私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2024年10月10日
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カテゴリ: 認識の歩み



本願寺の危機です。

本願寺方はこれを湾内にはいる前に撃沈しょうと、
雑賀から無数の小舟を出し、
矢・鉄砲を乱射して四方から攻めたてましたが、
大鉄砲のいっせい射撃で小舟はうちくずされ、
そばへも寄せられません。

ついに海上権は織田信長のものになり、
戦艦は七月からずっと木津川口にあり、


十一月には毛利の軍船六百余艘が、
兵糧を積んで木津に着いたが、
たちまち撃滅されました。

風前のともしびとなった
本願寺の命をつないだものは、
一五七八(天正六)年十月の
荒木村重の挙兵です。

村重は摂津の池田勝政に従っていた
郷衆でしたが、伊丹城を奪って居城とし、
有岡と改め、
摂津きっての武将となりました。


信長にそむくと、
同じ摂津の高槻城主高山右近・
茨木城主中川清秀も
義理を重んじて荒木に味方しました。

石山本願寺を包囲している背後で、


信長はまたも朝廷をうごかして
本願寺と講和しようとし、
顕如は毛利氏とともに講和すると返答しました。





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最終更新日  2024年10月10日 05時10分08秒
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