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2026年07月27日
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テーマ: ニュース(96852)
カテゴリ: ニュース
世の中には古くからの人々の生活に根ざした「伝統」と、為政者が一般の国民を支配する手段として作り出した「伝統」という二種類があることについて、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は11日付同紙コラムに、次のように書いている;




 例えばスコットランドのバグパイプを吹く男性が、腰に巻いている格子柄のスカート。伝統衣装と思われているが、実は18世紀末に産業振興とお隣イングランドに対抗する民族の象徴としてデザインされ、広まったらしい。

 英王室も例外ではない。壮麗な戴冠式や儀礼は19世紀後半以降、ビクトリア女王時代に工夫されたものが多いそうだ。

 天皇の男系男子継承説も、明治以降の典型的な「創られた伝統」に他ならない。古代から幕末まで「天皇は男系男子に限る」という規則などなかった。

 日本が近代国家になる明治維新で天皇制は劇的に変わった。

 明治10(1877)年の西南戦争に辛勝した山県有朋らは、軍隊を精強にするため、政府から独立させようと考えた。天皇を大元帥に担ぎ上げ、将官の任免権も持たせて、軍を直属させた。

 明治22(1889)年、大日本帝国憲法と同時に制定された旧皇室典範第1条が「天皇は男系の男子に限る」となったのは、総大将は男子が当然と考えられたからだ。皇族身位令などで、皇族男子は原則全員が、終身陸海軍武官となることも決められた。

 昭和天皇は皇太子となった11歳で陸海軍少尉に任官。学生時代に昇進を重ね、25歳で即位すると大将より上の大元帥となった。

 立憲君主の時は背広、大元帥の時は軍服に着替え、立場を使い分けていたが、敗戦で軍が解体し、天皇は軍服を脱がされた。

 本来はそこで、男系男子継承も国家システムとしての特殊な機能を終えたはずなのである。

 だが、旧憲法と同格だった皇室典範は、日本国憲法になっても特別な名称の法律と位置付けられ、第1条も手つかずで残った。

 戦争責任をあいまいにしたまま天皇制が続いたことに伴う遺制の一つというべきだろう。世界に冠たる伝統でも何でもない。

 皇室典範が初めて本格的に変わる。旧宮家男子を、明治以来禁止してきた養子制度で皇族に加える重大改革である。一方で、生まれた子が男子なら、改正前の現行規定に従って皇位継承権を与えるという。筋が通らない。

 10日の衆院の質疑を視聴した。保守政党の議員たちが異口同音に「男系男子の伝統」「皇室のイヤサカ」を唱える光景は、空々しく不気味だった。
(専門編集委員)


2026年7月11日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-男系男子 創られた伝統」から引用

 高市内閣が皇室典範改正について、十分な時間をかけることを避けて、形ばかりの議論をしたような見せかけの「国民会議」などと称する会議を開いた後で、いかにも「立法府の総意」が整ったようなふりをして、「国民会議」では一言も触れなかった「養子制度の採用」という条文を忍ばせて、審議時間3時間の後で強行採決をしたのは、国民が気づかないうちに麻生太郎議員がかねてから企んでいた「麻生家の血統を引き継ぐ天皇」を実現するための策謀であったと断じるほかありません。そのような邪悪な策謀がまかり通るようでは「皇室のイヤサカ」は望むべくもありません。本来であれば、明治の政府が創作した「伝統」は、明治以来の「大日本帝国」が敗戦によって崩壊した時点で、皇室典範も日本国憲法に準じた「改定」が為されるべきでありました。しかし、それは80年前の「機会」だったからといってあきらめるのではなく、今からでも遅くはないのですから、現行憲法が規定する「男女同権」に基づいた皇室典範改正を、これから取り組むべきであって、その作業を抜きにしてはこの国の「弥栄」はないと知るべきでしょう。





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最終更新日  2026年07月27日 19時41分58秒


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