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2007.08.03
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テーマ: たわごと(27384)
カテゴリ: そのまんま系
なんだ、そうだった。前に20歳年上の友人のことを書いた。友人と言えるほどほんとうは親しいわけではないのだが、自分のなかでは十分に友人なのだ。彼が大切にしている言葉があって、それは「私はそうは思わない」というものだ。佐野洋子のエッセイ集のタイトル。彼がそれを読んだのかは覚えていない。

私の人生は、まあ多く見積もってもあと10年だと思っている。大したことをしてきたわけではない。これからもできるものでもない。それにもう十分に老人である。何かを伝えたいか? そのように願っていたこともある。だが私には無理なようだ。私はただ本を読み、いくらかは歩き、世界を見つめ、親しいもの、あるいはあなたのような新しい友人に、その話ができたらばいい。何かしら伝えることがあればいい。そうして、もし引っかかることがあるならば、世界に、あるいはそれが知人であったとしても「私はそうは思わない」と言いたい。そのように生きたいと願っている。

そのようなことを、その人は言ったのだ。

私はその言葉を持ち帰って、ときどき懐から取り出してみている。
私はそうは思わない。

それから自分の中になぜか残り続けた言葉をひそかにつぶやいたりもする。
それはこのようなものだ。
「そうかもしれない」

「私はそうは思わない」と「そうかもしれない」の距離。



作家の分身と思われる主人公の妻がアルツハイマーとなる。妻は入院を余儀なくされる。ある日、主人公は妻の見舞いにでかける。看護師であったか、ベッドに横たわる妻に話しかける。
「ほら、ご主人がお見えになりましたよ。ご主人でしょ?」
妻は、主人公のほうに顔を向ける。そうして言う。
「そうかもしれない」

正確ではないかもしれない。でも、そのとき以来、この言葉が自分の中にすみついてしまったのは確かだった。それ以来、その言葉はしだいに意味を変えていくようにも思われる。

あるとき、人に問われる。あなたは座右の銘として「そうかもしれない」と書かれていますよね。どういう意味ですか? 私はでたらめを言う。保留するという意味です。断定を避ける。「そうかもしれない」とはいう。しかし一方でそこで抱いたはずの世界への違和感を大切に考え続けるという態度表明です。嘘だけれど。
けれど実際はその嘘を少し考える。保留はほんとうは思考停止に近い。そうではなくて、断定せぬまま、棚にしまい込むでもなく、考え続けることはできるか。それはたんに問題の先送り、決定することからの逃走ではないのか。とか。

まあ、大げさではある。このへんにしておこう。ただでさえ待ったなしのことが多いのだ。仕事の納期、来月と再来月の生活費、そして明日の朝のお弁当。

今日もまた、どこへも行かない日記である。





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Last updated  2007.08.03 22:22:23
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★みゆきち★@ 性感エステってもったいないよね ムラムラってきたら性感エステに通ってた…
ウラガエル @ お久しぶりです。 suiさん どうされているのでしょう。 …
紫陽花ロック @ 鎧駅は 海に向かって断崖絶壁に駅のホームがあり…
ウラガエル @ そーですか? 育児・子育て きらりさん 「そーです…

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