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みなさんこんにちは。沖縄は台風が近づいていてただいま暴風が吹き荒れております。風の音にびっくりしたり暗雲立ち込める空に気分がつられそうになったりしながらお掃除お洗濯をしているうちにふっと心は晴れてきました。きっかけは、こわくないふり、不快じゃないふりをやめよう、と決めた時かもしれません。こんな時は、びっくりしても、暗い気持ちがよぎってもいいんだ、影響受けてはいけないなんてどうしてつっぱっていたんだろうと思ったとたんぱっと心身が軽くなってしまいました。こんなことが内側で起こっているなんて意識しなければ気がつきさえしないほどの些細な心の変化ですが意識して、感じて、受け入れるという作業によって平安に戻ることができます。人間はほんの少しの外界の変化という刺激によって内側では警戒サインが送られいつの間にか戦闘モード、もしくは防御モードのスイッチがオンになります。すると葛藤(内なる戦い)が始まります。本能vs.思考、みたいになり感覚、知覚は置いてけぼりになる結果、ハートが閉じてしまいます。イライラしやすい、と感じたらこの緊張状態を解いてあげればいいのです。まずは今感じたがっていることを抑えるのをやめて戦いを手放し(緩めて)感じてみる。そして感じていることが真実かどうか、問いかけをします。もし感じていることが勘違いなら(過剰に危機を感じたり、プレッシャーを受けていたりしたら)そうじゃないよ、大丈夫なんだよ、とインナーチャイルド、または自分自身に話しかけてあげてください。頼るべきは、本能(戦闘、防御)でなく内なる光のほうだった、それに任せます、というところまで行ければあなたは自分自身のセラピストになれます。
2010.10.28
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フィーリングを感じることがどうして重要か、というと私たちは感じたことを無意識に処理してしまっているんです。例えば、あの人なんだか不機嫌だな、という場面に出くわしたときやだな、とか、こわいな、とか、もっと言葉にならない何かしらの抵抗を感じているはずです。それで、なんかそばに寄らないことにしよう、と距離をとってみたり(逃げる)こっちも不機嫌バリアを張って傷つかないようにしたり(戦う)余裕がないから気づかない、というふりをしてみたり(無視する)いろんなやり方で処理をします。どれも、外敵が来たときに、本能的に身を守る反応です。でもそれだけだと、なんとなく罪悪感みたいなものを感じるのでそれに理由をつけてみたりします。そしてなんとなく相手が加害者で自分は被害者という形になるような理由が見つかると少し居心地がよくなったりします。思考による理由探し、原因探し、みたいな感じです。一見この中に多くのフィーリングを感じてるようですが実はよくよく検証すると内なるフィーリングにはなるだけ触れないように処理しています。やっているのは、本能的な反射と思考による正当化だけで本当はそこに何を感じていたか、内側でどのようにエネルギーが動いたのかについてはほとんど感じていないのです。そうすると、私たち人間の営みというのはどうなるか、常に外的な刺激と反射、思考での処理というループの繰り返しになります。これでは本来の創造性、根源のエネルギー、真実の自己からは切り離されたままです。あの人不機嫌そうなだぁ、というところから内なる問いかけを始めることでそのループから外れる動きが始まります。それを目の当たりにした私は、何を感じているのかそれによって内なるエネルギーはどう動いたのか。胸がちょっと縮こまりましたか、広がりましたか。胃のあたりが重たくなりますか、爽快ですか。背中が硬くなりましたが、のびのびとしましたか。その結果、気分はどうでしょうか。さらに、本当にそうなる必要が私にはありますか。あの人は私を攻撃しましたか。私は彼に攻撃を受けましたか。ノーだとすれば私は架空の敵と戦ったり逃げたり、無視したりしています。私が戦っているのは私の中にあった、架空の敵です。その敵を、たまたま、あのちょっと不機嫌な彼に投影している、ということなのです。これが、世界は内なる世界の投影であるという意味です。不機嫌な彼は、ただ、今気分が悪いのです。彼に架空の敵を投影するのをやめて自由に、そのままにしてあげることそれがエゴの解体であり、愛です。
2010.10.18
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なんだかものすごく懐かしいような、非常にすがすがしい天候の今日の沖縄です。青春のような、新鮮な空気が漂っています。報得川河口の我が家の前方は海のようにブルーです。さて、先日もヒプノのセッションの中でカウンセリングとご説明の時間に「その・・愛ってなんなんでしょう」というご質問を受けました。私はこの二元性を超えてあまねく偏在している光と同等のもの、という風に捉えています。でもこの言葉をこの二元性の宇宙の中での定義や解説として一言では言えません。それは定義を超えたものです。けれども私は最近ではヒプノやレイキのセッションでする意識の仕組みのお話の中でこのことに関する私の見解をお話しています。それはなぜかというと、人間の幸せというものを探求する上でこのお話は不可欠だと思うからです。人間は心によって幸せを体験します。その心が幸せ(平安)を体験するには「愛を学ぶ」必要があります。ということは、人間は地のまま、天然自然に、愛を学ぶのは難しいということです。なんで?愛ってもっと自然なものじゃないの?と多くの方が思われるでしょう。私だってそう思っていました。天然自然で私たちが体験しているのは多くの場合エゴが知覚している愛に似た感情です。エゴがなぜ解体されなければならないかというとエゴの次元にいる限り人は愛を学べないからなんです。エゴは愛を別のものと勘違いしてしまうのです。欲求とか、必要とか、所有とか、そういうものを相手に投影して自我を満たそうというのが、エゴの考える愛です。ほとんどの場合それは無意識のなかで実行されます。これはエゴイストと呼ばれる人の特性ではありません。清く正しい人、善人悪人にかかわらずすべての肉体に宿り自動的にそのシナリオは人生に投影されていくのです。そしてそのシナリオを演じている限り人は幸せにはならないんです。エゴを解体するにはエゴの特性に気づき自己の内面に向き合い(≒問いかけ)それに気づき、それを手放す(≒赦す)と意図することです。そしてその浄化を潜在意識の次元で行っていくことです。ですから先達から光明を得る方法として瞑想が伝わっているのです。ヒプノは二人でする瞑想です。セッションは一致団結してこういった作業をすることだと私は考えます。次元上昇とか、波動が高いとか、いろいろな言葉で言われていることは実は、愛を知覚する次元へと自己を明け渡すことだと私は思います。
2010.10.16
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「この世界の現象のすべては、自己の内面の投影である」もしもひとこと、誰かに言葉の贈り物を差し上げるとすれば私はこの言葉を贈りたい。まことしやかな言葉、美しい言葉は数多くあれど人生を生きる上でこんなに無敵の叡智を与えてくれる言葉はなかなかない。この法則は、地獄に始まって、ほんものの天国の入り口にたどり着くまでこの二元性の宇宙を生きる間中あらゆるサポートをしてくれる。とても長いスパンで多次元的に役に立ってくれる頼もしい言葉だ。エゴの解体、自己と他者の線引き、愛、そしてワンネス。頭で理解しようとするほどワナにひっかかる。けれども、この法則に則して世界を観てみればエゴが作り出している虚構のワナ、他者の領域に入り込みコントロールしようと試み失敗することで苦しむ図柄や無意識が作る、一見無関係に見える自己と世界の関連性がくっきりと見えてくる。悪意ではなく、恐れという動機からそれは作られる。エゴを解体せよ、というのはこのコントロールや無意識に気づき、手放すことだ。自己と他者の境界線を明確にし、正すこと(あえて正すといいます)で私たちは新たな境地へと連れて行かれる。それは、ボーダーレス、バリアフリーの世界。ワンネス。その時人は、あるがままの自分として存在している。この言葉を受け入れるということは原因をすべて内側に求めることであり外側への攻撃をすべて放棄することであり外側との戦いをやめることでありいっさいの責任を持つということありやがては自己と向き合い自己を受け入れ自己を癒し自己を赦し自己を愛することへ導かれる。そしていっさいを受け入れいっさいを赦しいっさいを手放しいっさいを愛するという世界を実現する。本当の平和は来る。
2010.10.08
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「人生を変える4つの質問」というすばらしい本があります。原題は「Loving What is」(あるがままを愛する)。とても現実的な許すためのワークであり本当の自分とエゴの声とを見分ける方法を識別できるようになれる本であり愛とは何かをみつけるための画期的な本なのです。・・・が、楽天ブックス、アマゾンの両方で品切れです。絶版なのかな。それでその続編でもないのですが、同著者の同じワークの技法をテーマにした本が出ているのを取り寄せたところです。前者同様すばらしい本でありますように^^私は通信でカウンセリングの勉強をしたのですがセルフカウンセリングの技法とこれは似ていて自分の領域と他人の領域の線引きを明確にし人間関係において、相手をコントロールすることを完全に手放していきます。私たちは愛と称して実は自分の要望を満たそうとしたり(良かれと思って、というのもこれに当てはまります)与えることによって得ようとしたりします。本気で取り組むといろいろな抵抗や痛みが噴出します。エゴの断末魔の叫びみたいなもので自分がこれが自分だと思ってしがみついているものが浮き彫りになりハンマーで一撃されるような(ひどいな、でも本当)感じでそして全身からウロコが落ちます。もしもウロコが落ちないときはまだウロコをつけていたいということ。このウロコ(ヨロイ)を脱いでしまうのは危険すぎる!とあなたのインナーチャイルドが恐れている場合です。本当の自分になるというのは究極的にはもっと先がありますがでも肉体の生命存続(自己防衛)本能よりも魂(生命の本質・愛)が優位になって自分の舵を取る感じです。寝食を忘れて、とか三度の飯よりも、とかおそれを知らない、という感じが少ーし似ているかもしれませんね。ちなみに後者の本は探すのをやめたとき愛は見つかる
2010.10.06
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ヒプノセラピストをかれこれ9年やっている。1000回以上のセッションをやってきたことになる。催眠療法のことだけれど、これは本当にやればやるほどすごいツールだなぁと思う。最初は催眠館ラディアンスというところの専属セラピストだった。ヒプノセラピーの老舗だ。余談ですが、少し前に我が家にお手紙が届きました。差出人のお名前がなかったのでお返事の仕様もありません。ラディアンスに対する、というか私がラディアンスを薦めたことに対する苦情というかうったえのような内容だったのだけれど私はラディアンスをお薦めしたこと、あったっけかなぁと思った。多分ない。私の中にお薦めする気持ちがないから(申し訳ないですが)、多分していないと思う。私は自分の経歴なども他人に迷惑がかからない程度にオープンにしているので誇れるような経歴(ほとんどないです)も、あんまり自慢にはならない経歴も今の仕事と関係があるものは書いているつもり。(サンドイッチ工場やアパレルやお祭りの屋台のバイトその他のことまでは書いていない。)でもラディアンスで学んだことは、抜きに語れないので書いている。もしたとえ私がお薦めしていたとしても、どんなことだって、鵜呑みにはしないでください。私は皆さんに、人のいうことを鵜呑みにせず、自分で選べる力、自分で創造する人生をお薦めしているつもりです。私の表現がいたらないところはお詫びしますが、どうかすべての経験を糧にして、ご自身の人生を彩っていってください。せっかくあなたが手にしたものを、自分の仕業と受け入れれば、それはあなたのパワーなんです。どんなくだらなく見えるものでもそうです。私が自分のつまらないプロフィールをわざわざ公開してお伝えしたいのはそういうことです。私個人の気持ちとしては、もし私の言葉を信頼して選んだ、とおっしゃるならラディアンスのセラピー料12万円とかけた時間2日間を使ってぜひ沖縄へいらしていただきたかったなーというのが正直な気持ちです。私にもがんばるチャンスをいただきたかった。でも実際の選択はそうではなかったのです。ご相談すら受けていないのが事実です。お手紙はできたら先にいただきたかった。名前と返信先付きで。どなたかが自分に向き合い人生を変えて生きたいという意図で扉を叩かれればわりと親切になんでもお答えしているつもりです。もし今からでも、お名前や返信先を教えてくださりさえすればできる限りお応えするつもりです。さて、思いのほか長くなりましたので今日はこのへんで、と言ったら最初の前振りはなんだったんだという感じなのでもう少し書きます。ヒプノのすごいところというのはその仕組みがとーっても理論的な、理にかなった、現代的な心理療法であるということです。宗教的にも、思想的にも、フリーです。関係ないです。また、霊的に魂的に信心がなくても、前世というものを信じなくても、関係なくできます。というとすごくおかしいのですが(なぜならヒプノセラピーには前世療法が含まれているからです)でも、実際信じていようがいまいができます。それは意識の仕組みというものを理解してそれを利用、応用すれば、そうなるというところとまったく相反しないからです。でも、あたかも前世というものがあるかのようにそれは進行し、そのような結果が起こります。そして、結果、心の中に変化が起こり、これまでの信念体系が書き換えられ、意識は拡大され、より精妙で目覚めている方向へと方向転換を始めます。古い乗り物から乗り換えるというかエンジンをそっくり替えてしまう感じです。エンジンを取り替えるのでいろいろと調整が必要になりますがそれまで以上に乗り物自体にも愛を感じられるようになります。何よりも前は思考とか恐れが原動力だったのが愛とか光という原動力に変わります。(みなさんに愛がないといっているのではありませんがそれが動物として生まれてきた人間の構造なので仕方ないのです)皆さんご想像のとおり、思考とか恐れより愛とか光はうんと確かで頼りになって、間違いのないものです。ラディアンスでは、こういう風には教わりませんでしたが理論的なことをたくさん学ぶことができました。その土台の上に、本当にたくさんのことを学びすべてがひとつにつながって今のようなセッションをすることができるようになりました。私にとってはお一人お一人との間で起こるすべてのセッションが奇跡です。長々お付き合いくださりありがとうございました。すばらしい一日を。ドラゴンフルーツも今年はおしまいかなぁ・・・
2010.10.03
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みなさん、お元気ですか。私はおかげさまで今日も元気です。2010年もあと3ヶ月を切りました。スピリチュアルの世界では(もはやその世界だけではないですね)2012年というのはあの、1999年よりも信憑性ありげな大きなターニングポイントのように捉えられています。私はこれまで、あまりそういうことを気にせずに淡々と、というか、着々と、というかとにかく自分の探求、自分のワークを進めてきました。そういうのはイベントとしてはもりあがりそうなんだけどあまり気分をもりあげようとかそういう操作なしに自分のリズムで最大限にやれることをやりたいようにやるのが好きです。(なんかものすごい適当な感じに聞こえますが・・・^^)でも、なんだかちょっと前まで全然興味なかったのに自分と向き合ってみようと思ったんです、とか変わりたいと思うようになったんです、とか家族みんながこのままじゃいけないようなもっと幸せになれるんじゃないか、そのために自分にできることがある気がするんです、とか内なる呼び声を聞かれて、行動に移される方々に出会うにつれやっぱり、集合意識が変わろうとしている、全体としての波動が高まり個々が光を蓄えることのできるような、準備が始まっている、とリアルに感じることも多くなりました。アセンションについては本当に多くの人が多くのことを語っています。それに乗っかって盛り上がる人がたくさんいるのもきっと何かしらの役に立つこともあるかもしれません。なにしろ集合意識に何かの渦が起こる必要があるでしょうから。それを機に人間がジャンプアップしてみんなが、光ってこれだね!さいこー!なんて言って幸せでいたらさいこーにいいなと思います。で、そう考えてみると、わりと私が今取り組んでいることはそんな時をそっと夢見てやっているとも見て取れるんですね。確かに希望を持っています。願っています。心から真剣に。だけど、それは決して目標でも目的でもなくたとえ明日でこの世が終わりだとしても関係なく私はこうしているだろうし2012年にみんなが期待するような何かはなかったとしてもそれで何かは、多分ほとんど変わらないんですよね。みんなががっかりしちゃって、スピリチュアルなんてウンザリ、なんてことはあるかもしれませんが・・・^^;アンチエイジングの鬼の勝田小百合さんは「もしあした世界がなくなっても、私は今日りんごの種をまく」と言いました。ものすごく言い得ている言葉だと思いました。みなさんが今日、さいこーになりたい自分でありますように。
2010.10.01
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