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2026年04月17日
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テーマ: ニュース(96851)
カテゴリ: ニュース
もともとはテレビ・タレントだったラサール石井氏は、自民党政治を批判する発言が祟って、どのテレビ局も出演させてくれなくなったため、タレント業を辞めて参議院選挙に出て、今は参議院議員になっている。その石井議員が70年代に流行った反戦歌を歌ったことについて、元文科官僚の前川喜平氏は3月29日付東京新聞コラムに、次のように書いている;




 明日結婚する20歳の女性が戦死した父を想う反戦歌。歌詞を書いたのは寺山修司だ。「戦で死んだ悲しい父さん」。そうなのだ。戦争で死ぬことは悲しいことなのだ。

 石井さんや僕の高校生時代、アメリカはベトナム戦争という愚かな戦争を続けていた。「風に吹かれて」「花はどこへ行った」「悲惨な戦争」「イマジン」などの反戦歌が世界中で歌われていた。

 25日に2万4千人が国会前に集まったという「平和憲法を守るための緊急アクション」。僕もペンライトを持って参加したが、石井さんもその中にいたそうだ。心強く思ったのは若い人たちがたくさん来ていたことだ。

 各地の「九条の会」は今かつてない危機感を抱いて活動しているが、共通の悩みは若い世代と繋からないことだ。しかし国会前では世代を超えて「戦争反対。9条守れ。戦争反対。過去に学べ」と声を上げた。僕の世代も戦争は知らないが、学ぶことはできる。学べば反省と決意が生まれる。それは世代に関係ない。

 歌には世代を繋ぐ力がある。一緒に「戦争は知らない」を歌ったらきっと楽しいだろう。
(現代教育行政研究会代表)


2026年3月29日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-戦争は知らない」から引用

 「戦争は知らない」という歌が流行ったとき、私は秋田の高校を卒業して、東京都練馬区の下宿から神田神保町にある大学に通っていた。その下宿というのは、当時の国鉄を定年退職した人が、大学生の下宿用に自宅の二階に三畳間を三部屋作ってあって、私の隣の部屋の学生はギターを引きながら「戦争は知らない」をよく歌っていたのを、上の記事を読んで懐かしく思い出した。あの頃は、日本大学では経営陣の不正な経理問題とか、東京大学医学部の学生の政治運動に対する不当な弾圧問題などが火種となって、全国の大学に全共闘運動が広がったり、毎週日曜日の公園は「べ平連」の集会があり、集会の後は明治公園から日比谷公園までデモをするのが「お決まりのコース」だった。私は、あの頃の学生運動が憲法9条を今日まで守り通すことに貢献したと思うし、現代の若者もこれからの数十年間、憲法を守り通していくために力を発揮してほしいと思います。





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最終更新日  2026年04月17日 01時00分05秒


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