文豪のつぶやき

2005.05.31
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カテゴリ: 新撰組
今のところ、幕末土佐のことを書いている。
幕末の土佐は、二つに分かれている。
もともと土佐は戦国時代に一郡から出た長曽我部元親が土佐一国を切り取り、さらに四国全土の覇王になる寸前、中央に織田、豊臣政権が成立し、土佐一国に押し込められた。
長曽我部元親という人物は面白い人で、おそらく日本で初めて国民皆兵制度を考え出した人物である。
元親の次の代、盛親の時、関が原で破れ、藩はお取り潰しになる。
そこへ進駐軍のように中央から舞い降りてきたのが山内一豊率いる軍隊である。
山内一豊は静岡掛川四万石からいきなり土佐二十四万石の国持大名になったが、地元の長曽我部侍を採用せず、弾圧した。
これが、土佐が江戸期を通じて二つに分かれた原因である。
長曽我部侍は、武士階級で最下級の郷士、足軽になり、あるいは帰農して庄屋になった。

これは天保年間、土佐七郡の庄屋が、われわれ百姓は武士ではないので、殿様の家来ではなく天皇の家来だと申し合わせたことに起因する。
しかし、幕末においても山内侍は、長曽我部侍を徹底的に弾圧する。

ここに間崎哲馬という男がいる。
中岡慎太郎の師である。(といっても歳はいくつも離れていなかったが)
土佐勤皇党の幹部で、党の首領武市半平太とともに土佐の勤皇化に尽力するが土佐の弾圧にあい、切腹する。
かれは、間崎滄浪という詩人でもあった。
その絶命の時の詩が残っている。

請(こ)う君よ、狂風陰雨の夜
飄々(ひょうひょう)として魂魄(こんぱく)長く天を繞(めぐ)らん





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最終更新日  2005.05.31 13:17:01
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