カテゴリ未分類 0
全764件 (764件中 101-150件目)
高松塚古墳と高松塚壁画館を見学した後で、向かった先は国営飛鳥歴史公園です。特別史跡 キトラ古墳が見たかったからです。キトラ古墳は藤原京の南に広がる古代の皇族・貴族などの墓域にある小円墳です。7世紀末から8世紀初頭に造られたと考えられます。先ずキトラ古墳壁画体験館 四神の館に入りました。1階と地下1階を見学できると思っていましたが、この日は1階の文化庁キトラ古墳壁画保存管理施設は閉館。入り口を入るとここは地下1階なんです。キトラ古墳壁画の4面マルチ高精細映像や原寸大のキトラ古墳石室模型、古代飛鳥の人々の暮らしがわかるジオラマ模型、キトラ古墳の発見から調査・研究、修理、墓道の埋め戻しに至るドキュメンタリー展示がしてありました。キトラ古墳壁画は石室内部に塗った漆喰の上に描かれています。南壁には四神「朱雀」、北壁には四神「玄武」、東壁には四神「青龍」、西壁には四神「白虎」、そして天井には「天文図」が描かれています。四神の下には獣頭人身の十二支、日月の壁画があります。2019年に国宝に指定されました。そこから歩いてキトラ古墳に行ってきました。緩やかな坂道を登っていきました。太陽が反射してうまく写せませんでしたが、古墳の前に壁画のレリーフがいくつもありました。これがキトラ古墳です。2段の墳丘は下段の直径が13.8m、上段の直径9.4m発掘調査前は全体に木々に覆われてたそうです。1983年から発掘調査して2013年に石室を再閉塞し、2016年に築造時の大きさに復元して整備されました。シロツメグサはよく見かけますが、赤ツメグサもたくさん群生していました。(続く)最近わが家の庭で咲いた花です。カーネーションとノコギリソウ、スカシユリと紫陽花です。友人の庭で咲いた花です。お花は日常生活のアクセントになりますね。今朝は7時から始まる中山道の小松屋のお掃除にこれから行ってきます。
May 28, 2023
コメント(26)
奈良滞在2日目は明日香村へドライブ。飛鳥は7世紀の日本の中心地ですが、今はのどかな景色が広がっていました。朝9時前にホテルを出たのでまだ観光バスも来ておらず、駐車場に車を入れて歩きました。案内板のように階段を登りました。高松塚古墳が見えてきました。約1300年前に作られた2段式の円墳です。一体は国営飛鳥歴史公園として整備されています。周りを歩いて円墳を眺めてきました。その後、下へ降りて高松塚壁画館を目指しました。山を横穴式に掘って作られたような壁画館でした。西壁の女子群像は「飛鳥美人」の名で親しまれています。(模写ですが迫力十分でした。)この壁画は2022年に発見から50周年を迎えました。上皇様ご夫妻も拝見されたそうです。精密な模写や石室復元模型が見られました。まるで私たちも高松塚古墳の中にいるような感じがしてきました。実は私たちが訪れた翌日に全国から応募した人たちの中から抽選で選ばれた人だけが、壁画の実物を近くの施設で見られると言われました。(年に4回そういう日があるそうです)私はこれで充分でした。館内は撮影自由なのでたくさん写してきました。高松塚古墳の墳丘版築層(実物標本)です。発掘調査の様子です。男女の群像の他にも青龍などの四神(四方を守る中国の霊獣)などを極彩色で鮮やかに描いた石室の壁画は国宝です。野辺に咲く山法師の花やサクランボの実を写しながらまた来た道を引き返したのでした。山からは鶯のような鳴き声を何度も聞きましたが、それがオオルリの声なのか鶯の声なのかはわかりませんでした。(続く)PS) 今日は1日予定が詰まっています。朝9時からダンスレッスンを受け、10時半過ぎに岐阜へ向かいます。長良川国際会議場で開催の行事に参加して午後4時過ぎに帰宅します。その後、午後6時受付の国際交流協会の総会に出席し、自宅へ戻るのは午後8時ごろになるかもしれません。
May 27, 2023
コメント(20)
奈良滞在1日目は気温が高く暑い中、橿原神宮、本薬師寺跡、藤原宮跡、飛鳥寺、石舞台古墳と5か所を観光した後、その夜宿泊するホテルに到着し、ウェルカムドリンクを頂き、少し休憩。そして夕食の時間になりました。最初に飲物のお酒を注文して冷酒を頂きながら、お料理を堪能しました。先付:春味のサラダ仕立て焜炉:鯛と一葉目若芽のしゃぶしゃぶ造里:海の恵み 古代宮廷盛り御椀:季節の真薯 煮鮑 春の野菜を添えて焼八寸:旬菜楽盛り~春の味覚盛り合わせ(鰆菜種焼き、空豆、インカの目覚め蕗味噌、柿の葉寿司、烏賊ワラビ雲丹焼き、吉野桜、蛍烏賊の沖漬物け、稚鮎から揚げ、メバル香草揚げ、海老、子持ち昆布)強肴:黒毛和牛と筍ステーキ食事:ふきと油揚げの炊き込み御飯 香の物:三種盛り 留椀:赤出汁水菓子:デザート(目玉焼きのように見えますが、水ようかん?、黒糖ゼリー?、ナタデココ?でひんやりしてとても美味しかったです。ほろ酔い気分で説明を聞いたのですが、何だったか記憶がありません)目で楽しみ、舌で楽しみお腹いっぱいにななりました。下戸の相方はいつになく私と同じ量の冷酒を飲んだので部屋に戻ってすぐに2時間ほど爆睡しました。翌日の朝食です。2人分ではないですよ。朝からよく食べる私です。そして2日目の観光に出かけました。(続く)こちらは家族のお土産です。どちらもとっても美味しかったです。
May 26, 2023
コメント(20)
蘇我馬子が創建した飛鳥寺で7世紀初めに造られた日本最古の仏像、飛鳥大仏と呼ばれるご本尊の釈迦如来坐像を見学した後に向かったのは石舞台古墳です。途中で車を降りて私一人とぼとぼ歩いて行きました。飛鳥は平城京の前、100年余りにわたって都がおかれた地です。たくさんの万葉歌が詠まれた所として知られていますね。やっと石舞台古墳に着きました。7世紀初めに造られたものとみられています。被葬者は不明ですが、当時の大権力者・蘇我馬子の墓ではないかと言われています。地表に露出しているのは巨大な横穴式石室の一部で天井石が露出した姿をしています。昔、女に化けた狐がこの上で舞ったという伝説もあるそうです。大きさがわかるように記念撮影をしている人物を入れました。玄室の長さ7.7m、幅約3.5m、高さ4.7mで大小30数個の花崗岩が使われています。学生さんや大人の団体の見学者が大勢いました。最も大きな石で南側の約77t、北側が約64t石材の総重量は2,300tという大規模な古墳です。ぐるっと周りを写してきましたのでご覧ください。※ ここで蘇我馬子について少し補足します。飛鳥時代の大豪族で,皇室と結びつきを深めて権力を拡大し、当時の国政を主導した人物です。また仏教を篤く敬い、飛鳥寺を建立した人物です。これで飛鳥寺と石舞台古墳がつながったのでした。その後ホテルに行く途中で両足のふくらはぎが攣ってしまい助手席でもんでもたたいてもこむら返りを起こして固まったふくらはぎは痛くて痛くてしばらく泣いていました。この日の奈良は33度で真夏日。水分補給を充分していたつもりでしたが、長い距離を歩いたのと、脚の酸素不足で攣ってしまったのです。その後、奈良滞在中3日間は靴を履くのもつらいほど脚の筋肉痛は治りませんでした。ホテルにやっと到着してウェルカムドリンクで一休みそして夕食までしばらく休憩し、1日目の夕食が始まったのでした。その様子は明日載せますね。(続く)
May 25, 2023
コメント(21)
曽我入鹿の首塚を見学した後は、本堂内を見学しました。本堂内の撮影は出来ました。本堂前に残る礎石は当初の金堂のものだそうで本堂の位置は創建当時から変わっていないそうです。飛鳥寺は6世紀末に曽我馬子が本格的寺院として創建しました。当時の壮大な伽藍は残っていないけれど、本尊の釈迦如来座像が残っています。7世紀初めに造られた日本最古の仏像で「飛鳥大仏」の名で親しまれています。そして1400年以上前から同じ場所に座ってらっしゃいます。ご本尊の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)の神秘的なお顔は右側からと左側からでは表情が違いました。向かって右側の仏像阿弥陀如来座坐像(木造 藤原時代)写実的表現は藤原時代の特色をよく伝えています。向かって左側の仏像聖徳太子孝養像(木造 室町時代)聖徳太子十六歳の時、父用明天皇の御病気回復を祈願されている姿だそうです。全体像です。さらに進みますと、ここまで見学して外に出てきました。ではこれから石舞台古墳に向かいましょう。(続く)ここでちょっと記録として載せます。母の日のプレゼントが旅行中に届きました。奈良の旅から帰っておいしくいただきました。どうもありがとうございました。
May 24, 2023
コメント(22)
橿原神宮、本薬師寺跡、藤原宮跡と回って、ちょっと一休みがてら昼食。この日の奈良は気温が33度と高く水分補給を十分しましたが、塩分補給も十分に。橿原オークホテル1階の売店で埴輪まんじゅうを買いました。埴輪の形をした埴輪饅頭は甘さ控えめで北海道小豆の餡をふんわりしたカステラで包んであります。形は武人、馬、壷、鈴の4種類入っていました。食後のおやつも食べた後は、飛鳥寺へ向かいました。では中に入りましょう。境内には見どころがたくさんありましたが、あまりにも多かったのでこれだけ載せます。本堂前にはバス何台も連ねて学外研修に来た小学生が大勢いて順番に本堂に入って見学しているので、本堂は後にすることにしました。裏の方に回り寺の境内西側に出ました。するとこの看板に目が行きました。飛鳥寺西門跡が残っていました。そしてこれが曽我入鹿の首塚です。小学生に説明している男性の話に聞き耳を立てていると、645年に起こった歴史上有名なクーデター、大化の改新につながる曽我氏の暗殺計画で、政権を私物化した曽我入鹿を中大兄皇子、中臣鎌足らが殺害し、その首をはねたらその首が600メートル飛んできた所だと話してました。(飛鳥板蓋宮ではねられた入鹿の首は宙を飛んで藤原鎌足を執拗に追い掛け回したため、ここに埋めて供養したという説もあります)小学生たちはそれぞれのノートに一生懸命メモしていました。中大兄皇子が皇太子となり曽我氏一族は滅んで一連のクーデターは終わったのです。(詳しくはネットで検索してくださいね)私たちも飛鳥寺へ戻りました。そして本堂へ入りました。(続く)
May 23, 2023
コメント(18)
橿原神宮を参拝した後、ナビが言う通り元薬師寺跡を探しましたが、「えっ、ここ?」というところにありました。しかも駐車場はロープが張ってあり入れない状態。近くも駐車禁止の立て札が立ち、仕方なく相方を車に残し、一人で草の茂る畦道を奥の方へ歩いて行きました。薬師寺創建の地ですが、平城京の遷都で西ノ京へ移った後、旧寺は本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれました。往時の東西二つの塔や金堂の礎石が残っていました。薬師寺の前身寺院跡の巨大な礎石をご覧ください。夏草?が生い茂る本薬師寺跡です。次に向かったのは藤原宮跡です。平城京の前の都・藤原宮の中心部の遺跡です。駐車場に車を置いて歩きました。この鬱蒼と木々が茂る場所が大極殿跡だと思います。持統天皇、文武天皇藤原宮跡と書かれていました。ちょっと判読が難しかったです。約1キロ四方の敷地に大極殿があったそうです。そして目の前に緑地が広がっていました。耳成山、畝傍山、天香久山の大和三山を三方に眺められます。建物跡を示す構造柱が立っています。向こうの方にも模造柱が立っていました。ここでも古代ロマンを感じられたのでした。ちょうどお昼時が過ぎ、この辺りで少し休憩しなくては・・・この日の奈良の気温は33度でした。(続く)
May 22, 2023
コメント(18)
5月17,18,19日と2泊3日で出かけた奈良の旅をもう一度振り返ります。最初に訪れたのは橿原神宮です。第一代天皇の神武天皇と皇后が祀ってあります。先ず手水舎で手指を清めて境内の南にある深田池は憩いの場で、女性が池の畔に座っておしゃべりを楽しんでいました。相方はしばらくカエルを眺めてました。神武天皇は畝傍山の東南の橿原宮で即位したとされ、明治23年(1890年)に創建されました。重要文化財に指定されている京都御所の内侍所(賢所)を移した本殿をはじめ、社殿は広いです。境内には上皇后様のお歌の碑がありました。そして拝殿に参拝しました。私たちが橿原神宮に参拝するのは二度目で、以前はもう少し奥まで行けた気がしますが、今回は外拝殿から参拝しました。(正月期間は内拝殿に進めるそうです)大和三山(畝傍、耳成、天香久山)に抱かれた橿原は平城京の前の都・藤原京があった所です。この後、本薬師寺跡、藤原宮跡を探して車を走らせたのでした。(続く)
May 21, 2023
コメント(24)
昨日奈良は朝起きたらすでに雨が降っていました。朝食を終え、午前9時前にホテルをチェックアウト。雨が本ぶりになって風もある中、まず向かったのは東大寺でした。小学生、中学生、高校生と大人の団体、外国からの観光客で混雑しているので、入場券売り場も長蛇の列。私たちは東大寺大仏殿と東大寺ミュージアムの両方利用できる券を最初にミュージアムの方で待たずに買えたので先にミュージアムの方を見学し、その後、大仏殿を参拝。詳細は後日載せますね。その後、春日大社へ向かいました。そこで珍しい行列を見ました。先ず山伏がほら貝を吹いて先導しました。これだけでもう充分でした。喫茶店であんみつとお抹茶を頂き休憩。その後、1キロ余り鬱蒼と茂る林の中を新薬師寺へ歩きました。相方が以前テレビで見てどうしても実物を見てみたいと、新薬師寺の本堂を訪れたのでした。それは怖い顔をしたバサラ(伐折羅)でした。私たちはクビラ(客毘羅)に献灯して参拝したのでした。その後、相方は車で他の寺社へも行こうと言いましたが、雨模様の中、今回はもうこれで充分だと思い、京滋バイパスと名神高速を走って帰途に就いたのでした。次回からは奈良の旅をもう少し詳しく振り返ります。(続く)今日はお昼の12時過ぎに出かけ、12時半から5時半までかけてオーストラリアへ派遣する中高生の選考審査のお手伝いをします。疲れている暇はありませんね。
May 20, 2023
コメント(22)
奈良滞在2日目もあちこち巡ってきました。午前9時にホテルを出て斑鳩へ。先ずは高松塚古墳へ。そして高松塚壁画館へ。ここまでは時間が早かったので、私たち二人だけでしたが、駐車場へ戻る頃には観光バスが何台も連なってやってきて小学生、中学生、高校生の学外研修の生徒たちで混雑してきました、その後はどこへ行っても大勢の生徒さんたちと一緒になりました。次に向かったのはキトラ古墳壁画体験館四神の館。そこから歩いてキトラ古墳へ。次に日本最初の世界文化遺産である法隆寺へ移動。そして東院伽藍(夢殿)へ。その後、前日に上皇様ご夫妻が訪問された中宮寺へ。中宮寺は旧斑鳩御所なのです。受付の女性お二人が「昨日はもう本当に大変だったようです。私たちはここに座ることはできませんでした。(中略)菊の御紋の建物は写真撮影はできませんからこの売店の写真を写してもいいですよ。」と言われたので、 お言葉に甘えてご本尊 如意輪観世音菩薩(国宝 木造菩薩半跏像)を写させてもらいました。次に向かったのは薬師寺です。詳細は後日載せますね。その後、興福寺へ行きました。最後に奈良公園で鹿に鹿せんべいをあげました。その後、ホテルのチェックインの時間も近づいたので観光はここまでにしてホテルへ直行。ホテルで少しリラックスした後、奈良駅へお土産を買いに散歩。2日目の夜は奈良駅の近くのホテルに滞在しました。(続く)
May 19, 2023
コメント(20)
昨夜奈良のホテルで夕食に秋田の超辛口のお酒と奈良の純米酒うねびを飲んだら酔いが回って、相方は即ベッドでダウン。私は何とか旅行記をまとめて少しだけ載せますね。帰ったらまた詳しく旅行記を載せますので。昨日は早朝3時過ぎには目が覚めて、午前6時に自宅を出て名神高速、京滋バイパスを通って午前10時には奈良に着きました。先ず参拝したのが橿原神宮。二人ともこれで2度目の参拝です。次に訪れたのは史蹟本薬師寺跡(元薬師寺址)。駐車場が閉鎖していたので、私一人畦道を歩いて参拝してきました。次に訪れたのは藤原宮跡。ちょうどお昼時になり、まずホテルで埴輪饅頭(はにわまんじゅう)を買ってから昼食を食べてしばらく休憩。その後、飛鳥寺へ参拝に。御本尊の飛鳥大仏を拝顔しました。その後、相方を車に残し一人で1kmか2kmぐらい歩いて特別史跡明日香村にある石舞台古墳へ行ってきました。この後、ハプニングが起こり、私は両脚のふくらはぎが攣って痛くて痛くて何をしても治らないので、ここで史跡見学を断念してホテルへ直行。そして部屋でしばらく休憩したのでした。途中、水分とミネラル補給に麦茶を買ってペットボトル1本飲んだんですが、全く効果なしでした。昨日の奈良の気温は32度でした。取り急ぎ昨日(17日)の行程をざっと振り返りました。(続く)
May 18, 2023
コメント(18)
今日で静岡の旅も最後です。国宝久能山東照宮の社殿(拝殿)を拝観した後、また切り立った石段を登り家康公の御廟を拝観しました。奥にあるのが家康公の御廟です。※ 家康公は元和2年4月17日駿府城内で75歳で他界すると、遺言によって遺体はその日のうちに久能山に運ばれ埋葬されました。(※旅行案内リーフレットより拝借)家康公お手植えのみかんだそうです。いかにも幹が細すぎると思ったらどうも最近、駿府城から分木したんだそうです。こちらはテレビの「どうする家康コーナー」で竹の光アートが綺麗でした。向こうに日本平ロープウェイ乗り場があります。日本平夢テラスを設計したのはオリンピック会場を設計した隈研吾氏です。静岡県の木材を使ってあるそうです。実は日本平夢テラスからは富士山はもちろんのこと、遠く駿河湾、伊豆半島、南アルプスが見えるはずでした。ところが、あいにくの曇天で厚い雲に覆われ、駿河湾以外は何も見えませんでした。久能山東照宮と日本平夢テラスの見学で2時間を過ごし、バスは一路浜名湖SAを目指してひた走り、途中最後の買い物と休憩をして帰路に就いたのでした。これで静岡の旅を終わります。(完)
May 3, 2023
コメント(18)
楼門を通り抜け国宝久能山東照宮の社殿を目指して登りました。右手に見えたのは神楽殿です。どの建物も屋根まで金ピカでした。そして至る所に動物の彫刻が施されていました。この階段は使えず、右側の横道へ誘導されました。こちらは神庫だと思います。格子の間から家康公を写してきました。そこから上がっていくと日枝神社があります。神社から左へまっすぐに進むと国宝久能山東照宮の社殿がありました。周りの建物です。社殿の正面は拝殿です。本殿は拝殿の奥にあります。柱の彫刻も素晴らしかったです。今年の干支、兎の彫刻を写してきました。こちらは横面を写しました。石の間なのかどうかはわかりません。多分本殿はこの向こうにあるような気がします。社殿の裏側から本殿の方を写しました。豪華絢爛な造りになっていました。※ ここ久能山東照宮は日本全国にある東照宮の創祀でもあり、家康公が願った天下泰平の世を象徴する神社です。創建当時には最高技術を使って建てられました。(旅行社のリーフレットより拝借)さあ、それでは家康公の御廟に行きましょう。これからまた切り立った最後の石段を登ります。(続く)
May 2, 2023
コメント(22)
久能山東照宮の社務所の横から石段を楼門まで上がってきました。楼門の向かって左側には金剛力士像ではなく、弓矢を持った武士が睨みを効かせていました。右側です。そして裏に回ると向かって左側に金の獅子がいました。真ん中には家康公の手形がありました。家康公が38歳の時のもので推定身長は155センチから159センチと書いてありました。家康公はそんなに背が高い人ではなかったようです。右側は一角獣のようでした。門を見上げると色彩が綺麗でよく見ると至る所に動物の彫刻が施してありました。八重桜は葉桜になりかけていましたが、オオデマリが花盛りでした。そして至る所に葵の御紋がついてました。灯篭にも葵の御紋が付いてました。では先に進みましょう。(続く)GWが始まりましたが、私は旅行にも出かけず、庭の草引きをしたり、床のワックスがけをしたりしてまったりと過ごしています。4月29日は太田宿中山道会館まで山野草展を見に出かけました。今回は岩チドリでした。後日載せますね。4月30日は夏時間で中山道小松屋の掃除がありました。冬時間は午前8時開始でゆっくりで良かったんですが、7時から始まると6時45分には会場入りしますので、遅刻しないように早朝から目が覚めてしまいました。私が一番乗りで、まだ誰もいらっしゃってなかったです。3月から10月までは夏時間ですので早起きします。
May 1, 2023
コメント(22)
今年のGWはどこにも出かける予定はなくのんびり過ごそうと思っています。それで4月25日(火)に出かけた静岡の旅を振り返ろうと思います。当市の人ばかり49名のバス旅で午前8時過ぎに出発しました。当日のキャンセル待ち参加できた人が20名弱いらっしゃいました。顔なじみの方々が多かったです。バスの乗車条件が厳しく、身分証明書(免許証、健康保険証)とコロナワクチン接種証明書がそろってないと乗車できませんでした。バスは一路、焼津に向かって走り、焼津さかなセンターで海鮮づくし御膳を頂きました。桜エビとしらすのこぼれ寿司が珍しかったです。新鮮な海の幸が盛りだくさんの70店舗で早速皆さんお買い物。その後、わさび工場を見学して土産物店でわさびのソフトクリームを食べました。黄緑のソフトクリームの上にわさびの粉末が降りかけてあり舌にピリッときて美味しかったです。その後、バスは久能山東照宮を目指しました。先ず日本平ロープウェイに乗りました。ロープウェイで久能山へ向かいます。やっと到着。江戸時代の石垣が残っています。推定樹齢500年のクスノキです。社務所の横から家康公の御廟に向かって石段を上がっていきました。先ず楼門に向かって登りましょう。この石段はまだ足にやさしかったです。これから先はどうなることでしょう。(続く)
April 30, 2023
コメント(24)
曼陀羅寺の藤と芍薬と石楠花も今日で最後となりました。ぐるっとお庭を回って帰りましょう。そしてすぐ隣にある小さなお寺の庭に立ち寄りました。ツツジが綺麗でした。石楠花も綺麗でした。このお寺には地元の名物のお菓子が売ってましたが買わずに、毎年立ち寄るお店で木の芽田楽を買って帰りました。今年もこの時期に曼陀羅寺の藤と牡丹、石楠花を見に来られて良かったと思います。こちらは週1で訪れるエステシャンのお庭です。庭の至る所でアヤメ、菖蒲?が咲いていました。アヤメと菖蒲の区別が今でも難しいです。また湿地や沼ではなく築山ですが、カキツバタだと教えてくれた方もいます。わが家にはあまり花がないので、いつも彼女の家のお庭をゆっくり散策して季節のお花を楽しませて頂いています。さて、私も身体がすっかり回復しました。一昨日に年末から来年に向けて踊る予定のダンスの振り付けを付けてもらい始めました。昨日もその続きを付けてもらいました。しっかり覚えていきたいと思っています。
April 29, 2023
コメント(20)
曼陀羅寺の藤と牡丹、石楠花を紹介していますが、その間にわが家のつる薔薇が咲いてきましたので少しだけ紹介したいと思います。たくさん蕾もついています。まるで小鳥の赤ちゃんが空に向かってくちばしを向けているように見えます。ではもう一度牡丹の花と藤の花を紹介します。先ずは牡丹から鉢植えの藤もありました。藤棚の白い藤です。手前は八重の黒龍で遠景に白い藤紫色から淡いピンク色へとグラデーションが綺麗だなぁと思いました。綺麗な花を鑑賞するのに言葉はいりませんね。次回はすぐお隣にあったお寺さんの庭を紹介します。
April 28, 2023
コメント(18)
愛知県江南市の曼陀羅寺の藤の花を紹介していますが、実はシャクナゲも色とりどりで綺麗に咲いていました。今日はどちらも紹介したいと思います。先ずは藤の花色が紫、薄紫、そして向こうの方に白い藤が見えるのがわかりますでしょうか?3尺藤だと思います。白い藤も見事に咲いてました。次にシャクナゲを紹介します。赤と白のシャクナゲがコラボしていました。純白もいいものですね。この花色のシャクナゲは珍しいと思いました。先週の土曜日から今週火曜日まで予定がびっしりで、毎日めいっぱいこなしていたら、とうとう5日目にして気が緩んだのか、疲れがどっと出てきてしまいました。それでもダンスレッスンだけは出かけてきました。多分久能山東照宮の切り立った石段は一段が30センチほどの高さがあって、急でした。頂上にある家康公の御廟まで登って行ったので両足の太腿とふくらはぎが筋肉痛になったんだと思います。ダンスレッスンで両足が筋肉痛になることはめったにないです。まあそのうちに治っていくと思います。睡眠不足も一因だと思うので少し昼寝をする時間を確保して眠ればしばらくして元通りの生活に戻れると思います。私は自分の年齢を忘れがちなのが玉に瑕です。
April 27, 2023
コメント(22)
ひとまず4月のダンスパーティーが終わったのでダンスレッスンはお休みをして、一昨日(24日)藤を観に江南市の曼陀羅寺までドライブ。今年は季節が早く訪れているので牡丹の花はほとんど見頃を過ぎていましたが、ツツジやシャクナゲが綺麗に咲いていました。藤で有名なお寺なので、大勢の人が訪れていました。これから少しずつ載せようと思います。先ずは八重の黒龍からまるで藤棚からぶら下がるブドウのようでしょ。牡丹の見頃は過ぎてましたが、少しだけ載せます。ツツジは満開でした。昨日(25日)はバス旅で静岡まで出かけました。その様子はまた後日載せますね。
April 26, 2023
コメント(22)
ぎふ清流里山公園の最終回です。園内を歩いていると山躑躅があちこちにハナズオウ(マメ科 ハナズオウ属)です。リキュウバイ(バラ科 ヤナギザクラ属)です。椿も満開でした。こういうのは斑入りというのか、絞り模様というのか、何と呼ぶのでしょうね。赤い椿は別の木なのか源平咲きなのかちょっとわかりませんでした。向こうの山の上にあるアドベンチャーパークから小学生が頭の上を一気に通過していきました。親子で体験している家族もいました。結構スピードが速いんです。登り窯が作ってありますが、最近使用された形跡はありませんでした。以前は日本昭和村という名前がついていたのですが、今でも懐かしい昭和のレトロなお店があります。入り口のカフェで一服しました。このお店も改築してハイカラなカフェに代わっていました。綺麗なチューリップもネモフィラも見ることができて、まだ八重桜や枝垂桜も綺麗でしたし、他の植物もたくさん花を咲かせていたので、日曜日の午前中、さわやかに気分転換ができました。(終わり)昨日から岐阜県でも黄砂が観測されています。今日もまだ黄砂が飛んでいるようなので、なるべく屋外に出ないようにしたいと思います。花粉症の人や気管支喘息の人は要注意と言われてますので、サングラスをはめマスクをしてダンスレッスンに出かけたいと思います。
April 13, 2023
コメント(26)
次にぎふ清流里山公園・セントラルガーデンのネモフィラ広場を紹介します。見渡す限り可憐なネモフィラが広がっていました。チューリップとコラボしているネモフィラも素敵でした。そしてここは山の中にあるので平地よりも少し涼しく9日(日曜日)でも桜はまだ葉桜にならずに八重桜も枝垂桜も綺麗でした。八重桜は花色が淡い色から濃いピンク色までいろいろ。枝垂桜もあちこちに枝垂桜とチューリップのコラボです。子供たちも春の小川に入って遊びたいようでした。観光客を写さずに写真を撮りましたが、実はいくつもある駐車場すべてが満車になるほど遠方からも大勢の人が訪れていました。ぎふ清流里山公園はもう1回続きます。(続く)
April 12, 2023
コメント(22)
昨日はお天気が良かったので以前から行きたかったぎふ清流里山公園までドライブ。広い園内を散歩してきました。入り口でハート型をしたお花が出迎えてくれました。季節は枝垂桜からチューリップへ移り変わりますね。藁で作ってあるのはイタリア・ローマにある「真実の口」そして今年の干支の兎です。体長10センチはあろう大きな金魚がゆったりと泳いでいました。そしてエントランスガーデンに広がっていたのは見渡す限りのチューリップ広場でした。お天気も良く、青空の下で色とりどりのチューリップが綺麗に咲いていました。駐車場の車も大阪や奈良、静岡ナンバーがあり遠方からも訪れているのがわかりました。この公園は猫はだめですが、犬は連れてきても大丈夫なのでワンちゃんもたくさんいました。飼い主さんがリードを付けて散歩させるか抱っこして入園できます。(続く)
April 10, 2023
コメント(20)
昨日の続きで一昨日(4月1日)の事です。一色保木山のかたくりの里を見終えると、それまで駐車場で雑談していた相方が桜が綺麗な所があるらしいぞと言って先へ進むことにしましたが、ナビにその場所が出てきません。仕方なくそちら方面へ進んでいくと窓から枝垂桜が4本見えました。集落の細い道すれすれを通って山の方に向かいました。そして4本の桜を順番に写してみました。どれもよく似ているんですが、微妙に違いました。枝垂桜の左側に背の低い白い花色の桜が植えてありました。ズームアップするとこんな感じそして枝垂桜がまるで滝のように流れ落ちているようでした。その後、奥長良川県立自然公園に向かってくねくねと曲がる山路を上っていきました。そして寺尾ヶ原千本桜公園と書いてある立て看板を見つけ車から降りて、私一人さくら街道をしばらく歩きました。しかし、ノア君のテニス教室の時間を考えてこの辺りで引き返すことにしました。道中、道路沿いに生えている桜並木や里山のあちらこちらに今を盛りに咲いている満開の桜の木々を遠くに眺めながら、ドライブしながらもお花見ができたことに満足した気分で帰途に就きました。(終わり)
April 3, 2023
コメント(24)
昨日その気は全くなかったんですが、社交ダンスのレッスンが先生の都合で休みになったので、相方が前日NHKテレビで見た場所へ行こうかと言い出し、東海環状で関市武芸川町一色までドライブ。一色保木山のかたくりの里を訪れました。実は中京テレビでも紹介したらしく、地元の人によれば去年まではこんなに訪れる人がいなかったのに、今年はとても混雑しているとの事でした。お店の駐車場に入れさせてもらい、私だけ歩いてカタクリの花を見に行ってきました。【相方は屋外のお店でコーヒーを飲みながらお店の人たちとおしゃべりを楽しみ炊き込みご飯、赤飯、煮豆の他に私用にマスクチャーム(スワロフスキー)とファスナーチャーム(スワロフスキー)などわんさと買って待っていました。】そんなこととは知らずに、のんびり山麓を歩いてカタクリの花、猩々袴、ぎふ蝶を見ながら写真を撮ってきました。山麓の広い範囲にカタクリが群生していました。これは山に入ってすぐに見つけた猩々袴です。猩々袴も広い範囲に群生していました。これはほんのごく一部だけを写しました。この山麓にはぎふ蝶がたくさん飛んでいました。アゲハ蝶よりも少し小さな身体をした蝶ですが、すばしっこくてあっという間に飛んで行ってしまうので写真に撮るのが難しかったです。大勢の人がぎふ蝶を撮ろうと望遠レンズ付きのカメラで狙っていましたが、なかなか難しいので、ほとんどのカメラマンが撮れてないようでした。それで私もため息をついていると、優しいおじいちゃんが(同い年か若い方かもしれませんが)綺麗に撮れた写真を見せてこれを写していきなさいと言われました。何でも地元の人は皆さんよくご存じで、小学6年生の女の子とおじいちゃんがいつも山に入って写真を撮っているけれど、おじいちゃんよりも小6の女の子の方が腕が上で上手にぎふ蝶を撮っているそうです。5枚ほど見せてもらって写してきましたが、その中でも2枚だけ載せますね。とてもこんな写真は撮れませんでした。駐車場に戻る途中でお話をしたご夫婦は名古屋からいらっしゃったそうです。そして駐車場に戻るとお店の人や地元の人たちと大笑いしながら楽しそうに話をして相方はご機嫌でした。(続く)
April 2, 2023
コメント(24)
ここ数日どうしようかと迷っていましたが、一昨日ちょうどテレビで桜祭りを見たので、やっぱり五条川へ桜を観に出かけました。あまり街中へは行かずに、田んぼ道を走り、あぜ道に車を止めて誰も人がいない所で写真を撮ってきました。なぜか相方がカメラに日付を入れてしまっていたので写っているのもありますが、お許しください。桜の花びらが散って、川面に花筏をあちらでもこちらでも浮かべて流れとともに下っていきました。そして桜の下ではタンポポやシロツメグサが群生していました。「糸桜 こやかへるさの 足もつれ」松尾芭蕉私も芭蕉の句のように枝垂桜があまりにもきれいなので見惚れていたら帰ろうとして足がもつれてしまいました。
March 30, 2023
コメント(20)
3月21日の夜は17階で夜景を見ながら夕食を済ませ部屋に戻ってリラックス。私はPCをやっていたので御前様になってしまいましたが、相方はさっさと寝てしまったので午前3時頃にはもうお目覚め。それから朝までうつらうつらしただけで完全に寝不足ですが、旅行はいつもこんな感じですから仕方がないです。翌朝の食事は日本食レストランではなく、日本庭園が見えるビュッフェの方へ行ったので、広くて大きな部屋はほとんど外国からの観光客でした。朝からよく食べるでしょ、私。食後は日本庭園を散策。ロビーの豪華な花に魅せられました。12時半までチェックアウトはOKでしたが、11時前にはチェックアウト。目的地まで私はタクシーで行きたかったんですが、相方が運動、運動というので仕方なく、重い荷物をもって坂道を下ったり上がったりしながら地下鉄の駅まで結構な距離を移動。途中東京都の花、桜がマンホールの蓋の絵になってました。市ヶ谷の駅で降りると目の前に満開の桜並木が広がっていました。お店で集合時間まで1時間ほど待ちました。会場入りをするとお弁当とお茶が用意されていました。今回全国で表彰された方々の記念撮影。北は青森県から南は鹿児島県までいらっしゃいました。長年にわたってあることの発展向上に尽力してきた功績を今回表彰してもらったんです。そして全国から集まっている代表者の方々の臨時大会でも皆さんの前で一人一人紹介されました。滞りなく式は終わりいったん1階まで下りて場所を移動し、今度はエレベーターが混雑していたので待たずに階段を3階まで上がったのでした。最後の方でもうフラフラになりました。部屋に戻り、閉会の挨拶が終わり解散になりました。この後、もう観光する気分にはなれず、東京駅に戻ってお土産を買って新幹線で帰ったのでした。(終)
March 27, 2023
コメント(18)
夕方午後5時40分出発の2階建てオープンバスで皇居、日本橋、浅草、墨田川、東京スカイツリー、千鳥ヶ淵、上野公園、靖国神社、アメ横、原宿、竹下通り、秋葉原などの夜景を巡るコースを90分間見物してきました。どこにも下車をせず、バスで巡るコースです。ただしオープンバスはまだ時期尚早でとにかく寒かったです。相方は頭が、私は腰から下がスースー冷えました。簡易ブランケットを巻いてもあまり変わりませんでした。まあめったに行けない所をすべて回ってくれたので良しとしましょう。2階建てバスでも最も背が高いバスらしく、ガードレールの下すれすれをわざとスピードを上げて数回もスリル満点で走りました。東京駅の八重洲口よりもずーっと南の市街からバスが出たので東京駅を通過して、昼間のコースとよく似た皇居前を通ってから進みました。東京スカイツリーがオープンの天井から見えてきました。浅草を通り、墨田川を渡り写真が撮れたのはここまでです。とにかく神田町の書店が多く連なる所や仏壇屋さんが多い所、そして原宿、竹下通りなどテレビによく出てくるにぎやかで眠らない街のような所を横目で見ながらバスは通り過ぎました。(今でも言うかどうかわかりませんが)ネオンサインがキラキラと昼間のような明るさで色鮮やかに輝いていました。身体が冷え切って午後7時過ぎ八重洲口のかなり南の方へ到着。そこから駅まで速足で歩いて赤坂見附の駅まで地下鉄で移動。ホテルまで速足で長い距離を歩きました。途中夜桜が綺麗でした。なんとか夕食の時間に間に合ったので、17階へ上がって夜景を見ながら夕食を摂ることにしました。17階は外国人の観光客がほとんどで大勢が長テーブルの席でパーティーをしていました。楽しそうなご一行様たち大勢を横目に私たちは二人でシャンパンで乾杯!天ぷらはその場で好きな具材を揚げてくれますし、お寿司も好きなネタを言えば握ってくれました。そしてビュッフェ式の料理を好きなだけ持ってきて頂きましたが、どれも味付けが美味しかったです。私はサーロインステーキやホタテをお替りしてしまいました。お寿司も2回も握ってもらいました。そしてデザートも美味しかったです。お腹いっぱいになって満足しました。午後9時でクローズドでしたので、私たちは8時半過ぎには帰りましたが、外国の人たちはまだまだ宴もたけなわという感じで大いに盛り上がっていました。(続く)
March 26, 2023
コメント(20)
3月21日(祝)のお昼頃に新幹線で東京駅についてすぐに東京駅丸の内南口からはとバスを予約。祝日でほとんどのツアーが1日中満席の所、2階建てバスTOKYOシティドライブの最後の2名に滑り込みセーフ!午後1時20分出発に間に合うように簡単な昼食を駅まで買いに行き、黙食ならOKと言われ、出発前に簡単に済ませて、バスは出発。しかしバスの中から景色を写すのは難しかったです。バスのライトが写りこんでますが、ご容赦ください。コリント式建築の明治安田生命保険株式会社の建物。皇居・富士見櫓昔はここから富士山が見えたのでこの名前が付いたそうですが、現在ではもう見えませんね。お堀の周りを大勢のランナーが走ってました。桜が綺麗でした。皇居の周りを通過して国会議事堂前へバスの座席が反対側だったのでトップが切れてしまいました。参議員会館、衆議院会館、国土交通省やら各省庁、両院の議長会館前を通過して工事中の迎賓館が遠くに見えました。ラグビー場を通過明治神宮野球場を通過、小さな子供さんたちが五輪のマークで遊んでいました。東京オリンピックのメインスタジアム神宮前のイチョウ並木も今は幹だけ。乃木希典氏の自宅と聞きました。東京タワーが見えてきました。すぐ下を通り桜が綺麗なところをあちこち写しましたが、バスが動いているのでなかなか難しかったです。そして明治生命ビルに戻ってきました。コリント式建築がよくわかりますよね。東京駅に戻ってきました。70分のTOKYOシティドライブが終わり、夜の予約を旅に出かける前に既にPCでしてあったけれど、バス会社と集合場所がわからず、あまり親切でないのでガッカリしてあちこちで聞き合わせた所、親切な別のバス会社のスタッフが二人、スマホであれこれ検索して、やっとわかったので今度は八重洲口の方へ行って、街中をあちこち探してやっとわかりましたが、1時間以上時間をロスしました。そして重い荷物を持ちながら本当によく歩きまわりました。夕方の出発時間までに赤坂見附まで地下鉄で行き、ホテルニューオータニにチェックイン。ウェルカムドリンクとドルチェを頂きました。ワインやシャンパンなどのアルコール類もありましたが、私たちはこれから夕方の観光に出かけるのでパス。やはりホテルのグレードが上がるとサービスもスタッフの物腰も親切で丁寧だなと感じました。11階の部屋にキャリーバッグや重いバッグを置いてまた地下鉄で東京駅に取って返しました。東京の地下鉄構内も街中も本当によく歩き回りました。(続く)
March 25, 2023
コメント(26)
21日、22日と東京へ出かけてました。その様子はまたゆっくり載せることにして今日はとりあえずざっと振り返っておきますね。東京の街中を重いキャリーバッグを引きながらバッグを片手に持って地下鉄の構内からホテルの中のとても長い距離を速足で歩きまわったので足腰が筋肉痛で疲れてしまいました。21日(祝)は東京駅丸の内南口からはとバスに乗って70分間東京シティドライブを楽しみ、赤坂見附のホテルまで移動してキャリーバッグだけおいてまた東京駅に戻り、バス会社と乗り場を探して街中を歩き回り夕方から2階建てオープンバスで90分間都内の桜の名所を巡ってきました。天井がオープンのツアーはまだ寒いこと寒いこと。ぶるぶる震えてしまいました。赤坂見附にあるホテルニューオータニの日本庭園です。ホテルで一泊した翌日朝食を済ませてからゆっくり散策しました。ホテルのロビーに飾ってあるお花です。草月と書いてある花車に活けられたお花は本物の桜とレンギョウが活けてありました。実は今回の東京行きは相方の表彰式に同伴していったのでした。長年続けてきた仕事で全国で表彰されたのでした。写真を見て、ダイエットをしなくてはいけないなと痛感したのでした。これから1か月ダイエットをしようと思っています。そしてこちらは東京へLINEで送られてきた写真です。先日の駐日モロッコ王国特命全権大使の講演会でまた会った仲良し3人組です。私が最年長で一番若い方は15歳年下で、ちょうど真ん中ぐらいの年齢の方となぜか気が合う3人です。両脇のお二人は有名人ですから顔出ししました。
March 23, 2023
コメント(20)
昨日中山道小松屋の掃除が終わってから愛知県犬山市にある大縣(おおあがた)神社まで出かけました。そろそろ梅が咲いているかなと思いながら。いくつかある駐車場が満車になるほど見物に来ている人達で賑わっていました。お目当ての梅園の梅はまだ蕾が多く、3月に入ってからの方が良かったかもしれません。小高い丘を上がって行くと、太陽に近いからなのか上の方だけ満開の木がありました。梅の花を写してきましたので紹介したいと思います。毎年干支の彫刻をチェンソーでされる方の作品です。(全国大会で優勝されたこともある方の兎の作品)では梅園を上っていきましょう。白梅も咲いてました。そして私が夢中で梅の写真を撮っている姿を後ろから写している人がいました。もちろん相方です。梅の木が低いのでついこういう格好になってしまいました。はるか向こうの方には雪をかぶった伊吹山が見えました。3月になって満開の頃にもう一度訪れることができたらいいですね。
February 27, 2023
コメント(24)
昼にランチクルーズをして居心地が良かったので、一旦歩いてホテルに戻り午後6時過ぎにもう一度港まで歩きました。午後7時からのディナークルーズに乗るためです。乗船してすぐにカクテルをオーダー。前菜アサリのサフランスープお魚料理お肉料理途中で写真を撮りに来てくださいました。デザート&コーヒーこの後、港が一斉にブルーになりますよと言われてほとんどの乗客はデッキに上がりました。「ブルーライト 横浜♪」の歌のようでした。ブルー一色になったのがわかりますでしょうか。「田舎者の横浜滞在」ではスマホの写真でしたが、こちらはカメラで写しました。こうして120分のディナークルーズは終わったのでした。翌1月2日の朝食では雑煮を頂きました。大根や人参などの野菜と共に。そして5泊6日の旅もそろそろ終盤で、新横浜から新幹線で帰途に就いたのでした。横浜は暖かかったですが、岐阜に入った途端、伊吹おろしなのか風が冷たく、寒さをひしひしと肌に感じたのでした。長らく旅行記にお付き合い頂きまして本当にありがとうございました。(完)
January 16, 2023
コメント(20)
「横浜を振り返って」が1月1日のお正月を迎えました。ホテルのモーニングビュッフェにもおせち料理や雑煮がありました。(私は2日に雑煮を食べました)中華街を通り抜け、ビルの前には門松が神奈川県庁本庁舎もレトロな建築でした。1928年に竣工した神奈川県庁本庁舎の4代目。茶褐色のタイルと独自の幾何学模様の装飾をした外観はその重厚な姿からキングの塔と呼ばれるそうです。国の重要文化財に指定されています。実はこの建物は6階まであって、6階には本庁舎歴史展示室があるんですが、近すぎて4階までしか写せませんでした。(失礼しました)そして昭和の初め、外国人船員は横浜3塔をトランプのカードに見立ててこの建物をKingと呼んでいたそうです。可愛くペイントされた象のオブジェがたくさんある象の鼻パークを通り抜けました。ここがどうして象の鼻と呼ばれるのかが説明されてました。横浜開港150周年を記念して整備された公園で、当時の姿に復元した象の鼻の形をした防波堤や観光船の発着所や芝生広場があり、みなとみらいや大さん橋ふ頭が見えます。赤レンガ倉庫のカフェで一休み。この像はカモメとハープランチを頂きにマリーンルージュへ乗り込みました。90分のランチクルーズです。前菜はサーモンのマリネ、カクテルとともに頂きます。アサリのサフランスープ突然目の前に雪をかぶった富士山が現れました。(顔が船の窓ガラスで反射してしまいましたが)元日にこんな近くで富士山を眺められるとは思いもしませんでした。横浜ベイブリッジの上には上弦の月がキリンに見えたのは私だけかしら?私はお肉料理を選び、相方はお魚料理を選びました。柔らかくて美味しいお肉でした。デザートとコーヒーでおしまいです。横浜湾を一周して帰ってきました。向こうの方に東京湾アクアラインがかすかに見えました。私はおめでたい樽酒を頂きました。昔の燈台だそうです。記念写真を船長さんにスマホでも撮ってもらいました。船を降りて帰り道で見えたのは横浜税関です。イスラム寺院風のエキゾティックなドームが目印。塔の高さは51mで横浜3塔の中で一番高いそうです。現在の庁舎は1934年に竣工した3代目。正面玄関はロマネスク様式を取り入れた半円アーチでインドの古い建築様式が見られる柱で支えられています。初めに掲載した「神奈川県庁本庁舎」をKingこの「横浜税関」をQueenと呼んだそうです。※ちなみに「横浜市開港記念会館」をJackと呼んだそうです。ランチクルーズは終わりましたが、乗務員さん達の接客態度が良かったのととてもフレンドリーで仲良くなったのでその日は元日と言う事で夜のディナークルーズも申し込みをしてしまいました。一旦港から横浜スタジアムの近くのホテルまで歩いて帰り、夜また中華街を通って港まで歩いてディナークルーズに乗ったのでした。(つづく)
January 15, 2023
コメント(26)
伊勢佐木町(関外)から関内方面に戻り馬車道を港に向かって歩きました。日本で最初のガス灯が付いていたという説明です。馬車道商店街はガス燈を復活させたそうです。この近くに飴細工屋さんがありました。中で若い男女3名が大きな飴を練っていました。店頭に干支の兎の飴細工がたくさん飾ってあったので1本買いたいと思い尋ねるとそれはお店の飾り物で売り物ではないです、もし欲しいのなら1本4,500円位で売りますよと言われ、10cmにも満たない兎さんの飴をどうしようか思案した末に諦めました。(しかしこの後、相方は赤レンガ倉庫で若くてかわいい娘さん二人に勧められたバターサンドのクッキー1個が飴細工の10分の1の値段なのをなんと大小バッグ2袋にぎっしり〇十個も詰めてもらって長々と話をして、おまけにちゃっかりかわいこちゃん二人を写真に撮らせてもらってニコニコ顔で満足している様子。いくつになっても変わりませんねぇ~。)他のお客さんはショーケースを眺めて、余りの値段の高さにみんなスルーしていかれました。私は金沢と同じで横浜も殿様値段だなぁと感じました。馬車道から日本大通り駅周辺には文明開化の足跡が残るレトロな建物が点在しています。この建物は神奈川県立歴史博物館です。(国指定重要文化財で旧横浜〇〇銀行本店本館)石造りで重厚な感じがしました。人力車と建物が写った昔の写真もありました。こちらは横浜第二合同庁舎歩道のタイル「赤い靴」があったので写しました。エアキャビンを間近で見ました。高さ約40mの所を移動しています。そして横浜ワールドポーターズのビルをぐるぐる回ったけれど買うものは特にありませんでした。結局また赤レンガ倉庫まで歩いて行って昼食。いつもながら混雑するお店で買い物をしてやっと中国人の観光客の隣に2人分席を見つけて野菜と果物とビールでランチ。たまに身体の掃除をしなくてはね。その後、どうしようかと考えて船に乗ることにしました。SEA BASSに乗って横浜駅東口まで海の散歩を30分間ほどしました。横浜駅東口に着岸して、相方が前から行きたかった駅地下のパン屋さんで大好きなパンをたくさん買いました。私は外で待ちましたが。ここだけが何だかイタリアのミラノのガレリア(アーケード)にいるような気がしてきたのでした。(つづく)
January 14, 2023
コメント(24)
2022年12月31日の事です。前夜中華街での食事が全くすすまなかった相方は朝一番で薬局に行きたいと言い出しました。横浜公園の中を横切ると英国人土木技師のブラントンの銅像と明治元年に来日し、日本沿岸各地に燈台を建設する一方、8年間滞在した横浜で近代的な街づくりに大きな功績を遺したことが説明されていました。そしてこちらでは1945年終戦後、米軍専用の野球場、ゲーリック球場が1952年に接収が解除され、平和球場と改称され、1978年には横浜大洋ホエールズ(当時)のホームスタジオとなり、現在の横浜スタジアムが完成した経緯が説明されてました。横浜スタジアムの横を通りながら横浜スタジアム駅前を通過。ところが、ホテルの近くの薬局は年末年始の休みに入り、歩いても歩いてもどの店もシャッターが下りていました。その近くで教えてもらった薬局の開店時間まで待ってもやはりどこも閉まったままで途方にくれました。こんな自販機もありました。そして歩き疲れた頃に伊勢佐木町にやってきました。するとどうでしょう。伊勢佐木町は全体的にとても活気があって、年末年始に関係なく薬局も営業していました。やっと相方の鎮痛剤と私の湿布と塗り薬などお目当ての薬を買う事ができました。そこで喫茶店を見つけて休憩し、糖分を補給。商店街のプロムナードのタイルが横浜らしかったので写してきました。こちらも帰りに、珍しいので写してきました。誰も目を止める事もなく、私は関内、関外と言う呼び方に興味があり、昔ここに関門を設け、武士や町人の出入りを取り締まったことからそういう呼び方をするのだとわかり納得。少々古びた看板を写してきました。途端に元気になって、この後馬車道を通って、また赤レンガ倉庫方面までかなりの距離を歩いたのでした。(つづく)
January 13, 2023
コメント(20)
元町と山手エリアを4時間余り散歩した後、ホテルの部屋で休憩した後は元気を取り戻し、山下公園を目指して夜の街を歩き出しました。朝陽門を通って中華街を過ぎ、ホテルの中庭のイルミネーションを見ながらひたすら歩き続けました。目の前に横浜マリンタワーが現れ、すぐ横に上弦の月と木星?が見えました。マリンタワーはカラフルに色が変化していきます。昼間ならお花が綺麗な公園で、数々のドラマの舞台にもなった場所ですが、暗くて何も見えません。やっと横浜ベイブリッジやみなとみらいが見渡せる所に出ました。すると昼間見たガンダムがいるではありませんか。但し、厳重にフェンスで囲ってあるので、入場券を払って中に入ってみました。人間と比較するとこんな感じ見上げている人間の身長と比べるとかなり大きいことがわかりますでしょうか。前の部はガンダムが片膝をついて座ったところで終わりました。しばらく待ち時間があったので上弦の月を見上げたり、すぐ近くのガンダムショップに入って店内を色々見て回りました。次に音楽と男性のナレーションが流れたのでスマホで動画を6分余り撮りました。写真を撮る時間はなかったです。最後に立ち上がって終わりました。4階のガンダムの顔のすぐ傍で見るには余分にお金が要りました。好きな人は4階まで登って観ていました。私達は正面から見るだけで充分でした。そして夜の街を歩きながらホテルに戻ったのでした。こうして12月30日の夜は更けていったのでした。(つづく)
January 12, 2023
コメント(22)
大佛次郎記念館はまだ開館しておらず、横浜市イギリス館や山手111番館などが年末年始は休館でした。この後、山手西洋館はすべてお休みでした。イングリッシュガーデン薔薇の庭を散策しながら進むと、薔薇とカスケードの庭にやってきました。ここでも寒い中、咲いている薔薇の花を眺めながら散策。(「田舎者の横浜滞在記・その3」に薔薇の花を載せてあります) と、そこへ大きなバスがやってきました。名前は「あかいくつ」横浜と言えば、「赤い靴 はいてた 女の子♪」ですものね。こちらの公園前から入れば階段を120段も登ることもなかったのに。前の道路を渡って先へ進みました。ブラフ99ガーデン外国人墓地ここからは結構な下り坂になりました。山手資料館、横浜山手聖公会を眺めながら元町公園に立ち寄り、山手234番館もエリスマン邸も休館で外観を眺めただけ。こちらはベーリック・ホールの裏門です。現存する戦前の山手エリアの洋館の中でも最大規模の邸宅です。フェンス越しに1枚だけ撮らせてもらいました。表のスパニッシュスタイルを基調とした3連アーチを道路側から撮るのは難しかったので。横道へ入って行ったのはいいけれど、もう公園内に入る気力もなく上から眺めただけで通りへ引き返しました。フェリス女学院中学・高校の校門前を通り、かなり下って来たので喫茶店で昼食をして休憩。窓からは港の方が見えました。しばらく進んで右に曲がると山手イタリア山庭園に突き当りましたが、やはりここも休館のため中に入れず、すぐそばの大丸谷坂を下ったのでした。亀の橋を渡り石川町駅を見ながらただひたすら横浜スタジアムを目指して歩き続けホテルに戻ってきたのでした。朝9時から午後1時過ぎまで4時間余りのウォーキングでした。もう足の筋肉は悲鳴を上げていました。腰も膝もベルトを巻いて行きましたが、限界近くになっていました。ホテルのロビーで1時間ほど休憩してリラックス。やっと部屋に入れるようになりました。(つづく)
January 11, 2023
コメント(20)
12月30日は玄武門から入って中華街を通り、南門シルクロード通りから朱雀門を抜け前田橋を渡って元町方面へと歩きました。120段の階段を登ると私はこの痛ましい事故を鮮明に覚えています。見晴らしがよい所へ出ました。向こうの方に横浜ベイブリッジが見えました。ガンダムも見えました。この時はまさか夜になってもう一度ガンダムを見に行くとは思ってもみなかったです。東京スカイツリーも見えました。しばらくイングリッシュローズの庭を散策してリラックスタイム。この寒空の下、薔薇やクレマチス、色とりどりの植物が健気に咲いていました。(つづく)昨日は休日でしたが、ダンスレッスンに出かけました。今回は23日間という長い期間、腰痛と膝の痛みのため、身体を伸ばす事をしていなかったので(旅行で充分歩いたので、足の筋肉だけはよく使いましたが)軽く復習をしただけで身体の中で骨がポキポキと音を立てているのがよく伝わってきました。これから少しずつ無理なく体全体を動かそうと思います。
January 10, 2023
コメント(18)
みなとみらい・横浜赤レンガ倉庫の周辺を散策してからホテルへ戻ろうかとも思ったんですが、イギリス人の大道芸人の素晴らしい演技を見た場所から「横浜ランドマークタワー」がすぐ近くだとわかり、69階まで上がってみたいと思いました。地上273メートルからの眺めをご覧ください。展望フロアからは眼下にみなとみらい、遠くに横浜ベイブリッジが見渡せました。あらっ、カヌーに乗って沖に出ていく人を発見。スカイデッキをぐるりと回ってみました。横浜ベイスターズの球場が見えました。ホテルもこの近くにあるはず。遠くには富士山や東京スカイツリーも見えました。スカイデッキを一周してから日が暮れるのを待ちました。午後4時半過ぎには日没し、少しずつライトが点灯していきます。午後5時過ぎから暗くなり、大観覧車のイルミネーションが綺麗になり始めました。約1670万色で花火や万華鏡を表現したり、立体的な演出もありこの後、横浜滞在中に何度も眺めたのでした。午後3時少し前から5時半ごろまで実に2時間半もスカイガーデンにいたことになります。その後5階のレストランで夕食を済ませビールを飲んだので、ホテルまで歩く気になれずタクシーで帰ることにしました。ライトアップされた日本丸のすぐ近くからホテルまではあっという間でした。(つづく)
January 9, 2023
コメント(18)
今朝8時頃、当市のにじいろ会のメンバー4名は相方が運転する車で愛知県知立市へ出かけます。2023年度にじいろ会の活動初めとして特別講演会と合同親睦会に出席するためです。夕方までには帰れると思います。年末年始でにじいろ会のストラップが100個お嫁に行ってしまったので、横浜へも持参して、旅行中も早朝と夜遅く相方がせっせと花編みをしていましたが、帰ってからも二人で分担作業をしてストラップを作っています。この後、追加でもう100個完成しました。ストックが充分ないと心配なんです。・・・・・「田舎者の横浜滞在記」その1~その6までとは時系列が少し違っています。12月28日に新幹線で新横浜についてそこから横浜へ出て、JRで最寄りの駅まで移動し、毎晩ホテルの8階の部屋から見えた景色です。横浜ベイスターズのスタジアムです。翌29日に長年付き合いのある女性とJR桜木町駅で待ち合わせ。↑明治20年頃の初代横浜停車場(現在の桜木町駅)前を撮影したものそこから赤レンガ倉庫まで片道630メートルエアキャビンに乗って移動しようかとも思いましたが、40分待ちで、しかも片道1000円と聞き、結局歩きました。下から見上げていると、途中で止まってましたから高所恐怖症の人には歩いたほうが無難だと思いました。日本丸横浜滞在中、すべての方面へ歩きました。赤レンガ倉庫2号館赤レンガ倉庫1号館と2号館には約60店舗が入っています。食事をしたり買い物をしました。停泊中の飛鳥Ⅱです。友達ご夫婦は半日違いで下船して会えずに残念でした。赤レンガ倉庫内のお店はどこも混んでいました。少し待ってやっと入れたお店でランチ。私はスープカレーを注文しましたが、これが辛くて舌がヒリヒリ。食事をしながら三人で色々と話をしましたが、主婦は年末忙しいので駅前で別れました。この女性は現在介護施設に勤務しているのでFacebookで見たにじいろ会のストラップの話になり、その場で持参した1個をあげましたが、施設の職員さん達にあげたいと言われ、後日50個送ってあげる約束をしました。(すでに発送済みで、届いているはずです。)もっと近くで見上げたエアキャビンです。水陸両用自動車公園からは歓声が聞こえてきました。回転しながら徐々に上がっていくんです。見ているだけで充分でした。反対側から写した日本丸歩き続けたのでしばらく休憩しながら大道芸人(イギリス人のポールさん)の演技を見て大声で声援を送り、拍手喝采しました。(つづく)
January 7, 2023
コメント(22)
今年は1月2日まで横浜に出かけていたので小6のノア君と中2のモコちゃんの書初めに付き合えず、昨日二人から「おばあちゃん、明日書初めをしたいのでよろしくね。」と言われて、今日練習に付き合いました。二人の記念に載せておきます。午前中何度も何度も練習して、やっと清書をしました。中2のモコちゃんにお手本はなく、自分で書く字を決めて書くんだそうです。それでモコちゃんは行書で「努力」と決めたそうです。・・・・・旅行記の続きです。中華街で青島ビールを飲みながら中華料理を頂きました。少しに見えるでしょ。ところが、二人では食べきれないほどのすごい量で結局食べきれずに残してしまいました。またある夜は青島ビールと小籠包を頂きました。山盛りのレタスと青菜のあんかけが美味しかったです。小籠包、白いのは中身が肉ですが、カラフルな方は中に入っている具がそれぞれ違いました。中華街で歩きながらみんなが食べていたのは杏仁ソフトクリームとイチゴ飴でとても人気があるようでした。(ネットから拝借しました)ショーケースの細かい建物と人形はすべてレゴで造られていました。とにかく年末年始、夜の中華街は大変混雑していました。人、人、人の波で隙間を縫って進まないと歩けませんでした。聞こえてくる言葉は日本語よりも中国語が多く、中国からの観光客、台湾からの観光客がほとんどで欧米や日本人の観光客は少なかったように思います。(つづく)
January 6, 2023
コメント(20)
ホテルから近い所に中華街がありました。横浜滞在中、ほとんど毎日のように中華街を通って目的地まで歩きました。相方は滞在最終日前夜に東西南北の門をすべて写しに出かけましたので紹介します。こちらは北門で玄武門(げんぶもん)です。「黒が基調で子孫の繁栄をもたらす」と言われる門です。南門は朱雀門(すざくもん)で「厄除け、招福の門」とされ、元町側に立っています。こちらは西門の延平門(えんぺいもん)で白虎神が守っています。白い門は平和を祈願します。あと一つは朝陽門(ちょうようもん)で東門です。青龍神が司る、日の出を迎える青い門です。夜の朝陽門を探したらありました。ライトアップされると昼間とは雰囲気がまるで違いますね。10基ある中の特に東西南北の4基の門が各方位の守護神を据えて横浜中華街を守っているそうです。(つづく)
January 4, 2023
コメント(20)
昨日(1月2日)午後、無事自宅に戻りました。横浜が暖かかったので、岐阜に帰った途端、伊吹おろしなのかどうかわかりませんが、風がとても冷たくて震えてしまいました。さて、1月1日(元日)の夜に戻ってナイトクルージングを紹介します。お正月なので昼間はランチクルージングをしてとても楽しかったので、いったんホテルに戻り休憩し、午後7時半からのナイトクルージングをするためホテルから30分近く歩きました。午後7時半にディナークルージングが出航しました。横浜ベイブリッジの下でも停泊し、3階のデッキで写真を撮りました。私たちは夜もカクテルを飲みました。お酒に強い男性陣はワインをボトルで注文してました。コース料理は前菜の次に出たアサリのサフランスープが昼間とかぶりました。仕方ないですね。夜は魚料理が出てから少し間があって肉料理が出ました。マリーンルージュ乗船記念に夜も写真撮影を。ランチクルージングで頂いた写真です。結局私達は前日のショートクルージングを含めてランチクルージング、ナイトクルージングと3回も横浜港をクルージングをしたのでした。これもいい記念になったと思っています。この後、ホテルまで歩いて疲れたので私は一人部屋に戻りましたが、相方は中華街の東西南北の門をすべて写したいとその足でまたぐるっと回ってきたのでその後40分~50分経っても帰ってきませんでした。途中で何か起きたのかと心配して気をもみましたが、今まで写した門も含めてすべて写してきたと満足げな表情で戻ってきたのでホッとしました。こうして1日の夜は更けていったのでした。明日からもう少し詳しく補足したいと思います。(続く)
January 3, 2023
コメント(24)
5泊6日で訪れた横浜ですが、今日、2日はもう帰る日になりました。時間が過ぎるのはあっという間ですね。1月1日を振り返ります。お正月なので、横浜港から初日の出を見たいなぁと思っていたんですが、日の出が午前6時51分頃だと知り、予約制の朝食が午前7時からなので無理だと分かりました。するとどうでしょう。岐阜県の友人が木曽川の初日の出を写してLINEで送ってくれたのです。以心伝心とはこのことで本当にありがたかったです。この友人は夕方にも国際宇宙ステーションISSからの新年の初日の出を動画で送ってくれました。ダイヤモンドリングが素敵で神秘的でした。昨年は何度も上空を通過するISSの写真を撮ったので親近感がわいてきました。元日のホテルの朝食にはおせち料理もありました。元日の1日をどう過ごすかと考えてやはり港へ行こうということで歩いて赤レンガ倉庫まで行きました。そして前日ショートクルージングだったので昨日はランチクルージングをしようと決めました。マリーンルージュという船に乗って90分間ランチをしながらクルージングしました。雪をかぶった富士山が大きく見えましたし、横浜ベイブリッジの下をくぐり横浜湾を1周してきました。ランチの様子です。私はお肉料理で相方は魚料理でした。パンとコーヒーもついてました。実はランチをしながらカクテルもいただきました。そしてお屠蘇もいただきました。除夜の鐘を撞く音を聞きながらそれに合わせて樽を割ったそうです。最後に私も少しだけ記念に載せますね。相方は相変わらず半袖シャツでした。船の上は風が吹いて寒いので上着を着ていくといいですよと船長さんに言われても大丈夫と言って記念写真に納まりました。乗務スタッフの皆さんの応対が優しくて親切なのと、ランチも美味しかったので私が3階へ写真を撮りにいっている間に相方がナイトクルージングも決めてしまったのでした。ということで120分間のナイトクルージングは明日のブログに続きます。(続く)
January 2, 2023
コメント(24)
皆様、新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。2023年が皆様にとりまして明るく良い年になりますように祈願しております。旅先ですので再掲の写真でお許しください。ホテルの花です。さて、早速ですが、昨日(12月31日)を振り返ります。いつものようにホテルで朝食を済ませた後、関内から伊勢佐木町まで歩きました。関内で薬局を探したんですが、付近の薬局はどこも1月29日から1月3日までお休みなので仕方なく伊勢佐木町まで歩いたわけです。相方は鎮痛剤が欲しかったのです。長い距離をよく歩いたので、喫茶店でしばし休憩。そして伊勢佐木町からホテルに戻ることなく桜木町駅の近くの横浜ハンマーヘッドまで馬車道通りを歩き、ハンマーヘッドをぐるっと一周してから赤レンガ倉庫へ。どのお店も満席で、やっと見つけた席でランチ。と言っても野菜とフルーツとスープだけ。そしてご苦労様のドイツビール。こういう時でないとお昼にビールを飲めませんから。赤レンガ倉庫もお店がいっぱい。相方は大好きなスイーツを買いました。その後、ハンマーヘッドから横浜駅東口までクルージング。横浜東口駅で降りて、相方は地下のパン屋さんで買い物。その後、JRに乗って関内に戻りました。相方は好きな小説を買ってきたので読書三昧。私はPCとにらめっこ。テレビでN響「第9」演奏会を聴きながら年越しそばを買いに行く気力もなく、ホテルの部屋で買ってきたおでんを食べながらビールで乾杯をしたのでした。先日朝日新聞で指揮者の井上道義氏の連載を読んだばかりなので親近感がわきました。やはり大晦日は「第九」の演奏を聴くのが好きです。こうして12月31日が過ぎたのでした。どこからも除夜の鐘は聞こえてきませんでした。(続く)
January 1, 2023
コメント(26)
昨日(12月30日)を振り返ります。私たちは毎日朝食を午前7時からいただきます。相方は早朝から目が覚めているので、午前6時になると起床時間だぞと声がかかります。そして午前9にはホテルを出ます。昨日も横浜中華街の玄武門から入って天后宮を右手に見ながら朱雀門まで歩いて前田橋を渡り、元町方面に歩きました。横浜らしいタイルが道路にはめ込まれているのを写しながら。その後、港の見える丘公園まで階段を120段上りました。(後でわかったんですが、階段を使わなくても高低差なく入れる道が裏手にありました。)そこからの眺めです。ガンダムもいましたし、東京スカイツリーやテレビ塔もはるか向こうに見えました。イングリッシュガーデンはリラックスできました。残念ながら山手西洋館はどこも12月29日から1月3日までは年末年始で閉館しているのでパス。外国人墓地の横から坂道を下って下って途中の喫茶店で休憩がてら昼食。その後もどんどん下ってどれだけの距離を歩いたでしょう。ホテルを出て横浜中華街から元町、山手地区を通って石川町駅に出ても電車に乗らず歩いて歩いて午後1時過ぎにホテルに戻ったのでした。約4時間近く歩き続け、足の筋肉はパンパン。ベルトで固定した腰と膝も悲鳴を上げ始めました。午後1時過ぎではまだ部屋には入れないので、ロビーで1時間ほど休憩。夕飯はまた中華街に出かけ、点心などを食べ、その足で山下公園まで歩きました。地上から眺める夜景も綺麗でした。そして横浜埠頭の向こうの方にGUNDAM FACTORY YOKOHAMAの文字が見えたので入場してみました。大きくて迫力十分でした。こうして横浜3日目は終わったのでした。(続く)皆様、今年も1年間お立ち寄りくださいまして本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。どうぞよいお年をお迎えください。
December 31, 2022
コメント(26)
昨日(12月29日)を振り返ります。朝のホテル8階の部屋からの眺めです。ホテルの朝食はバイキングほんの少しのつもりが・・・これは運動しなくてはと思い、腰にベルトをしっかり巻き、膝にも保護ベルトをぎゅっと巻き、ホテルから歩いて関内駅まで行き、JRに乗り桜木町駅で降りてある人を待ちました。十数年前からの知り合いの女性と待ち合わせ。3人で横浜赤レンガ倉庫の方へ歩きました。港には飛鳥Ⅱが停泊中で、社交ダンス仲間が飛鳥に乗ってご夫婦で旅行中だったので早速ラインを送ったところ、残念ながら半日違いで乗客は全員下船してお家に帰られた後でした。赤レンガ倉庫のレストランで3人で昼食を食べながらそれぞれの近況を色々とおしゃべり。すぐ近くにスケートリンクも作られていて、大人から子供まで楽しんでました。その後、年末で忙しい彼女と別れて、日本丸の近くを何度も行ったり来たりして歩きながらしばらく公園で大道芸人の演技を見ながら一休み。イギリス人のポールさんの演技は素晴らしかったです。相方は大声で声援を送り、二千円もチップをはずんであげたので最敬礼をしてもらってお礼を言ってもらってました。その後、歩いて横浜ランドマークタワーの69階、スカイガーデンに上がり午後3時前から5時過ぎまでなんと2時間半近くも眼下の景色を見ながら過ごしたのでした。向こうの方に富士山もスカイツリーも見えました。午後4時半過ぎに日没になり少しずつ街に明かりがついてきました。飛鳥の客室にも明かりがつきました。午後5時過ぎの景色です。その後、5階まで下りて5時半過ぎから少し早い夕食をして、桜木町の日本丸の近くでタクシーに乗りあっという間にホテルに着いたのでした。こうして横浜2日目の観光は終わったのでした。(続く)
December 30, 2022
コメント(24)
昨日から1月2日まで横浜に滞在します。5泊6日の間、その日の出来事をざっと紹介しておきます。昨日は新幹線から雪をかぶった富士山が綺麗に見えました。お昼頃に新横浜へ到着。そこからJR横浜線で横浜へ出ました。ところが、田舎者には西も東もわからずに、東口へ出てしまいました。それでせっかくだからと昼食をとることにスマホで撮った写真が横向きになるのはなぜ?色々修正してみましたが、縦になりませんでした。東京駅ほどではないけれど、横浜駅の西口から地下鉄を利用するのも一苦労。重いキャリーバッグと重い荷物を肩にかけ地下の長い距離を延々歩き続け最後は階段だけでエスカレーターもエレベーターもなし。かなり上の方まで続く階段を見上げてため息をついていると、階段を下りてきた女性に笑われてしまいました。そして最寄りの駅に着いてからタブレットを頼りに歩いていたけれど、もう限界とタクシーを拾って乗り込んだら、ホテルのすぐ近くでした。これから先が思いやられるわ。ホテルにチェックイン後、しばらく休憩して、暗くなった8階の部屋からの眺めです。夕食を食べに出かけました。ホテルの前は横浜スタジアムです。少し歩くと中華街があります。すみません。横向きになってしまいました。二人で食べきれないほど大盛りの料理が出て青島ビールを飲みながらお腹いっぱいになって帰りました。部屋に戻って相方はにじいろ会のストラップ作りを、私はコメント返しとブログを書いていました。1日目(12月28日)はこんな感じで終わりました。(続く)
December 29, 2022
コメント(22)
百済寺を見学した後は、水茎焼陶芸の里で昼食。近江八幡郷土料理式膳(長命)でしたが、幹事さんはじめ皆さんはてっきりすき焼き御膳だと思っていたのでガッカリされた様子。(赤こんにゃく、丁字麩、琵琶湖のウロリ、がんもと野菜、琵琶鱒のフライ、豚角煮、ビーフシチュー、近江米、味噌汁、香の物)私は百済寺で買われたお酒を盃に1杯だけ頂きました。気持として水茎焼の盃を買ってお返ししました。陶芸は時間がないのでしませんでした。隣に神社がありました。次に向かったのは関ケ原古戦場記念館。2年前に徳川家康最後の陣地跡に岐阜県が建てました。幹事さんがしきりに岐阜県が52億円を投じて作った建物だけど、どこにそんなにお金がかかっているのかわからないとおっしゃってました。1階では天下分け目の戦いである関ヶ原の戦いがどのように展開したのかをグラウンド・ビジョンやシアターで五感で体験できるようになっている施設です。パノラマスクリーンで歴史的な両軍の激突シーンを描いてあり風が吹いたり座席に響いたり大迫力でした。映像時間は20分間でした。内部は撮影禁止で2階の展示室だけ唯一撮影ができました。戦国体験コーナーです。私には重くて持ち上げられませんでしたが、実戦では使われたんでしょうね。火縄銃の試し撃ちをしてました。陣太鼓陣鐘刀剣(持つことはできますが、出せません)槍5階は展望室です。関ヶ原の古戦場全体が見渡せました。黒田長政・竹中重門陣跡石田三成陣跡5階から1階に降りてきました。向かって右から織田信長、徳川家康、豊臣秀吉帰りに琵琶湖を見て彦根城を見て21名全員が当たるビンゴをやりながら和気藹々と帰路に就いたのでした。(終り)
December 3, 2022
コメント(24)
606年に聖徳太子が「近江の仏教拠点」の一つとして建立されたと言われる百済寺(ひゃくさいじ)。仏教が百済(くだら)の国経由で伝来したことから寺号を「百済寺」とされたんだそうです。やはり1573年に信長の焼き討ちで壊滅的打撃を受けたけれど、1650年に再建されました。宣教師ルイス・フロイスが「地上の楽園」と絶賛し、別名「百彩寺」と呼ばれます。本坊の池泉回遊式、鑑賞式庭園は別名「天下遠望の名園」と呼ばれて国登録文化財となっています。相方は池の鯉に2袋分の餌を挙げました。↑(読めると思いますが)『戦国歴史ロマンの大舞台聖徳太子さまが見抜かれた「近江の地理的重要性」が、皮肉にも中世の戦国時代には百済寺が三度の戦乱に巻き込まれるという悲しい運命を辿る結果となりました。・・・』と書かれています。庭園の高台からはるか向こうの50キロ先には富士山のように比叡山が見えました。最後の山城の偉容(右上に見える)石垣遺構は城砦化された百済寺城の一部です。小石を積み上げた石垣であった為、織田信長も安土へ「石曳」をせず破壊されずに残りました。やっと石段参道の先に仁王門が見えてきました。仁王門正面には約2.5m大迫力の大草鞋が。身体健康・無病長寿の御利益があるとか。半袖、素足の相方がよくわかりますね。仁王様は上半身裸でしたので寒さになお一層強そうでした。石段を上がった先が「百寺巡礼」作家の五木寛之さんが命名した「石垣にそびえる空中楼閣」の本堂で、国重要文化財です。如意輪観音半か(あぐら)思惟像と聖観音座像は美しい仏様の代表です。百済寺の梵鐘の余韻の長さと美しい音色を聞こうと鐘楼で鐘を撞く人が何人もいました。帰りは石段のない脇参道を歩いてきました。百済寺樽という近江清酒発祥の地、百済寺で造られていた僧坊酒が信長の焼き討ちで途絶え「幻の銘酒」となりましたが、2017年復活したので男性陣は買ってました。百済寺を後にして、昼食会場はこの時期どこも見つからず、琵琶湖近くのお店までかなり時間がかかったのでした。(つづく)
December 2, 2022
コメント(20)
金剛輪寺の千体のお地蔵さんを見ながら坂道を下って来て、途中で明寿院庭園へ寄りました。桃山期の庭を見ながら進み、ドウダンツツジの葉も紅葉してました。江戸末期の庭を見ながら通過しました。古い土壁のお蔵がありました。庭一面が真っ赤に染まってました。山を下ってこれで黒門に到着です。これが正面の黒門です。金剛輪寺の紅葉を充分楽しんで、次に向かったのは百済寺でした。バスを降りて歩き出すと長寿桜が目に飛び込んできました。(西明寺では不断桜が咲いていました。)ここは長寿桜が咲いていました。表門から入りましょう。下乗の碑は小野道風参拝時の直筆だとか。本坊の喜見院に寄りました。別名「天下遠望の名園」と称されるそうです。鯉の餌を2袋買って餌をあげました。(つづく)
December 1, 2022
コメント(20)
全764件 (764件中 101-150件目)