素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Jan 24, 2005
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テーマ: 日本の歴史(1093)
カテゴリ: 古代史レポート
3日ぶりの古代史リポートです。

近畿説・九州説を中心に多くの研究家が論陣を張っていますが、
いまだ万人が認める説は出てきません。

倭人伝には帯方郡から邪馬台国に至る行程記事が出ていますが、
これが曲者で、そのまま読むと邪馬台国は太平洋を突っ切った洋上にあることになっちゃう、ていうんです。
本当でしょうか?

三国志の編者「陳寿」はその行程記事を適当に書いたんでしょうか?
※魏志倭人伝は三国志の最終章である「東夷伝」の巻末に書かれています。


すこし見てみましょう。

「・・・末廬国に至る・・・東南陸行五百里にして伊都国に到る」

のようにA地点からB地点まで行くのに方向と距離が書かれています。
ここで使われている距離単位の「里」を、今までの研究者は、漢代の単位であるとし、約435mとしています。
その結果、倭人伝をそのまま読むと太平洋の彼方にいってしまう、
といっているんです。

だから、南を東に原文改定して、近畿に持っていったりしている訳です。

本当に「1里」は約435mなんでしょうか?

先日紹介した古田武彦氏はこの「里」問題を解決すべく、
三国志に出てくる里程記事をすべて取り出し、その検証を行いました。(「邪馬台国はなかった」朝日文庫)

その検証は実に科学的、実証的分析であり、

その結果はいかに???
何と約75m!

「1里」を75mとして、倭人伝の行程記事を読むと、
近畿方面には間違っても行かないんです。
九州の北、博多湾岸にしか行き着かないんです。


九州の可能性がある、と書きました。
そして魏志倭人伝でも邪馬台国は九州の博多湾岸を示唆した。

隋書いわく「・・・邪馬堆に都す、則ち魏志のいわゆる邪馬台なる者なり」とあり、7世紀の中国人の認識も、倭の代表国は邪馬台国だといっているのです。

3世紀から7世紀までの中国の国史を読む限り、諸外国から認識されていた「倭国」は九州にあった。
こう結論付けするしかないんです。

ほんとかよ、そんな声が聞こえます。
では次回からは、日本の文献から検証していきます。
邪馬台国九州説はあまりにもサラリと流してしまいましたが、
おいおい詳細を語っていきます。

今日はリオンラッセルを聴きながら朝食、
「あ、この歌知ってる!でもちょっとヘン」と長男。
きっとカーペンターズのカバーを聴いたことがあったんでしょうね。
リオンラッセル

この男、随分と変わったオッサンだけど、
南部の匂いがプンプン。
大好きなシンガーの一人です。

では SEE YOU NEXT TIME









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Last updated  Jan 24, 2005 01:48:34 PM
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