2022/11/19
XML

★忘備忘却録/きょうの過去帳・ 狂 ★
☆ 京都盆地内でいがみ合う神の末裔が和解(1392年=明徳の和約、南北朝合一) &so 100年後に、船員を騙し続てクリストファー・コロンブスがプエルトリコに上陸(1493年)
☆ バスティーユ牢獄に収監されていた「ベールで顔を覆った囚人」=鉄仮面/正体不明=が死亡(1703年)
☆ リンカーンが「人民の人民による人民のための政治」と演説(1863年)。 しかり、日産自動車が外資の玩具にされるのにこれ以上我慢出来なくなった日本人のイエスマンが、ボスを司直の手に引き渡す(2018年)。
【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年11月19日 】

​「疫病の原因はアジア人」 コロナ禍で見られた思…​
= WEDGE REPORT 《日本人なら知っておきたい近現代史の焦点》 2022年10月28日
 廣部 泉 (明治大学政治経済学部 教授)


人種差別撤廃案の挫折
 1918年に第一次世界大戦が終結し、パリで講和会議が開かれることが決まると、「五大国」の一つである日本がどのような態度に出るのか、モリス駐日米国大使は警戒を強めた。彼の見方は人種主義に彩られたものであった。ドイツから日本が戦争中に奪った中国の山東省の権益を巡って日中が鋭く対立していたにもかかわらず、人種差別撤廃を巡って同じ人種として日中が即時同盟を結ぶ可能性があると本国政府に打電したのだ。

 結局、日本がパリ講和会議中に提出した人種差別撤廃提案は、豪州を含む英国代表の強い反対もあり否決された。人種差別撤廃提案の通過を願って多くの大規模集会が日本国内で開催されていたが、いかに日本が臥薪嘗胆して富国強兵に励んでも、白人からは永久に対等には扱われないのかと日本国民を大いに落胆させた。

 パリ講和会議で日本を巡るアジア太平洋地域の安全保障の問題はまだ完全には方が付いたわけではなかった。日本は大戦中、欧米列強不在の東アジアで自由にふるまい、地域大国としての立場に居心地の良さを感じていた。

 そこで1921年に開かれたのがワシントン軍縮会議であった。ここにも黄禍論的思考がみられた。米国人には、日英同盟の存在に不快感を抱いている者が多かった。もし、日本と戦争となった場合、米国は、英国という兄弟国と戦わなくてはならないのかと危惧したのである。

 結局、ワシントン会議は、日本を劣位な主要艦比率に押し込め、日英同盟を廃止する形で1922年に終了し、日本人の間に不満が残った。ただ、日本が曲がりなりにも米英の秩序に加わることに同意したため、太平洋に平和が訪れたかに見えた。1923年に発生した関東大震災には米国から大量の援助物資や義援金が寄せられ、日本の対米世論も好転した。

排日移民法で勢力増す「アジア主義」
 そのような小康状態を一転させたのが、1924年に米連邦議会で成立した日本からの移民を一切禁止する条項を含む移民法であった。

 この条項には「日本人」という文字は書かれていないが、文脈から人種を理由に日本人を狙い撃ちしたことは明らかであった。そのため日本ではこの移民法は「排日移民法」と呼ばれ、全国各地で反米集会が開かれるなど反対の声が上がった。米国映画の上映は自粛され、洋風のダンスが行われている会場には、日本刀を持った一団がなだれ込んだ。移民法改正を求める遺書を胸に切腹する者も現れた。

 反米運動の盛り上がりの中、内村鑑三や新渡戸稲造といった親米派と見なされていた言論人の発言が説得力を失い、アジア諸国との連帯やアジア植民地の解放を説く「アジア主義」的な主張が急速に影響力を増し、アジア主義団体が複数誕生した。
その中の一つである全亜細亜協会は、米国の人種差別に対抗することを目的として、「一朝事あるに際してはアジア洲は打って一丸となり白人の極東侵入に対抗」しなければならないと謳っていた。黄禍論に怯えていた米国は、自分たちの差別的な立法によって自ら黄禍論的現実へとつながる契機を作り出したと言える。



 排日移民法が創り出した危険をいち早く感じたのが、当時はまだ数少なかった極東問題に詳しい米国人たちであった。米クラーク大学のジョージ・ブレークスリー教授は、米国のアジア人差別体質が排日移民法によって再認識されてしまったため、黄色人種という一体感が生まれ、日中同盟が実現するかもしれないと予言した。作家パール・バックも、排日移民法を契機として、日本人や中国人、インド人といったアジア人が対白人で連携するかもしれないと語った。

  その後、日本政府が早々に米国政府に対する移民法に関する抗議をやめたこともあり、事態は沈静化していった。日本人にも移民割当枠を与える形での移民法修正運動が米国の民間人により自主的に進められていたことも、そのような流れに貢献していた。1931年9月17日にはスティムソン米国務長官が、自分の任期中に移民法修正を実現する見通しを出渕勝次駐米大使に語ったほどであった。

日中戦争勃発後も消えない「日中合同論」
 ところがその翌日、満州事変が勃発する。これを契機に米国の対日世論は悪化していき、移民法修正の機運もしぼんでいった。一方で、再び日本国内ではアジア主義の機運が盛り上がり、新しいアジア主義団体が作られていった。

 排日移民法制定直後に誕生したアジア主義団体が無名の民間人中心のものであったのに対し、この時期の団体は、有力な政治家や軍人が多く名を連ねているなど様相を異にしていた。黄禍論の火消しのため日本政府関係者が対外的な釈明に追われていた1920年代とは異なり、逆に彼らはアジアへの野心を露わにするのであった。

 満州事変を端緒とする日本軍の動きにより、海外で一つの文書に注目が集まることになる。いわゆる「田中上奏文」である。これは時の田中義一首相が1927年に昭和天皇に行った上奏を翻訳したものとされた文書であったが、文中に登場する人物が上奏の時点で既に故人であるなど誤りが多く、偽書であることは明らかだった。

 にもかかわらず、田中上奏文は、日本が欧米を含めた世界征服の手始めに、満州事変を引き起こした証左として利用されたのである。そこには、日本が世界征服を企んでおり、それにはまず中国征服が必要であり、中国の征服にはまず満蒙の征服が必要、と書かれており、それらの文言と実際の日本軍の活動があまりにも合致していたからである。これぞまさしく現代版のフェイクニュースの走りといえよう。

 その後、米国の黄禍論的見地からすると連携して白人に向かってくるはずの日中が、互いを敵として戦い始めた1937年の日中戦争の勃発は、黄禍論を巡る様相を大きく変えるかに思われた。実際、日中と手を携えて白人の圧政から脱却することを目指していたインド独立派の人々は、日中戦争の開始に大いに落胆している。

 しかし、一部の米国人はそうは見なかった。日本が中国を従える形での日中合同を予見したのである。1940年に汪兆銘の南京政府によって日華基本条約が結ばれると、日中合同がついに完成したとみなして恐怖する米国人も少なくなかった。

 今や日本が主対象となった黄禍論が現実のものとなったかに見える状況の中、ほどなくして日米が争う太平洋戦争が始まる。この戦争は果たしてこれまで黄禍論者が予見してきた黄色人種と白人種が正面からぶつかる人種戦争と化してしまうのだろうか。

……後日改めて、太平洋戦争中の黄禍論を次回に考察する。



古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 
---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------
【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/ 】
【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜   http://blog.goo.ne.jp/bothukemon 】
・・・・・
スマイルしょんぼり怒ってる怒ってる大笑いスマイル
クリック 宜しく・・ ブログランキング・にほんブログ村へ ・・ 人気ブログランキングへ ・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・

​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022/11/19 05:30:07 AM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Profile

涯 如水

涯 如水

Category

Free Space

※ お願い
下記リンクの移行は本稿(左側⇦)下端部のURL:より

【閑仁耕筆;探検家・挑戦者・登山家の譜講】
・ハインリッヒ・ハラー/オーストリア;- 01~XX節(2014-04-08)
・ジョウジ・マロリー/イギリス;- 01~09節(2014-04-06 )
・ラインホルト・メスナー/イタリア ;- 01~04節(2013-10-29)
・ウーリ=-・ステック/スイス  ;- 01~03節(2013-10-19)
・アナトリ・ブクレーエフ/ロシア ;- 01~06節(2013-10-13)
・探検家フリチョフ・ナンセン博士; - 01~12節(2013-10-13)
・探検家ゼブ・ホーガン博士;- 01~09節(2013-09-28)

【壺公夢想;Home_Page・夢想空間】
紀行随筆
・汗血馬の故郷へ;
・天山南路・歴史紀行;
・天山・草原のシルクロード;
・天山・激動の草原地帯;
紀行エピローグ・写真随筆;
西域人物伝・ティムール;
西域人物伝・ティムールの系譜;
ティムールの系譜“ムガル帝国”;
ジンギスハーンの系譜
・“アルタン・ウルク/黄金の家”第一部・第一章ジュチ家の覇権
・“アルタン・ウルク/黄金の家”第一部・第二章バトゥの野望
・“アルタン・ウルク/黄金の家”第二部チャガタイ家の覇権
・“アルタン・ウルク/黄金の家”第三部オゴデイ家の覇権
・“アルタン・ウルク/黄金の家”第四部トルイ家の覇権
・“アルタン・ウルク/黄金の家”第五部フレグ家の覇権
騎馬遊牧民族
・匈奴の勃興と移動
・欧州・アッチティラの動乱
・ジュンガリア =最後の騎馬遊牧民国家=
絹繡之路(シルクロード)夜咄
・シルクロード夜咄・四駿四狗
・シルクロード夜咄・智謀の将
・シルクロード夜咄・運命の綾
ムガル帝国・建築文化

Calendar

Archives

2026/10
2026/09
2026/08
2026/07
2026/06
2026/05
2026/04
2026/03
2026/02
2026/01

Favorite Blog

アウン・サン beabea65さん

青空日和 紘子.さん
TOKKOの 詩的な生活 T0KKOさん
しあわせが似合う人 Melody*さん
わたしのブログ 穏やかな海さん
ユーラシア大陸を旅… ユーラシア人さん
気ままにいろいろ NAKA3さん
花*hana*花 *紫陽花*さん

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: