このカテゴリこの三冊
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「環境心理学」編
Environmental Psychology

こちらのカテゴリももともとは1992年の 国際環境心理学シンポジウム の後追いレポートをする予定ではあったが、早々と尻切れトンボになり、流れてくるままにページめくりをつづけてしまったという経緯がある。結局は、カテゴリ名は違っても、その時々には3つくらいのカテゴリしか走っておらず、ひとつのテーマを追いかけていても、次のカテゴリへ繰越しということになってしまい、それぞれの各エントリー間の格差はそれほどない。
その中にあってもこの本は実にユニークな本だ。60年代初めにスタートするエサレン研究所の80年あたりまでのレポートだが、そこで展開されたさまざまな実験は、その後の心理療法や心理学の発達に稀有な影響力を持った。特筆されるべきは アラン・ワッツ や スタニスラフ・グロフ だが、その他にも数えきれないほどの心理学上のキラ星達が名を連ねている。
チベット密教の究極の境地をなんと名づけるかは当人たちの勝手なところだが、外側から見ているかぎり、 マハムドラー
とゾクチェン、という言葉は貴重な指標となる。この言葉を追っかけてみると、結局はチベット密教の言っていることの意味がわかるのではないだろうか。マハムドラーはインド系仏教やヒンドゥの影響をもろに受けており、ゾクチェンはもともとチベットの風土として根付いていたボン教的伝統を受け継いでいる。
だから結局なんなのだ、とあせって突っついてもしかたないが、とにかくゾクチェンの話は面白い。ダライ・ラマの ゾクチェン講義
も面白い。で、その境涯へといざなわれるためには、それぞれのマスターたちのイニシエーションが不可欠だと何度も繰り返される。あらたなるマスターに就くつもりのない当ブログとしては、結局、Oshoのもとへと押し戻されることになった。
この本もまた魅惑的な一冊である。1987年の本だが、最近2008年に増補版が再刊された。当ブログでは残念ながら未読である。しかし、アカデミズムの中でも異端的に扱われてきた津田真一の仕事は、近年ここにきてにわかに再評価されることになったようだ。津田真一の直感による長年の研究は、フィールドワークよりも文献学によることが多いようだが、世界的に見ても稀有な位置を占めている。
津田の仕事は杉木恒彦 「サンヴァラ系密教の諸相」 などに受け継がれているようだが、結局はアカデミズムの中で憤死してしまうのではないか。津田の反逆精神こそ学ばれるべきであり、単にチベット密教の歴史的一局面として切り取ってしまうだけではなく、仏教そのものの終点、円環の完成、そして、あらたなる法輪が回り出す、という視点こそ学ばれるべきであろう。
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