「表現したい人のための
『マンガ入門』」
しりあがり寿
表現したい、って感覚はよくわかる。なにかムズムズする感覚。著者のしりあがり寿の言葉で言えば、自分のなかの「ケダモノ」だ。しかし、このケダモノだけでは、作品も商品も生まれない。クリエーターに対するマネージャーが必要だという。ケダモノの調教師だ。
私はあまりマンガは得意ではない。まぁ、日常生活においてはほとんどマンガは読まない。でももともと読まなかったわけでもないし、書かなかったわけでもない。小学生のころは盛んに四コママンガを書いた。中学生の時は、200ページに渡るマンガ肉筆誌を友人たちと編集した。一年間で5号まで作った。マンガ本も盛んに読んだ。一番ハマったのは「巨人の星」。石の森章太郎の「マンガ家入門」正続も読んで、Gペンやカラス口などを一式そろえていたのだから、けっこうマジだったと思う。
高校時代は、ガリ版で個人ミニコミを作った。谷口やすじバリのマンガを書いた。でもマンガとのおつきあいはこのあたりまでか。その後、少女マンガにハマったりする友人達も多かったが、私はマンガの方からは、だいぶ足が遠のいたと言える。たしかにジョージ秋山の「浮浪雲」などは30年間に渡って、60冊以上の単行本を買いつづけているのだから、マンガとは無縁というわけではないが、まぁ、自己表現としてのマンガというものは私に描けない。
マンガに限らず、私の表現力というものは、絵にせよ、歌にせよ、文章にせよ、それからはほとんど封じられてきた、と言ってもいいかもしれない。もともと才能がない、と言ってしまえばそれまでのことだが、でも、自分の中に、「ケダモノ」がいることは、ずっとわかっていた。
今は、こうしてブログという場で、自分の中のケダモノが元気になるのを待っている、というところか。ところで、私のブログにはすこし「笑い」が足らないかもなぁ、と思い始めている。この本の中に「シュールとベタ」p95という表現がある。ベタな笑いとシュールな笑い、という比較が面白かった。
さて、ところで、このブログ、右往左往しながらも、いつのまにかタイトルは二転三転し、カテゴリも3つにしぼられ、新書本の乱読というスタイルがいつの間にか、できあがってきた。ここで中間的に〆て置くと、次の3冊の新書本が、もっとも感動的で、それぞれのカテゴリを表してくれていると思う。
1)
「ウェブ進化論」
2)
「9.11ジェネレーション」
3)
「チベット密教」
この三冊を並べて、なにか共通項のようなものがあるだろうかと考えてみる。1)は科学、2)は芸術、3)は意識。私なりの概念でむりにカテゴリとして嵌めてみる。まんざらでもない。なかなかいいトライアングルだ。ここには、それぞれに明確な対象をもっている視点がある。明晰だ。しかも、他を持って代えることができない、独自性がある。しかも、あるいみ高飛車な物言い、ストレートな表現がある。革命的ななにかの予兆を感じさせるようなワクワク感もある。
あえてここでさらに一冊を加えるとすれば、私の場合、新書本ではないが、
0)
「反逆のスピリット」
ということになろうか。この4冊がなんらかの象徴的な位置を占めているようだ。
これらの系譜につながる本をこれから読んでいくのか、あるいはまったく関係なくこれまでどおり乱読が続くのかわからない。しかし、骨子はこの辺で固まってきたと言える。
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