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けっこうみんなが書いていることだけど、 朝からやっているみのもんたの番組。 私が朝の準備をする時間にいつもやっているので、 つい見てしまうことがあるのだが、 ほんっと、朝からやな気分になる番組だ。 様々な事件や問題を取り上げて、言うことといったら、ただ 「こんな悪いことが起きているなんて信じられない」 「どうしてこんな悪い人を放っておくのかわからない」 って、悪い点をあげつらうだけ。 「わからない」「信じられない」って言ったって、 その「わからない」「信じられない」ことが、現実に起きてるのだ。 あんたが「わかる」「信じられる」世界こそバーチャルで、 そっちのひどい現実がこの世界のリアリティーなのだ。 みのは、そのリアリティーを切り捨てる。 そのコメントは、「世界を理解しよう」「人を理解しよう」という気持ちを、まるまる放棄している。 キーワードは「常識」。 常識は常に正しい。常識で理解できないことは全て悪。 だからみののコメントは、「私は常識だから正しい。常識を持っているはずの私と違うあんたは悪。信じられない」で、終わり。 「わからない」「信じられない」で終わるのではなくて、むしろそれを現実として受け止めて、 「どうしてこんなことになったの?」 「どうしたら変わるの?」 ってことを、分析して、考えて、それを伝えていくのが、メディアの使命じゃないの? たまに何人かいるコメンテーターが、それが起きた深い理由を推察したり、別の側面から見た解釈を言ったとする。 しかし、みのは「別の解釈」を禁じて、それを打ち消す方向に話を持って行く。 もちろん、その先は「常識は正義で、私が理解できない人は悪人」。 アカデミアの世界では、常識を疑わない人間は、バカと呼ばれる。 コペルニクスやガリレオや例を持ち出すまでもなく、 正しいと思われている常識は、常に大量の間違いを含んでいる。 だから、心から言おう。 ばーか、ばあーーーーーーか。 ただ、みのもんた的精神は、分析に値する興味深い現象であることは確かだ。 長くなるので、みのもんた的精神の分析は次回。
October 19, 2006
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東京でやっていたものを見逃してしまって後悔していたのだが、京都の会期日程が、ちょうど学会で京都に行く時期と重なっている。 わざわざ京都まで来て、東京で見れたものを見るというのもなんだな~とは思いつつも、やはり心残りだったため行ってきた。 いやあ、よいとは聞いてはいたのだが、本当にむちゃくちゃよかった!!! 数年前の、横山大観展以来のヒット。 どれほどデジタル技術が発展しようとも、絵画だけは、本物を見なくては伝わらないものがある。 (まあ、逆に、写真での方が実物よりいいんじゃない?っていう作品もあるんだけどw。) けれどひとつ確かなのは、実物がドキューンとくる作品はどれも、写真でみてもそのドキューンは伝わってこない。残念なことに。 こればっかりは絶対見なきゃわからないのだ。 それがわかっているから、プライスさんは大胆にも、全109点をブログで公開するという衝撃のマーケティング手法を使っている。 http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/ (右側メニュー「全109点はこちらから」で見れます。) ひとつひとつの絵につけられているプライスさんのコメントも素敵。 この人は単なるコレクターじゃなくて、本当に江戸絵画の世界に魅了されて、 江戸絵画を純粋に愛してやまないんだなというのが、素直に伝わってくる。 ていうか、プライスさん的には、これはマーケティング手法じゃないんだよね。 たぶん、「展覧会を開くことのできない地方の方々にも、私の持っている作品のよさをお伝えしたい」ってことが一番大きいのだろう。 それだけ、自分のコレクションに自信があるともいえる。 確かにここに紹介されている作品は画像だけでも十分素晴らしく、実物の美しさはいかほどか、と嘆息したくなるような作品が数多くある。 (でも、マーケティング戦略としてみても、この方法は正しかったと思う) 衝撃的といえば、展示の仕方も衝撃的。 普通このような展覧会においては作品を守るためガラス越しの展示が多い中、屏風などの多くは、ガラスなしで展示されている。 ガラスは作品を守るためだとはわかっていても、やっぱりガラスなしでの方が、その作品の息吹が伝わってくるのであって、これも、日本の多くの方に作品を楽しんで欲しいというプライスさんのご好意らしい。 プライスさん、太っ腹!!ラブ!! もちろん、このサイトで作品は全部見られるけれど、今後九州と名古屋でもやるから、ぜひ足を運んで欲しい。 名古屋くらいまでなら、十分に行く価値のある展覧会だと思う。 私ももう一回行きたいと思うくらい、本当に素晴らしかった。 伊藤若冲の色使いのコントラストは、最高にモダンでおしゃれだし、 丸山応挙の作品は、余白が素晴らしい緊張感を保っていた。 でも今回、私の中で一番のヒットだったのは、「雪中松に兎・梅に鴉図屏風」by 葛蛇玉。 大胆かつ繊細な大作。あまりに美しくて美しくて、涙がこぼれそうになった。 http://f.hatena.ne.jp/jakuchu/20060627095340 ああ、これを毎日見れるなんて、プライスさんたらなんてうらやましいの!! ぜひ俺を、プライス家の養女に!! 西洋画もいいけれど、日本画もいいなあ、と心から思える展覧会です。 本当にぜひ。
October 21, 2006
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最近、思ってもないことを口に出して言うようになってきている。 【めんどくせえ】とか【だりぃ】とか【お腹すいた】とか。 べつに面倒とかお腹すいたとか思ってないのに、つい言ってしまうのだ。 頭おかしい。 でも、無意識で言っていることが多いので、どうしようもない。 そこで、言ってしまったあと、【うそ】と言うことにした。 【めんどくせえ・・・うそ】 【おなかすいた・・・うそ】 狼少年ピーターみたいだ。 しかし、問題はそんなことより、妙齢の婦女子が、 「○○くせえ」だの、「だりぃ」だのという言葉遣いをすることであろう。 ・・・と気づき、激しく欝。
March 20, 2005
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ずいぶん前に買って、そのときは「うーん、この人を教授にしている津田塾って大丈夫か?」と思ったものだが、私の愛読するブログの持ち主が、この本(および著者)を評価していたので、再度読み直してみる。 本書の基本的な内容&雑誌記事などから推察するご本人が読んで欲しいポイントを要約すると、 1)「からだの声にもっと耳を傾けましょう」 2)「出産は素晴らしいものだから、怖がらずに経験してみましょう」 3)「もっと家族や地域住民どうしで助けあう社会を作りましょう。」 4)「セックスライフを充実させましょう」 ってことである。(たぶん。) で、この4つを実現する方法として「(近代化する以前の)昔の人間には、そういう習慣や本能が備わっていたので、そこに回帰しましょう」といっている。 基本的には、近代化への批判であり、言ってることそのものは「ま、そういうことも必要かもね」ってくらいには納得できることである。 若年出産のススメなど、「これアリかもね!」っていうようなことも言ってる。(でも、今の日本の労働市場の現状を考えるに実際には厳しいけど) しかしながらです。 現状認識にしろ、使ってくる事例にしろ、どうにもこうにも古い。 また、明らかに知識が偏っており、ものすごく勉強不足。 さらに、論理展開がまったくもってずさんで、ちょっと考えてみると、あれ?さっき言ってたことと矛盾しねぇ?ってことが盛りだくさん。 それが、本書の最大の問題であり、それがゆえに批判されてしまうのだと思う。(って、かなり致命的な問題だけど) ついでにすごいのが、 「大して才能もない女子には、結婚&出産という、女性の本能を活かし、社会に貢献する道があるのだから、自己実現だの考えずに、相手に顔だの金だの条件をつけず、とりあえず誰でもいいから結婚して、子どもを産みなさい!」 って言ってるとこだ。いやすごい。ここまでは私も言い切れない。 (いや、ほんとに『大して才能のない』『生命力の弱い』『大多数の普通の女性が心配』、って言ってるんだよ。すげぇ。) もちろん著者は、第三世界のリプロダクティブ・ヘルスに現場で携わってきた方で、学問的知識が乏しいのは当然かもしれない。 それを差し引いても、やっぱり使われている事例があまりに偏っているのと、現羽状認識がかなりズレてるのはいかがなものかと。 色々突っ込みたいが、突っ込みどころがあまりに多くて、書ききれない。(文末に少し例をあげておく。) ここまで、論理展開に突っ込みどころ満載ということは、むしろ著者が意図的にやったとしか思えないほどだ。いや、そうに違いない。総じて、 「この本にある相当思い切った論理の飛躍を、読者を笑わそうとして戦略的に書いたのなら、頭のいい人」 だが、 「これを本気で書いてるのなら(もしくは本気で書いてこのレベルなら)、イタイ人」 というところなんじゃないでしょうか? ほんとに、笑わせようとしてるのか、大まじめなのかがわかりにくいんですよ。 前者だとしても、もう少し笑わせる文章のトレーニングが必要かと思われますが。 というわけで、ぜひ、著者には、次の本で >『大して才能のない』『生命力の弱い』『大多数の普通の男子』は、次世代を守り育てるという社会に貢献する道があるのだから、中絶しようとしている妊娠した女子を引き取って結婚し、妻と子どもを養うために、一生懸命働きなさい! という本を書いてもらいたい(w。 だって、『大して才能のない』『生命力の弱い男子』の子どもを残してもしょうがないでしょ(w? もちろん『大して才能のない』『生命力の弱い女子』の子どもも残してもしょうがないんだけどさ、 女子の場合、1年に1人しか産めないっていう限界があるし。 『大して才能のない』『生命力の弱い女子』の方が大多数である以上、『才能のある』『生命力の強い女子』は少数なわけで、彼女たちだけでは人口を維持するのは10人とかうまなきゃならなくて、たいへん。 しかも、才能ある彼女たち(芸術家や聖職者など)には『(その才能を使った)特別の使命』(by 三砂さん)があるわけで、そうそう出産&子育てなどにかまけてられないはず。 しかたないので『大して才能のない』『生命力の弱い女子』にも、お腹を貸してもらおうじゃないかと。 いやー、そんな本を出してくれたら、最高に面白いのに。 (*事例がずさんな例1)たとえば、著者は、えらく『昔の知恵』がお好きなようで、「ポリネシアのある部族では、排卵を知ることで(コンドームなどを使った)避妊をしなくても子どもの数は適正に保たれていた」などの例を出していますが、日本では、柳田邦男が書いている男女一人ずつの子ども「ツヴァイ・キンダー・システム」(子どもは二人制)とか、いわゆる「口減らし」で里子に出したり女郎屋に子どもを売ったり、出産後調整の方が一般的で、(日本の昔には)そんな出生コントロールの知恵なかったんだけどな。 (*事例がずさんな例2)彼女は、『性欲を抑えるとオニババになるから、開放しろ』といっているわけですが、今アフリカでは、どれほど出産制限しようとがんばっても、「セックス以外楽しみがない」ため、ばんばんセックスしてばんばん子どもができてしまう(で、人口爆発と飢餓と環境破壊がものすごい勢いで進行している)という現実があるわけですが、そういう人には、彼女はどう指導するのかな?(むしろ彼女はこっちの専門家だと思うんですけど。) (**現状認識がずれてる例1) 彼女の不思議な前提は、「出産しないのは痛いのがイヤだからである」というところだ。 「痛いのがイヤだから生まない」というのは、『負け犬の遠吠え』に書かれていた考え方である。著者はこの本を読み、意見をまともに受け取ったのだろう。そこで、「痛いからイヤなんていわず、そんなに痛くも苦しくもないのよ」という風に諭している。 しかし、実際、人は「痛いから産まない」のだろうか? 明らかに違うだろう。 多くの場合、「育てられない(=お金がない、面倒を見る人がいないetc)から産まない」のである。 私だって、産むだけでよければ、むしろばんばん産みたい(w。 著者も言っているように「40代50代になって、子どもを産んでおけばよかった」と後悔したくないし、「子育てって面白そう!」という好奇心もある。 ジェーン・バーキンのように、色んな男の子どもを一人づつ持つのも面白そう! まあでも、今の状況じゃ育てられないもの。産めません。 (ちなみに日本の中絶30万件のうち、実は半数以上は夫婦間でできた子どもの中絶であり、「育てられない」から産まないのですね。) (現状認識がずれてる例2) 彼女は「10代でさっさと出産しちゃって、働き盛りといわれる40代くらいに働き始めればいいじゃない!」といっています。私もそれはアリだと思う。 (1)『子育ての期間、(国でも夫でもいいけど)誰かが食わせてくれて』、 (2)子育てが終わったら、『働く先』が見つかる、のであるならば。 けれど、残念ながら、今の日本の労働市場の状況では(1)も(2)もとっても難しいんだな。 第一に専業主婦の妻と子どもを養えるだけの仕事に就ける男性が減っていて、男性も自分で食べるだけで精一杯だし、第二に、子育てという長期のブランクがある女性を正社員として普通に雇おうなんて企業は皆無に等しい。
February 22, 2006
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