「宗教としてのバブル」
島田裕巳 2006/3 ソフトバンク新書
山岸巳代蔵
を読んでヤマギシ会つながりで島田裕巳を思い出したところ、時間つぶしに、書店で立ち読み。宗教とバブルはなんの関係もないが、この「宗教としてのバブル」というコピーを思いついたので、このコピー一本を膨らませて書いたような本。
世相をこのように薄っぺらくスライスして陳列してみせる所業のことをなんと呼べばいいのだろう。私には香山リカの所業にもさも似ているように思うのだが、宗教学者だとか精神科医だとかが、やって見せる芸当なのだろうか。ないしは、このような芸当に乗っていけない私は、十分時代に後れちゃってるのかな。
この本の百何ページ目かめに、山岸会に参加したことを載せている。この男、何度もそのことをちらちら書いている。そんなに書くのなら、ちゃんと山岸会を尊敬して書けばいいのに、批判しつつ書くので、それに参加していたおのれ自身がますますチッチャく見える。
オウムの時にあれだけ擁護したのだから、最後まで擁護して、獄中にでもつながれれば、まだ男を上げたものを、いつまでもぐちゅぐちゅとやるもんだから、どうもこの男、持っている才能を全部無駄使いしてしまったように、私には見えてしまう。しょせん与太な三文物書きで終わるのかな。哀れむべし。
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