「ネットメディアと〈コミュニティ〉形成」
遠藤薫 2008/03 東京電機大学出版局 単行本 290p
Vol.2 No.411 ★★★☆☆
「コミュニティ」という言葉が、どうもしっくりとなじまない。「コミュニティ」を語ろうとすると、どこか嘘くさい。身に合わない衣服のような、居心地の悪さを感じてしまう。「共同体」と言いかえても同じである。
その感覚は、「バーチャル・コミュニティ」が取りざたされるような、高度なメディア技術の張りめぐらされた世界に生きているからなのだろうか? それとも本書(第6章)でも触れているように、日本においては、個人にとって自らの帰属集団はつねに所与のものとして外部的に決定されたもの---お仕着せのアイディンティティであると感じられているからだろうか? 「あとがき」p285
地域の集会所は「コミュ二ティ・センター」というので、もう何十年もこの言葉になじんでいるので、実にしっくりくる。地域の町内会活動はここを中心としておこなわれ、要所要所に類似の施設がある。自分なりに地域のボランティア活動は積極的にやってきたから、この言葉はなんの問題もない。
「共同体」という言葉も嫌いではない。「コミューン」という言葉でもいいし、どちらであっても、聞き慣れた言葉でもあるし、自分たちの住まいや、活動を、そのようなネーミングで呼んでいた時代も長かったので、こちらも、実にアイディンティファイすることは可能だ。
「バーチャル・コミュニティ」にだって、積極的に参加してきた。某SNSのフォーラム「コミュニティ」は、略称「コミュ」と呼ばれ、私もいくつかを作ってみた。これはこれで、活用し、運用できることは分かった。バーチャルといっても、別に非現実ではない。バーチャルな(目に見えない)リアリティ(現実)というだけである。
しかし、ここで著者が、しっくりこないと思っているのは、別な理由があるのではないだろうか。この本は9人の情報系の研究者たちの共著だが、さまざまな角度からの主題に迫りながら、結局、問題の本質に到達していないのは、人間そのものが問われていないからだ。
心が語られ、夢が語られ、神話が語られ、精神が語られる。しかし、どこの局面においても断片的で皮相的だ。本来であれば、このテーマのなかで、もっと「魂」まで踏み込むような研究が必要だ。
インターネット創成神話と<コミュニティ>願望----<心>は接続されるか p20
テーマはとても興味深く、期待できる。だが、結果があまり面白くないのは、もう一歩踏み込んでいないからだ。これらの論文の中に、今後、魂とか、瞑想とか、死、という単語が、一連の脈絡の中で登場し、縦横に語られたら面白かろうと思う。いや、もうそういう時代はそう遠くあるまい。
精神疾患を患う人びとのネットコミュニティ---彼女ら・彼らはなぜネットでなければならないのか? p146
病理としてネット社会が語られるのではなく、ブッダフィールドとして語られる時代がくるだろう。ネットで魂がつながる。ネットで魂が深化する。そんな時代が、すでに到来しているのではないだろうか。
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