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とはいえ、実際に読んでみると、福沢の議論ははるかに冷静であり、ある意味で、政治学的とも言える。彼が皇室のことを考えたのは、「国会開設の詔」(1881年)を受けてのことである。今後、立憲政治が発展し、政党がその活動を活発化するにあたって、皇室を政治的な争いの具にしてはならない。このように考えた福沢は、皇室を政治の外部の存在とし、政党間の争いを超えたものにすることを主張した。
逆に、皇室を政治の外部の存在にしてしまえば、皇室の存在理由が失われ、「虚器」となってしまうという批判に対しても、福沢は反論している。なるほど、専制政治の下であれば、皇室が自ら政治の万機を統括しなければならないだろう。しかし、今や日本は立憲政体であり、立憲政体の下で皇室は政治に直接関与するものではない。
むしろ大切なのは、皇室が「一国の人心を収攬(しゅうらん)する」ことであり、その意味で直接政治に関わることは不利に働く。皇室を政治の争いの外部に置くことがその適切な役割を果たすことにつながると福沢は考えた。
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このような議論を展開するに際して、福沢が下敷きにしたのが、イギリスのウォルター・バジョツトの「イギリス憲政論」(1867年)である。バジョツトは雑誌「エコノミスト」の編集長を長く務めたことでも知られるジャーナリスト、経済思想家であるが、「イギリス憲政論」は政治学の古典としても長く読み継がれてきた。現在では広く用いられている大統領制と議院内閣制の区別を最初に明確に論じたのも、この著作である。
バジョツトは政府の機能をその機能的部分と、尊厳的部分とに区別する。政治を運営する場合には、内閣や議会などの実質的な機能が重要であることは当然だが、国民統合の象徴として立憲君主制が果たす役割も小さくない。従って、およそ政府が運営されていくにあたって、機能的部分と、尊厳的部分の両方が必要であり、その前提として両者を明確に区分することが大切であるとバジョツトは論じた。
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現在、皇室典範の改正案が閣議決定され、政府は今国会内での成立を目指しているが、これに対して野党は反発を見せている。もし、今の時代に福沢やバジョツトが生きていたら、この様子を見て、何と言うだろうか。
日本国憲法は天皇を「象徴」と定め、皇位の継承は国会が議決する皇室典範の定めによると規定している。皇位の継承は日本国憲法の精神と合致しなければならず、国会においても「立法府の総意」によって議論がなされるべきであることは言うまでもない。
時代や社会の変化に応じつつも、常に国民の幅広い合意に基づく皇室であればこそ、その役割を果たしうる。一時的な政治の思惑に揺さぶられることなく、真に持続可能な皇室のあり方を追求すべきである。
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