「マンダラとは何か」
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正木晃 2007 08 日本放送出版協会 全集・双書 283p
広義のマンダラ、すなわちマンダラ的な図形は、宗教的な限定とも、時代的な限定とも、地域的な限定とも、無縁である。
もう少し具体的にいうと、そういう図形は、ヒンドゥー教にも、キリスト教にも、イスラム教にも、ケルト文化にも、ネイティブ・アメリカン(アメリカ大陸先住民)にもあった。このうち、ヒンドゥー教の場合は、密教と同じインドの宗教だから、十分にありうることだが、ほかは密教とはまるで縁がないのに、不思議なことに、よく似た図形を伝えてきている。さらに、精神医学者として知られるユングも、精神を病む人々との交流のなかで、このタイプのマンダラに出会い、その意味を研究している。
だから、マンダラはおもしろい! と私はなどはおもう。
ある時、変な夢を見た。
夢というべきか、メッセージというべきか、ビジョンというべきか、ご宣託というべきか、チャネリング、というべきか、オーバーシャドウというべきか、テレパシーというべきか、インスピレーションというべきか、まぁ、この際、なんでもいいだろう。その内容はとてもシンプル。たわいのないことだ。
「111、222、333である」
と、ただこれだけだ。
はぁ、だから? それがどうしたの・・・? 人騒がせな。こんなことはすぐ忘れてしまいそうなことなのだけど、これが実にしつこく、わが脳裏にくっついて離れなくなってしまった時期がある。はぁ、なんのこっちゃい。もうすこし、予備のメッセージとか、追加のご託宣とかないんですかね~、って待ったが、ない。
しかたがないので、自分でこのメッセージを料理しにかかった。料理に必要なのはまな板だ。この時は、例の魔法陣のまな板を使った。

と、まずはこう並べてみるのが普通だろう。まぁ、これはこれで一つの完成形態なはずなのである。
ところが、よくよく見ていると、どうも納得がいかない。横の合計の「369」はいいとしても、縦の合計「666」は、自分のセンスとしてはいまいち美的ではない、と思う。

そこでいろいろ数字を入れ替えていると、縦の合計が「567」となる組み合わせがある。こっちのほうが「666」よりも「369」よりも、神秘性が高そうだ。
でふと気付いたのは、111-222-333と追いかけてみると、ここには内向きのスパイラルができていたことだった。うんうん、納得。ここもひとつできあがりじゃ。

で、じゃぁ、内向きはいいけど、外向きのスパイラルはできないの、といろいろごちゃごちゃやってみると、これもなかなか面白い。やっぱり縦の合計で「567」はできるのである。面白い。

666はたしか、反キリストの秘密の数字だった。369はたしかに「ミロク」と読むが、なにやらパチンコ店のネーミングを思い出して、いまいち納得感がない。で、567とくれば、確か、お釈迦様は56億7千万年後に帰ってくるとかの予言もあるし、なんだかこっちのほうがカッコいい。
そういえば、 「14人のダライマラ」 の本の中での14世の言葉を引用したのは、他の言葉はともかくとして、「56歳の今日、この現在の生涯における自分の様々な経験を振り返ってみるとき」っていうところの「56歳」という数字が欲しかったのだよね、実は。
出口王仁三郎は、「56歳と7か月目からが、本当の自分の仕事だ」と宣言していたようだし、Oshoもまた56歳と7か月目に、ひとつの変容を見せた。1931年12月うまれのOshoにとっての56歳と7か月目とは、88年8月にあたる。このとき、国魂学でいえば(つまり日本地図と世界地図の対応でいえば)インドにあたる名古屋のサニヤシンが伊勢のおシャルさんにOshoのメッセージをつたえたのだった。かの 桐山某 も、だからこそ「ラジネンシ」を88年の早い段階で「消して」しまいたかったのだろう。そのほか、 この辺の経緯は、また別な時に触れることもあろう。
なにはともあれ、先日、ツォンカパの 「悟りへの階梯」 を読んでいたときに、ひっかかってしまったというのが、じつはこの数字マンダラの世界のことだった。なるほど、こんなことをしていたのでは、いつの日のなったらツォンカパを読み終わるか分かったものではない。
この111-222-333の数字マンダラ遊びも、これからいろいろバージョンアップして、さらに外の世界への扉が開くのだった。まぁ、それは別の機会に。まぁ、宿題としては、この数字から、どのようにしたら、「777」の世界が生まれるか、ってことだが、当ブログへのアクセス者のみなさんにもぜひ考えていただきたい。そして、何がおこるかも。
って、まぁ、いろいろなことがわかりました。それで「で・・・・・?」と聞かれると、実は、それは困る。これ以上の話はない。まぁいいじゃないですか、「塗り絵マンダラ」とやらで「癒されている」人たちもいるらしいし、「数字マンダラ」に興じることも、戦争しているよりもマシだと思う。別にこちとら、いまのところ「精神を病んでいる」という自覚もないし、特段に「癒されたい」という希望ももってはいないのだが、これらも「広義のマンダラ」として、著者には、ぜひその概念をさらに広げて、加えておいてもらいたいものだと、思う(笑)。
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