文豪のつぶやき

2005.07.28
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カテゴリ: 新撰組
親幕派の土佐藩、藩父山内容堂は、この会議に徳川慶喜を呼ばないことをまず非難した。慶喜は明治維新の最大の功労者である。容堂はこれを岩倉や薩摩藩の陰謀と見た。容堂は殿様らしからぬ鋭い舌鋒で武力倒幕派を非難してゆく。岩倉や薩摩藩代表で出席している大久保利通は一言もない。容堂の言うことは正論なのである。
議論は容堂のもっとも得意とするところであったろう。
しかし、容堂は口を滑らせた。「お手前方は年端もいかぬ天子を担ぎ上げて、操り人形のようにして陰謀を・・」と発言した。岩倉や大久保は歴史上に残る策士である。岩倉らの反撃が始まった。
「年端もいかぬ天子とはなにごとか。年端がいかなくてもやんごとなき天子でござるぞ。天子は未熟だというのか」
15歳の天皇を未熟扱いしたことが、岩倉らに言質を取られ、容堂は沈黙する。
やがて前半の会議は終わり休憩時間に入った。
休憩時間に御所警護をしていた西郷隆盛が岩倉や大久保から形勢不利を聞いた。西郷は短刀一本で片づく、というようなことをいったらしい。
短刀で容堂を刺し殺す、ということであろう。薩摩には刺し手はいくらでもいる。西郷の隣には、桐野利秋が刀の柄を撫している。
容堂はこれを聞いて、後半の会議は一言も発せず、終始会議は武力倒幕派主導で進められた。

徳川家は事実上の破産である。
これより、幼い天子を擁する武力倒幕派主導の朝廷は、最大の功労者である慶喜を、最大の戦犯に仕立て上げ、追い込んでいく。
新撰組もまた、滅びの道を歩み始める。





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最終更新日  2005.07.28 07:08:31
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