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例えばスコットランドのバグパイプを吹く男性が、腰に巻いている格子柄のスカート。伝統衣装と思われているが、実は18世紀末に産業振興とお隣イングランドに対抗する民族の象徴としてデザインされ、広まったらしい。
英王室も例外ではない。壮麗な戴冠式や儀礼は19世紀後半以降、ビクトリア女王時代に工夫されたものが多いそうだ。
天皇の男系男子継承説も、明治以降の典型的な「創られた伝統」に他ならない。古代から幕末まで「天皇は男系男子に限る」という規則などなかった。
日本が近代国家になる明治維新で天皇制は劇的に変わった。
明治10(1877)年の西南戦争に辛勝した山県有朋らは、軍隊を精強にするため、政府から独立させようと考えた。天皇を大元帥に担ぎ上げ、将官の任免権も持たせて、軍を直属させた。
明治22(1889)年、大日本帝国憲法と同時に制定された旧皇室典範第1条が「天皇は男系の男子に限る」となったのは、総大将は男子が当然と考えられたからだ。皇族身位令などで、皇族男子は原則全員が、終身陸海軍武官となることも決められた。
昭和天皇は皇太子となった11歳で陸海軍少尉に任官。学生時代に昇進を重ね、25歳で即位すると大将より上の大元帥となった。
立憲君主の時は背広、大元帥の時は軍服に着替え、立場を使い分けていたが、敗戦で軍が解体し、天皇は軍服を脱がされた。
本来はそこで、男系男子継承も国家システムとしての特殊な機能を終えたはずなのである。
だが、旧憲法と同格だった皇室典範は、日本国憲法になっても特別な名称の法律と位置付けられ、第1条も手つかずで残った。
戦争責任をあいまいにしたまま天皇制が続いたことに伴う遺制の一つというべきだろう。世界に冠たる伝統でも何でもない。
皇室典範が初めて本格的に変わる。旧宮家男子を、明治以来禁止してきた養子制度で皇族に加える重大改革である。一方で、生まれた子が男子なら、改正前の現行規定に従って皇位継承権を与えるという。筋が通らない。
10日の衆院の質疑を視聴した。保守政党の議員たちが異口同音に「男系男子の伝統」「皇室のイヤサカ」を唱える光景は、空々しく不気味だった。
(専門編集委員)
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