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1923年9月1日に発生した関東大震災の際に、朝鮮人などに対する大量の虐殺が起きました。「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマが広まり、軍隊や地域の人たちでつくる自警団などが罪もない人たちを殺害したのです。多くの中国人も虐殺されました。
「社会主義者が内乱を企てている」というデマも流れ、軍などが起こした「亀戸事件」では日本共産青年同盟委員長だった川合義虎など社会主義者や労働組合幹部、「甘粕事件」では無政府主義者の大杉栄、伊藤野枝らが虐殺の犠牲になりました。
朝鮮人の犠牲者は6000人以上とも言われていますが正確なことはわかっておらず、政府は調査をしようともしていません。そうした中、各地で虐殺の実態を明らかにしようと調査・史実の掘り起こしに取り組んでいる人たちがいます。
◆鐘打ち鳴らし自警団ら500人が・・・ 50年後の調査、まだ信じている人
1923年9月、関東大震災のときに起きた朝鮮人虐殺は、「朝鮮人が危害を加える」というデマ(偽情報)とともに関東中に広がりました。数百人が殺されたといわれる千葉県で50年近く調査を続ける 「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」 は資料や証言で関東大震災当時の様子を明らかにしてきています。
◆学校日誌
そのひとつは、地震発生2日後、9月3日に現在の船橋市であった爆弾騒ぎです。東京から逃げてきた人の避難所となっていた船橋小学校体操場で起きました。同小学校の「学校日誌」に、その時の様子が記されていました。
「夕刻、体操場に収容中の避難鮮人7名中、爆弾を所持せるものあるを発見、直ちに警察署に引き渡す」
駆け付けた警察官の1人はのちに船橋警察署長、千葉市助役、千葉県議となった渡辺良雄さん(故人)です。手記で次のように語っています。
「(小学校の用務員が)長さ10センチ位の黒焼きになったものを差し出して、『避難民のいる雨天体操場を掃除していると、(中略)朝鮮人の席に、このようなものが落ちていました(中略)』と言った」。警察官らは爆弾と思い込み、「大騒ぎとなった」。
「爆弾」を持っていたと思われた朝鮮人に、警察署についてきた自警団員が竹やりなどでけがをさせ、警察官の夏の白服が血に染まって真っ赤になったと記しています。
警察が陸軍に「爆弾」を持ち込んで調査してもらったところ、焼けた砲丸であることがわかりました。ところがその事実は学校日誌や報道になく、「爆弾」の偽情報は訂正されないまま近辺に伝わったと追悼・調査実行委員会はみています。
ほかにも警察署には「朝鮮人約2千人が浦安に上陸、自転車隊を編成して船橋の無線所を襲撃に向かっている」などのデマがいくつも寄せられました。
◆軍の責任
デマが広がる中、同4日に渡辺さんは虐殺を目撃することになりました。40年以上前の同実行委員会の聞き取り調査に語っています。
北総鉄道(現在の東武アーバンパークライン、今ある北総鉄道とは別会社)の敷設作業をしていた朝鮮人労働者が軍の警護で鎌ケ谷から船橋に連れてこられるとの連絡がありました。朝鮮人に関するデマで船橋は混乱状態だったため、船橋警察署長が渡辺さんに「船橋に来ると皆殺しにされるから、習志野の収容所に連れて行くように」と指示。迎えに出た渡辺さんら警察官は、船橋駅北側で手を縛られて連行される約50人の朝鮮人に出会い、「この人たちを我々(われわれ)に渡してくれ」と言いました。 軍が聞き入れずに押し問答するうち、自警団らが鐘を打ち鳴らしながら500人もやってきました。
報告のため署に戻り、現場にすぐ引き返しました。「万歳!万歳!」という歓声を聞きながら到着すると、「地獄のありさま」でした。「女3人を含め53人が殺され、山のようになっていた。涙が出てしかたがなかった。警護していた警察官の話では、『手の付けようがなかった』とのことであった」
同委員会の平形千惠子さん(82)は「事件から50年後の聞き取りでも、まだデマを信じている人がいた」と振り返ります。「6日に関東戒厳司令部が飛行機で『朝鮮人に対し無法の待遇を慎め』との『注意』をまき、虐殺は止まった。遅すぎたのです。戒厳令下であり、国や軍隊の責任が問われます」と語ります。
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