです。この違いはかなり大きなものです。自分の手の届かない真犯人を恨みながら生きていくことはつらいことです。ベッドに拘束された者、足かせをされた者、足かせの上に手かせをされた者と条件は様々です。仲間と交流する者、外の世界とふれあう者、スポーツをする者、労働をする者と生き方も様々です。自分への拘束をゆるめようと努力する者がいます。それを笑う者がいます。恩赦を夢見ている者もいます。自分自身でなく支援団体ががんばることで、いつの日かもとの世界に戻れると信じています。関連ニュースに一喜一憂し、自分で決められるはずもないその時期を予想します。どんな環境にあっても、するかしないかは個人の自由です。他人の行為を認めなくてもいいし、否定する必要もありません。最近の私は、受傷は大きな意味での自業自得であったと思えるようになりました。再生医療による回復という恩赦を否定しない立場は変わりません。ただし、自分には間に合わないだろうという分析も相変わらずです。
2007.03.07
在宅一年目にいただいた年賀状にこう書き添えてありました; 時は一つよ東天に虹の匂うと西天に日の傾くと(堀口大学)その方の心遣いをうれしく思いました。人の一生を太陽の運行になぞらえ、四方位を東西南北でなく東南西北で表す意味を考えさせられました。 北 玄武・玄冬 西 白虎・白秋 青龍・青春 東 朱雀・朱夏 南 青春には、恋愛と進学を経験しました。朱夏には、就職と結婚を経験しました。身体障害というハンデを背負うことなく、前に進みました。自分の肉体にもかなりの無理を聞いてもらいました。満足しています。誰にでも訪れる白秋が私にはいささか早すぎました。 (脊髄損傷は玄冬の領域かもしれません)頸髄損傷の中学生とリハビリ病院で同室でした。彼の笑顔を覚えています。青春と朱夏を過ぎた時に彼が満足していることを念じています。
2007.03.06
頸髄を損傷すると物理的な重さがわからなくなります。ただ、軽いものは動かすことができ、重いものは動かせないだけです。起立訓練や歩行訓練では身体の重さを感じません。全身の筋肉に余計な緊張が入っていて、センサーが鈍るからです。無駄のない動きを追求する武道家やスポーツ選手は筋肉の余計な緊張を嫌います。彼らにとっては、身体の各部位の重さを感じることが脱力した動きの目安になります。電動車いすでチルトしているときに身体の重さを感じることがあります。重力によって上から押しつぶされる感じです。かなりの苦痛です。こういうことを言われる専門家もいます; 「一方、重力によって上から押しつぶされるのではなく、下から引かれている感覚 の人達は、手足が地球の芯へ向かって引っ張られている感覚であり、下からの力を骨格の作用によって支えていますから、力の使い方が先に説明した人達とはまったく逆になっています。そしてこうした感覚は、骨格に対して働いている重力とは逆の抗力も感じていますから、上からつぶされてしまうような圧迫感はなく、脱力系の動きでも、粘りのある動きになってきます。こうした粘りのある動きは、身体に働く抗力の存在を意識するだけで、いきなり地球の重力の束縛を切り離し 、鳥のように軽やかであり、重力に結びつけた瞬間に、またもネバッと地面に吸い付くような自在な動きを可能にする可能性を持っています」(カラダと動きの秘密 )また、ロルフィングでは天から引き上げられるような立ち方をスカイフックといいます。 上向きの力をイメージすることがコツです。チルト時の苦痛も軽減されます。わが足はかくこそ立てれ重力のあらむかぎりを私(わたくし)しつつ(森鴎外)立位を保持するだけなら既にこの境地なのですが。膝をロックすることもなく。
2007.03.05
理学療法PTのPがPhysicalのPであることは予想通りでした。作業療法OTのOは教わるまでわかりませんでした。英単語occupational には職業(上)の、 職業から起こる、あるいは占領のという意味があります。OTは職業訓練のようなものだと思っていました。作業療法とは適当な軽い仕事を与えて行なう健康回復法であることを最近知りました。入院当時、頸髄損傷で四肢麻痺となった私の復職については、当然ながら、組織のかなり上の方まで話が上げられたみたいです。結論を伝えに来てくださった方はこう言われました;「命があるだけでいい、喋れれば十分だ、手が動くならそれに越したことはない、歩けるならなおいい」こうして、私の復職は認められました。リハビリ病院で施された作業療法は食事とパソコンに関するものでした。どちらの方法も熟知していました。動かない上肢でどうこなすかが課題でした。脊髄損傷で失った機能を補ってくれる便利グッズがいろいろとでています。うれしいのは、それを使いこなせたときと、それが不要になるほど機能が回復したときです。
2007.03.04
救急病院では心の平穏を保つことが、リハビリ病院では現実的な選択を行うことが最も重要です。妻の存在が救いでした。「今日の1枚」毎日、見舞いに来てくれる妻の顔を脳裏に焼き付けました。天井の幾何学模様を見飽きたとき、眠れぬ夜のベッドで何かが崩れそうなとき、その一枚が助けてくれました。MRI検査の間中その一枚を思い描いていました。「いやなことは耳に入れないで」頸髄損傷についてのネガティブな情報は耳に入れないでくれと妻に頼みました。彼女は私との約束を守り通しました。彼女は雑音から逃れられません。一人で耐えるしかありません。「一心同体」一心同体だから、私が苦しめば自分も苦しい、と妻は言いました。本人はつらいが家族はもっとつらい、とも言いました。それも正しい。「今はね」気丈な妻ですが、弱気なことを言うこともありました。それも無理はありません。もう一緒に寝られないのかな、とか。もう一緒に散歩できないのかな、とか。今はね、といつも答えていました。「女神はいつもそばにいるから」神に祈る気も仏を拝む気もありませんでした。妻の存在が救いでした。「待たせたね」私が運び込まれた処置室の前で妻は待ち続けました。コンタクトレンズ、結婚指輪、携帯電話、財布、そしてスタッフに切り刻まれた私の衣服が彼女の手にありました。いつもの待ち合わせのように、待たせたねと言いながら私がドアを開けて出てくるに違いない、と信じていたそうです。何年遅れてもそれは実現してやりたい、と思います。病院スタッフの一部にはいやな思いもさせられました。お互い様かもしれませんが。歓待や厚遇という意味でのホスピタリティは求めていません。人情や優しさも期待していません。でも、あなたたちは資格を持ったプロでしょう。そういうことです。私の目線で見てください。あなたが大丈夫と言い張る表側でなく私に向いている裏側が汚れているのです。あなたの胸の名札や首にかけた聴診器が私の顔に当たっています。コミュニケーション能力のある私はクレームをつけられますが、コミュニケーション能力のない患者は悔しい思いをしています。そういうことです。脊髄損傷に対し、今のところ、医者は無力です。本人の自然治癒能力が頼りです。平穏な心で癒された気持ちでいると、身体の中でいいことが起こります。
2007.03.03
担当医は「歩けない」とは言いませんでした。「一生車いすが必要」「電動車いすには乗れるでしょう」と言っただけです。「歩けるかもしれない」という芽は摘まれませんでした。歩行訓練を続けています。試してみたらできた場合を「可能」と呼んでいます。受傷後1年以上経過して、ペンを使うことが可能であることをある日知りました。受傷後4年以上経過したある日、はさみを使うことが可能であることを知りました。練習を重ねてできるようになった場合を「成功」と呼んでいます。歩行訓練を続けて、歩行を成功させます。家人は身近な最大の理解者のはずです。それが私のトライを妨げることがあります。万が一の場合の私へのダメージを心配してくれての上であることはわかります。弁当を一人でたべる普通のフォークで食事する結婚指輪をはめる手関節装具から卒業する電動ベッドを自分で操作する電動車いすのアームレストを標準装備の小サイズに戻すこれらのことを試したいと考えました(自分の身体の動きは知り尽くしています。イメージトレーニングもすんでいます)。「(ケーソンの私には)できない」としぶる家人を説得してトライの場を用意してもらうのに数週間かかりました。実生活への導入にはそれからさらに数週間かかりました。室内では事務椅子を使用する車いすから助手席へ自力で移乗するレッグバッグを使用する現在はこれらのことを「できる」と思っています。「できるかもしれない」という芽は自分で探します。
2007.03.02
光と風と緑。自然は身も心も癒してくれます。自宅では居間にベッドを置いています。居間から見える庭には一年中何かがあります。彼女のおかげです。冬のフランボワーズは枯れ木のようですが、春のある日、その先端に黄緑の芽を出します。その姿は肉体の目覚めの暗示です。頸髄を損傷してからストレスの発散が難しくなりました。大声を出すとか、物にあたるとか、自分の肉体をいじめるとか。できないことはありませんが、他人に迷惑をかけずにとか、自分で後始末をとか考えるととてもできません。だから日頃から心を乱さないようにします。日常の些細な不満はすぐに忘れることができるようになりました。(もちろん、不備なものは改善するという向上心は失わずに)それでも、年に3回心が乱れます。受傷した7月。あの日あそこに行くことさえなければと思います。あの頃あんないやなことがなければとか、そもそもこの土地にいなければとか、無駄なことを考えてしまいます。無駄なことを何度も何度も考えてしまいます。誕生日の11月。何もしなくても、期待通りの回復が見られなくても、歳だけは確実にとります。自分が死に近づくことは怖いことでもいやなことでもありません。年老いた両親に十分な親孝行もすることなく、大きな心配をかけたままで年を重ねる自分がいやになります。 3月は新生活が始まる季節です。不安と期待を感じながら人は新天地に向かいます。近くにいた人が遠くに行ってしまいます。遠方の友の噂を耳にすることもあります。私だけが取り残されます。中には私より長くとどまっている人もいます。しかし彼らにはいつの日にか変わるという希望があります。私がとどまっている理由は私に希望を待つことを許しません。前だけを、少し上向きの前だけを見るようにしています。
2007.03.01
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