書評日記  パペッティア通信

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Mar 3, 2006
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カテゴリ: 経済


(承前)

第六章は、アメリカの国際関係研究に氾濫している≪帝国≫論について、議論の整理をおこなおうとする論攷である。 ネグリ≪帝国論≫は、アメリカの国際関係研究には、あまり好意的に受け入れられていない らしい。アメリカの国際関係研究における「帝国」論は、主として、主権国家がつくるシステムを前提として古典的覇権論の延長に「帝国」をおく立場と、ネグリと問題意識を共有して、こうした古典的システムが崩れつつあることを強調する立場、あわせて2つの流れがあるものの、圧倒的に前者が多いという。前者は、特定の政体の性格規定に矮小化されやすい。また後者は、現在の国際システムが国家間関係のシステムに還元できない現実を捉えようとする課題の達成には成功しているものの、あらたに提示するシステムが、旧来の資本主義・全体主義批判の論理に回帰する傾向がみられるという。 全体から出発する≪帝国論≫と、部分から出発する国際関係研究 。「インフォーマルな帝国」分析に際して、両者をどう総合すべきなのか。悩みはつきない。

第7章では、ウォーラーステインのアメリカ・ヘゲモニー論を再検討することで、「短い20世紀論」を批判的に総括し、 「近世帝国」概念を導入 して「長い20世紀」(新しい帝国)概念が歌いあげられている。1918年ロシア革命から説き起こし、1968年頃から≪資本主義的蓄積・国民国家・アメリカの覇権≫の「限界」が始まり、1989年ソ連崩壊とともに時代の終焉をみる、「短い20世紀論」。この視角は、バリエーションは様々あるものの、南北問題を隠蔽して、機能を低下させている主権国家を捉えていないばかりか、スターリニズム・ファシズムとケインジアンに絶対的な線を引いてしまうなどの、深刻な「偏向」を帯びている理論だという。ブローデル~ウォーラーステインの「長い16世紀」に見られるように、資本主義形成と国民国家形成には、2世紀のタイムラグがあった。筆者によれば、その間は「不完全な帝国」の時代だったという。19世紀からの2世紀は 「帝国の不在」という人類史の例外状況に他ならない 。本源的な生産要素の「擬制商品化」が限度を超えて、「大転換」が生まれたというポランニーの議論も、本源的生産要素のもつ「聖性」は「近世帝国」時代に生まれたものであることを忘れているという。戦間期の「大転換」は、脱市場化ではなく、グローバルな市場の制度化の起点にすぎない。「長い20世紀」は、帝国の不在に終止符を打つ≪帝国≫の時代の始まりである、高らかに宣言されて、本書は締めくくられる。


ネグリに触発されたという本書。全般的にどのような評価すべきか、たいへん悩ましい。評価できる章は、第1章、第5章、第6章の3つであろうか。この章は、対象が限定されて面白かった。社会主義における民族問題など、参考になる部分は大きい。ただそれ以外は、あまり評価できない。第2章は、スーザン・ストレンジ「構造的権力」を想起しながら読んだためか、「規制帝国」としてEUを論じることに、どれほどの意味があるのか、評者はまったく理解できなかった。「帝国」を実体的に扱わない本書の方針はどうなったのだろう。第3章のモンゴル土地改革の言説分析は、端的につまらない。様々な根拠づけが使われることを論じているものの、 権力が一貫していること自体、幻想 ではないのか。もう少し、土地改革に対する地道な実証を心がけた方が、はるかに面白かったと思う。第4章は、もっともらしいが、 カール・シュミットの解説をデリダ~ジジェク~東浩紀などの「911」前後の議論に接合させただけ にしかみえない。読者はなめられてるのだろうか…。どこに固有の≪帝国≫論があるのか、さっぱり理解できなかった。

完全な「世界帝国」なるものは、いまだかつて存在したことがない ことの裏返しであろう。それなのに、「不完全な帝国」なる概念(=インド洋などの各種世界経済と同義)をあらためて提起することに、どんな意義があるのか。18世紀、清朝・ムガール帝国、オスマン・トルコをあげて、「近世帝国」の時代と整理。その上、19世紀から始まった「第二の世界経済」が終焉して、今まさに「帝国」の時代が始まっている―――と、 「帝国」の時代と「非帝国」の時代の交替論を唱えることに、今ブームになっている「帝国論」におもねる以上の、どれほどの意味があったのか 、評者は疑念を禁じえない。おまけに、「大転換」という言葉を使いたいためだけに、ポランニーを引用。挙句、 次なる「帝国」の時代は、なんと驚くなかれ、高度技術社会によって展開される「動物」の時代 なんそうだ―――稲葉振一郎氏のようなセンスがあるのならともかく、学際とは名ばかりの、様々な学説の「つかみこみ」をここまで センスなく悪趣味 におこなう姿には脱帽の他ない。おまけに、これ、学会で報告したらしい。ちょっと勘違いしていないか。こんな恥ずかしいもの、凡人は怖くて出せないだろう。 訳著『リオリエント』 などで、この人の著作にはお世話になっただけに、たいへん残念である。面白いといったら、まあフカシ方は面白いのだが…

という訳で、あまりお薦めできる作品ではない。まあ、図書館で見つけたら暇つぶし程度で目を通しておきたい。


評価 ★★☆
価格: ¥1,680 (税込)


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Last updated  Apr 14, 2006 11:54:05 PM
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