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かつて書いた外交文書公開の記事を思い出す(2000年5月29日付朝刊)。麻生氏の祖父・吉田茂元首相は言わずと知れた反共親台派だが、冷戦期の1960年代、国交のなかった中国共産党政府とも民間貿易をテコに交流を拡大する現実主義外交を推進した。
64年2月に訪台し、台湾の蒋介石総統と会談。「中華民国政府が、政治七分軍事三分ノ大陸反攻政策が成功スルコト確実卜認ムル時ハ、日本「大陸反攻二反対セズ、之二精神的道義的支持ヲ与フル」という中共対策で合意した。
帰国後の4月、吉田は総督府の張群秘書長宛て書簡で「反中共」を確認する一方、5月に同じ張群宛ての別書簡で、 対中共貿易は進めると通告。「二つの中国」反対を約束しながら、実利は取る臆面もない二枚舌の実践である。
米国相手にも吉田はよく同じ手を使った。51年9月のサンフランシスコ講和条約締結時、連合国間では北京と台湾のどちらを中国代表にするか決められなかったが、吉田は大陸と関係を強めなければならないと見通していた。
警戒した米国のダレス特使(後に国務長官)は12月、吉田に「台湾政府と2国間条約(翌年の日華平和条約)を結び、中共政府とは結ばない」と確約させる署名書簡を要求し、送らせた。
ところが4日後、吉田は「ダレス大使のためのメモ」と題する無署名書簡を連合国軍最高司令官リッジウェイ将軍に手渡す。 「独立国日本は独自の中国政策を持たざるを得ない」と書かれた「二つの中国」政策への布石 である。
外交戦術なら「戦う覚悟」も結構。岸田、麻生両氏にも、吉田に負けない先見性とずぶとさが備わっているものと期待しよう。
ただし、戦前の日中関係は、政治家や外交官が威勢のいい言葉を次々と繰り出して、泥沼へ引きずり込んだ歴史も忘れまい。「対華21力条要求」、外務省情報部長による「列強の対中援助反対声明」、「横暴な中国を懲らしめよ」、「国民政府を対手とせず」。
そして敗戦。「戦う覚悟」を唱えた指導者の無事を見て、唱和した国民は学んだ。 覚悟は指導者が持て。国民が持つべきは「戦わない決意」である。
(専門編集委員)
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