文豪のつぶやき

2008.07.25
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カテゴリ: 時代小説
竹蔵は三田陣屋まで来るとお幸を陣屋の前で待たせ門番に取次ぎを頼んだ。
 取次ぎ相手は篠原正泰。
「お手前は」
 門番は訝しげに問うた。
 それはそうであろう。刀は差しているが、竹蔵の身なりは乞食のそれと変わらない。
「徳川慶喜家来竹村大蔵でござる」
 門番は不信がりながらも、その言動の堂々としていることに圧倒され、篠原に取り次いだ。
 お幸はちょっと離れた所でその様子を心配そうに見ている。
 一方門番から取り継がれた篠原は驚いた。

 三千石と家祿は三田藩主より軽いが幕府での序列は三田藩主とはくらべものにならないほど高い。
 まして竹村家は旗本の中でも名門である。
 先年、大坂城代添役を勤めていた竹村格人の長子が格人の死去後、弟に家督を譲り行方不明になっていたとは篠原も聞いているがそれだと思った。
 篠原は転がるようにして玄関に飛び出た。
 竹蔵は腕を組み門の外に立っていた。
 篠原はその前にはいつくばると、
 お殿様におかれましてはご機嫌うるわしゅう、と口上を述べはじめた。
 門番らは呆然として見ている。
 お幸の方はもっと驚いている。
 篠原といえば、三田藩の筆頭家老ではないか。
 その篠原が地べたに額をすりつけるように平伏している。

 竹蔵はお幸の所へ来ると、
「さっ、行きましょう」
 と手を引いた。
 お幸は呆けた表情でずるずると竹蔵に引かれていく。
 あまりの驚きで何が何だかわからないのであろう。

 篠原はすでに就寝中であった藩主を起こし、おもだった者を呼び出した。
 やがて、藩主が書院にはいり上座にいる竹蔵に平伏した。
 篠原、青木ら陪臣は次の間より平伏している。
 お幸はここで我にかえった。
 お幸の目の前には藩主泰範公が平伏している。
 あわてて上座から逃れようとするお幸を竹蔵は制止した。
「お幸さん大事ない大事ない」
 そう小さな声で云った。
 そして藩主の方を向き直ると口を開いた。
「仄聞でござるがこの度三田家中において白井家が断絶されたと聞き及び、こうして参上仕った。というのも」
 と竹蔵はお幸の方をちらりと見て、
「ここにおられる白井家のお幸殿と拙者竹村大蔵この度私事ではござるが婚約することとなり申した。しかし白井家が断絶とあっては、これは姻戚であるわが竹村家としても黙認するわけには参らぬ。そこで」
 竹蔵は一段と声をあげ、
「白井家の復興をお願いしたいと思いまして拙者罷り申した」
 復興ならぬときは旗本の竹村家を敵にまわすことになるという意味が竹蔵の言外にはある。
 いかに、去年幕府が崩壊したとはいえ旗本の権威はまだ残っている。まして、竹村家といえば旗本の中でも名門である。自らを廃嫡したとはいえ竹蔵の姻戚は天皇家にもつながっている。竹蔵がその気になれば三田藩などは軽くふっとんでしまう。
 藩主は幼少である。言葉に窮した。
「恐れながら」
 はるか次の間で篠原が平伏しながら云った。
「この度の白井家の一件、筆頭家老であるこの篠原が独断で下したもの、差し違えにござりますればただちにその罪を解き再興を致したいと思いますのでなにとぞ宜しくお願い申し上げます」
 竹蔵は大きく頷いた。
「よきにはからえ」
 やがて、深夜に酒宴が始まった。
 篠原はただちに下僚に命じ白井家再興を事務化した。
 この酒席が終わる頃には白井家復興は成っているだろう。
 お幸は上座で夢見心地でいる。
「お幸さん」
 竹蔵が云った。
「さっき、いったことは俺の本当の気持ちなんだぜ」
「えっ」
「俺と一緒になってくれな」
 お幸は小さな声で、
「はい」
 と頷いた。





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最終更新日  2008.07.25 19:46:36
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