文の文

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佃島

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うららの・・・


三月九日、日差しがあまりに柔らかで、
こころもちもあたたかだったので、佃島へ行こうと思い立った。

昨年七月に横浜から品川へ越してきてから、
ひとり、きままな東京下町散策を続けている。
これまでに谷中、根津、築地を回ったので、
今度は川を渡ってみようと思った。

いつだって、前もって計画を立てることはない。
例えば、ベランダの洗濯物が風に吹かれているのを見ているうちに、
ふっと、ここではないどこかへでかけたくなってしまう。

ガイドブックに案内されるままに、生まれて初めての道に足を入れ、
その町の空気を吸う。町並みに見入り、ひとびとのくらしの匂いをかぐ。
そのどれもこれもをこころに納めながら歩を進めていく。

何年か経てば東京での夫の仕事も終わり、故郷京都に戻る身である。
縁側のひだまりで話すような東京の土産話を拾っていると言えば、
少しは大義名分がたつだろうか。

有楽町で有楽町線に乗り換える。
地下鉄の構内に古本屋さんが出ていたので、のぞいてみた。
誰と約束しているわけでもない。きままな時間はたっぷりとある。

 朝日新聞東京本社社会部の手になる「下町」という本があった。
谷中の「いせ辰」製作の「江戸千代紙吉原郭つなぎ」という
藍色の文様のカバーに目を引かれた。
奥付には昭和五十三年発行とある。それは長男の生まれ年だ。

それを抱えて、月島駅に降り立った。
平日の午前中、天気もよいので、買い物に出た地元の人々が目につく。
その横を黒い鞄を抱えた営業マンもたくさん行きかう。

前後ろに荷物を積んだ自転車を止めて言葉を交わすおじさんや、
歩行補助車に寄りかかりながら話し込むおばあさんたちが、
そのまま、この町の風景であるように思えてくる。

 月島もんじゃストリートというのがある。
西仲通商店街を歩けば、五軒に一軒はもんじゃ焼きのお店という感じだ。
金髪に染めたお兄さんが派手なエプロンをして、
威勢良く呼び込んでいる店もある。

もんじゃという食べ物、なんでわざわざあんな形状にしてしまうのか、
私にはどうも合点がいかない。
関東に来てかれこれ二十七年だが、納豆ももんじゃ焼きも、
未だにいただけない。私にとって、東西食文化の壁は厚い。

ガイドブックに「もんじゃの老舗」という言葉を見つけた。
創業昭和二十五年とある。これは夫が生まれた年だ。 

その商店街にあるはずの「月島開運観世音」がどうしても見つからない。
見つかるのはもんじゃ屋ばかり。

 横道に入って、軒を接して並ぶ小さな家の前で
植木の植え替えをしている小さなおばあさんが聞いてみると、
おばあさんは、手を止め、腰を伸ばして立ち上がり
「スーパーの横の洋服屋の角を曲がって
まっすぐの突き当たりにありますよ」と気さくに教えてくれた。

 その家から、ちいさな女の子が不審そうな顔をして出てきた。
開いた戸からなかがちらりとみえた。
玄関先の植木鉢も隙間なく並べられていたが、
家の中も隙間なく詰まっていた。
建蔽率100%という感じの家に、きっちりおさまる荷物。
あれは暮らしの技だなと感じ入る。

 おかげさまで観音さまに手を合わせることができ、
いろいろ開運いたしますよう願った。
開運お守りは五百円で、そこにただ並べてあった。無人販売である。

 お蕎麦屋さんで、抱え持つ「下町」を読んだ。
佃島というのは昔の呼び名で、佃大橋開通のおりの町名変更により、
今では島がとれて佃というそうだ。

「佃祭り」という章がある。わたしは非常に祭りに弱い。
「佃祭り」の一文が伝える男達の祭りへの意気込みに胸が震える。

「祭りってえのはねえ。お神輿かつぐだけじゃねえんだよ。大切なのは、それまでの準備なんだ。日当もらって、弁当食って、神輿だけかっこよくかついで、はいさよなら。そんな外人部隊は、佃にゃひとりもいらねえよ」

 そばをすすりながらページをめくると、
なにかうまく言葉にできないあついものがせりあがって来て、
鼻の奥が痛む。そうかあ、そうかあ、つぶやきながら読み進む。

「なぜなのかは、本人にもわからない。
ただ、ひたすら、祭りがすきなのである。
祭りが近づくと、尻がこそばゆくなる。
祭りのひと月も前から、仕事を放り出した・・・」

 佃祭りとは住吉神社の大祭である。
摂津の佃村から来た漁民が佃島を築き、一六四六年に神殿を作り、
故郷の住吉神社の霊を迎えたため、その名がついた。

その住吉神社へ向かった。
こじんまりとした神社で、ひとっこひとりいない。

「下町」によると、ここの宮司さんは
「こじき神主にだけにはなるな」という父親の言葉を守って、
専従であり、決して二足の草鞋ははかず、清貧に甘んじているのだという。お札やお守りに値段もない。
値段を聞くと宮司は「お志で」と答えるのだそうだ。

お神楽の舞台を眺めているうちに、
祭りの熱気がふわあと立ち上ってくるような気がした。
そこは佃島の男達の大切な場所なのだ。 
神社は静かに祭りの日を待っている。

鳥居をくぐって神社を出て、ふっと振り返ると、
本殿の後ろに建築中の高層マンションが見えた。
そのそばにいくつも同じような建物が建っている。
「下町」が書かれた時代からも、ずいぶん景色は変わったにちがいない。
そこにすむひとたちはどうなのだろう。

 佃島にきたのだから佃煮を買ってみようかと思う。
「天安」である。古びてあじわいのある店だが、少々込み合っていた。

私の前のおばあさんが、住所が鉛筆書きされた紙を差し出し
「たらこ1キロ、ここへ送っとくれ」と言う。
おねえさんが「ああ、たらこですね」と確認する。
おばあさんは訝しげな顔になって「いいや、たらこだよ」と答える。
耳が遠いのだ。まるで落語である。

 佃煮を持って隅田川沿いを歩いた。
植え込みに咲く盛りを過ぎたクロッカスの淡い紫が目に残る。
ここにもひとがいない。遠く勝鬨橋を車が走っていくのが見える。
ふっと磯のにおいがする。満潮なのか、川の水位が高い。
対岸の高いビルの間から伸びる穏やかな日差しは水面を銀色に染め、
ちろちろと揺れる。自分に降り注ぐ光をまとってゆっくり歩く。

浅草からの観光船が白い波を立てて、行く。
川下から上ってくる船とすれ違う。
大きな白い波が岸に向かって広がる。
客の投げる餌を追って白い水鳥が高く低く飛びながら船の後を追っていく。「ほら、あれ、見て」と誰かに告げたくなるが、そばには誰もいない。

知らぬ間に文部省唱歌「隅田川」をくちづさんでいた。
その歌の「のぼりくだりのふなびとが」というところまで歌って、
櫂のしずくはどこへいったやらと思う。

向こうから手編みの毛糸の服を着せられた小さな犬が走ってくる。
「待ちなさいよ。ベティちゃん」と言いながら大柄のおばさんが駆けてくる。追いついてひょいと片手で抱き上げて
「ここいらは鳩のふんだらけだからばっちいよ」と犬に話しかけ、
文句あるか、とでもいうような重たい視線をこちらに飛ばす。
ベティちゃんはおとなしく抱かれていた。

「下町」のなかに今は亡き沢村貞子さんの言葉があった。
下町の人はたしかに金も権力もなく品はよくないが
人間として上等なひとが住んでいた、と言う。
そう言いながら今の下町に住んでみたいと思わないと言い、
こう締め括る。

「私の下町は、春の淡雪みたいなもので、
さあいらっしゃい、っていうと、
来たときは溶けてしまうんじゃないかしら」


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