「無水無月」
ノーウォーターノームーン<2>
Osho /マ・アムリッタ・テジャス 1998/12 市民出版社 単行本 433p
この本、 玉川信明の 「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」
の出典リストを見る限り、禅を語った日本語本としては最古の部類に属する。 「OSHO ZEN TAROT」
には引用こそされなかったが、その出典リストから見る限り、1974年8月というのは、Oshoがまとまった形でZENに触れたものとしては、やはりもっとも最初の時期のものということになる。
この時期、アチャリア・ラジニーシからバグワン・シュリ・ラジニーシに名前を変更して、サニヤシンをイニシエートし始めたたばかりの時代であり、周囲のものにとっても、「バグワン」という言葉さえ新しく、呼びにくかったかもしれない。そのような時代の本ではあるが、この本は日本語となって、1998年12月に発行されている。名前は和尚(Osho)。「無水無月」。帯には「光明の味わい。禅、十話」とある。
この本の巻末には、我が瞑想センターもリストアップされているが、この本を私が読んだのは、この本がでてすでに10年も経過しようというごくごく最近になってのことである。こうしてみるとOshoの歴史はかれこれ3~40年に達しているわけだが、長かったのか短かったのか、と問われれば、マスターの肉体とともにあった期間は、きわめて短い期間だったという印象は否めない。本当に貴重な一瞬でしかなかった。
しかしである。その一瞬と思える期間の中にあっても、Oshoは限りない色合いの世界を展開してみせてくれた。まるで虹色の世界だ。だから、仮に私がイニシエートを受けた77年を境にしてみた場合、それ以前とそれ以後には大きな差がある。もちろん、 アメリカのコミューン を体験したあととか、 ミステリースクール の前後などでも、大きな変化をOshoは見せている。
その旅を一緒に旅した者たちにとっては、その時期その時期によって語られた内容や意味合いは、そうとうに多義的であることが多い。この「ノーウォーター・ノームーン」が「無水無月」と邦訳されることも、やや違和感なしとはしないが、この74年当時の彼がOshoと呼ばれることも、ひっかかりがないとはいえない。
この時期は、Oshoのまわりでは盛んにサニヤシンが増え続けている時代だ。いきおい、講話の内容も、そのようなマスター・弟子システムに語られることが多い。これから10年後には、グ***ムとやらで、このマスター・システムを揶揄する動きが外部に現れたりはするが、この74年においては、それはそれなりに新しい動きとして注目されている。
私は私なりに時代背景を考えながら読んでいるつもりなのだが、さて、21世紀になって、初めてOshoに触れる人などにとっては、このようにトランプ状態に切り込まれた講話群を、とくに脈絡なく、一括してOshoとして読むことに、不具合はないのだろうか、と思う。ZENはZENでも、その時期においてOshoは、さまざまな形で光を当て続けている。出版社ももうすこし、そのような背景を付記すれば親切であろうに、と思うのだが、それは、私のおせっかいな老婆心からでた想いかも知れない。
三つある---これらは仏教の三つの宿だ。伝授を欲して比丘になった者がいう、「ブッダム シャラナム ガッチャーミ---わたしは行く、わたしはブッダに宿る」
「ダンマム シャラナム ガッチャーミ---わたしは教えに宿る」
「サンガム シャラナム ガッチャーミ---わたしはサンガに、ブッダの信奉者に宿る」これらは三つの宿だ。仏教の三法だ。
p90
この74年時点でOshoがガッチャーミに触れていることに驚くが、やがては「ブッダの足元に行きます」(I go to the feet)と表記される部分だが、ここではなんという英語になっているのだろう。原文がないので、確かめようがないが、関心はある。それはともかくとして、私たち日本人には仏・「法」・僧という順番で知られているこの 三宝
だが、アメリカ時代には仏・「僧」・法の順番になっている。アメリカ時代は、サンガムが強調された時代だから、ダンマムの前にサンガムがきていたのだろうか。
マスターの前にあって、哲学をしている場合ではない、と言われればそれまでだが、なにはともあれ、Oshoのもとにあって、このガッチャーミが必ずしも一定ではない、ということをこの本で発見できたのは私にとって意義は大きい。
私がOshoの前にいくまでには、さまざまな思想的潮流を横ぎっていた。いろいろなグループやマスターたちに触れた。しかし私は決して靴を脱がなかった。歓迎されなかったわけではない。私のほうさえOKといえば、受け入れてくれるところがほとんどだった。しかし、私の頑なな気持ちを開くまでには行かなかった。Oshoの前に行って、私は初めて、ここで靴を脱いでみようかな、と思った。いずれ私のような者は誰かにお世話にならなくてはならないのであろう。であれば、ここはまぁ、まずまずかな、とかいうような、ちょっと生意気な青年であったことは間違いない。
それに、今ここで、ひとつの教団が始まろうとしている。このような流れを始まりから「終わり」まで見届けるのも面白いだろう、という野次馬的気分もあった。だが、それは、私の間違いだったかもしれない。この流れ、なかなか終わらないのである。プネ1が終わっても、アメリカが終わっても、プネ2になって、Oshoが肉体を離れても、終わらない。そして、私には、さらに大きな間違いがあったことに今は気がついている。この流れは、当時、ちょうど始まったばかりではなかったのだ。77年の前には74年があっただろうし、その前には60年代があった。しかし、もっとその前にも、さまざまなことがあったのである。
とくに 700年前のチベット
のことは特筆すべきことだ。
地球各地でのFREE TIBETむーぶめんとの動きはどうなっているのか、とても気になるところである。TIBETに向かって瞑想するとき、さまざまな思いがやってくる。そしてそれは、単にオリンピック聖火リレーがチベットを通過する2008年だけに関連しているわけではないことは確実だ。ものごとの始まりは、すくなくとも700年前には始まっている。いや、もっと前からであることも分かり始めている。であるなら、このものごとは、そうそう簡単には終わらない。すくなくとも、数百年や数千年あるいはもっと大きなサイクルで見つめていく必要があるのだ。
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