『ナーラダ・バクティ・スートラ』
第80節 主は賛美されるなら、直ちにそのバクタの下に現れ、ご自身を与えてくださろう
(要旨解説)
主の姿を見るための自分勝手な方法などない。すべては主のいわれのない慈悲にかかっている。「どうか私の前に現われてください」と主に要求することはできない。こちらの都合どおりに太陽に昇るよう要求できないのと同じである。太陽が自然の法則どおりに昇るように、主もいわれのない慈悲の心から現われてくださる。主に仕えながら、その瞬間が訪れるのを忍耐強く待ち続けなくてはならない。主を縛ることができるのは、純粋無垢な献身奉仕だけなのである。そして物質的な感覚では、主を見ることも感じることもできない。「私はあなたの永遠の召使ですから、あなたに仕えさせてください。私に奉仕を与えてください」これが主への最高の賛美である。主の慈悲にすがって行う献身愛奉仕に主が喜びを感じた時、主はご自分の判断で姿を見せるのである。
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