「NHK問題」
武田徹 2006/12 筑摩書房 新書 251p
★★★☆☆
多様な複線に脱線 しながらも、
「サイバージャーナリズム論」
や、この
ブログでいうところでのジャーナリスト・カテゴリにかかわりを持つか、と思われる一冊。
NHKの特徴を一言でいえばその「公共放送」性ということになる。著者は、この公共性を、offical、common、openという三つの位相で考えている。以下は著者の言説ではないが、この切り口を借りて、自分のイメージをメモしておく。
officialという意味では、たとえば、区役所や都道府県から配られている「行政だより」のような定期刊行物は、officialなメディアということになる。民放や新聞には、NHKほどのofficial性はない。選挙公報や地震速報など、NHKが負っているofficial的公共性は小さくはない。
commonという意味では、たとえば、かつて方言と言われた地方語を駆逐してしまったのはNHKテレビであったとさえ思えるところがある。共通語というよりNHK言語が、次第に日本のcommonな会話用言語として定着してしまったことに、NHKは功罪、ともにあるはずだ。しかし、commonという尺度で考えると、NHKは、他の雑誌メディアや映像メディアも含めて考えてみた場合、ややofficialに偏りをみせているのは事実だ。
openという意味では、NHKは、インターネットには大きく引き離されている。新聞や民放だって、openという概念から考えれば、インターネットに追いつける日はないだろう。しかし、この新生メディアのopen性はまだまだか弱いものであり、そしてまたopenであるがゆえに、どこまでもoffical性やcommon性においては達しがたい領域が残る。
であるから、NHKにはNHKとして果たさなくてはならない責務がある。このブログでは成り行き上、公共図書館を利用して資料を調達しているのだが、視聴覚資料などは、圧倒的にNHKの企画制作になるものが多い。今後は、どのNHKのシリーズものに手をつけようか、と考えているところでもある。
最近読んだ リサ・ランドールの
「リサ・ランドール 異次元は存在する」
は、
日本放送出版協会から発行されている。これがもし、VOICE社とか徳間書店あたりからでるとすると、この本の価値はまた違ったものになるだろう。
思 えば
アルビン・トフラー
の「第
三の波」も日本放送出版協会から出版されたのだった。たまたま体調を崩して入院中みていた「趣味の園芸」テキスト(これもNHKの発行だが)の巻末の広告を見て、飛びついた自分がいた。
たとえば、最近面白 いなと思って読んでいるレイ・カーツワイルの
「ポスト・ヒューマン誕生」
もNHKからでている。
「レイ・カーツワイル加速するテクノロジー」
も現
在リクエスト中で、リサ・ランドールの本とシリーズになっているところがまた興味深い。これらの一連の著作群が、NHK関連で出版されているのだが、逆に、NHKのメディアミックスに私はまんまと引っかかっているかな、と反省もする。
NHKには他のブランドのもっていないcommon性があり、そこからさらにofficial性へ一気に持っていってしまう力技さえありそうな感じがある。
インターネットやブログにジャーナリズム性がある、といわれることもあるが、プロのジャーナリスト達が、その物量と技量を駆使して作り出す情報と戦うこと自体、無謀というか、意味の取り違えが発生していると思う。NHKには視聴料を払っているのだから、視聴者には、キチンとした情報の提供がされてしかるべきだ。インターネットやブログ・ジャーナリズムは、NHKが持ちようがないopen性、その特性を生かしたメディアの使い方を考えていく必要があるのだろうと思う。
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