「図書館を使い倒す!」
ーネットではできない資料探しの「技」と「コツ」
取材なくして報道なし、というのは常識だ。報道する限りは、その根拠となる事実があり、また書き手がそれを確かめた、という裏づけが必要だ。ジャーナリストや記者達は、当然、そのニュースソースのもとに赴いて、その真偽を確かめなくてはならない。さらに、その事実を客観的に主題した上で、自らの責任の名において、報道されなくてはならない。
しかしそれは、プロであり、組織に属するジャーナリストや記者達が与えられた恵まれた環境であり、ともすれば、アマチュアであり、かつ個人で行動するブログ・ジャーナリストにとって、ニュースソースまで赴くということは、そうそう可能なことではない。
もちろん、自分の周囲でおきたことや、特に自分が得手としている部分については、その知識や情報の入手方法の容易さもあるかもしれないし、またその蓄積があるかもしれない。しかしながら、その裏づけには限界がある。さて、それではどうするか。
当然、現代であれば、その取材の手段として、モータリゼーションの発達やネット社会の充実などがあり、それらを有効に使えば、かなりのことはできることはわかっているが、急速に発達しているネット社会とは言え、まだまだ完全なものとはいえない。
ネット情報の登場で新聞社や出版社が恐れ始めているように、ウィキペディアなどのネット上の知的集積手段の発達で、百科事典や図書館の存在も、今後、その意義を問われかねない状況ではある。しかしながら、この本の著者は、まだまだネットではできない図書館の活用方法がある、と熱弁を振るう。
図書館には図書館の利用価値があるということにはまったく賛成だ。情報の消費者として行動するかぎり、新聞や雑誌や図書を読まずとも、ネットとテレビでもなんとか生活ができる時代にはなってきている。かくいう私は、ネット社会が登場してこの10年、読書量はめったに減った。ただただネットにぶら下がっていれば、だいたいの世の中のことはわかる。それはそれで十分だ。
しかし、ネットにさらに深く関与しようとした場合、ネットだけではおおいに不足することを感じ始めた。ましてや、このブログを書き始めたことから、読書量は一気に増えてきた。生涯の中でも、ピーク時だった読書量に匹敵するくらいの本を読んでいる。それは、決して質的に高い読書ではないけれど、記事やコラムを書くかぎり、正確で裏づけのあることが大事になってきている。
食事をしながら、周囲のことについて四方山話をするようなものとはおのずと違ってくる。それは、精度が高ければ高いほどよいのであるが、反面あまりに精度が高くては、量的にブログを展開し続けることはできない。あるいは、ブログはそれほど精度を要求されたりはしないが、いつ消えるかわからないネット上の瞬間的な情報を追いかけるだけでは、信憑性の高いブログを作り続けることはできないだろう。
書店周りをして図書をいっぱい集めればよいというものでもない。準備資金にもおのずと限界があり、また、書店の棚にはすでに陳列されていない図書や資料が、重要なファクターになる、ということもある。私はこのブログを展開していくにあたって、今後、身近にある3つの図書館を使い倒していくことになるだろう。
本書の著者は、「使いやすい図書館の三条件」を挙げる。
1)駅から近いこと。
2)開架であること。
3)郷土資料が充実している。
1)については、それはそうだと思う。すくなくとも、それは私にとっては、自転車や車で手軽に立ち寄れる身近な場所にあることは、とても大切だ。
2)についても、ぶらぶらと図書棚の前を歩きながら、お、っと発見する図書も多いわけだから、これもまた当然だといえる。
3)についても、実は痛感していたことであるが、これは私が「地球人スピリット」というこのブログのテーマを絞り始めた時、手元にある郷土資料がどのように役立つのか、ちょっと悩んでいるところではあった。これは、多分、地球上の同じようなスピリットを持った人たちとネットワークが次第に成長していく時に、その意義が深くなってくるかもしれない。
例えば、日本三景、宮島、天の橋立、松島の、三つのスポットに関連する精神性を調べようという時には、私は、松島については徹底的に調べ上げて、ほかの宮島や天の橋立と連携する何かを発見しようとするだろう。それには、宮島周辺や天の橋立にいる仲間たちとの連携が重要なものとなるだろう。
例えば、熊野半島とこちらの東北にある熊野文化の影響を調べるとか、日本人古来の食文化であるクジラについて世界の似非動物愛護家たちに何事か発言しようとするとか、ローカルでありながらグローバルな発言に結びついていくことも多かろう。
しかし、まだ、図書館の郷土資料と出会って、本当によかったという体験はない。今後、このブログの成長の仕方によっては、そのような局面もでてこよう。
さて、この本の著者は経済誌「週刊ダイヤモンド」記者である。やや保守的な視点から書かれているような本書であるが、彼はジャーナリストというよりライターといってよい部類に属する職種のようである。事件の現場に飛び出すのでなく、図書館でじっくり資料をまとめあげる。そのような役割だ。経済誌の特性として、数字や人名・社名など固有名詞が多く登場し、そのちょっとした間違いは致命的になる。
このアマチュアの個人が書くブログとは、おのずとその特性が違っているので、彼のアドバイスも、図書館のもうひとつの見つめ方、という程度に軽く受け止めておこう。
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