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下部川です。湯之奥金山博物館のすぐ隣を流れています。その源流域に湯之奥3金山があり、このすぐ上で合流する雨河内川の源流域にも常葉金山があり、という環境ですからこの川でも砂金が採れることはよく知られていることです。 そして、時々に、この川を掘って砂金を探す砂金採り師が見られます。というか、この写真の真ん中にその姿が見られるのですが、わかりますでしょうか。見えているメロディーブリッジのさらに上流です(ただし、メロディーブリッジの下部に見えています)。 ちょっとわからないですよね。では、ズームインしていきましょう。 同じ場所から望遠ズームを目いっぱい働かせて、伝説の砂金採り師の姿をキャッチしました。カッチャという道具を使って、河原の土砂を掘り採っています。もっとも、がむしゃらに掘るのではなく、伝説の砂金採り師に備わった経験と勘を120%働かせての神業によるものです。 土をパン皿にいっぱい取り込んで・・・。 水の流れの中で、パンニング・・・。 さて、成果はいかに・・・・・・。(次回以降に続く)
2018.02.25
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東の空から民間航空機が現れました。羽田発福岡行きのANA機のようでした。 垂直尾翼に注目すると、確かにANA機だとわかります。 いま、例の新型ウィルス性肺炎の騒ぎで、飛行機で長時間、密な状態となるのがはばかられて、航空業界もたいへんといわれています。ここのところ、上空を通過する飛行機の姿がめっきり少なくなっているので、こうして飛んでいるのがけっこう新鮮な感じでした。
2020.04.04
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一昨日の土曜日、夕方の足湯掃除の時間に、足湯の板の間に、かわった虫が見られました。床板にしっかりへばりついていて、無理やり動かそうとしたら、赤い汁を出しました。びっくり。 さらに手で取り上げようとしたとき、いやがって足を出し、動き出しました。 足湯の中では、いろいろと不都合なので、ちかくのサザンカの葉の上にお移り願いました。 今回の虫は、あとで調べたところ、カメノコテントウという、少し大きめのテントウムシの1種でした。刺激を受けると忌避剤として赤い汁を出すのだそうです。この赤い液は、カメムシのようなくさい匂いがあり、あまりよろしくない、よって手を出しにくい、という仕組みだそうです。 カメノコテントウは、クルミハムシ(クルミにつく虫)の幼虫などを食べ、冬は樹皮の隙間などで成虫で越冬するようです。 そういえば、この3月5日が「啓蟄」で、虫たちが冬ごもりから目ざめ、活動を始めるということでした。このカメノコテントウも冬ごもり開けで、でもちょっと寒かったので、あたたかな足湯の中にお出ましになった、そんなことが考えられました。
2021.03.08
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2023.02.28
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博物館の正面玄関の横の外壁に、ヒメカマキリがいました。 カマキリ目ハナカマキリ科ヒメカマキリ亜科に属する種で、日本で見られるハナカマキリ科のカマキリはこの種などに限られているそうです。 とても小さなカマキリですが、カマは立派です。 あんなところにいたんです。
2020.09.21
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湯之奥金山博物館の脇のお山の麓で、コゴメウツギが咲き出しています。コゴメウツギは漢字で表記すると、小米空木。 ○○ウツギと名がつくので、ウツギの仲間かと思いがちですが、ちょっと違っています。このコゴメウツギは、手元の図鑑で確認すると、バラ科のコゴメウツギ属でありました。一方のウツギの方は、ユキノシタ科ウツギ属となっていました。 コゴメウツギは、この辺りの里山では、ありふれた存在ですが、それでも花をじっくり細かく見ると、とてもすてきです。花もいい感じですが、いくつもあるつぼみもとてもかわいいですね。 今日は、5月3日。憲法記念日で、現行憲法が 施行されたことをお祝いする日です。ちなみに6か月前の11月3日は発布記念日でもあります。 この日が、いい日でありますように・・・。
2018.05.03
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館長に見せたいものが・・・。何でしょう? これでーす。という感じで、この話題が始まりました。黄色い色をした蜂の巣が、屋外のテント下のテーブルの上に並べられていました。見た瞬間、9月15日に紹介したキボシアシナガバチの巣だとわかりました。手前のものが、上の方にあった巣です。そして・・・ こちら、下の方の大きい方の巣です。おや・・・。 以前に退治したしたはずの巣の中から、幼虫が羽化しようとしたようです。こうしたことから巣ごと駆除されたのですが、羽化途中で薬剤攻撃にあって、息絶えようとしているキボシアシナガバチでした。
2017.09.30
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今日の金山博の勤務が終わっての帰り道、東の空に丸い大きな月が上がってきました。旧暦では2月15日。望月です。十五夜の月です。 少しだけ時間をおいて、外に出て撮影を試みました。うっすらと雲もかかっていましたし、手にしていた撮影機材の関係で、あまりすてきな写真ではありません。 しかしながら、向かって右手に、まだ少し成長の余地のある月齢14.7あまりの月でありました。天文学的な満月は、3月10日のこととされています。 旧暦の2月15日。旧暦は月の満ち欠けをもとにした暦で、その月の15日は十五夜となります。2月の旧称は「如月(きさらぎ)」ですね。 今回のタイトルにしたのは、あの西行さんの歌に拠っています。 願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ いつか死ぬ身であるからどうせなら如月の望月の頃がいいな、サクラの花のもとで、花をいつくしみながら・・・みたいな感情を詠んだものとされています。 博物館の辺りでは、ソメイヨシノはまだですが、カワヅザクラがいい感じに咲いている十五夜、西行さんの理想の宵になりました・・・。 ちなみに、2月15日というのは、釈迦の命日であり、そのことを踏まえて、同じ如月の望月の頃がよいのだと、西行さんはそうお考えになったようです。でも、ポイントはサクラの花。いまの新しい暦では、サクラはのぞめません。おっとジュウガツザクラの花はあります。でも、その咲きぶりはちょっと西行さんの理想には近くないし、彼の時代にその花があったかどうか・・・。(初回投稿:2020年3月9日23時45分 修正投稿:2020年3月11日0時28分 再修正:2020年3月11日9時19分)
2020.03.09
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これは、昨日(9月21日)のことだったのですが、博物館にやってきた、互いによく似た2種類のタテハチョウ科のチョウが見られました。これらについて、前回と前々回、続けて紹介してきましたが、見分けのポイントって何か、あらためて整理して見たいと思います。 繰り返しになりますが、両者はよく似ています。でも、ヒメアカタテハの方が少し小さめです。それからヒメアカタテハには、後ろ翅の裏面に、白い三角形の斑紋が見られます。その辺りが、見分けていく目印になるのだそうです。(手元の図鑑の知識の受け売りです)。
2020.09.22
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少し雨がぱらつく中、最初の見学は“赤い橋”南部橋のたもとから始まりました。この南部橋、以前は、もっと上流のあの場所に、5連ワーレントラスという形式で架かっていたんですよ・・・みたいな説明をしているところです。 ここから見て、あそこに連なる低いお山、あれは南部氏の歴史にゆかりのあるとされる南部城山です。いま現地に見られる遺構は、天正10年の騒乱の年頃までに、大幅に改修されている可能性があります。一部には煙硝蔵と言い伝えられている部分もありますよ・・・といった説明が続きました。 お次は、内船八幡神社です。ここでは・・・ 赤い鳥居の参道石段の上の左右の大木ですが、右はクスノキ、左はイチョウで、ともに南部町の文化財・天然記念物に指定されています・・・的な解説が行われました。 いよいよ八幡さんと向かって左隣に鎮座の護国神社の見学となりました。小雨が降ってきたので、境内の四阿(あづまや)の下で、八幡神のことや社殿の建築に、下山大工が関わっていることなどを確かめ、参加者の一人、E藤さんより下山甚句の一節のご披露をいただくこともできました。 八幡さんと護国神社の並びはこんな感じ・・・資料3ページからです。 次いでは・・・、 登って、登って、休んで、登って、こちらは内船寺さんです。 「正住山」の山号額を掲げた山門を前に、お寺さんの歴史などをおさらいしています。「内船寺」と書いて「ないせんじ」といいます。もとは四条金吾(頼基)さんの所領の1つである内船のなかに設けられたお屋敷(別荘・・・みたいなものかな)でしたが、金吾さんご夫妻は日蓮さんの教えにに深く帰依し、そのお屋敷を日蓮宗のお寺とすることになった、といった経緯を確かめました。 この内船寺さんのご本堂の裏手、少し上がったところに、四条金吾ご夫妻の墓所があります。 この正面の石造りの龕(がん)の中に、ご夫妻の五輪塔が並んで納められています。いつもは扉が閉ざされていて拝見できませんが、今日の資料の6ページに実測図が掲載されています。 こちらが資料に載せられた四条さんの五輪塔となっています。 まぁざっと、このような感じに歴史遺産を見て、感じて、考えた時間が流れました。(初期投稿:2021年11月2日20時20分 加筆投稿:11月3日10時13分 記事タイトル修正:11月3日23時28分)
2021.11.02
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