文豪のつぶやき

2005.10.12
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カテゴリ: 新撰組
日本の政治は二重構造になっている。
形としてだけの統治者天皇と実際に政治を行う時の権力者である。
神話に属する神武天皇以降まもなくこうなったのではないか。
例を挙げると、奈良時代の天皇と僧侶の関係、平安時代の天皇と貴族の関係、鎌倉時代以降は天皇と武士の関係。
江戸時代も二元政治である。
すなわち、宗教的司祭者要素が強い天皇と実際に政治を行う将軍家。
この二元政治の矛盾を激しく批判したのが山縣大弐である。
かれは、日本は本来天皇に帰せられるべきであると主張した。
弱ったのは幕府である。正論を、紋切り型に批判されたのでは、抗すべくもない。

松宮は、まあまあ日本は二元政治でやってきたのでうまくいってきた。
となだめるような論法を展開する。
日本は二元政治がなじむという穏やかな考え方である。
しかし、山縣は幕府に激しく噛み付き、やがて獄門の首となる。
余談ではあるが、戦後三島事件があった。
三島由紀夫は、天皇があいまいな位置である、象徴になっていることに激しく批判する。
実際に政治をやっているのは政治家である。
これも二重構造ではないか、と。
これに対し、昭和の松宮主鈴の立場の人物が出現する。
司馬遼太郎である。
司馬は松宮と同様、日本の政治構造は長老たるべき天皇がいて、実務者の政治施行者がいて成り立っている。これでいいのだと。


山縣の二元政治批判は、かれが死に、その思想の粒がやがて幕末の尊王佐幕となって芽をふく。
平田篤胤の国学、水戸勤皇思想の狭間で埋もれているがかれの幕末にもたらした影響は大きい。
ただ、明治後、かれの切望していた一元政治は忘れ去られ、また天皇と薩長の二元政治に戻ったが。






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最終更新日  2005.10.12 10:08:10
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